第10話 誘拐事件2

「ミス北条。この子があの赤塚議員の娘ですね?」


 犯人は、私たちを無視して通り過ぎると上品な声色で美代に話しかけた。

 ベージュのトレンチコートとシルクハットが目に入った。ハットからは長いアッシュグレイの長髪が見え、渋いホリの深い顔立ちも相まって外国人なのは間違いない。

 革靴をコツコツと鳴らして歩く、まるで外国映画に出てきそうな男が、血のついたナイフをハンカチで拭いながら立っていた。


「な、なんでアンタがここに!?」

「子供に監視をつけずに遊ばせるほど、我々は甘くありません」


 帽子の下から見えたその目が、暖かくなった私の心を再び凍り付かせる。

 あれは、まずい。不良なんかと次元が違う。


「ふ、ふざけんなてめえ!? 殺しまでするなんて聞いてねえぞ! 兄貴にバレたら俺たちがどうなるかわかってんのかよ! アンタらだってタダじゃすまねえぞ!?」


 血の匂いに顔を青褪めさせた男たちが一斉に騒ぎ出した。

 どうやら男たちも一線を超えるつもりはなかったようだ。


「お、俺たちは関係ねえ! 金はいらねえからその女達とアンタらで後はやってくれ!」

「ちょ、待ってよ! 私らを見捨てるの!?」

「うるせえ! お前のせいでこんな面倒なことになったんだろ!? くそ、くそっ!」


 どうやら彼らはこの後のことを考えて取り乱しているようで、美代と愛は捨てられたようだ。でも、今はそんなことより、もっとどうにかしないといけないことがある。


「れ、玲子、逃げないと!」


 彼が誰で何かは分からないけど、明らかに玲子が目的なのだ。

 護衛を殺されて呆然としている玲子の手を引いて、小声で必死に呼びかける。

 帽子の男が、なんとか立ち上ろうとする不良たちのところに歩いていく今しか機会は無いだろう。美代も愛も、真っ青な顔で固まっていて誰もこちらに意識が向いていない。


「おい、お前ら! 早く立て、逃げるぞ!」

「ダメですよ、あなた方がこの男を殺した犯人なのですから」

「は?」

「なんのためにヤクザに、それも下っ端のあなた方に直接お願いしたと思っているのですか」

「ど、どういう意味だ!?」

「簡単なことです。どこのマフィアの下っ端も、容易い仕事でそれなりの大金を得られるのなら、上に報告せずに自分の懐に収めようとする。あなた方は見事にこちらの思惑通りに動いてくれました」


 さながら紳士のように優雅に、それでいてその邪悪さを微塵も隠そうとせず、帽子の男が愉快気に語り始めた。


「まさかここで本人を確保できるとは思いませんでしたが、おかげでいいシナリオを作れます。議員の娘を助けるために果敢に不良たちに挑んだ護衛。ですが相打ちになってしまい、結果として議員の娘は行方不明。確かこの部屋の持ち主はあなた方の背後にいるヤクザの黄竜会ですね? きっとこの国の警察は彼らを疑うことでしょう。それに護衛が返り討ちにあうとして、相手がただの不良でなくヤクザなら、多少は疑いの目も逸らせるでしょう」


 こちらに背を向けて得意気に語る帽子の男から離れようと、ほんの少し足を動かそうとした時だった。


「そこの女性のおかげでもありますね。感謝を」


 顔を僅かに振り向かせて帽子の男が私を見た。どうやら私の考えなどお見通しのようだ。逃がす訳がないと、その視線ではっきり語りながら笑みを浮かべている。


「れ、玲子」

「……っ」


 玲子も男の視線に込められた意味を理解したようで、青ざめた顔で固まっていた。

 蛇に睨まれた蛙とはこのことを言うのかもしれない。

 私も玲子もどうしていいか分からず、ただただその場に突っ立っていた。

 幸いなのは、男の本命はまだ目の前の不良たちということだろう。


「ではもう用済みです」


 ──でも、すぐに終わってしまった。


 にこやかに、帽子の男が手を振るう。それだけで不良たちは糸が切れるようにパタっと倒れてしまったのだ。


「う、うそ……」


 ナイフは使ってなかった。

 なのに男たちは、護衛の人と全く同じように床に血を流して倒れている。

 それも、三人の男が、一斉に。

 美代の前にいる帽子の男とはまだ距離が離れているのに。


「あ……」


 そして帽子の男はまた、コツコツと革靴の音を響かせながら倒れる不良たちに近付いていく。


「な!?」


 そして何故か倒れている不良たちの体にナイフを突き刺し始めた。


「ふふふ、驚かないでください。簡単な工作ですから。刺す方向には気をつけないといけませんが、こうすればここで争いがあったと判断するでしょう」


 こんなの完全にキャパオーバーだ。

 目の前の男から逃れるイメージが全く湧かない。

 怯えて固まっている内に、工作を終えた男が今度は同じく黙って突っ立ったままの美代と愛に話しかけた。


「あなた達はどうしますか? この男たちのようになりたいですか? それとも生きていたいですか?」


 どちらを選ぶかなんて決まりきった選択肢を提示してくる男に、二人は必死で命乞いを始めた。


「た、助けて! あなたの言うことならなんでも聞くから!?」

「そ、そうよ! 絶対にあなたを裏切ったりしないから……た、助けて……」

「クフフ、よろしい。二人の方が意見に信憑性もありますね。では現れた警察に『そこの人達がクラスメートを連れていくのを目撃して……』と言いなさい。有名なヤクザですので、後は警察が勝手にストーリーを作ってくれます。しくじれば……わかりますね?」


 美代と愛は帽子の男の言葉に頭を激しく上下に振った。目には涙を溜めて、必死な顔で振っている。人を恐怖で支配するって言葉は、まさにこのことを言うのだろう。

 男は彼女達の物言わぬ返事に微笑むと、玲子に向かって歩いてきた。


「これはこれは、美しいお嬢さんだ。可哀想に、その顔ならあの人はきっとあなたに興味を持ってしまうでしょうね」

 全く同情してないのが私でもわかるほど、男は空虚な言葉で玲子に話した。

「ど、どうするつもりよ」

「二人とも大人しくついてきてください。抵抗すればどうなるかはわかりますね?」


 嫌でも、帽子の男の後ろで死んでいる護衛と不良たちの姿が目に入った。


 ──怖い。 


 私、ここで死んじゃうのかな?


(大丈夫、美亜だけは絶対に逃してあげるから)


 震える私に、玲子が小声で話しかけてきた。

 微笑んでいるけど、目は涙ぐんでる。

 自分だって怖いくせに、私のこと──。

 そうだ、玲子を連れて逃げないと!


(違うよ! 一緒に逃げよう! だってあいつらは玲子のことが……)

(ごめんね、美亜。私のせいで)


 小声で囁き合う私と玲子の声は、多分男にも聞こえているだろう。それでも反応しないのは、私たちが何をしても大丈夫という自信の現れか、それともすぐに殺せる確信があるからか。その沈黙が不気味で怖かった。


「お待たせしました」


 渋々、後をついて外に出ると、真っ黒な大きい車が止まっていた。

 数人のスーツの男が周りを警戒しながら後部座席のドアを開く。

 どれもカラフルな髪色をした顔の彫りが深い男達で、この国の人間じゃない。


「入りなさい」


 命じられるまま、玲子が先に車に乗せられる。

 車に出発の指示を出す帽子の男がドアに手をかけた時、玲子がこちらを振り返り視線で何かを訴えた。


「玲子!?」


 玲子は急いで懐から器具を取り出すと、ついていた紐を勢いよく引っ張った。


 ──ピイイイイイイイイイイ!


「しまった、急げ!」


 玲子が鳴らしたのはいつも持ち歩いていた携帯用の防犯ブザーだ。

 大きな音に驚いた男たちが玲子を抑えようと慌て始める。

 玲子が車に乗ってから鳴らした訳をしっかり理解していた私は即座に逃走を開始した。


「美亜、逃げてっ!」


 彼らの一番の目的が玲子なら、最悪自分だけ確保できれば私が逃げる確率が高くなる。

 玲子はそう考えて、このタイミングでブザーを鳴らしたのだ。

 言いたいことは山ほどあったけど、彼女が車に乗ってしまった時点で私がいくら文句を言っても変わらない。気持ちを切り替え、逃げることだけに専念した。

 今の私にできることは、逃げて助けを呼んで彼女を迎えに行くことだけ。

 解ってはいても、彼女を見捨てる罪悪感が重く心にのしかかる。


「待ってて玲子! 必ず助けを呼ぶからっ!」


 罪悪感を誤魔化すように、振り返らずに私は後ろの玲子へと声をかけた。

 でもその声は届かなかったようで、玲子を乗せた車がキュルキュルというタイヤの擦れる大きな音を立てて遠ざかっていった。


「追いなさい!」


 帽子の男の指示を受けた黒服たちが私の後を追ってくる。

 幸いすぐそこは大通りだ。

 人通りの多い道を選びながら、人に紛れるように全力で走り抜ける。

 幸運だった。人の多さはそのまま私に味方した。

 人混みが、あいつらの足を遅くしてくれる。

 肋が痛い。喉から鉄臭い血の味がする。でも足を止める訳にはいかない。

 息を切らしながらも、私は真っ直ぐとある場所に向かっていた。

 あの強い護衛を一瞬で殺すような男が相手なら、警察でも危ないかもしれない。

 でも幸い、この信濃の街にもあそこはあって、その建物はもう見えていた。

 そこはオフィスビルが並ぶ街中でぽつんと佇む三階建ての武家屋敷で、信濃にある唯一の陰陽師の拠点だ。


 ──もう少しだよ、玲子。


 相手が不思議な力を使うなら、彼らに助けを求めるしかない。

 私は超常の力を持っているヒーロー、陰陽師のいる朝廷に駆け込んだのだ。

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