第6話 邂逅 聖騎士殺し

 美亜を連れて陰陽寮から出ると、外はもう真っ暗になっていた。

 それでも人工的な灯りが街を彩り、夜の闇はなりを潜め、人の世界は変わらず昼間のように賑わっている。


「あらあら、いいわねえ」

「ほう?」


 撫子がうっとりと視線を向ける先は陰陽寮の向かいだ。

 道路を渡った先にある信濃大社の参道で開催されている夜市『流行り鯉』の一角には長蛇の列ができていた。

 目に映るのは大きなリンゴ飴の旗、どうやら幻と名高い猫又が夜市に出店しているらしい。そこのリンゴ飴を求めて人が集まっているようだ。


「あ、でも出店じゃ林檎酒は売ってないようね。リンゴ飴だけみたい」

「なんだ、やはり店に行くしかないか」


 その店は妖たちの世界である久世くぜにあるという。

 まあ場所は花子が知っているだろうから、金が用意できたら誘うとしよう。


「リンゴ飴……」


 不意に、美亜が呟いた。

 今にも泣きそうな顔で猫又にできた行列を見ている。


「なんだ、そんなに食べたいのか?」

「ち、違いますよ! ただ、約束したんです……玲子と、本当なら今日、一緒に猫又のリンゴ飴を食べに行こうって」

「玲子とやらは、よほどそなたと親しかったのだな」

「ええ、そうなんです! 玲子とは幼馴染で小さい頃からずっと一緒だったんですよ。私と違って玲子は美人で有名で、私と違って人気者なのに、ずっと私にべったりで……」

「幼馴染、か」


 幸せそうに幼馴染について語る美亜を見て、少し胸が痛んだ。

 脳裏に浮かぶのはかつての親友と、その想い人であったもう一人だ。

 二人の幼馴染を思い浮かべ、ハルを見る。


「ままならぬ、ものよな」

「え? 何がですか?」

「いや、なんでもない」


 たとえ何を犠牲にしようと目的を果たすと決めたのだ。

 だからこうして旅をしている。

 その決意を今更悔いてもしょうがない。


「あ、そうだ。ハル、頼めるか」

「うん、いいよ」


 ハルは目を閉じて、むにむにと両手を合わせて呟き出す。


「え、なに?」


 ちょっと引いた目でこちらを見てくる撫子と美亜を無視し、ハルの手を覆うように自分の手を合わせる。


「ちょっと往来で変なことしないでくれる?」

「む、無明さん?」

「し、黙っていろ。ハルが集中している」


 ハルの呟きが次第に小さくなり、聞こえなくなる。

 微動だにせず、静まり返った数瞬の後。


 ──カッと、ハルの目が見開かれた。


「ぱうわー!」


 掛け声と共に。ハルは勢いよく両手を上げた。


「お、成功したか。よくやったぞ、ハル」

「むふー」


 誇らしげに胸を張るハルの頭を撫でると、嬉しそうに目を閉じる。

 少し疲れさせてかまったかもしれないが、今はこの子の能力に頼る時だろう。


「いや、なんなのよ……」


 冷めた視線で呆れる撫子だが、この効果が分かった時にはきっとハルの凄さに驚き慄くに違いない。


「くくく、ハルには特別な能力があってな」

「特別? ハルちゃんが?」


 美亜も要領を得ないといった様子だ。


「で、どっちだ?」

「あっち」


 ハルが指差したのは、夜市とは別の方角、住宅街の方だった。

 興味なさそうにあくびをしていたすねが、神妙な声で感心する。


「オイオイ、確かに嫌な気配がビンビンしやがる。オイラより早く気づくなんてやるじゃねえか」


 すねが垂らした尻尾をピンと張って、全身の毛を逆立たせハルの指した方角を見ている。

 事情を知らない美亜と撫子はキョトンした顔でほうけていた。


「ハルには探し物を見つける才能があってな。件の聖騎士殺しの場所を探してもらったのだ」

「「え!?」」


 撫子と美亜が、同じ顔でハルを見る。


「す、すごいわね……占術は陰陽術の基礎だけど、そんな便利なものじゃないわ。私の式神の探知より上かも」

「ほえー、ハルちゃんって天才なんですね」


 撫子が興味深そうにハルを観察している。

 どこかその目は鋭いが、未知の術式につい真剣に考察しているのかも知れない。


「ついでに赤塚玲子も探しておいたぞ」

「え、ほんとですか!?」


 のんびりとした様子で感心していた美亜が、一気に真剣な表情に切り替わる。


「ハル、赤塚玲子は……」

「あっち。いっしょ」


 何かの偶然か、くだんのあやかしと同じ方角に揃っているらしい。


「え!? な、なんで……」

「美亜、どうした?」

「あ、いえ……何でもありません」


 なぜ、驚いたのだろうか。

 赤塚玲子が攫われたと言った割に、場所の心当たりがあったのか?

 しかし、今の反応では自分の知る場所と違うことに驚いている様子だ。


「……美亜。聖騎士殺しを探すが、もし途中で玲子がいれば保護する。それでいいな」

「は、はい!」


 本人も予想外なのか眉を顰めている。

 いずれにせよ、玲子を見つけた暁には全てを話してもらうとしよう。


「まずは移動するか。しかし、問題はハルの指さす方角には北条美代の家がある……もしかしたら」


 そこまで言うと、美亜が察したように息を呑んだ。


「──急ごうか。ハル、褒美に後で何か買ってやろう」

「リンゴ飴がいい」

「そうか。ならこの件が終わったら買ってやる。今は金がないしな」


 どうせ花子と猫又に行くのだから、その時と一緒でいいだろう。


「え、リンゴ飴を買うお金もないんですか?」

「あなた、本当に子供と一緒に旅するつもりあるの? 私がもらおうか?」


 美亜と撫子が信じられないと言った顔で睨んでくるが、努めて無視する。

 ていうか、撫子。ハルの能力を知った途端に現金な奴だな。


「ではハル、案内を頼んだ」


 ハルは頷いた瞬間、すねを抱いたままぴょんと軽やかに陰陽寮の塀まで飛び上がると、塀を蹴って屋根まで飛んだ。


「えっ」


 美亜が信じられないと言った顔で硬直している。

 説明も面倒なので美亜を両手で抱え上げ、ハルと同じように塀に飛び移り後を追う。


「撫子、そなたは……」

「ちょっと、舐めないでちょうだい。このくらい余裕よ」

「そうか」


 ブスッとした顔で追従する撫子に安心すると、抱えた美亜がパクパクと口を開いたり閉じたり繰り返している。


「な、なななな!?」


 次第に顔を真っ赤に染め、美亜が暴れ始めた。


「ちょ、無明さん!? 仮にも乙女にいきなり何を!?」

「こらこら、暴れるな。それに小娘は対象外だ。この方が運びやすいのだ、他意はない」

「な、ムキー!? こんな乙女を荷物扱いしないでください!」

「ちょ、こら、暴れるなと言っておろう」


 しばらく胸元で恨み言を呟いていた美亜が、ふと先導するハルを見て大人しくなった。


「あの……無明さん、ハルちゃんって」


 ハルはすねを抱いたままではあるが、速度が落ちる気配はない。美亜はそんなハルが不思議なようだ。


「何、この程度なら霊力の扱いがうまければ造作もないことだ」

「ほえー、そうなんですか! なんか本当に映画みたいですね!」


 美亜の間の抜けた返事がどこか可笑しく、これから妖と対面するのに毒気が抜けてしまう。


「くくく、霊子強化は体内に巡る霊子を活性化させ人外と渡り合うだけの膂力と強靭さをもたらす術だ。しかし陰陽術の基礎でありながら万人に会得できる術でもなくてな。一般人と陰陽師に才能の差があるとも言われる由縁だ」

「ってことは、ハルちゃんにもすごい才能があるんですね」

「……ああ、そうだな」

「もしかしてハルちゃんの両親は陰陽師だったんですか?」

「いや、平凡な家庭の……一般人だ」

「じゃあハルちゃんがすごいんですね!」


 華やぐ美亜は、無邪気に興奮している。


「ちなみにご両親は今、何を?」

「もういない。両親ともな」

「あっ……す、すみません、余計なことを聞いてしまって」

「いや、別に。父親は早くに病死したらしくあの子も知らん。ただ……」


 言わなくてもいいと自覚しながら、続きを口にした。

 それはもしかしたら、告解にも似た感情だったのかもしれない。


「ハルの母親は──オレが殺した」


 そう告げると、息を呑む怯えた少女の気配が腕の中から伝わってきた。


             ◇


 押し黙った美亜を抱え屋根を飛び続けていると、次第に住宅地を抜けて僅かな街灯が照らす田んぼ道が目の前に広がった。


「さあ、もう着いたようだぞ」

「……へ、うえ? は、早っ!?」


 美亜が目を擦っている。どうやら大人しかったのはうとうとしていたからのようだ。

 ハルは少し前の畦道で止まって、じっと前を見つめていた。


「ハルちゃん、どうしたの?」


 美亜を地面におろすと、美亜はハルに向かって歩いて行く。


「なっ!?」


 そこにあったのものを目撃し、美亜が口元を抑えた。


「ふむ」

「あら」


 倒れていた女性は裸足に短パンとパーカーといったラフな姿だ。


「ミ、ミイラ!?」


 眼窩はくぼみ、肌は干からび切っている。指は細り、爪はひび割れネイルが散らばっていた。服は真新しいが、どう見ても死後数ヶ月以上は経っていそうな女性の遺体が目の前に転がっていたのだ。


「一体、いつ襲われたのかしら」


 鋭い目をした撫子が遺体の検分を始める。

 分析を撫子に任せて周囲を警戒すると、ねっとりとした残穢が道の先まで続いていた。

 どうやら、まだ近くにいるようだ。


「無明、見て」


 撫子が遺体の胸に指を指すと、美亜が不思議そうに首を傾げた。


「あ、穴?」

「服にも血がついている。どうやら心臓を抜かれた後にミイラになったようね。血の痕跡からして、まだ死んで間もないわね」

「そ、それって……」


 美亜の顔が青ざめた。

 遺体の外見から年齢はわからないが、まとっている服からして若い女性のようだ。

 撫子は遺体の指先から、装飾品を一つ取る。


「撫子、美亜。もしかしてこの遺体は北条美代なのではないか?」

「え?」

「爪についていたそのネイルに心あたりは?」

「あっ」


 撫子が取ったのは豹柄を模した、ピンクと黒の斑ら模様のネイルだった。

 美亜は深刻そうにネイルを見ている。


「はい……たぶん、そうです」

「これで一般人の被害者は二人になった。その二人とも、美亜のいじめに加担していた女生徒とういことか」

「な、なんで?」

「……ふむ」


 美亜は信じられないという顔で、手で口を押さえている。

 本当に理由がわからないように見えた。


(関係はしているが、原因という訳ではないのか?)


 因果と相関。一見、全ての因果は美亜に繋がっているよう見えるが、実は相関しているだけなのかもしれない。


「あ、ハルちゃん? あまり見ちゃダメだよ!」


 美亜はハルを急いで遺体から引き離そうとしている。

 裏で糸を引き人を殺めるようには見えない。


「まあ犯人を捕まえれば疑問は解け……」

「むみょー」

「ん、どうした?」

「あれ」


 手を引きその場から少しでも離そうとする美亜を無視して、ハルが呼んだ。

 ハルの指さす先、暗く見通しの悪い田んぼ道に向けられている。


「あっ」


 美亜が吐息を漏らすような声を出した。

 怯えた様子で、ハルの手を引きながら後退りを始める。


「ど、動物かな……?」


 ちょうど美亜の見つめる少し先の暗がりを、影が動いていた。

 

 ──ヒタヒタ、ジャリジャリ、と。


 暗い畦道の砂利を踏みながら、こちらに向かって何かが歩く音だけが聞こえてきた。


「美亜、ハルの側を離れるなよ。すね、守ってやれ」

「ったく、仕方ねえな」


 すねは少し文句を言うと、ハルの腕から抜け出し二人の前に陣取った。面倒そうな言葉とは裏柄に尻尾がピンといきりたっている。


「さて、心臓を喰らい人を干からびさせる怪異か」

「ねえ、無明。もし鬼がでたらどうするのよ」


 幾分いくぶんか緊張した様子で撫子が警告した。

 あやかしの中でも鬼は格別に強い。

 朝廷陰陽師でも複数人で戦うことを推奨されている。


「なんだ、大和まで噂が及ぶ『百式ひゃくしき』でも鬼の相手はできないか?」

「──あら、随分なこと言ってくれるじゃない」


 揶揄うように尋ねると、不敵に撫子が微笑んだ。

 すっかり忘れていたが、式神使いの倭文撫子といえばそれなりに名の通った陰陽師だ。


「言っておくけど、自分の身は自分で守ってね? 後ろの子達はともかく、おじさんのおもりなんでごめんよ?」

「くくく、構わんよ」


 うまくなすり付けて、戦ってもらうだけだからな。


 ダッダッダッ──。

 

 話している内にこちらへ向かう音が、力強く走る音に変わっている。


「──来るわよ」


 撫子の警告と同時、暗闇の中からそれは真っ直ぐに飛び掛かってきた。


「ほう」


 影は長い髪を振り乱す女の形をしていた。

 腰帯に差した刀を抜き邂逅一閃かいこういっせん、その首を薙ぐ。


「しっ──」 


 居合の要領で振り抜いた刀身が突き出された女の爪と交差する。

 ギンっとした甲高い音で受け止めたことから、女の爪は刀の硬度に匹敵するらしい。


「人間の生気を吸いミイラ化させる女妖となると、啜り女すすりめか……? だがアレは肉を食わん。それに美女の姿に化けるはずだがこの容姿は──」


 過去に相対した同族の妖怪の姿を思い出しながら、刀を受け止める女を見た。

 干からびた肌に、黒の無い白濁とした瞳。漂う腐臭からして夏の腐乱死体が起き上がったかのような風貌だ。そしてその姿は、美亜と同じセーラー服を着ている。


「う、嘘でしょ……」


 美亜がその姿を見て、表情を曇らせる。

 これが赤塚玲子と聖騎士殺しのいる方角が一緒だった理由か。


「なんで、なんでなのよ……」

「ふむ」


 写真で見た絹のように美しかった長い黒髪は、見る影もなくところどころ抜け落ちて、頭蓋の一部を曝け出していた。

 それでも言われれば、その輪郭には僅かな面影が残っている。


「れ、玲子!!?」

『アア、ミ……あ……ミィイアアアッ!』


 憎むように己の名を叫び狂う女の妖怪を見て、美亜が悲痛な表情を浮かべた。


 その妖怪の正体は美亜が何より助けを求めていた──赤塚玲子だった。

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