王女は心中に失敗した

蛮野晩

王女は心中に失敗した


『ルーデリア王女とクレイズ宰相さいしょうが駆け落ちした!』


 その日、王女と宰相の醜聞しゅうぶんが王都を駆け巡った。

 醜聞を消そうと兵士たちが躍起やっきになるが、民衆の噂話を阻むことはできない。

 人々が好奇心たっぷりに噂するには理由があった。



 三日前に宰相は毒を飲んで死んだはずだったのだ。



「駆け落ちだって? 宰相様は三日前に死んだんじゃなかったのか」

「宰相様は堅物かたぶつだって有名なのに、王女に手を出すなんて」

「え~、なんだか残念。若くして宰相になったクレイズ様を狙ってる子は多かったのに。宰相様ってめちゃくちゃ美形なのよね」


 民衆は面白おかしく話していたが、ふと商人の男が深刻な顔で口を開く。


「……でもどうするんだ。王女は女王に即位したら帝国に嫁ぐことになっていただろ? 結婚が潰れたら帝国に侵略されるんじゃ……」

「大丈夫よ。大臣や貴族がこのまま王女を逃がすとは思えないわ」

「容赦ないからな~」


 民衆は憶測を語りあう。

 王女と宰相の駆け落ちは民衆にとって結局ただの娯楽でしかないのだ。





 王都から遠く離れた街。街は旅人が立ち寄る大きな街で、市場いちばにも多くの人が行き交っていた。


「わあ~、人がたくさん! あれは何かしら。初めて見るものがたくさん!」


 市場には私が今まで見たことがない品々が並んでいる。

 私の国なのに、私の知らない世界が広がっている。


「クレイズ、恥ずかしいわ。私はなにも知らなかったのね」

「ルーデリア王女……」

「んん? おうじょ~?」


 じろりと睨む。

 するとあなたは顔をしかめる。


「……無茶を言わないでくれ」

「ダメ。ルーと呼んで」

「せめてルーデリア様だ」

「ええ〜、それじゃあすぐに私たちに気づかれてしまうわ」

「これ以上の譲歩はできないよ」

「何度もお願いしてるのに~」


 あなたに恋をしてから何度もお願いしてるのに、決して首を縦に振ってくれない。


「もう、堅物宰相なんだから」

「悪かったね」


 クレイズはわずか二十五歳で宰相の地位まで昇りつめた。厳格で堅物なクレイズを煙たがる者もいるけど、私は誰よりも愛している。王位を捨てても一緒に生きていきたいと思うほどに。


「でももう宰相じゃないわね。今は私の恋人でしょ?」

「……否定しないが」


 クレイズがムムッとした顔になる。

 あなたが『恋人』というたった一つの言葉を意識していることがなんだかおかしい。


「そうよ、そして夫婦になるの。これは絶対よ」

「夫婦……」


 あなたは仰天したように一歩後ずさった。

 今度は私がムムッとする。


「驚きすぎよ。なんのために駆け落ちしたと思ってるの。クレイズは頭固いんだから〜」


 私は腰に手を当てて怒ってみせた。

 そんな私にあなたはたじろぐけれど、もうダメ、我慢できなくなって笑ってしまう。


「アハハハッ、なーんてね。一緒に駆け落ちできただけで嬉しいわ。ねえ、もっと市場を歩きましょう。明日に備えて買い出ししないと」

「まったく、君ときたら……」


 やれやれとあなたが呆れた顔になる。

 でも私を見つめる蒼い瞳は優しくて、政務の時に見せていた厳しさはない。それがなんだか嬉しくて、私たちは手をつないで市場を歩いた。





 その日の夜。

 私とクレイズは街の片隅にある小さな宿に宿泊していた。


「今日は楽しかったな~」


 ベッドでごろごろ寝転んだ。

 でも隣のベッドに腰を下ろしたクレイズが眉をひそめる。


「行儀が悪いよ」

「ここに口うるさい女官はいないわ。誰も見てないからいいの」

「そういう問題じゃない。王女たるもの」

「王女じゃないわ」


 ムッとして遮った。

 唇を尖らせるとあなたは「そうだったね」と苦笑する。


「本気で悪いと思ってないでしょう」

「そんなことはない。ただ……君が女王に即位すると思っていたから」

「……後悔してるの?」


 じっと見つめた。

 私はね、燃え上がるような恋をしているのよ。それなのにあなたはいつも冷静ね。

 でも私は知っている。こうして私が不安になった時、あなたはちゃんと向き合ってくれる。


「後悔とは違う。ただルーデリア様はすぐれた女王になると思っていただけだ」

「私が?」

「君はワガママだ。しかも一度決めたら実行する頑固がんこさがある」

「それ誉め言葉じゃないわ」

「言い方を変えよう。意志の強さがある。それは王位を継ぐ人間にとって武器になる」

「聞きたくなかった」


 悪気がないのは分かっているけど、それでも聞きたくなかった。


「私は女王にはならない。この国の女王はただでさえ大臣や貴族の傀儡かいらいなのに、帝国に嫁げば従属の女王になるのよ」


 駆け落ちしていなければ私は女王に即位し、帝国に嫁ぐことになる。王国が従属するあかしとして女王が嫁ぐのだ。

 でも……。


「……その方がよかった? その方がクレイズも宰相のままで」

「私は臣下として主君に従うだけだ。……もう宰相ではないがね」


 そう言ってあなたは力が抜けたように小さく笑った。

 私も肩から力が抜ける。


「うん、クレイズはもう宰相じゃない。私だけのクレイズよ。だからそろそろ私のこともルーって呼んでよ」

「またその話か」

「何度でも言うわ。でも今は堅物のクレイズが一緒に駆け落ちしてくれただけで充分。夫婦になったらたくさんイチャイチャしましょうね」

「イチャイチャ……」


 耳慣れない言葉にあなたが狼狽する。

 でもその反応がおもしろくて笑顔で続ける。


「夫婦になったら絶対にルーって呼ばせるんだから。そして海が見える丘に小さなおうちを建てて、子どもは三人くらい欲しいわね。そこで親子五人ずっと幸せに暮らすの」

「……なんだ、その夢物語は」

「夢物語じゃないわ! これは現実になるの! クレイズだってそのために一度死んで生き返ってくれたんでしょ?」


 ひっそり愛しあっていた私たちは駆け落ち計画を立てた。

 心臓を三日間停止させることができる毒を手に入れ、クレイズが毒を飲み、三日後に生き返って私をこっそり迎えに来る計画。計画は見事に成功した。


「クレイズ」


 まっすぐ見つめて愛おしい名を呼んだ。

 あなたが振り返る。やれやれなんて顔をしているけど、あなたは私を愛している。


「幸せになりましょうね、私たち。絶対よ?」

「……ここまで来たんだ。最後まで付き合おう」

「うん、ずっと一緒にいてね。ずっとよ。よぼよぼのおじいちゃんとおばあちゃんになるまでよ。二人で新天地を目指すの」

「なにが新天地だ……」


 クレイズが呆れたように天井を仰いだ。でもその口元が少しだけ笑っていた。

 このまま誰にも見つからずに逃げて、逃げて、その先にあなたとの幸せな人生が待っている。

 海が見える丘の上に小さなおうちを建てて、子どもを生んで、育てて、子どもが巣立ってからはまた二人で。

 それは夢物語じゃない、私とあなたの未来。




 早朝、私たちは街を出た。

 まだ薄暗い時間、朝靄あさもやの中を私とクレイズは歩いていた。

 ひっそりとした森の小道を二人で進む。

 この小道はめったに人が通らない道だから、だから、ああ……。


 ザザザザザッ、ガサガサガサ……。


 背後に迫る気配。

 あなたと手をつないで逃げたけど、あっという間に囲まれて、あっという間に捕らわれて……。


 私たちの駆け落ちはあっけなく終わった。






 私は城の塔の最上階に監禁されていた。

 両手足を拘束衣で蓑虫みのむしのように拘束され、口には布を噛まされている。これは私が舌をかみ切ったりしないように。

 身じろぐことさえできず、うなだれて自分の足先をじっと見つめる。

 周りでは大臣や貴族たちが今後のことを話しあっている。


「王女を捕縛できたからいいものの、帝国になんて説明すればいいんだっ……」

「あの横暴な皇帝だ。説明によっては我々も処刑されるぞ!」

「処刑なんて冗談じゃない! そうなる前に婚礼を早めてはどうだ!」

「駄目だ、帝国に嫁ぐのは女王に即位させてからだ。そうでなければ意味がない」

「クレイズ宰相を処刑して首を差しだせ!」

「あんな罪人を宰相なんて呼ぶな! 汚らわしい!」


 醜悪で浅ましい雑音だ。

 じっと足先を見つめていると、ふと部屋の扉が開いた。


「ルーデリア……!」


 入ってきたのはこの国の女王。私の母だった。

 母は拘束された私を泣きながら抱きしめる。


「ルーデリア、無事でよかったわ!」


 私は無事なの? これが無事なの?


「非力な母を許して……」


 そうね、ほんとうに非力。

 母として娘を抱きしめるけど拘束を解くことはできない。女王なのに大臣や貴族たちに命令することもできない。

 母が女王に即位できたのは病弱で気が弱い性格だから。母には実姉がいたけど聡明だったゆえに毒を盛られて病床に伏してしまった。

 この国の王位を継ぐ者は優れていてはいけない。従順な傀儡人形あやつりにんぎょうでなければいけない。そうでなければ暗殺されるから。この国の王位継承権はその程度のものだから。


「うっ、うっ、ルーデリア、ルーデリア……っ」


 母は私を抱きしめて泣くことしかできない。

 娘の私を哀れんでくれるけれど、その非力さゆえに救うことはできない人だった。




 その日の夜。

 私は口布をほどかれたものの拘束されたままだった。

 部屋には見張りの侍女が一人だけだ。


「……あなた」


 見張りの侍女に呼びかけた。

 侍女は少し驚いた顔で振り返る。


「なんでしょうか」

「クレイズはどこにいるの? 私を連れていって」


 静かに命令した。

 でも侍女は私をさげすむ。


「申し訳ありませんが、大臣から王女様をこのままにしておくようにと命じられております」

「そう……」


 私をあなどっているのね。

 うなだれて足先を見つめ、そっと静かに目を閉じる。

 ……クレイズに会いたい。会いたい。強烈に願う。

 ゆっくり顔をあげて侍女を見据えた。


「……あなたの名は?」

「失礼ですが、なんの関係が?」

「あなたは誰に仕えているの?」

「それはっ……」

「私の命令を拒むのはあなたの意志。ならば、あなたの名を名乗りなさい。誰に従うかはあなたの意志で決めること」

「っ……」


 侍女が観念したように私の拘束具を外していく。


「……元宰相閣下は西の塔の地下牢でございます」

「そう。人払いをしておいて」

「承知いたしました」


 権威をちらつかせたら侍女は素直に従いだした。

 なけなしの王女の権威、わずかでもまだ残っていたのね。




 部屋を抜け出して西の塔に入った。

 私は蝋燭の灯りを頼りに西の塔の階段を降りる。

 地下牢に近づくにつれてかび臭い匂いが濃くなっていく。

 暗い通路を進んだ先、地下の最奥に地下牢はあった。

 地下牢の鉄扉を前に緊張が高まっていく。祈るような気持ちでゆっくり開けた。


「ぅっ……」


 むわりっとむせ返るような血の臭い。


「クレイズ、私よ。クレイズ……っ」


 地下牢は暗くてなにも見えない。

 蝋燭で照らしながら探していると、…………ひゅー。……ひゅー。

 今にも消えてしまいそうな細い呼吸音。


「クレイズ!!」


 呼吸音がするほうへ駆け寄った。

 そこには鎖で両手足を拘束されたクレイズが横たわっていた。


「クレイズっ、クレイズしっかりして! ああクレイズ……!」


 抱き起こすと、ぬるり。生温かいぬるりとした感触。

 全身をたしかめて、心臓が潰れそうになる。

 だって赤い。すべてが赤くて……。


「うぐぅっ。クレイズ、クレイズぅぅぅううううううう……!!」


 クレイズの顔と全身の皮膚ががされて赤い肉がき出しになっていた。

 片耳はがれ、片方の眼球はえぐられてぽっかり空洞になっている。鞭打たれた背中の肉は裂けて白い骨が見えていた。


「うぅ、クレイズ、クレイズ……!」


 私のせいだ。

 私が駆け落ちなんてさせてしまったから、だからあなたはっ……!


「ごめんなさい、クレイズ、ごめんなさいっ……!」


 駆け落ちしなければあなたは拷問なんて受けなかった。宰相として敬われたまま生涯を終えることができたはず。それなのに……!


「ごめんなさい、ごめんなさいっ……。私のせいで、ごめんなさい!」


 死にたくなるほどの絶望に涙があふれて止まらない。

 非力なのは私。私こそ愛する人を守ることができなかった。


「クレイズ、クレイズ」

「……ルー……デリアさ……ま……」


 息も絶え絶えに名を呼んでくれた。

 私は泣きながら笑ってみせる。


「クレイズ、これからもずっと一緒よ。ずっと一緒。だからルーと呼んで」


 死のう。

 あなたと一緒に死のう。

 今から医師を呼んでもあなたが助かることはない。

 ならば一緒に死のう。あなたのいない世界に意味はない。

 ぎょろり。あなたの残された目が私を見つめる。

 充血した眼球。私の愛する人の蒼い瞳。

 私はその目元にそっと唇を寄せた。皮膚ががされたき出しの肉は血の味がする。


「クレイズ、ずっと一緒よ。私はあなたと一緒がいいの」


 私は小袋を取り出した。

 小さな薬包紙が二つ。これはあなたを苦しみから解放するための毒薬。

 私も一緒に飲むわ。二人で解放されるの。

 これは悲しい結末じゃない、あなたとの始まり。


「……ほんき、なのか……?」

「本気よ。一緒がいいの。だから駆け落ちしたの」


 あなたとじっと見つめあう。

 ふと、…………はあ……。あなたが細い息を吐いた。それはため息。私を見つめる蒼い瞳が了承の意志を伝えてくれる。

 そして唇が微かに動き、とぎれとぎれに言葉を発する。


「……そこに、ねずみが……いるんだ。追いはらって、くれ……。あまり……好きじゃ……ない……」

「分かった。待ってて、すぐに追い払うから。私も苦手なの」


 クレイズの体をゆっくり横たえると、地下牢を見回して「シッシッ」と手で払う。走り回るネズミを追い払った。


「お待たせ。こんな時だっていうのにネズミを気にするなんて。ふふふ、潔癖なクレイズらしいわ」


 私は小さく笑いながら二つの薬包紙を開いた。


「さあ、クレイズ」


 毒薬をあなたの舌に乗せた。

 あなたが毒薬を飲んだのを見つめて、次は私の順番。


「クレイズ、愛してるわ。これからも二人一緒よ」


 私はためらいなく毒薬を飲みこんだ。

 毒薬が喉を下りてお腹の底に落ちる感覚。これであなたと同じ場所にいけるのね。

 私はあなたをそっと抱きしめる。


「……クレイズ、おねがい。……さいごに、ルーと呼んで」


 私はルーデリア王女じゃない。あなただけのルーになりたいの。

 でもあなたの目は濁って光を失い、薄く開いた口からも呼吸が止まっていた。

 結局一度も『ルー』とは呼んでくれなかった。


「いじわるね……」


 口元に小さな笑みを刻む。

 頑固がんこなあなたらしい最期だわ。

 私は亡骸を抱きしめて目を閉じた。

 薄れゆく意識の中で歓喜する。ようやくあなたと一緒になれると。





 三日後、私はひつぎの中で目が覚めた。

 その瞬間すべてを悟る。

 心中に失敗したのだと。

 クレイズに失敗させられたのだと。

 毒を飲む間際、クレイズは私にネズミを追い払うように頼んだ。その時に私の毒をすり替えられてしまったのだ。心臓の鼓動を三日間停止させる毒に。

 私は嘆いた。絶望した。

 たった一人でこの世界に取り残されてしまったのだから。

 女王に即位することを運命づけられたのだから。






 三年後。

 その日、王国は祝福に満ちていた。

 私の女王即位式の日だった。

 そして一週間後に帝国に嫁ぐことが決まっている。

 婚礼が成立すれば帝国に内通している大臣や貴族の権力は増して盤石ばんじゃくになるでしょう。


「ルーデリア新女王よ、歴代女王が守ってきたこの王冠と玉座が新女王を守るであろう」


 大司祭によってうやうやしく頭上に女王の冠を乗せられた。

 玉座の間に整列していた大臣や貴族たちがワッと歓声をあげる。

 玉座の私を見上げながらも、その目にはうやまいなんて一切ない。新たな傀儡人形あやつりにんぎょうが完成したとしか思っていない。

 私は心中に失敗してから大臣や貴族に逆らわずに従順に生きてきた。

 大臣や貴族の前では国政に興味を示さず、学びを遠ざけ、愚鈍な王女を演じた。

 この王国では聡明な王女は殺される。利発な王女もうとまれる。生き残るなら気が弱くて従順でなくてはならない。だから私は愚かな王女を演じ、先代女王のような傀儡女王あやつりにんぎょうになると期待させたのだ。

 そうすることで私が得たのは大臣や貴族の油断。


「ルーデリア新女王、宣誓の言葉を」


 大司祭が宣誓を促した。

 私は玉座からゆっくり立ち上がり、大臣や貴族を見下ろす。


「みな様、この佳き日に即位式を迎えられたこと、心より嬉しく思っています。しかし、王女ルーデリアは三年前に死にました」


 玉座の間がざわついた。

 大臣や貴族が不審な顔で私を見上げる。


「いったいなんだ」「王女は死んでるとはどういう意味だ」「三年前だと?」「女王はおかしくなったのか」


 囁きあう言葉に目を細めた。

 私は動じない。揺るがない。

 私の魂は三年前にクレイズとともに死んでいる。


「でもどうか悲しまないでください。これからは女王として職責に励みたいと思います。それでは新女王として最初の仕事を。――――今より葬礼の式典を始める!!」


 バターーンッ!! ザザザザザザザッ!!


 私の宣言と同時に玉座の間の扉が開かれ、武装した兵士たちがなだれこんできた。

 あっという間に兵士が大臣や貴族を取り囲む。兵士の剣は大臣や貴族に向けられ、華やかな式典が一変した。


「ど、どういうことだ……!」

「女王よ、自分がなにをしているか分かっているのか! 我らの長年の働きを愚弄ぐろうするか!」


 大臣や貴族が動揺して声を荒げた。

 私はそれを女王として睥睨へいげいする。


「なにを狼狽している。お前たちが長年に渡って王家にしてきたことでしょう」


 私がそう言うと、今度は玉座の間に車椅子に乗った婦人が姿を見せた。

 婦人は私の伯母。そう、先代女王である母上の実姉であり、大臣たちに毒を盛られて病床に伏した人である。

 そして伯母が従える武装兵士は帝国の大使を拘束していた。


「伯母の証言により、内通者の存在が明らかになった。これ以上の説明は不要。たとえ大臣や貴族であろうと私の国に内通者の居場所はない! 本件に関わった者は身分にかかわらず全員の首をねよ!! 葬礼の主役となるがいい!!」


 ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!!

 ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!!

 ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!! ザシュッ!!


 大臣や貴族の首が斬首され、血しぶきが玉座の間を赤く染めていく。

 私はそれらを一瞥し、帝国の大使にじろりと目を向けた。

 大使は震えあがって必死に命乞いする。他の使者たちも涙を流して許しを乞う。

 王女ルーデリアなら哀れんだかもしれない。

 でもね、王女はすでに死んだわ。私は女王ルーデリア。


「大使の首をねよ! その首を婚礼の日に合わせて帝国に送りつけ、それを宣戦布告とする!!」


「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」」」

「「「新女王万歳!! 新女王万歳!!」」」


 兵士たちが勇ましい歓声をあげた。

 私は玉座から眼下に広がる血の海を見下ろした。


『海が見える小高い丘におうちを作るの』

『子どもは三人欲しいわね』

『家族五人で仲良く暮らすのよ』


 血の海を前に、かつての記憶が甦る。

 しかし王女は死んだ。三年前、クレイズとともに心中した。

 ここにいるのは女王ルーデリア。転がる首にうやうやしくお辞儀じぎする。


「みな様、本日は葬礼の式典にご参列くださりありがとうございました。これにて葬礼の式典を閉幕いたします」


 女王即位式の日、私は玉座を血に染めた。






 ――――百年後。


「ルメリア! あんまり遠くへ行っちゃダメよ!」

「分かってるって! すぐそこの丘へ行くだけだから!」


 小さな村を飛び出して小高い丘の上を目指す。

 青い海を一望できる丘はお気に入りの場所。

 ママは心配するけど私だってもう十七歳よ。まだ大人ではないけど、もう子どもでもないはずよ。

 丘まで登ると青い海を見渡した。大きく深呼吸して潮の香りを全身で感じる。青い海を見ていると不思議と心が満たされた。

 丘の木陰に座ると持参した書物を開ける。晴れた日は丘で読書をするのが日課だ。

 読んでいるのは史実を元に書かれた物語。


 主人公はこの王国の百年前の君主・ルーデリア女王。


 ルーデリア女王は歴代女王のなかで最も尊敬されている。その一方で即位式の日に玉座ぎょくざを血の海にした冷酷無比な女王として畏怖いふされていた。

 別名、喪服もふくの女王。

 ルーデリア女王は即位してから死没するまで喪服を着用していたという言い伝えがある。理由は謎だけど残された肖像画はすべて喪服姿で描かれていた。


「この喪服の女王が王国を繁栄させたんだよね。この時って戦争ばかりだったけど」


 百年前の王国は帝国に脅かされる小国だった。それどころか国内でも大臣や貴族が権力を握って好き放題していた。

 そんな中、ルーデリアは女王即位前に水面下で信頼できる親類と協力し、為政者や商人などと繋がって力を蓄えた。そして即位式に暴利をむさぼっていた大臣や貴族を処刑して民衆の支持を得たのだ。

 それは圧倒的な熱狂の嵐を巻き起こした。

 ルーデリア女王は帝国に宣戦布告し、五年間に渡る長い戦争を勝利に導いた。

 こうしてルーデリア女王は救国の女王となって、現在まで続く王国の栄華と繁栄を築いたのだ。

 しかしどれほどの称賛にも女王はにこりとも微笑ほほえまず、生涯にわたって独身を貫き、喪服を着ていたという。謎めいた女王の伝説は今でも色褪いろあせずに語られていた。


「怖い女王なのに、ふしぎ……。みーんな大好きなのよね」


 書物を読みながらぽつりと呟く。

 ルーデリア女王は決して慈悲深い女王ではなかった。正直、私はあまり好きじゃない。即位式でも戦争でも政争でも、女王のエピソードは血に塗れたものばかりだ。

 でも史学の講義では絶大な人気ぶり。語り継がれる女王に学生は「かっこいい」「ステキ」とうっとり憧れを抱くのだ。


「――――怖い女王っていうのは、浅慮せんりょすぎないかね?」


 ふと背後から聞き慣れない少年の声がした。

 振り向くと、そこには蒼い瞳の少年がいた。

 自分よりも年下の少年。でも気難しそうに眉間に皺を刻んで、手には分厚い書物を持っている。


「あなたは誰?」

「クリスだ。今日、麓の村に引っ越してきたばかりだ。静かな場所で本でも読もうと思ったが……」

「そうだったの。でもここは私もお気に入りなの。私と同じ村に引っ越してきたのね。よろしく」


 困惑しつつも挨拶した。

 クリスは落ち着いた雰囲気をまとっていて、あまり年下らしさを感じない。

 クリスは私が読んでいた書物をじっと見る。


「……この本、知ってるの?」

「知っている。脚色しすぎて女王を神格化している部分もあったが史実に忠実だ。悪くない物語だ」

「そ、そう……」


 クリスの書評に思わず苦笑した。

 気難しそうという第一印象は間違っていなかったようね。


「ルーデリア女王が好きなの? かっこいいもんね」

「かっこいいと思ったことはない。でもすぐれた女王だと評価している」

「生意気……」


 ぽろっと思わず本音が。

 クリスが面白くなさそうに私を睨む。


「生意気とはどういう意味だ」

「……そのままの意味よ。ルーデリア女王だって百年後に子どもからそんな評価されるとは思ってなかったはずよ」

「思ったままを言っているだけだ。帝国との戦争を勝利に導いただけでなく、内政を掌握することで国を安定させた。強引な統治に恐怖政治を敷いたと責める歴史学者もいるが、それでも僕はすぐれた女王だと思っているよ」


 クリスはかつての女王の光と影を公正に評価した。子どもらしからぬ生真面目な口調で。

 それはやっぱり生意気だけど……なぜか……うれしい。

 私が褒められているわけじゃないのに。


「私、まだあなたに名前を言ってなかったわね。ルメリアっていうの。十七歳よ。あなたより年上よね」


 わざわざ年上アピールするとクリスが少しムッとする。


「たった数年の違いにそれほど意味があると思えないが」

「そうだけど、クリスはとても賢そうだから放っといたら生意気されそうで」

「なんだそれは……」


 クリスの眉間に皺が刻まれて、思わずクスクス笑ってしまう。


「せっかく同じ村に引っ越してきてくれたんだから覚えてね」

「分かっているよ。ルメリア、…………ルー」


『ルー』


 瞬間、ぶわりっ。瞳から涙があふれた。

 ……どうして? 今までルーなんて呼ばれたことないのに、呼ばれた瞬間、涙があふれたの。

 クリスも驚いたように「勝手に口が……」と片手で口を覆っている。

 クリスが困惑して私を見た。


「どうして、泣いてるんだ……」

「うっ。……わ、分からないけど、勝手に涙があふれて……。っ、うぅ」


 心が、魂が歓喜に叫んでいる。

 全身が震えるほどの歓喜に涙があふれて止まらない。

 でもそれは私だけじゃない。

 だってクリスも泣いていた。

 どうして涙がでるのか分からない。どうして歓喜するのか分からない。クリスも私も分からない。でも。


「ぐすっ。……お願い、もういちど呼んで、……ルーって、呼んで……っ」

「っ、……ルー。ルー……。ルー」


 クリスは私の名を呼びながら涙をぽろぽろこぼす。

 繰り返される呼び名に私の涙もぽろぽろ止まらない。

 痛いほど胸が締めつけられて、苦しいのに嬉しいの。

 こうして私とクリスは泣きながら笑いあう。

 青い海が見える小高い丘で。





終わり




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