第16話 優雅な少女は苦しむ
俺たちは約一週間ぶりに再び迷宮へと戻ってきていた。
本日は六月八日。土曜日。
来週は篠原さんと潜るので今週中に出来るだけ進めておきたい。
今回で実に三度目の迷宮挑戦である。
「いよいよ六層ですね、颯真様」
リリィにそう言われ、俺は改めて前を見る。
長い螺旋階段を降りた先の光を抜けると、六層の光景が目に映った。
熱帯雨林の景色が視界に広がる。
高い木々が空を妨げ、蒸し暑さが着こんだ俺たちを襲った。
川が流れる音と、異様な雰囲気。
だが大きな木々や花達に反して、生物は何一つとして存在しない。
蟻も蚊も蜂も百足ーー何もいない。
正に偽物の自然。
それが、異空だ。
リリィを先頭に、俺たちは歩き始めた。
陣形としては後衛のアンナが一番後ろで、俺は彼女の前に立つような形なっている。
迷いなく一歩一歩を進めているが、道を知っている訳では無い。この一見どこまでも続いていそうで道を間違えれば引き返せなそうなフィールドも、全て一本道なのだ。
どれだけ寄り道をしようとも。
左右に分かれて探索しても。
絶対に元の道へと戻ってくる。
ペンローズの三角形のような、現実には有り得ないような形、構造。ドローンを上に飛ばしてみた研究チームの画像には全く不自然な点はなかった。それでも、中から見たこの異空の構造はただただ異質という他無い。
だが、一本道である事は確かなのだ。
迷う事は決して無い。ならば、使役師はそんな事など気にしなくて良いのだろう。
「それにしても暑く熱くないかしら」
雪娘であるアンナは暑さを訴えていた。
寒さに耐性はあっても、逆はそうで無いようだ。
「そうだな。……白狐はやっぱり平気なのか」
「ああ。この程度の暑さなら特に何も感じないな」
「それは羨ましい」
白狐は毛ほども暑さを感じていないようだ。
「リリィはどうだ?」
「私は普通に暑いです颯真様。とっとと次のステージに進ませてください」
「なら、なるべく急ごうか」
第一異空に限り、五層毎にステージと呼ばれる物が変わる。
1〜5層は一等級から四等級の穢者が主に出現する洞窟ステージ。
6〜10層は四等級から六等級の穢者が主に出現する熱帯雨林ステージ。
11〜15層は六等級から八等級の穢者が主に出現する草原ステージ。
と、この様に第一異空は異空の中で最も独特な異空だ。
特定のフィールドは存在せず、昇格異空といった危険性もなく、また最も他の使役師達と出逢いやすい。
そして同時に最もメジャーな異空でもある。
異空と言えば第一。中には他の異空には一切潜らないという人間までいる。
まあ俺は最初の異空として、少し難易度が高めな雪地の第七異空を選んだ訳だが。
「颯真様、穢者ですよ。恐らく蛟(ミズチ)ですね」
「了解だ。一先ず逃げられないように包囲する。リリィと白狐でそれぞれ配置についてくれ」
リリィの呼び声に反応し、俺は指示を出した。
彼女らは足の速さを活かし、蛟(ミズチ)を中心に円形で囲む。
──シャア
ミズチも急いで囲まれないよう脱出しようと試みるが、あまり動きが俊敏でない為か失敗する。
「囲めました」
「こちらも完了だ。これより少しずつ距離を縮める」
作戦は順調だ。
ミズチは動きが遅い代わりに攻撃力と防御力に定評があるタイプの使役師だ。
となると、必然的に囲んで叩くような戦法になる。
そしてこの作戦で重要なのは──。
「よし。じゃあ攻撃はアンナに任せても良いか?」
「私でいいのかしら……?」
前までの失態を引きずっていたからか、思わず驚くアンナ。
「ああ、良い加減かっこいい所を見せてもらおうと思ってな」
その顔からは不安と同時に、まだ折れないという意欲も感じられた。
だからこそ、俺は彼女に託す。
「………分かりました」
アンナが間をおいて納得してくれるのを見て、俺は心の中でニヤリと笑う。
彼女の役割はそう難しくない。囮で警戒を散らばせつつ、隙を見て一撃を突き刺す。
これで少しずつ慣れさせれば良いのだ。
見たところ戦闘のセンスは高そうだし、吸収も早い。きっと良い経験になってくれる筈だ。
「二人は構わないか?」
「構いませんよ」
「私も同じく」
二人の同意を得られた為、俺はアンナに任せる事にする。
「よし、落ち着いてやろう。用意はいいか? アンナ、頼む」
「……ええ、勿論よ」
──シャァア
「じゃあアンナ。一回自力で戦ってみてくれ。相手も同じ五等級の穢者だ。危なかったら加勢するから心配する必要はない」
「え、ええ!」
アンナは杖を構えて、蛇型穢者のミズチに魔法を打ち始めた。
それに応戦するように、ミズチが毒の液体を吐く。
飛んでくる攻撃に怯み、必要以上に大袈裟に避けた彼女にぶつかりかけ抱き止める。瞬間、何故か背後から冷ややかな視線が突き刺さった気がしたが、それどころではない。
「っ、危ない……」
「……悪い、俺は離れた方が良さそうだな」
攻撃される時に怯えすぎるのは、彼女の悪い癖だ。戦闘が終わった後、改善出来るか話し合おう。
そう思っていると、再びミズチから毒が飛んだ。
しかし今回はアンナは行動を読んでいた為、先んじて詠唱していた氷の盾を展開して難なく防ぐ。
ーー心配は要らなそうだな
俺は最も戦いが激しいアンナの近くは危ないと判断しリリィと白狐の方へと向かった。
理由は安全の為だけではない。
少し不機嫌そうにしているリリィに、俺は話しかける。
「すまないな、アンナばかりに構って。実は相談があって。次の戦力増加の際に、アンナを昇華させたいんだが……二人はそれで構わないか?」
二人にそう問いかける。
「私は気にしない」
真っ先に、バッサリと答える白狐。
アンナの戦力を上げる事に関しても理解を示してくれているようだし、俺が上手く立ち回ればあまり問題はなさそうだ。
俺が素直に彼女にお礼を伝えると、彼女はまた何でもないかのように気にするなと答えた。
そして俺はリリィへと向かい合う。
「……颯真様は、アンナを贔屓しすぎではありませんか? ……甘いんです。彼女がそれを受け入れれば、堕落しますよ?」
リリィにはリリィで思うところがあるらしい。
確かに彼女の言っていることは間違いではないが、俺にはそうなるとは思えなかった。
「ごめん、特定の誰かに肩入れするつもりはないんだよ。それに、どちらにせよ戦力の強化は必須事項だ。彼女の心は、いずれ考えなきゃいけない。まあそもそも、まだ戦力を強化させるだけのお金も手に入ってないんだから、取らぬ狸の皮算用だけどね」
「ーー分かりました。どちらにせよ、決定権は颯真様が持っていますしね。ですが……私は敵を譲る代わりに対価を貰えませんか?」
「……? 何が欲しいんだ?」
高価なものは用意できないが、それ以外なら必要経費として差し出せる。
彼女は、一体何が欲しいのだろうか。探るように視線を送ると、彼女は考えが読めないまま言葉を発した。
「………ちょっと我慢してもらうだけです。構いませんか?」
「あ、ああ。勿論、何でも」
我慢?
訳の分からないまま、俺は返事を返す。
「じゃあ、……失礼します」
そう言うとリリィはこちらに顔を近づけ、唇が触れ合う寸前の所まで来て──
ガブッ
首元を噛まれた。顔同士が密着する事で、肌に感じる体温が上昇する。俺は顔も赤くなっているのを自覚してか、今の状況と首元の僅かな痛みに気づくまで数秒固まってしまっていた。
「……ぇ?」
首先に意識を集中させると、何かが吸い上げられるような感覚がする。
しかし微弱に麻痺が入っているのか、実感は薄い。ただゴクゴクと自分の血を飲み喉を鳴らす彼女の微かな音だけが、強く心を高打った。
チュウゥッと血を飲まれ、首元の傷口を舐められた後に急速に痛みが消えだす。彼女が離れた後、すぐに噛まれた所を触ってみるが、痛みはなく彼女の唾液が薄く残っているものの染みたりはしていない。
これが吸血系の能力なのだろうか、とぼんやりとした思考で思う。
視線の先で、血で赤く濡れた彼女の牙が見えた。その視線に気付いたのか、リリィはすぐにペロッと舌で自身の木場に着いた血を舐め取る。
彼女はふふっ、と笑った。
色っぽい視線を放ち、頬をほんのり染めるリリィはとても満足した様子である。
「え、……っと?」
固まったまま、何とか口に出せた言葉がそれだった。
「ありがとうございます、颯真様。ヴァンパイアになってから、どうも血を求める欲求が出来てしまいまして」
「……あ、ああ。大丈夫だ。約束だからな」
しかしどう言う仕組みだか知らないが、ガッツリ血を取られた割には痛みは少なかったし、特に体に異変もない。そんな疑問を抱くと、すぐにリリィが答えた。
「先程の吸血行動は代償での吸血ではあるものの、相手が自分の主人でしたので。攻撃意思のない吸血は少し心地よさすら感じたはずですよ」
……確かに。
そう思うのと同時に、リリィに心を読む能力があるのではないかと言う疑惑が再浮上した。
「向こうはそろそろ終わる頃だが、用は済んだか?」
横を見ると白狐に何やってんだこいつら、みたいな目で見られていた。
側から見たら特殊プレイにしか見えなかっただろう。
『氷槍』
戦況に目を戻し、現在の状況を確認する。
ジワジワと体力を削られ、追い詰められたミズチが氷の槍を避けきれず息絶えた所だった。
なお今回も解放の呪文は失敗である。
まあそうそう成功するものでもないし、それは良い。
ミズチの消滅を確認してから、俺はアンナへと駆け寄り労いの言葉を浴びせた。
「お疲れ様アンナ」
「……いえ、退路が絶たれてたわ。その状況なら絶対に倒さないといけないもの」
少しやる気や自信、そういう物に回復の色が見えたが、以前として表情は良くない。
「いや、全然上手くやれてたと思うぞ? 上々だ」
俺は気を遣ってフォローをいれる。
しかし彼女の表情に宿ったのは悲しみと苛立ちが混じった感情だった。
「……違う。駄目……あの程度じゃ絶対に嫌よ……! 」
「え、その……」
「あ……ごめんなさい。マスターは悪くないわ」
アンナに怒りを示される。危害を与えることはできない為、恐怖なく、俺はただ困惑するだけだった。
気に障った発言をしてしまったのだろうか、と後悔の念がよぎる。
「いや。ごめん、今のは俺が軽率だったかも知れない……」
戸惑いながら、一旦謝っておく。
「ねえ、マスター。貴方は……私がナナを助けられなかった事に、責任を感じていないとでも思っているの……?」
あ……。
悲しみを宿しながら、目尻に涙を潤ませる彼女を見て分かった。
……そうか。……アンナだって罪悪感を感じていたんだ。
どうして、気づいてあげられなかったのだろう。
「……ナナは悪い人じゃ無かったと思うわ。そもそもちょっとしか話せなかった。でも、彼女を死なせて……マスターを悲しませたのは事実よ」
「それは……」
どう言えば良いのか分からない。
だって実際、アンナはそれほどナナと話したわけではない。ショックはあっただろうが、俺たち程じゃない筈だ。
「……貴方の期待を裏切ったわ」
淡々と彼女が言う。
きっとその言葉が、彼女が一番気にしている事なのだろう。
「本当は、嬉しかったの。名前を貰って。応えたかったわ。貴方に、私の強さを見せたかった。なのに……私は弱かったわ。 怖くて、動けなかった。……簡単に諦めた」
「そんなこと……」
「……私、弱い奴が嫌いよ。本当に、大っ嫌い……。でも……弱いのは私だったわ! 私だけだった! ……弱い私になんて、なんの価値もないのに! ……ごめんなさい、マスター」
「……違う……君のせいじゃ……」
彼女が縋るように、俺の胸元に頭を埋める。泣いているからか、胸元に濡れた感触が滲んだ。
俺はどうすれば良いのか分からず俺の胸に顔を埋める少女の頭を撫でる。
「……ごめんなさい……」
彼女の小さな呟きを拾った。
どうしてか、胸がざわつくような感覚が体を巡る。
酷く落ち着かないそのやるせなさを飲み込んで。俺はただ、胸の中にいるアンナの綺麗な髪の感触を手に感じていた。
その日は八層に降りた時点で探索を終了した。
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