第15話 とある同級生
本格的に夏に差し掛かって来た六月上旬の今日この頃。
使役師としても順調に進んでおり、何となく心に妙な余裕があった。
「相沢、ちょっと来い」
ところが、今。俺は担任の男性教師、もとい赤井先生に呼ばれて、彼と共に職員室へと向かっている。
この担任の教師は体育教師をやっているせいか、かなり体格が良くゴツい。
うちのクラスが先生に弱いのも、この教師に威圧感があるからだろう。
「何で呼ばれたかは分かるか?」
見た目に反し、彼は穏やかに俺にそう問いかけた。
「……いえ」
「お前、進路希望先は京都対異空高校だったな?」
対異空校。それは政府が主導で運営している高校・大学であり、全国各地にあるこの対異空高校に入れるかどうかで、将来はかなり変わってくるとも言われる。
他の有象無象の教育施設より対異空校の価値が圧倒的に高くなっているのは、一重に擬似異空室(シミュレーションルーム)を所持しているからである。
今や、国が所持する擬似異空室の数が国力の強さに繋がる、と言われるほど擬似異空室という魔道具は貴重なものである。過去にはそれを巡って奪い合う戦争が起きているほどだ。
擬似異空室が使えると言うのはかなりのメリットは多岐にわたる。
軍事利用、工業化、その他諸々だ。
そして教育機関の中で唯一擬似異空室の所持を認められているのが、対異空校なのである。
対異空校への入学はとんでもなく倍率が高い。政府直属という事で相当に高度な教育が受けられるし、税金を多く注ぎ込んだ教育環境は一流リゾートかと錯覚するほど施設が充実している。
何より異空についての最新鋭の教育を受けられる数少ない環境である上、擬似異空室を使った実験を認められているのは対異空校だけだ。
それに対異空校の卒業者というのはそれだけで大きなステータスになる。対異空大学まで進めればどの優良企業も手を挙げて欲しがるし、仮に他の難関大学に行くにしても異空専門枠としてどこも歓迎するだろう。
「はい、確かに俺の進学希望は京都対異空高校ですが……何か問題でも?」
「ああ、問題だぞ。お前が二年の頃だったら支持できたかも知れないがーーお前、最近成績が落ちてるだろ」
「……はい」
「少なくとも現状では厳しいぞ?」
対異空高校高校には一般科と異空科がある。殆どの人が入りたがるのはこの一般科だ。先ほど述べた優良企業が欲しがるという話も、全て一般科の生徒の話である。
だが、異空科とて需要は高い。特に卒業者には専門使役師として三大組のどこかに所属できる場合が殆どだ。
俺も自分が一般科として入るのが難しいのは重々分かっている。本命は異空科としての入学だ。
「分かっています」
「まあ、お前は地頭も良いし巻き返せるかも知れないがーー進学先は京都だろう? どうするんだ? 寮に入るつもりか?」
「……そうしようと思っていますが」
「なら、より厳しいぞ。何せあそこは上位者から優先的に入寮していく。枠にも限りがあるからな。……考え直した方が良いんじゃないか、相沢」
「……そうですね」
頷きつつも、返答を変える気はない。
俺は彼の言葉を聞き届けた後に職員室を後にする。心のどこかで甘く考えていた部分を指摘されて、少し冷静になった。
先生を信用出来ない影響もあるが、俺は先生に少し冷たい態度をとってしまった事を反省しながら思考の海に沈む。
||
「おはよ〜」
寝不足の目を擦りつつ、俺は教室へと入って行く。
異空の中では命の危機を何度も感じたというのに、楽しかった。
だからこそ、今が退屈で仕方がない。
スマホで日程を確認するが、やはり何度見ても日付は変わらないし次に自分で予定を入れた探索日まで後三日もある。
すると、足音が聞こえた。
誰が来るのかを察しながら、俺は静かにため息をついてスマホをしまう。
「おい相沢テメェ!!課題の答え送ってくれるって約束したじゃねぇか!!何で送ってくれなかったんだよ!!!」
「ごめん。寝落ちしてた」
「ざけんな!?」
クラスメイトの一人とやり取りを交わす。
俺は相手の顔をぼんやりと捉えながら、どこか宙に浮いたままの心で何となく答えていた。
「あぁ憂鬱だわー。取引条件としてお前にジュース奢ったのに、約束破られるなんて思わなかったわー。相沢最低だわー」
「そうだぞ相沢」
「死ね」
「ストレートな悪口だなぁ。仕方ないからまだ時間ある内にとっとと写せよ」
そう言って俺はプリントを差し出した。
それにワラワラと群がる三人。しかし光景に案外俺は呆れを覚える事もなく、ジト目で彼らを見つめる。
「おいまさかお前ら全員やってない訳??」
「そうだが?」
「だから援護射撃したのか卑怯者どもめ」
揶揄うような演技で、そう突っ込む。
予想通りの答えが返ってきて、ああいつも通りだと心のどこかで安心した。
なのに酷く疲労感を感じる。
ここ最近、調子が悪い気がする。
脳内を落ち着かせ、俺はもう一度表情を作り自分を演じながら笑って言葉を返した。
「早く写しなよ。一時間目から体育なんだから、着替えの時間も必要なんだし」
「てか、そうだ。お前最近肌とか髪綺麗じゃね? あと良い匂いするし」
「キショ、何で分かるんだよ」
「ひっでぇ」
節約しようと思いながら、ついつい買ってしまった高いスキンケア用品やシャンプーのせいだろうか。
しかし、会話が普段より面倒だ。こういう場合を昔体験した事がある。その時はストレス由来で心が常に気怠げだった感覚だ。今回もそれに近い何かなんだろう。
きっと、そう。
俺は気にせずに席から立ち上がった。
疲れているだけだと、思いながら。
||
「アイツら裏切りやがった……」
俺は一人、そう呟く。
体育の授業の最中、俺は友人らに裏切られ一人グラウンドの真ん中で彷徨っていた。
俺たち五人グループは、そのうちの一人、藤井に内密に、彼が好きな女子生徒をくっつける為ペアになるよう仕組んだ。
そして、既にペアを見つけていた斎藤を罵りながら、俺はこっそり村井と口裏合わせをしてペアになり、必然的に余る田中を省く合算だったのである。
だが事もあろうことか逆にあっさりと裏切られてしまった俺は、代わりの相手を探していたのだった。
完全に出遅れた、と自覚する。どうしようかと考えるばかりだった。
何せうちのクラスの男子は偶数。斎藤が女子と組んだせいで、俺は男子同士がペアを作る中、一人余ってしまった。
よって、あぶれた俺は女子と組む事になる訳だが……。
「あれ、篠原さんじゃん」
「相沢?」
同じく向こう側でも余ってしまったであろう女子生徒を見て、声を掛けたのだが……相手は俺も知っている人物だった。
篠原美香。
小学校時代からの知り合いで、元クラスメイトである。
特段仲が悪くもない相手だ。
まあしかし、知らない相手と組むよりはマシである。
てっきり、クラスでもハブられがちな片山さん辺りと組む事になるかもしれないと失礼ながら覚悟していたので余計にそう思った。
俺は気さくに彼女に話を振った。
「あれ、珍しいね。いつもの相手は?」
「風邪で。そっちは何で?」
「まあ色々あって」
「ふーん」
そういえば話すのは久しぶりかもしれない、と思う。
今の体育の授業は陸上である訳だが、今回は走り幅跳びである。
「各自ペアになったなら、どちらが先に計測係をやるか話し合ってくれ。自分の名前か、ペアの名前が呼ばれたら位置に着くように」
体育教師で、担任でもある赤井先生がそう告げると、俺たちはストレッチを終えた後、順番が来るまで自由に他人が飛ぶのを見たりしてて良いと言われた。
赤井先生が名前を呼び始め、俺は名字が相沢なので、順的に男子のトップバッターになり最初から跳ぶことになる。
数分後。
記録を図り終えて俺は陰で涼んでいた。
篠原も飛び終えた後に、記入し終えた用紙とクリップボードを床に置いて同じく木陰に入って来た所だ。
「いえーい、二メートル半〜!」
「え、菜乃花やばぁ!」
ギャル特有のきゃっきゃっとした会話が耳に入り、あの辺りの女子が固まっている所が普段篠原がいるグループなんだろうなとぼんやり思う。
俺は走り幅跳びの改善点を渡された紙に記入し合う必要があるので、篠原と軽く会話を交わしていた。
すると、突然話題が振られる。
「あのさ、最近は普段何してるの?」
「え? ……あー、特には。強いていうなら趣味で本を読んだり、流行りの曲を聴いてるるくらいかな」
無難に答えると、彼女から相槌が返ってくる。
「へー」
篠原の問いに俺はどう返事をするか一瞬迷った。彼女の質問の答えとして真っ先に浮かんだのが、使役師としての活動だったからだ。
まあでも、回答もあながち嘘ではない。
「ていうかそっちこそ。最近は何してんの?」
……昔、小学生の頃は彼女ともそれなりの関わりがあったと思う。
男女混合の誕生日会に呼んでもらえた時とか、金が溜まってクラスの男女数名で遊びに行けた時なんかは彼女ともそれなりに遊んだのを覚えている。
「うーん、勉強して遊んでってくらいなんだよね。ほら、高校受験も近いから周りがどうしてるのか気になっちゃって」
……が、今は友達と呼べるような関係ではない。
なので今の彼女の生活については知らない事が多かった。
「そっか」
俺が短くそう返すと、彼女は話を続けるためか俺に質問してくれる。
「そっちこそ、本? 普段本を読むイメージないけど」
「あれ、そう? 小説とかは普段からそこそこ読んでるよ。それに二ヶ月前くらいにプレゼントで色々本を買ってもらったから」
俺がそう返すと、彼女は顎に人差し指を当てて考えるような仕草をした。
そして一呼吸置いて、思い出したように俺に言ってくる。
「二ヶ月前? そういえば相沢ってその頃誕生日じゃなかった?」
「……よく覚えてたね」
「ほら三年前だっけ? 加奈ちゃんの家で相沢君の誕生会開いたじゃん。色々用意してて。楽しかったから覚えてる。……ずっと気になってたんだけど、相沢君の誕生会、何で加奈ちゃん家でやったの?」
その出来事はよく覚えている。
確か当時、誕生会に誘われることはあっても、自分の誕生日を祝われることはなかったから、当時幼馴染だった加奈がウチでやろうと言い出したのだった。
「まあ色々あったんだよ」
俺は言葉を濁しながら、答える。
その頃年齢的な成長もあって話す事も少なくなっていた加奈に誘われた時は意外と呼ぶ他なかった。
勝手に決めてしまった事を怒られてはいたが、ホールケーキは彼女のお小遣いで買うと言い出したので、どこと無く暖かい目で彼女の両親は親切に許してくれたらしい。
……まあ俺の親は興味もなく、「お金がかからないなら勝手に行ってくれば?」というスタンスだったのだが。
ささやかにも誕生日を祝ってもらった後、家に帰って感動のあまり少し泣いてしまったのを覚えている。
まだ三年ほど前のことなのに随分と懐かしい思い出だ。
「……加奈って今、何してるんだろうな」
中学に上がる時に別々の学校に進んだせいか、もう連絡も取っていない。
今となっては苦い初恋の思い出みたいな物で、心の隅に消えないまま残っているだけだ。
「あ、そっか。知らないんだっけ」
独り言を聞かれてしまったのか、彼女はそう言ってくる。
「篠原さんは知ってるの?」
「うーん、まあそのうち分かると思うよ」
「え、気になるんだけど」
俺はそう言うが、彼女が話を続ける気配はないのを察してか押し黙る。するとタイミング良く周囲のどよめきと共に赤井先生の声が聞こえた。
「お、全員飛び終わったな。四メートル二十センチでクラス最高記録は宇川かぁ……中々やるなー」
「先生、学年一位は誰なんです?」
赤井先生の宣言に、宇川という男子が聞き返す。
俺は4.2メートルだったので、途中で一位争いからは陥落していた。なのでぼんやりとクラスメイトらの様子を眺めていたのだが、一応赤井先生の話が気になり耳を傾ける。
「あー、武藤だな。5.1メートルだ」
先生の言葉に、自分の顔が曇ったのが分かる。
分かっていた。分かっていたけど、やはり才能のような壁を見せつけられた気分だ。
内心では、俺の周りのクラスメイトを見ながら、俺は上澄の方だと少し安堵感を覚えていた。でも、上を見上げればーー彼は、武藤は遠い所にいた。
「やっぱ武藤か」
「アイツなんだかんだバリ異次元だよな」
「ま、クズではあるけど」
そんな声が周りから聞こえてくる。
話しているのは主に男子で、特にクラス内でも運動が出来るグループは競争心が煽られているだろう。
俺も心のざわめきを感じ、落ち着かずに自分の握った拳を見つめる。
「どうかした?」
俺は様子を不審がられたのか、篠原に話しかけられた。「なんでもない」と簡素に返すと、彼女は「そう?」と小さく返事する。
……気にしてる場合じゃないか。
そう思い直した時、彼女が不意に要件を口にした。
「あ、ていうか相沢さ」
「何?」
「放課後、大事に話があるから校舎裏に来てよ」
||
放課後。校舎裏。
恋愛漫画でよくありそうなセリフを吐かれ、俺は少し浮ついた心のまま校舎裏で待っていた。
それなのに酷く先ほどよりも現実を生きているかのような気がする。
踏みしめた地面の感触が鮮明で、視界から伝わる景色の色彩がいつもより色鮮やかに見えた。
(……篠原さんの性格的に、そう言う意味はないだろうけど)
一人、何度も自分にそう言い聞かせる。
手は髪を確認するように何度も触っており、変じゃないかと心はどこか不安で一杯であった。
最近買ったヘアアイロンはかなり気に入っているし、新しく通い始めた美容室も信頼できる所ではあるのだが、よく考えれば全部自己満足だし、周りの男子からは似合ってると好評だが女子からは分からない。
尚、姉はそんな俺の自宅での様子を見て、中学生だなぁ……と微笑ましい気持ちで見ているが、俺はそんな事などつゆ知らない。
だから、ただひたすら不安なのである。
今朝出かける前に全身鏡で自分の身なりを確認したが、変ではなかったはず。
そう言い聞かせて、俺は緊張を押し殺した。
「あ、ごめん待った?」
到着し早々そう声をかけた彼女に、俺はどこか心が落ち着いた気がする。
彼女から色っぽい気配はなく、どことなく俺もやっぱり彼女の言い方が紛らわしかっただけだと何となく察したせいだ。
こういう所は、小学校にいた時から変わっていない。
「まあ、うん」
「そこは待ってない、って否定するところでしょ」
「十五分も『大事な話がある』って言われて若干ソワソワしてた俺の気持ちを考えて欲しい」
冗談混じりに言う。
「告白の方が良かった?」
「……それで、何の用なの?」
「あ、そうそう。本題だけどさーー相沢って今使役師やってる?」
その言葉に、俺は固まる。
誰にも話していないので、知っている人はいない筈だ。
どこからバレたんだ……?
「……そうだけど、どうして分かったの?」
間を開けて俺が口を開くと、篠原さんはすんなりと答えた。
「分かったっていうか、ちょっと鎌かけただけだよ。昔、憧れてたじゃん? 実は前からもう始めてるんじゃ無いのかなって疑ってたんだよね」
当たりだから何も言えない。
俺はまさか、かなり昔から憧れていた事を覚えられていたとは思わず、驚いた顔をしていた事だろう。
だが俺はまだ彼女の意図が見えず、続けて話を促した。
「えっと……それで?」
「私ほら、二日前誕生日だったじゃん?」
そう言われるが、俺は彼女の誕生日を忘れていた為、少し気まずい気持ちのまま目を逸らす。
「で、実は使役師ライセンスも取ったし行こうと思ってたんだけどさ。一人で行くのも怖いし、かといって年齢条件いたしてる友達はみんな行った事なくて。私の無理強いで友達を誘うのも嫌でーーだから信頼できる相沢に手伝って欲しいんだよね」
篠原さんは、上目遣いで遠慮気味に呟いた。
「駄目?」
昔、遊び感覚で異空に潜り始める学生たちへの風当たりは死ぬほど強かった。
現在こそ多くのインフルエンサーなどの活動によって薄まりつつはある。が、それでも尚メディア等からの報道もあって、あまり良い目で見られることはない。
それほど、使役師という職業は危険なのである。
中には女の子同士でいけば大丈夫、と誰も経験のない状態で潜ってかなりの怪我を負ったりという事があったりする。
これに関しては彼女の慎重さを褒めるべきだ。
まあ、そういう事なら……と俺は納得する。
信頼のおける……という部分については、小学校時代は仲良かったけど、中学に上がって以降そんなに話してないよな? と疑問には思ったが、俺は特に気に留める事もなく前向きに考え始めた。
「……なるほど、まあそれくらいなら全然良いよ」
「本当? ありがとう!」
俺が少し迷った末そう結論を出すと、彼女ははにかむような笑顔でお礼を言った。
「あ、ただ今後は紛らわしい言い方で俺を呼び出すのはやめてくれ」
「?」
え?
何故彼女は本気で俺が何を言っているのか分からない、というような顔をしているのだろうか……。
まさか天然ということはあるまい……。
俺はそう考えながら自分のスケジュールを思い返しながら彼女に時間を聞いてみる。
「じゃあ再来週の週末とかで良いか?」
「うん、了解。あ、ていうかラ○ンで連絡とろ」
「あ、そういえば個人チャット開いた事なかったっけ」
後でクラスのグループラ○ンからフレンド申請しておく、と伝えられ俺たちは解散する運びとなった。
「じゃあね」
「ああ」
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