第11話 主に傅いて


傅く (かしずく・かしづく)

1.人に仕えて大事に世話をする。

2.大切に養い育てる。

3.後見する

Weblio辞書より引用


斎く(いつく)

1.心身を清めて神に仕える。

2.敬って大切に世話をする。

Weblio辞書より引用



||



「ーー白狐ォ!!」



 俺は目眩しにでもなれば、と全力で鞄を投げる。


 その鞄に何かが入っていると警戒したのか、白狐は撃ち落とすのではなく避けて対処する。

 


 鞄には何も入っていなかったが、当たることもなく通り過ぎていき雪の上で一度跳ねるとそのままどさっと雪の上に転がるだけだった。



 しかし回避のために横へと跳躍した白狐には、確かに隙ができていた。


 

 剣を振り上げる。

 防御を全くとしていいほど気にていない型で、捨て身の攻撃を仕掛けた。


「マスター!」


 集中し切って一歩一歩近づいていく中、ナナの声が聞こえた。


「愛してるよ……!」


 俺がその言葉に目を見開くと同時に、ナナは着地したばかりの隙だらけの白狐に抱きつき、逃げられないように抑える。


 しかし白狐がナナを引き剥がすため胴体に噛み付くと、あっけなく剥がれた。

 けれどもその隙に俺はもう剣を振り落とす瞬間だった。


 白狐は頭を回す。


 足の攻撃は間に合わない。


 噛み付く為の牙も、さっきの少女を噛みちぎって吐き捨てたばかりで、もう一度噛みつきにいくのは間に合わない。


 切られても返しで爪を振れば仕留められるだろうが、痛手を負う。


 白狐は、捨て身の少年をどう対処するか、一瞬の迷いが生まれた。



『「氷槍ッ!!」』



 意識外から槍が白狐を貫く。

 それは初めて、白く美しい狐の毛が赤く滲む時だった。


 咄嗟に急所は外されたが、アンナの氷の槍先からは抜け取った血がポタポタと白い雪地を赤く染める。



 そして手負いの白狐にとどめを刺す為、俺は剣をそのまま振った。



 瞬間、



『水砲』



 油断を、制裁が襲った。

 至近距離で喰らい、相手の残り少ない手札はしっかりと効果を発揮してしまった。


 胴体に大きな衝撃を感じて、吹き飛ぶ。


 クールタイムが回復していたのか……!


 アンナの氷槍が放たれる様子を見ていた時間が、遅れを生んだのだろう。

 当たると確信を持ち、信じきれなかった俺の失策だ。


 ……届かない。

 倒れながら振るった剣は掠りもせず、地に伏っした俺はそれでも立ちあがろうとしていた。



「マスター!!」



 大量の汗を流しながらも、我に帰ったアンナの苦しそうな叫びが聞こえた。

 弱々しい魔力を編みながら、彼女は魔法を放つ。



『氷矢』

 

 アンナが先ほどから全て撃ち落とされている氷の矢で、尚も白狐の気をを引こうとする。

 けれど。


『火岩矢』



 瞬時に、当然のように矢は全て相殺された。


 何一つヘイトが向こうに向くことはなく、白狐は最優先で殺すのは一番驚異である、この少年だと確信した。


 魔力が無く、何も出来なくなったアンナに興味は無いと言わんばかりに。


 最早誰も動かなくなった戦場で、勝者の余裕を持ちながら、白狐はゆったりと近づいてくる。



──立て。

 


 感情は自身を鼓舞する。

 思考は諦めろと囁く。

 身体は限界だって悲鳴を上げてる。

 


 上手く呼吸が出来ない。酸素が回っていないからだろう。吸って吐けない。呼吸し続ける身体は、冷たい息をひたすら吸い込む。息を止めて、大きく息を吸って呼吸を整えようとする。しかし、逆効果だったのか、身体は大きなアラートを発した。



 腹から吐瀉物を吐きたい。身体をたった少し動かす度に、足や胴体の骨の数箇所が悲鳴を上げる。



 ポケットから回復ポーションを取ろうとするが、体は全くと言っていいほど動かなかった。


 力の入らない腕を必死に動け、と念じる。

 しかし腕の感覚が無いみたいに全くと言って良いほど、腕は動かなかった。



 これが、俺の限界か?

 

 

 ……不味いな。

 本当に不味い。死にたくない。



 目を閉じれば、意識が死の恐怖へと沈む。



 死んだら全部消える。

 考えることさえ、できなくなる。

 


 使役師になった瞬間から死ぬ覚悟を決めた筈なのに。

 でも


 絶望に血濡れる思考と同時に、不思議と後悔はなかったと思う。

 


 あの時。コイツらを助けようと思った事は間違いじゃなかった気がするんだって。

 そう思ってあげることで、絶望の中から希望を見出している。



 そうだ。



 俺はバカだった。

 勝てる筈のない勝負の為に引き返してきた、とんでもない大馬鹿だった。



 きっと、一時の気の狂いだった。

 今日初めて会ったばかりの道具を、失いたくないと思った。



 ああ。でも、本当に。

 馬鹿で良かった。




 ……なあ、白狐。

 お前、俺に勝ったつもりでいるだろ?



 確かに状況は絶望的だよ。


 

 でもまだ、希望に縋っているんだ。



 ……なあ、リリィ。

 急げよ。


 大丈夫、俺はまだ生きてるからさ。

 ナナだってゾンビなんだから、ちょっとやそっとじゃ死なないから。



 せっかく、馬鹿な相手がゆったりこっちに歩いてきてくてるんだからさ。



 起きてくれよ。


 

 俺、お前のこと信じたんだぞ?



 なぁ、相棒。

 ちょっと今、考えが上手くまとまらないけど。



 でも、きっとお前が助けてくれるはずだ。

 だよな……?



 朦朧とした意識が暗闇に沈んだ。

 まるで、死を待っているかのように。



||



 相沢 颯真が投げた鞄は、リリィが這いつくばっている近くに落下した。


 それどころか、鞄は空いた状態で投げられたせいか、奇跡的にポーションの瓶がよりリリィに近い場所へと転がっていた。

 

 リリィはぼやけた視界で必死にそのポーションを認識し、己のマスターが自分を信じて投げたのだと理解する。

 

 きっとポーションが運よく、中身が散らばる際にこちら側に近い場所に転がったのは必然的な運命だった、と考えた。


 必死に重い瞼が閉じないよう耐えながら目的のものへと手を伸ばす。


 けれど。

 そのポーションには届かなかった。

 

 腕があと三本分くらいの距離が足りない。


 ほふく前進で進もうとするが、体に力が入らないせいか、全く動けなかった。


 

 颯真が期待していた希望は。

 


 ……彼女には届かなかったのである。




||



 私は何をしているのだろう。


 大事な臓器が傷付いたのか、血が止まらない。

 動く気力もない。


 酷く絶え間ない寒気を感じているが、それが地面の雪のせいなのか、己の体内から来るものなのか。兎に角何一つとして判別できなかった。それでも柔らかな雪の感触を頬に感じながら、私は薄れる意識の中で恐怖に怯えていた。


 強くなったと思っていた。

 強くなれると思っていた。


 颯真様が約束してくれたから、私は目指している第十九等級がどれだけ遠くても、一緒に進みたいと思ってた。


 また、死ぬのだろうか。

 ……私は弱い。


 恐らく、ずっと前から。



 この、少しだけ居心地の良いと思ったパーティーでさえそうだ。

 アンナが入って、私は頼られなくなると怖くなった。


 掠れる視界の中で、颯真様は戦っていると言うのに。

 人間ですら、私より頑丈だ。


 デビルだから?

 私が強かったら、何か変わったのか?



 強い自分に憧れを抱いていた。


 なりたい自分を持つ対象に嫉妬するのだと、いつかの前のマスターが言っていたような気がする。記憶がないせいで、曖昧だ。




 このパーティーにいた時、私は既視感を感じていた。

 心地の良い感覚を、私は知っていた。

 

 そして、今のように



──自分を置いて、マスターが失われる感情さえも。



 心にこびりついたあの女性の声の特徴だけが脳の奥底に刻まれている。



──$"&!"$*A||~"~!



 視界に映るのは、倒れて動けない私のマスター。

 白狐という恐怖の相手。

 

 何故颯真様は逃げなかったのだろう。

 何故颯真様は戻ってきてくれたのだろう。


 違う。

 

 ……分かっていた。



 自分達を助ける為に戻って来てくれたのだと

 その咆哮が轟かせる、彼の感情をどうしようもなく理解していた。


「あ゛あ……いや……だ」


 彼は可愛らしく、愛おしい存在。何といえばいいのだろう。いや、ナナが言っていたっけ。そうだ、彼は私が今誰よりも『愛している』マスターだ。


 颯真様もナナもーーアンナも。 

 誰も死なせたくない。


 そうだ。

 何度も彼は言っていたのに、気づかないふりをしてきた。


 私はちゃんと必要とされているじゃないか。


 死にたくない。

 この暖かい熱を忘れたくない。



 普段より強く色濃く溢れるその感情が燃えるように心臓を熱くする。



 視界が滲んだ。

 頬に伝う涙がこの気持ちの証なんだ。



 そして、それは私が感じた生まれて初めての感情。



 助けたい。

 私が! 助けたい……!



 その為なら、命だって賭けられる。




 そう思った瞬間、首元に鎖が巻きついたような感覚を感じる。

 違う。首元だけじゃない。


 身体を見下ろせば全身がこの黄金の鎖に縛り付けられている。

 辺りを見渡せば知らない空間にいて、クリスタルで覆われた幻想的な場所にいた。


 身体が鎖で雁字搦めにされている。

 

 一見して解けようもない頑丈な鎖だ。

 けれど、なぜか破れそうな気がした。


「離してください」


 鎖が砕ける。

 強い力で私を縛るこの黄金の鎖は、私を止めるに足らない。

 

「私はッ……!!」


 叫びながら前に進むと、ブチブチと鎖の何本かが破けて身体に自由が少しばかり戻った。


 溢れる激情の数々を飲み込みながら、目尻に浮かんだ雫すら邪魔で、私は目をぎゅっと瞑って視界を滲ませるその雫を消す。

 


「ーー颯真、様の、為……なら……!」



 魂だって売ろうと思えるのだから!



 更に鎖が何本か外れる。

 けれどそれ以上は動けない。他より頑丈な鎖が私を縛っている。


 必死にもがいて、滲んだ視界の先にぼんやりと何かが見えた。

 尻尾が生えていて、背中には蝙蝠の羽がついている。



 自分とそっくりの特徴を持つその人は、酷く不可思議に見えた。



 顔には霧が掛かっていて見えないけれど、恐らく女性なのだろう。

 


 悪魔が手を伸ばした。

 意図が分からない。天へのお迎えだろうか。



 いや、違う。

 だって相手は悪魔じゃないか。


 なら、契約を成すのだ。



 私は腕を縛る鎖を引き千切って、その悪魔の手を取る。

 そして口を動かした。

 


 刻み識れ。

 悪魔よ。異空よ。


 私(・)の覚悟を。





 ──力をよこせ悪魔(アクマ)。

 代償は、悪魔(デビル)の魂だ。









 契約が為された時。


 最早そこに、悪魔の姿は無かった。



 


 

||




 闇に包まれた光が、闇から逃れんと必死にもがいていた。

 それを覆い込むように、闇は光を取り込む。



 ──。



 闇は消え、その中心にいたはずのデビルは最早存在せず。

 

 

 立ちはだかるのは、吸血鬼(ヴァンパイア)。


 デビルと比べ、何倍も大きくなった蝙蝠の羽。背も伸び、大人のように見える。

 対照的に角はない。


 赤い眼は紅色の輝きを増し、月夜に照らされた吸血鬼は神々しく、ごく自然に白狐の視線を惹きつける。



 鋭い犬歯が牙を剥き、手に持った一本のナイフが月の光を反射させた。

 その吸血鬼(ヴァンパイア)の顔立ちは──


「……リリィ」


 第八等級の使徒へと成った彼女は、空を低空飛行で駆け出すと転がっていたポーションを拾い上げて飲み、己を回復させる。


 そして傷が癒えた状態で、白狐を強く睨みつけた。



 存在感が、格が、彼女(・・)と違う──。



 白狐は自身の中の警鐘が鳴らされたのを感じ取る。

 目の前の少年に構っている暇などないと判断し、女を切り裂く為に脚を振るう。

 

 リリィは空を自在に飛んだ。

 地を這う白狐の攻撃が届く事はなく、次の手段が取られる。


『水砲』


 出し惜しみはしないと言わんばかりの、今までよりもより巨大な水の砲撃が発射された。

 瞬間、空に浮かぶ吸血鬼は手を翳(かざ)す。


「『風砲』」


 風の砲撃が水の砲撃を向かい撃って。


 散った。

 水は分散し、幾ばくか残り、吹き荒れた風は、降っていた雪を吹雪にさえ変える。


 威力は風砲の方が若干上だっただろうか。


 空で不敵に笑うヴァンパイアと、余裕が消え睨みつける白狐が目線の先で火花を散らしたようだ。


『火岩矢』


 白狐から魔力が練られた。


「へぇ」


 ヴァンパイアはその魔力に感嘆の声を上げる。

 が、その余裕が消え去ることはない。


 まるで押されているかのような感覚に包み込まれる白狐は、激情を顔に宿し、大出力の魔法を展開する。


 だが、


「颯真様。たとえこの身が、記憶が、命が、途絶えたとしても……立ち上がると誓います。私は貴方の”相棒”ですから」


 白狐により放たれた、全ての火の矢がナイフによって切り落とされた。


──ガァ!!


 本物の闘志を今宿した白狐は、ヴァンパイアを切り裂く為、空へ飛び掛かる。


 実力差は明らかだった。


「喚くな、化け狐如き」


──グゥアアア!!


「刻みつけろ。私が──」


 紅の眼に、刻印が刻まれる。

 バチりと青白い閃光が辺りに輝いて。


『雷撃』


 閃った。

 

「──リリィだ」



 雷の如く雷撃は白狐へと命中した。


 

 俺はあの言葉は、自分にも向けられているのだと察して。

 心の奥底で渦巻いているこの歪な感情を整理させる。


 

 強力な電撃により、焼き焦がされた白狐は消え去った。

 替わり、変わって、換えられたヴァンパイアの前に、なすすべなく。



 苦しみながら踠きながら。白狐だったそれは焼けながら、のたうち回っていた。

 そしてやがてピタリと止まり動かなくなる。

 

 粒子は空に散り行く。


 呆然としていた頭を振り払い、俺はすぐに駆けつける。

 

 聖遺書を回収しなければならない。

 俺は急いで呪文を唱え始めた。


『「ーー貴方と道を共にする」』


 この白狐は本当に強かった。

 白狐が倒れていた場所を見下ろしながら、俺はそう思い返す。


『「ーー案外、私も貴方も矮小な存在だ」』


 逃げ出そうとも考えたし、もう無理かとも思った。

 

『「ーー我々は手を取り合い、願う」』


 けれど勝てた。だから分かり合える。

 手応えを感じながら、強く首元に下げた紅水晶を握りしめる。


『「ーー嗚呼どうか、貴方が私の脳裏を見透かして、と」』


 呪文を唱え終えると、魔石と聖遺書が宙から重力に身を任せ、ポトンと雪の上に落ちる。



 俺は聖遺書を回収すると、近寄る気配に気づいた。



 白狐を倒したヴァンパイアは、羽を縮めて地面へと足を付けている。

 彼女は、ボロボロの俺に目線を向けた。


「リリィ……か?」


 そのヴァンパイアは見た目的にはデビルと大きな差は無かった。

 黒髪で、角はなく、蝙蝠の羽は一段階成長し、紅い眼は輝きを増している。


「……はい」


 ただ、種として百八十度、彼女は別物になっていた。



 酷く、自分の知るリリィとは、何もかもが違った彼女は別人にしか見えず。

 強い違和感を覚える。


 それでも、その純粋さが宿った顔を俺は知っている。


 悪魔の癖に、純粋で、透明で、咲き誇る白百合(リリィ)の花園が誰よりも似合う美しさ、その全てを俺は知っている。



 彼女は、間違いなく

 俺が誰よりも美しく、格好良く思った、リリィだ。



「……そうか。リリィ、助かったよ、ありがとう」

「はい。あ、いえ、違います、早くみんなを治療しないと……颯真様も早くポーションを飲んでください」

「そうだったな。でも、ナナが一番重症な筈だ……早く行かないと」

「そうですね、早く向かいましょう」


 短く会話を交わすと、俺は彼女に念の為下級ポーションを飲ませ、俺は自分が動く為中級ポーションを飲む。


 ゾンビであるナナは一応、生存力がとても高い。


 あの程度ならまだ大丈夫な筈だ。


 そう考えながら少し歩くと、ナナが転がっていた。


 ナナは胸の上と胸の下で胴体が二つにほぼちぎれていた。見た目はかなりグロく、ちょうど心臓が上下に別れているような部分で体が二つになっている。人間であれば即死しているが、ゾンビだし大丈夫なはずだ。


 側から見たら、どう考えても死体である筈の肉塊に話しかけて居るのだから、今の光景は不気味にも見える。


「ます、たぁ……」


 弱々しい声だった。

 しかしこの有様で声が出るのだから凄い。


「……っ悪い、手持ちのポーションじゃ直せない」

「ぁ……」


 掠れた声が痛々しい。俺は彼女の手を握って、優しく声をかける。


「一旦聖遺書に戻ってくれ」


 俺は聖遺書を腕に抱えたまま、彼女に身体接触して戻ってもらおうとする。

 しかし、彼女はいつまで経っても聖遺書に戻らない。


 何度も何度も、彼女の手を握り直す。

 それでも戻らない彼女に、焦りから声をかける。


「おい……! 早く戻れ! このままじゃ助からないぞ!」


 けれどそんな言葉は届かない。


「っ……ぁ」


 むしろ彼女の呼吸は浅くなるばかりで、徐々に生命の鼓動が消えていくのを感じる。


 そして、俺は見た。

 彼女の身体から光の粒子が溶け出しているのを。


 俺は最悪の予想に行き当たった。

 

「……いや、そんな……助からないのか……?」


 彼女が以前、自分は普通のゾンビより人間に近いのだと言っていた。

 だからか、生命力が弱いのだろう。これはーー致命傷だった。


 その予想は当たって欲しくなどないのに、そうとしか思えなくて。

 それがあまりにも急な出来事だったから。


 呑気な考えが全部吹き飛んでしまったいた。



 彼女の瞳が閉じかけている。

 その黒色の瞳から光が消え始めている。



「ま、待って!」


 訳が分からない、突然すぎる。

 頭が混乱する。全身に寒気が伝わる。


「何でッーー! 死ぬな!」


 俺は何をしている?


 そうだ。

 俺は彼女には愛を与えてもらって。


 ああ、そうだ。

 今、俺、愛されてるじゃないか。


 愛の受け取り方をちゃんと、教えてもらったじゃないか。



 なのにまだ何も返せてない。



 彼女の目が閉じた。

 もう呼吸はしていない。心音の音が弱い。



 ダメだ。

 死ぬな……!!


「嫌だ! こんな、こんな!」


 縋る。祈る。

 涙がとめどなく溢れ出す。死んでほしくない。


 混乱の中、俺は無性に祈った。


「神様、助けッーー」


 そう縋るように叫ぶと、ケホッと息も絶え絶えだった彼女は血を吐いた。

 

 それから、弱々しい声を発する。


「ます、たー……」

「ーーナナ!? ま、待て喋るな!」


 怒鳴るように、一才効果を発揮しない回復ポーションを直に振りかける。


「くそ、なんでポーションが効かないんだよ!」


 分かってる。体が千切れてるんだ。身体が異空に吸い込まれているんだ。もう手遅れなのだから、治る訳ないのに。


 涙が止まらない。一番見たいナナの顔が滲んでしまう。


「ね……わたしを……また……仲間にして」


 弱々しい声でそう語る彼女に、悲痛な顔をする。


「約束する! するから! 」


 伝わっているだろうか。

 聞こえているだろううか。そのあまりにか細い腕が、折れてしまいそうで、強く握れない。


「……今度こそ……本物の……人間に……」

「ああ! ナナ、愛してる!」


 虚空を見つめる彼女が、光の粒子に包まれる。

 本能的に、異空の輪廻に吸い込まれている事が分かった。


「……良かっーー」



 瞬間、彼女はチリになって消えた。



 

 リリィの啜り泣く声が聞こえて、ようやく現実に引き戻される。



 アンナは唇をきゅっと結び、リリィはナナの死に涙を流しながら顔を覆って泣いている。


 

 しばらく、彼女を抱いていた腕の感触の喪失感に呆気に取られていたが、我に帰って手元を見た。


 

 持っていた聖遺書が消えるのをどうにも出来ずに眺める。



 アンナとリリィにとって、ナナの死はただ悲しいものだったのだろう。



 けど俺はこの聖遺書が消えるのを見た時、悲しみと同時に希望を抱いた。


 


 初めて誰かに愛してもらった。

 初めて愛してもらう感覚が分かった。


 このまま俺が死ぬ時まで彼女には生きてもらって、俺が死んだ時に泣いて悲しんでほしい。そうしたら、俺は自分が生まれた意味を感じられる。


 そんな風に思っていたのに、彼女は死んでしまった。


 

 それでも、ずっと止まっていた一歩をようやく踏み出せた気がする。



 ありがとう……ナナ。

 俺を救ってくれてありがとう。

 あの一瞬、君が愛してくれた一瞬。俺は間違いなく君に救われて、君が救世主に見えた。

 


 ーー迎えに行こう。



 輪廻によって、異空の何処かに囚われた彼女を。

 何年かかっても、また必ず仲間にすれば良いんだ。



 そう決めて立ち上がった瞬間、奇妙な感覚に襲われる。


 地面の感覚が無くなったような気分。頭の中が酷く重く、ツーンと鈍器で殴られたみたいに麻痺している。


 目の前がぼやける。

 頭が上手く回らない。


ーー貴方は何故生きるのか


 声が聞こえた。いや、実際に聞こえてはいない。

 けど浮かび上がったそのスピネルの言葉が、声として聞こえたような感覚にあった。


 問いかけに俺は答えを出す。


「……俺は生まれて良かったと思える為に生きたい」


ーー悩まず、焦燥感に怯えないのは楽だ。


 この心を突き動かすのは焦燥感だ。

 何者にも慣れずに死ぬという焦りから、俺は刹那に人生を賭ける。


ーーでもその瞬間、貴方は死ぬだろう。


 その通りだ。俺はあの時死んでいた。いや、死に掛けていた。

 己の心の中の焦燥感を隠して、身体は生きているけれども、頭は死んでいた。


 だってそうだろう。成長を辞めたものが、変化を辞めたものが、死んでいない筈が無い。


ーー仮初の答えで満足したなら、必ず。


 これは仮初の答えだ。生まれて良かったと思える為に生きる。

 けれど俺はこの答えに満足してなどいない。



 あくまで仮の目標。俺の心の奥に燻る感情を、想いを、願いを当てずっぽうで具現化した姿だ。


 

 だからこんな言葉で可視化させた俺の願いは、仮初だ。


 そういう点では小説家に似ているかもしれない。想いを言語化して表現する為に一生ですら費す事が出来るから。



 ……俺は一生涯悩み続ける。

 己の願いに、目的に、生きる理由に。


 

 二人とは違って、俺にとっては、ナナが死んだ事に意味があった。


 彼女の死を無駄にしたくない


 俺の生まれた意味を少しだけ見出した。

 だから今度こそは、俺の生まれた意味を完全に見出したい。


 ショックで膝に力が入らない。ナナが死んだことは悲しい。

 でも悲しむより、今は立ち上がってやらなきゃならない事が沢山ある。



 俺はこれからも使役師を続ける。

 そしていつか例えどれだけ低い確率だろうと、生まれ変わったナナをまた仲間にして。

 

 世界で一番の使役師になって。



 皆んなから愛されてから、死ぬさ……。


 

 俺は一歩を踏み出した。

 


 異空から出る為に。

 この凍るように冷たくなった心を、温める為に。

 

 







||



 


 その女性は真っ白な巫女服を着ていた。整った顔立ちに良く似合った冷徹な眼は、彼女が座る台座から、月夜が照らした水面に浮かぶその対象を見下ろす為に開かれていた。


 

 粘着生物(スライム)。ぷよぷよとという擬音がピッタリ似合うそのゼリー状の半透明な体は地に伏しており、ただ動くこともなくそこにいるだけだった。


「貴方は……第十二異空へと送られるそうです。手続きも普段通りですね」


 女性は宙に浮かぶ半透明なスクリーンを見ながら、そう言い放った。どこか近未来的に見えるその物体は、和を体(たい)で表すような彼女にひどく似合わない。


 

 けれども、彼女が手を振ると一瞬でそこにいたスライムは姿を消した。


「無事、送れましたか。次はーーこれはまた……異質な子が来ましたね。嗚呼、面倒な」


 先ほどスライムがいた場所に突如として現れたのは、一人……否、一匹の少女だった。ブカブカに来た白衣を纏う片腕の……。


「どうせ貴方の仕業でしょう? 神(スピネル)様」

「……そういうことさ、ヨミ」


 彼女が小さくそう呟くと、背後のどこからともなく声が響いた。『神』というクソダサいTシャツを着た、濁りつつも美しい目をした少女ーー神(スピネル)がそこにいた。



 女性の名前を呼びながら、スピネル様と呼ばれた少女は宙を踊るように踏みつけながら近寄り、ヨミの肩に腕をかける。


「近いですスピネル様」

「今日も可愛いね。流石だ」

「自画自賛ですか? 貴方が作ったんですから、自然とそうなるでしょうに」


 頬を寄せる妖しげな少女(スピネル)に、ヨミは動じずに答えた。


「そうとも言うね。私は美しいものが好きだからさ。ねえ、神(わたし)に斎(いつ)く君はとても綺麗だよ」

「……っ」


 凡そ少女には見えないほど艶やかな顔だ。その姿にヨミは本能的に膝を突いてしまった。その行動は酷く身体に馴染み、まるで神(スピネル)に傅(かしず)く事が彼女の使命であるかのような感覚さえ覚える。


「君程の美貌が私に傅いていると思うと背徳感があるね。まあ、流石に私も自分の欲に君を付き合わせるのは申し訳ない。君には対等でいて欲しいから、さ。お遊びはここまでにしようか」

「……はい」

「うん、ありがとう。ーーさて、薄々分かってるかもしれないけど。この死者(ゾンビ)がこの前伝えた『神柱』だよ」



 スピネルは一言謝って圧を解き、ヨミを立ち上がらせる。そして呼び出されたゾンビをチラッと見下ろてから、ヨミにその美しい目を向ける。


 彼女の瞳は紅水晶に似た淡い桜色を透明に滲ませたのような美しい色をしている。それはきっと見る者全てを魅了するに違いない。


 事実、ヨミは息を飲みかけ、寸前で堪えた。


「なるほど。しかし何故、彼女に心を?」


 平静を装ってそう言うが、内心ではスピネルの『宝石』としか喩えようもない瞳をもう一度見たく仕方が無い。あれはーー美しさのみで人を支配する境地に有る。


 正しく、あれは神だ。

 最早生物と呼べるのかすら怪しい。


「必要だったからさ。颯真君……いや、『原石』君は随分とメンヘラだからね。彼に刺激を与えるのに必要だったんだ。それにほら。彼女に人間性を与えたからこそ、彼女はあの瞬間死に、我々の元へ来た訳だろう?」


 悪い笑顔で語る少女にヨミは気味が悪くなり、彼女(スピネル)を突き放そうとする。


 しかし頬を摘まれ、グイッと少女の元へ引き寄せられたヨミは身体が紅潮するのを感じた。


「こーら。酷いなぁ、逃げちゃダメだろう?」

「わ、分かりましたから、私の中の熱を解いてくださいませんか?」


 ドキドキと心を鳴らすヨミは、弱々しく少女を睨みながら言い放つ。


「おや……? 別に君の心は弄ってないよ? 普通に君が私にときめいているだけさ」

「〜〜ッ!」


 ヨミは顔が真っ赤になるのを自覚しながら飛び退いた。


 その反応に、揶揄うように言ってクスクスと笑っていた少女は、ヨミが手元から離れる事にしょんぼりとした顔をする。


 荒らぐ息を抑えながら、ヨミは焦ったように叫んだ。


「大体スピネル様は無茶苦茶しすぎです! あの『原石』に対しても偶然を重ねすぎました! 運命を無理に操作すればその辻褄合わせに訝しむべき点が現れるなんて、承知でしょうに!」

「まあ良いじゃないか。英雄の誕生とは偶然という奇跡の連続の上に成り立つものだろう?」


 ヨミの非難に、スピネルは涼し気な顔で返す。


 異空昇格に首領(ボス)の昇格。偶然としてはあまりにも出来すぎている。彼にとっては不運でしか無い為気づかれていないが、こちら側からすれば幸運な事この上ないのだ。当然、この少女(スピネル)が仕組んだ出来事である。


「意地が悪いんですよ。態々あのゾンビに心を与えておきながら、今奪うつもりの癖に」

「失礼だな。奪うんじゃない、封印するだけさ。ちゃんと解けるように、鎖に細工もしておくつもりだよ?」


 心外だ、と言わんばかりにスピネルは云う。


「何の為に態々そんな……」

「必要だからね」


 即答するスピネルにそれ以上、ヨミは聞けなくなる。

 やるせなさから、彼女は震えた声で、ささやかな抵抗を口にした。


「……スピネル様は。貴方は、何故神を名乗るのですか……?」

「それは……きっと私も、そういう使命を持って作られたからにすぎないよ」


 スピネルが『やれ』と促すように顎をクイッとさせるのを見て、ヨミは指示を理解した。そして彼女は諦めたようにため息を吐き、手を伸ばす。


「……哀れな子です。貴方に、最大の同情を送りましょう」


 そしてヨミは、無抵抗のまま瞳に光を映さないゾンビに術をかける。それを見届けながらスピネルは満足気に頷き、ゾンビを鎖で縛り上げた。



 リンと風鈴の音が鳴る。



 紅葉が水面に落ち、神力を纏った香(こう)が薫り、黄金の鎖が彼女をきつく締め上げた時。



 そのゾンビは、一滴の涙を零した。




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