第10話 闘志
第七等級の強さ。
それを質問された時、様々な声が存在するだろう。
一体で十数名を虐殺できる恐ろしい怪物だとか、逆にプロたちの戦いで言えば下から数えた方が早い等級だとか。
しかし第七等級とは、その数字が示す通り五級程度の使徒を主に扱う駆け出しにとっては正に格上の悪魔のような存在。
伝承的に言えば、何かしらの能力、逸話、地位がある。
例として月夜で戦闘力が上がる狼男や、旧家に現れる女の亡霊シルキー、更には冥界の女神ヘカテーに使えるエンプーサなどが存在する。
第四等級の使徒十体で同時に攻撃しても倒せるか怪しい相手という所だろう。
最初の強敵。
最初の壁。
そしてその佇まいを見て、多くの使役師は思うのだ。
──あれは怪物だ、と。
||
「退くぞッ──!!」
記憶が間違いでなければ、あれは第七等級の穢者、白狐。
妖狐の一種である強敵だ。
強敵。
その言葉には冒険心がくすぐられるが、現実的に考えて俺たちが勝てる確率は低い。
最善の選択はあの帰還ゲートに向かって突っ走る事。
「カバーを頼む!!」
俺が叫ぶと頼もしい応答が帰ってくる
「了解です!」
「任せて!」
「命令通り、時間を稼がせて頂きますわ」
作戦はこうだ。先に俺が出口前に到達する。その後リリィ、ナナ、アンナと合流して身体の接触という条件をみたすことによって聖遺書に戻し、そのまま脱出する作戦だ。
リリィが前方に、俺とナナが中央、そしてアンナが後方という陣形を組み走り始める。
後ろから響く、唸るような吠え声と氷塊が地面に打ち付けられる音に背筋が氷そうになる。それでも怯えずに、なんとか足を進め続ける。
「誰一人、欠けさせる気はない。全員で生きて帰るぞ」
「はい!」
戦況は分からず、ただ走る事の一点に神経と体力を傾ける。視界から目視で測る距離を確認し、ペース配分を決めて行く。
百メートル。九十メートル。八十メートル。七十メートル。六じゅッ──
「来ます──!!」
ズサァ。
雪が右から左へ跳ね上がるように飛び散り、巨体が目の前に立っていた。
二十メートルは後方に居たはず。
その上、後方のアンナの牽制を受けながら大きく回り込みながら来たのだ。
「化け物め……」
全身に鳥肌が立つような威圧感。無意識のうちに震えていた足を動かし、俺はその怪物の脅威を直に感じとる。身を押しつぶす恐怖に、脳を回る思考が鈍化する。
「ナナ」
「はい?」
覚悟を決め、俺はナナに話しかけた。
「こんな状況で悪いけど、俺も愛してるよ、ナナ」
「さっきの返事ですか?」
「そう言うことだ」
「……それは勝たなきゃ、ですね」
押しつぶされそうになる。
息切れし、酸素が回らない脳でも自然と選択肢は一つに絞られた。
……戦うしか、ないか。
「申し訳ないわ。氷矢で牽制していたのだけど、効果が薄かったみたい」
「気にするな」
息を吸い込み、言葉を続ける。
少しずつ脳から正気が溶けて行き、俺は薄らかな狂気の仮面を被った。
「──道は切り開けばいい」
リリィが地面を蹴った。
振るわれたナイフは白狐の首元を捉える。雪男であれば確実に仕留められそうだが、白狐からは一ミリの隙も感じられない。
白狐は想定以上の速さに瞳孔を開くも、すぐに反応を見せた。
白狐は後ろへと飛び、冷静に交わす。しかしリリィは冷酷を携えた顔と、獲物を捉える朱の眼で返す。
『感電』
避ける事に転じていた白狐の動きが封じられた。
完全とは言わずとも、筋肉を硬直させる程度には多少の効果があったのだろう。
白狐は顔を苦痛に歪ませ、目が半開きになる。
ーー今だ。
殺せる、俺はそう確信し顔に喜色を浮かべた。
そのままリリィのナイフが白狐の首を刈り取る未来を鮮明に描きながら、しかし、期待は裏切られた。
『水砲(ウォーターカノン)』
どこからともなく現れた水の大砲が噴射された。
「ぐッ!」
避ける暇もなくリリィの胴体に直撃したそれは、軽い身体をいとも簡単に吹き飛ばす。
なーー!!
驚きながら、まずは状況を見るべく素早く首を振って広い視界から空間情報を把握する。倒れ込むリリィは立ちあがろうとしているが、すぐには立ち上がれそうにない。
リリィは無事だろうか。
生死に関わるような重症ではない筈だと信じたい。
あの水砲のクールタイムがどのくらい長いか分からない。
ゆっくりしている時間などない。
「うらあ゛ァ!!」
恐怖を堪え、俺はリリィに続いて白狐に斬りかかった。
攻撃を途切れさせてはならない。
必ず、仕留める!
手を緩めず、臆さず、許さず。
すぐそこまで迫っていた俺の剣が、白狐を切り伏せようと空を滑る。
「ぐゥッ!」
が。
感電が解けた白狐の前足が払われ、俺は剣と共に横へ吹っ飛んでしまう。
「続きますーー!」
ナナが攻撃に入る。緊急事態な為、この際戦闘は仕方ない。白狐に距離を詰めて拳を撃ち抜く。
が、その攻撃を防ぐ事なくそのまま身体で受け止めた白狐は前足を払い、もう片方の腕がない彼女は防御出来ないまま吹き飛ばされる。
『氷矢』
倒れて動けない俺たちを見る中、アンナはここで連撃を途切れさせてはいけない、と打ち合わせ通り作戦を決行している。
表情に漏れ出る焦りを抑え、彼女は覚悟を決める。
アンナの放つ鋭く大きく研ぎ澄まされた矢が白狐の頭部目掛けて撃ち抜かれる。
当たると思った刹那、白狐が再び動いた。
『火岩矢(ファイアーロックアロー)』
迎え撃たれた火を包んだ岩の矢によって魔法は相殺され、あまりにも簡単に氷の矢は砕け散った。
「魔法で魔法を!?」
二百キロを超える矢を、矢で撃ち落とすなんて正気じゃない。その点と点を重ねられる正確さにアンナの背筋がゾクっ、と恐怖を覚える。
「なら──」
アンナが己の判断で頭を回す。
己のマスターと、先ほど出来たばかりの戦友の倒れる姿を見て、白狐に敵意の感情を向けながら。
アンナが腕を広げる。
『氷槍』
魔法を発動し、氷槍が出された。
魔力で操りながら、氷の槍が白狐目掛けて突かれる。
ヒラリと交わす白狐に怯むことなく、すぐに追撃が行われた。
しかしそれを苦にせず、躱し続ける白狐。
「このっ、『氷矢』ッ──」
使用制限(クールダウン)の短い氷の矢が、槍の連撃の合間を通るように放たれる。
槍が、矢が。重なるように、敵へと向う。
行ける!
アンナが確信する。
我ながら完璧に決まったと思った。
槍との交戦の最中に放たれた矢は白狐に避けるを事を許さず、あと一メートルというところまで届き……
矢が白狐を撃ち抜く光景がアンナに沸いた。
だが、目を凝らし再び確認すると。
その刃先が撃ち抜こうとしていたのは
──
「ッ!??」
矢が、槍が、止まる。
それはマスターへ攻撃出来ない使徒としての反射的な行動なのか、自主的な行動なのか。
どちらだとしても関係ない。
「──擬態だ!!!」
痛みに呻いていた俺が、気づいて叫んだ瞬間にはもう遅い。
皮の剥がれた白狐は、彼らのマスターの姿を辞め、元へと戻り、止まった矢を槍を叩き落とす。
「くそっ……化け狐め!」
苛立ちと闘志に任せ、白狐を睨みつけるように俺は吠えた。
「『感電!!』」
立ち上がり駆けつけたリリィが、不意打ちで感電を放つ。
しかし二度目は無かった。
感電は油断のない白狐へと当たるも、混乱や痛みでの行動阻害は薄く、ナイフも受け止められる。
悪寒がした。
「ッ、不味い!
──避けろッリリィ!!」
俺の叫び声と共に、白狐の爪が細く華奢なリリィの身体を貫きに掛かる。
リリィもそれを感じ取ったのだろう。すぐに防御の姿勢に入る。
が、爪が振られた。
「──ッア゛アア!!」
ナイフで受け止めきれず、爪は腹部を薄くながらも切り裂き、リリィから血がボタボタと溢れる。
リリィの声が響き、伝わる。
心の底から痛みと、恐怖に対する助けを足掻く声だった。
誰が見ても分かるほどの、はっきりとした致命傷だった。
背筋に寒気が走る。
全身に恐怖心が流れる。
……脳が危険信号に縛られる。
致命傷なのか?
助けに行かなければ。
みんな危ない。
早く。
動け。
嗚呼
でも
情けないほど
────怖い
『「──氷槍ッ」』
アンナが槍を放つ。
この状況だと言うのに、彼女は冷静に判断を下す。
風を切る音に一瞬だけ期待してしまう俺がいた。
しかし白狐には当たらない。
ヒラリと躱された後、白い獣は次なる標的をアンナに向けたのが分かった。
襲いかかる白狐に後退りながら。
アンナは必死に何本も急造で氷の槍を産み続け、その度に幾度となく破壊される。
「ぁ」
掠れた、情けない声が己から漏れ出た。
……無理だ。
人間としての本能が、危機のアラームを鳴らし続ける。
どうすればいい?
打開策は何だ?
リリィの治療は手持ちのポーションで十分か?
リリィの復帰が無理だった場合、俺とアンナだけで倒す作戦は?
そもそもナナは今何をしてる?
何をすればいい?
考えろ考えろ考えろ。
これは試験じゃない。シミュレーションでもない。
現実だ。
失敗は許されない。
俺は、失敗できない。
何か。
何か思い出せないのか?
ーー成功する使役師とは、全ての場面において正しい選択をすることが出来る人間です。それが例え、何かを捨てることだとしても。だから、使役師は使徒に情を入れないのです。
使役師ライセンス取得の際、教員が放った言葉が頭に流れた。
こんな時に限って思い出してしまった言葉は、己の中で酷く嫌悪感を感じた言葉だったのに。
ふと、気がつくと。
倒れ伏したリリィ。白狐に押されるアンナ。そして、俺の目の前に出来た、出口までの道筋。
意図せず脳は廻り出す。
アンナに白狐の相手を命令させれば、自分は生き残れるだろう。
アンナの近くに倒れたままのリリィは回収出来ない。ならば使役師として、模範的な回答は自分の命を優先し、使徒を捨てて出口に走る、だ。
それに、アンナだけであれば、なんとか失われずに戻ってくるかもしれない。
嗚呼。
悪魔的な考えが脳を巡る。
よろめきながら、どうにか立ち上がれた。
でも立ち上がった俺は彼女達に背を向けてしまっていた。
背を向けると、出口は目の先にあった。短絡的に、思考がすべき事を伝える。
逃げーー
「うあああぁぁ!!」
振り絞るような誰かの声が聞こえ、激しく雪を蹴る足音が聞こえた。
……ナナだった。
彼女は必死の形相で、倒れたリリィに近付き止めを刺そうとしている白狐へと向かっていく。
氷矢を放って、白狐を止めようとしているアンナを通り過ぎ、氷矢が白狐に向かって、白狐が火岩矢を使った瞬間を見逃さず距離をつめる。
「ナナ、待て……!」
待たせてどうする?
俺たちだけでも撤退しよう、と伝えるのか?
揺らいでいる間、俺の足は一歩も動かなかった。
「リリィから、どけえェエッ!」
自分の覚悟を宣言するかのように、彼女はそう言って、自分を捉えた白狐へと向かった。武器すら持たないその素手で、彼女は殴りかかる。
白狐は避(さ)けるまでもなくその攻撃を受け止め、爪を振るう。攻撃を受けまいと体を捻らせたナナは、爪が肋骨付近の肉を切り裂くのを受け止めながら、カウンターで白狐の腹に全力の蹴りを入れる。
「ぐっ!」
そこでようやく白狐は飛び退いた。
そこで気が抜けたのか、それまで必死に戦っていたアンナはへたり込む様に座った。息も上がり、氷槍も砕かれ、魔力も残っていない。
もう戦えないーー俺は力尽きたアンナを戦力から除外した。
血を流し満身創痍のナナを見ながら、俺は鈍化した思考を回す。
道が塞がれた。アンナを連れ帰るのはもう無理だ。
「ナナ! 死ぬぞ!」
俺がそう叫んでも、彼女は逃げようとしない。
近くにリリィとアンナがいるからだ。
ダメだナナ……死にに行ってるようなものじゃないか。死ぬのが怖かったんじゃないのか……? 俺はこんなにも、まだ自分が何者でもないまま死ぬのは嫌なのに。
「マスターは良いから、逃げて!!」
苦しそうに、ナナが叫んだ。
その表情をみて、察する。
ーー違う。
彼女だって死ぬのが怖くない訳がない。それでも、大切である俺たちを助ける為に戦ってるんじゃないか……!
そっか、誰だって死にたくないんだ。
そうだよな。
死にたくないって、言っていたもんな。
俺は何をしてるんだ……!
相棒になると誓った筈の。
彼女達を置いて捨てるなんてしない。
ナナのその想いに、俺が応えなくてどうする!
「──っァア゛ア!!」
がなり声で咆哮を上げた。
心臓を捧げる覚悟で、喉が潰れるほど自身を鼓舞する。
燃えたぎる闘志で、悲鳴を上げる身体を突き動かす。
駆け抜けながら、白狐に向かいながらも、頭だけは冷静に冷静に、落ち着かせようとする。
氷槍が砕かれ、魔力も殆ど残っておらず膝をついたアンナ。血を流し倒れ伏すリリィ。満身創痍のナナ。
その命を奪う筈だった白狐が、その雄叫びに惹かれて少年に目を奪われた。
さぁ、行くぞーー
受け止めてみろよ、なぁ
「ーー白狐ォ!!」
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