第9話 雪女

前書き:



 それから俺たちは再び歩き始めていた。


 先ほどの白狼も、結局浄化されてくれはしなかったので仲間は増えていない。


 


 にしても、合計で七体倒すも未だ聖遺書は一冊もなし。


 組合の公式情報によれば、五等級の穢者が平均浄化成功確率二十%をやや下回る程度らしいので焦りすぎだろうが、早く二体目の穢者を確保したい気持ちが先走っている。


「全然解放されてくれないな」

「……だね」

「……ですね」


 現在、リリィを失えばほぼ壊滅という状況は決して良いと言えない。


 まともに戦えるのは彼女だけだからだ。



 白狼も弱いわけではないが、やはり今欲しいのは雪男だ。

 


 雪男は寒冷地に出現する穢者だが、雪地以外でも強い。日本使徒の恩恵は受けられないものの、怪力や耐久、大きさ、そして勿論氷系・雪系の魔法に対する耐性、と人気はないが強さは間違いない使徒である。


 現在のパーティー構成はアタッカー兼補助役のリリィと補助役役兼アタッカーの俺。後、一応アタッカー役兼、背後に別の敵が来てないか確認する役のナナ。


 こちらとしても耐久力が高く、使い勝手が便利な盾役(タンク)がこなせる使徒が欲しい。



 ……ボス戦前までにはなんとか仲間を手に入れたいな。



 歩きながら、雪が緋色に照らされているのを見る。


 地球とは全く違う緋色の日は沈み、ずいぶんと暗くなってしまった。地平線の彼方に見える夕日が闇に溶けるようで、とても美しい景色だった。


 異空の性質上、電灯も何もないくせに異様なほど明るいが、それでも十分暗い。

 時間を考えても、そこまで長居できる余裕はないだろう。


 だが期待と反して聖遺書は中々手に入らない。


 俺の体力も消耗されているし、いい加減どんな穢者でも良いから浄化されてくれないものか。


 などと考えていた時だった。



「……敵ですよ、マスター!」

「もうか!?」

「交戦感覚が短くなっていますね……ボスエリアに近づいているせいでしょう」


 視力の良いリリィが敵を発見し、素早く戦闘態勢に入った。


「と言う事は、そろそろ仲間が手に入らないと本格的にやばいな」


 そう言いながら続けて、俺もゆったりと近づいてくる敵の正体を目で捉える。



──美しい、人を惑わすような少女。



 その青い瞳に視線を奪われる。



 強烈な第一印象を植えつけえる彼女は、人間と何ら変わり無い姿でこちらへと歩み寄った。


「……人間?」


 思わず口から零れ落ちた問いに、リリィがすかさず答える。


「いえ、雪女です!」


 雪女。


 雪女は日本神話に登場する、妖怪の一つである。死を表す白装束を身に纏い、相手を凍死させる……雪の妖怪だ。


 目の前の少女を捉える。白掛かった青色の長い髪に、白を基調とした着物、そして雪の結晶のヘアピンがトレードマークの少女。


 強力な雪魔法、氷魔法を操る魔法使いだ。


「ナナ、危なくなったら助けに入って欲しい。ただ、今回は魔法使い相手だ。雪男とは殺傷力が全然違うから注意してくれ」

「う……分かった。マスター、頑張って!」


 ナナの応援に口角が上がり、俺とリリィは自然と自信を持って返す。


「ああ」

「任せてください」


 無表情の雪女は此方を蒼色の眼で見つめる。

 次の瞬間、先端に青色の宝石が飾られてある杖がこちらに向けられた。


「──ッ、来るぞ!!」


 威圧に、足が竦みながら。


『氷矢(アイスアロー)』


 氷で生成された矢は一直線に、こちらを打ち抜かんと迫って来た。


 容赦や手加減は一切ないようだ。

 こんな事態に限って上手く動かない足を諦め、倒れるように、必死に上半身を動かす。


「うぉ」

 

 氷矢は俺の頭部があった場所を突き抜けていった。


 背筋を寒気が襲う。

 避けなかったら死んでいた。脳にそんな考えが過(よ)ぎる。


──だが言いようのない何かが、自身を掻き立てた。


 彼女の蒼い瞳と目が合う。

 生気が見えず、凡そ人との意思疎通も出来ないであろうその瞳に。


 どこまでも無表情なその顔に。


 哀が宿っているように見えた。


 まるで泣いているようで。

 アイツを手に入れるべきだと、焦燥感に駆られた脳が答える。


 ドクドクと心臓の音が近く、速く、煩く、動いているような気がした。




||



 その少女は暗闇を彷徨っていた。

 

 痛哭が心を食い破るように蝕んでいて、脳に酸素が回らない。


 自我が封じ込められたまま、異空に命じられて戦いへと出向く。


 人間を見れば、心の中の殺気が沸々と湧き上がる。けれども、本当に殺したいのか分からない。殺しても良いのか分からない。ただ、異空の命令のまま杖を向け、魔法を放つ。


 そして彼女は敵に命を刈り取られた。


 痛い。苦しい。殺したくなどない。

 水中で溺れるように咆哮する。


 なのに。

 異空の意思が宿ったこの瞳は尚も燃え続け、敵を滅せよと伝えてくる。


 薄れる視界で相手を見た。


 ……違う。

 この人は私のマスターにはなり得ない。


 再び魂が異空の輪廻へと戻る。どこへ向かっているのだろう。

 私は何者なのだろう。


 誰が人が私を支配し。

 私を■にしてくれるのだろうか。



 ……。


 どれほどの時間が経っただろう。

 薄れていた意識の中で、光が私を包んだ。

 


 そして再び、私は異空に呼び出され。

 新たなマスターと対峙する。



||



 氷の矢が放たれた。


「っ、危な!」


 ギリギリで倒れ込みながら避ける。

 殺意すら感じられないその攻撃。しかし確実に当たれば死ぬと理解する。

 

 それでも尚、己の中の戦闘意思が絶えない。



ーー目が合った。



 吸い込まれそうなその瞳に、どうしてか夢中になる。

 心と心がリンクしたような感覚。


 その瞳が宿す感情が、ただ、悍ましい程の哀しみが伝えていたような気がした。



 寒気とは裏腹に、ただ欲しいと願う。

 その表情を宿す彼女を。

 

 苦しみに泣く彼女を。


 ■の■■■となる■■を。


 彼女との命の削り合いに、心が躍る。


 死合いの、その魂の叫び合いで。彼女はただひたすらに静かに、孤独な世界で泣くように。薄く、悲鳴を上げているような気がした。



 戦いたい。勝ちたい。

 ……救いたい。


 楽しさ? 期待?


 脳が興奮している。

 アイツが欲しいという醜欲。自らの中に眠る謎の感情。


 訳の分からないこの感情が、彼女の瞳と目を合わせた瞬間、突然と襲って来た。


 思考をこじ開け、脳に揺蕩う歪な感情と、甘やかに灯すように体中を犯す『興奮』が、どうしようもなく悦の鼓動を打つ。



 嗚呼。

 嗚呼……!!。 

 

 何だっていい。本能を押さえつけるな。


 湧き上がる感情は高揚感。竦んでいた足を突き動かすのは興奮の証。

 本能が叫ぶ。



 倒す……必ず。


──君を救いたい!


「リリィ、感電!!」


 走り出していたリリィに指示を出す。

 バッ、といつの間にか感覚が元に戻っていた足を踏ん張り、体を立ち上がらせた。

 

 リリィの位置を確認し、俺も走り出す。


『感電』


 合流する俺より前にリリィが魔法を放った。

 放電された雷が雪女の身体に纏わりつくも、バチッ、という音と共に消え去る。


「……魔法抵抗(レジスト)ですか!!」


──効かない?


 魔法師(メイジ)タイプの穢者は、基本的に呪いや状態異常といった直接魔法への防御力が高い。だがそれでも一定の効果は見込める筈なのだが、感電は全くと言っていいほど効かなかった。

 

 恐らくは魔法抵抗のスキルか何かを持っているのだろう。


 だが、元々魔法師とは魔法で撃ち合うより、剣で間合いを詰めて斬り殺せというの常套句。

 想定内だ。


 未だどの様な魔法を使ってくるか分からない。距離を取って相手の手の内を暴くまで待つのが王道だろう。


 しかし。


「挟み込むぞ、リリィ──!!」


 俺たちに遠距離で有効な攻撃手段はない。

 こちらの撃てる有効な手数は近距離戦のみ。


 ならば……!!

 目を凝らせ。一つの動きさえ見逃すな。


 雪女の杖が、目の前の男より早く、自身を斬り殺さんとする少女に向けられる。


『氷槍(アイススピア)』


 長く、鋭く。

 氷で練られた槍は、まるで槍の達人が振るった様な鋭さでリリィへと襲いかかる。


「なッ──!!」


 驚きと共に、リリィの動きが急停止する。

 すぐに防御の体制に切り替え、手のナイフで去なす様に受けた。


──槍が、追撃する。


 二撃目、三撃目。

 何度も何度も、ナイフを使いながら必死に避けて、いなして。


 敵の雪女がくふっ、と光を映さぬ目で口元だけが咲(わら)う。 

 それがより一層、恐ろしかった。


 俺は冷静に戦況を見て、状況が劣勢である事を悟る。


 その隙に敵は余裕を見せながら、俺とリリィの間を抜け出す。両方を視界にとらえる位置まで動かれたようだ。その動きに戦い慣れた熟練さを感じる。



 上手い。



 将棋の盤上が膠着する。新しい一手を投入することに、迷いはなかった。


 マスターである俺、自らが戦闘に加わる。

 一手を穿つ。その為に横から斬りかかろうと、俺は動いた。


「俺だって、役にーー!!」


 予想外の動きを。

 足りない手駒を補う、一手を。


 しかし、杖は動揺する事なく予想外にも早くこちらに向けられた。


 瞬間、目視で敵と相手の距離を測る。

 そして相手の方が早いと悟った瞬間、思わず原則する。


「来るよっ!」


 遠くから聞こえたナナの声に関係なく、とっくに危険を察知して居る。

 やばい……!

 

『氷矢』


 今度こそは初めて目を含め全ての表情で嗤う雪女は、この距離なら避けられない、と言わんばかりに大きな氷の矢を生成した。

 

 まずいまずいまずいッ──!!


 その時、脳裏がクリアになった。


 同時に考えが吹き飛び、本能の赴くまま思考に従う。


──感覚で動け。


「アァ!!」


 剣を振るった。

 超人的な振りでも、考え抜いた振りでもない。


 それは勘と、何故か出来る気がした、自身への信頼だ。


 放たれた二百キロを越す矢を、剣で迎え撃つ。


 失敗など念頭に置いていない。


 なるべく広い面積でカバーできるよう、剣の平地に当てる。矢は剣に弾かれ軌道を変え、地に撃墜した。



 驚きからか、戸惑いからか、雪女は距離を取るように後ずさる。

──逃さない。


「凄い」


 ナナの溢した驚きが心地良い。

 

 体中から自信が溢れ出す。


 行けるッーー!!



 距離があると判断しながら、拾い上げた十センチほどの大きい氷の破片を投げた。

 その氷は雪女の頭部を目掛けて飛んで行く。

 

 焦りで判断が鈍ったのか、狙い通り雪女は目を瞑り腕で頭を覆う。

 ボスッ、と大した痛みでもないそれを受けた。


──瞬間。


「ナイスです、マスター!!」


 視界が消えた事で制御を失った氷槍は叩き落とされ、リリィは駆け出す。


 軽く、軽く。ほんの一瞬の出来事。


 そんな刹那の内、気づけば雪女の懐に潜ったリリィはナイフをしならせ、獲物を狩り取っていた。


ーーッ阿


 雪女は心臓から血を流し、絶命する。

 悲鳴も断末魔も苦しそうな声も上げずに。静かに彼女は朽ちて行く。



 けれども。

 雪女はどうしてか堪らなく、小さな微笑みを浮かべていた。



 全てが終わり、俺たちは一息つく。




 そんな中、俺は光の粒子として空中に漂っている雪女に近づいた。

 ここからは浄化作業に移行する。


 息を吐いて、俺は首元の鎖に手を掛けた。


「ーースピネル、第一の福音

 貴方と道を共にする。案外、私も貴方も矮小な存在だ」


 強かった。ああ、本当に強かった。

 けれどまだまだ、これは俺たちの序章にしか過ぎなくて。


 未だちっぽけな俺たちは、きっと分かり合えるから。

 俺が彼女を救いたいと思ったから。


「我々は手を取り合い、願う。嗚呼どうか、貴方が私の脳裏を見透かして、と」


 呪文を唱える。すると光の粒子は手応えを示した。

 粒子が首元の紅水晶に吸い込まれていく。そして黄金の鉄鎖が光輝いた。


「これは……」



 リリィの呟きが聞こえた。

 反応が強い。



 行けるかも知れない、そんな考えが脳裏に過った瞬間。


 強い輝きが視界を奪った。



||



 その雪女は再び、生死を彷徨っていた。


 痛い。痛い。痛い。苦しい。


 けれども、良い戦いだったと思う。久しく愉しいと思えた。


 何故だろう。誰かがクスクスと笑っている。


 誰が……。

 いや、そうだ。


 他の誰でもない、私の口角が堪らなく吊り上がっていて。



 突如として現れた、黄金の鎖が私を支配していく。



 刹那、思い浮かんだ。


 ああ……見つけた。

 彼だった。彼なのだ。次世代の英雄は。私の支配者は……!


 記憶が砂のように溢れ、消えていく。瞬間、体が支配されていくのが分かった。それは穢者の使徒化の証。体の自由が奪われ、感情に鎖が付けられる。


 なのに。

 堪らなく……愉しい。


 自らを少しずつ絡め取っていく金色の鉄鎖を、愛おしそうに彼女は撫でて。


 目が覚めたら全て忘れているだろう。でも、いつかきっと分かる日が来る。

 彼を手放さぬように。


 その時まで……。


 思考が混濁していく最中。



 意識が消失した。




||



『雪女』


 そう書かれた聖遺書が、雪の上に置かれていた。


「ようやく、か」


 雪女の聖遺書を手に取りながら、そう呟いた。

 近寄るリリィが話しかけて来る。


「やっと二体目が揃いましたね」

「マスター、めっちゃ凄かったよ!! 魔法を防いだ所、本当凄かった!」

「俺も役に立つだろ? ……早速召喚してみようか」


 褒められて上機嫌になりながら、己の言葉に従い、俺は首にかけた鉄鎖のネックレスを握って雪女を召喚する。


 雪女は紅水晶の光に応答するように、青白い光に包まれながら姿を現した。


「初めまして」


 抑揚のない、機械的な声で挨拶。


 デビルの時のようで俺は思わずそういえば、と普通はこうだったと思い出した。随分おかしな事が当たり前になっていたせいで、忘れかけていたのだ。


「よろしく〜!」

「よろしくお願いします」


 二人は特に気取ることもなく、笑顔に返す。

 そんな二人に、雪女はこてん、と無表情なまま首を傾げた。


「えっと……そちらが、そのような雰囲気なのであれば、合わせましょうか?」

「良いのか? ……頼む」


 理解が早いようで、彼女は笑みを浮かべると、自分の口角が孤の形になっている事を確認するように頬に触れながら言った。


「よろしくお願いします、マスター」


 きちんと口角を操れていることを確認したのか、彼女は手を下ろす。


「おお……あ、別に敬語はなくてもいいぞ?」

「あら、そう……? 分かったわマスター」


 あっという間に順応した事に、少々驚きつつも俺は受け入れる事にした。


 悠然と微笑みを浮かべながら話す雪女だが、自身が異空の穢者であった時の記憶はない筈だ。


 故に、俺たちは初対面となる。



 此方を観察するように伺う少女。

 その容姿は間違いなく美しいと言える物だった。


 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花、という美人を指す唄がある。彼女はまさしくその言葉にふさわしいほど綺麗である。


 貴賓のある喋り方はどこかのお嬢様のようで。


 白のメッシュがかかったような真っ青な長髪が、彼女の底知れない雰囲気を醸し出していた。


「ああ。よろしく頼むよ、雪女」

「ええ、よろしく。ところでパーティーメンバーは貴方とそちらの二体だけなのかしら?」


 彼女は上品に薄く微笑みながら、挨拶を交わす。

 こうして見ていると、やはり気品がある。正直俺が従えているというのは違和感があった。

 

「? ああ、そうだが……」

「あら、そうなのね。分かったわ」


 彼女はチラッとリリィを見て、上から下までしっかりと観察する。


「なんですか?」

「……いえ」


 リリィは戸惑いながらもニコッと笑って見せるが、雪女は興味が無いと言わんばかりに露骨にそっけなく目を逸らした。


「なっ」


 取るに足らない相手だと思われたのを察したのか、リリィは俺へと素直に顔で不満を示している。

 

 アンナは次にナナにも視線を向けた。


「貴方は……はぁ」

「?」


 が、顔をしかめて呆れたように小さくため息を吐く。


 ナナは何が起きているのか分からない、と言わんばかりに「?」の顔だ。


 最初の接触は失敗したようだ。


 二人を確認した後、雪女は改めて俺を上から下まで観察する。


「(……まあ、マスターは及第点のようね)」

 

 彼女は俺が聞こえないくらいの小さな声でそう呟いてから、俺へと視線を合わせた。


「とにかく。よろしく頼むわ、マスター」

「あ、ああ。……そういえば何だが、雪女。ウチのパーティーではみんなに名前をつけてるんだが……よければ名付けてもいいか?」


 話してみるとイメージとは違い彼女の声のトーンは案外明るく、それでいて落ち着きが見えた。


 ゆったりと落ち着いた雰囲気。


 その顔にははっきりとした自信と、己に対する信頼が宿っているのか行動全てに迷いがない。


「それは素晴らしい名案ね! 是非ともお願いするわ!」


 しかし提案すると、意外にも年相応に見える愛らしい笑顔で反応した。


 その笑顔はとても自然だった。使徒に名前を付ける事が彼女らにどんな意味を持つのか、俺には想像の余地も付かない。でも見る限り雪女は嬉しそうだ。


「ああ、了解だ」


 素直に頼みを聞き入れると、リリィが反応した。


「え、名前をつけるのですか?」

「そうだが……何か問題でもあったか?」


 雪女はちょっと呼びにくいし、彼女だけ名前がないと不平等だと思ったのだが。


 リリィが雪女を睨むと、雪女も冷ややかな視線を浴びせる。

 ちょっとバチバチすぎやしないだろうか。


「マスター、私(わたくし)楽しみよ!」


 先程までは不機嫌だったのに、雪女は上機嫌だ。

 反対にリリィの機嫌が下がっている。


「……ちょっ、ちょっと待ってください。そういえば、私マスターの名前すら知らないじゃないですか」


 時間を稼ぐみたいに、リリィは素早く俺を雪女から遠ざけるように腕を引く。


「え、本当だ! 教えてよ、マスター!」

「……ああ、そういえば。俺は颯真(そうま)。相沢颯真(あいざわそうま)だ。今日探索を始めれるようになったばかりの十五歳だよ」


 自分の名前を告げると、リリィはこちらを見つめた。

 考え事をした後、答えるように、彼女は口をひらく。


「じゃあ。改めまして。よろしくお願いします、颯真様」


 そう言って、リリィはにこやかに笑った。

 そこに雪女が乗っかってくる。


「……もしかして、私も颯真様と呼んだ方が良いのかしら?」

「いやマスター呼びで良いよ」


 意外とノリが良いんだな、と思いつつ返事を返す。

 リリィには言わないけど、使徒に名前で呼ばれるのは違和感あるし。


「じゃあ私もマスターって呼ぶね!」


 ナナはマスター呼びのままでいてくれるらしい。思いに耽っていると、雪女は待ちきれない様子で俺に聞いてくる。


「それで、私の名前は決まったかしら?」


 本気で楽しみにしているのかもしれない。


 少し悩んだ後、俺は案を一つ出してみた。


「アンナはどうだ?」


 俺がそういうと、彼女は少し黙り込み考えるように顎に手を当てた。


「アンナ……そうね、良い名前で嬉しいわ。アンナと呼んで頂戴、マスター」


 雪女の顔から満足して頂けた事を察し、頬が綻ぶ。


「そうか。リリィ、ナナ、アンナ。これからよろしく頼むよ」



||



 俺たちは先ほどの会話を切り上げ、再び雪の中を歩いていた。


 真っ白な雪をかき分けていく中、白狼を見つける。前回よりも一回りくらい大きく見えるが、やはり一匹だ。


 正直普通の狼のように群れを組んでいると相当危険度が上がるので、一匹狼はありがたい。


「行こう」

「はい!」


 俺の合図と共に、リリィとアンナが飛び出す。

 リリィはナイフを手に取って、地面を蹴り上げながら白狼へと向かった。


 ナイフとは反対の手でリリィは『感電』を発動し、白狼の動きを封じる。

 

 ここから二、三撃入れて一旦引いてから立て直すのをイメージしながら、俺はリリィに指示を送ろうとしてーー


「リリィ、まずはーー」

「遅いわ」


『氷矢』


 俺が指示を送ろうとするが、待ちきれなかったのか、雪女(アンナ)が攻撃を放った。


 十分な殺傷力を持った氷の矢は、既に感電を喰らい痛みで静止していた白狼(はくろう)の胴体に突き刺さる。


 ドスンと、深い音を立てて頭部を貫いた氷矢のその殺傷能力に「うおっ」と思わず驚きが漏れた。


 紅色(べにいろ)に滲む血が毛を染め、倒れた白狼にリリィがすかさずナイフでトドメを入れる。


「ナイス!」

「余裕ね」


 サラッと髪を掻き上げたアンナを褒めると、彼女は得意げな顔でそう答えた。


「流石だ。二人共凄いな!」


 ようやくちゃんとした戦力が二人に増えた実感を噛み締め、どこか感嘆に近い何かを覚える。


「いやぁ、ようやく戦力が……あっ」


 ……いや、ナナを責めたい訳じゃないから。むすっとした顔で俺を見ないで。……ごめんって。


「わたしとは全然違うなー、ね? マスター?(棒)」


 無機質な声で俺を責めるナナから目を逸らす。


 俺としては即興で連携に馴染めているアンナと、変わらず良い動きを見せるリリィを褒めたつもりなのだが、リリィの顔には不満と怒りが溜まっている様だった。


 アンナが悠然とした態度で乱れた髪を直している間に、リリィはこちらに近づいて微笑んだ。


「颯真様、どうでしたか?」


 二人の性格の違いが垣間見える。


 俺は先ず、悠然とした態度でいるアンナに近づいて言う。


「良かったぞ、アンナ。急所を的確に射抜いているし、戦況を大きく動かしてたな」


 落ち着きはあるものの、何処か目立ちたがる部分が見えたのは欠点だが……。

 コチラとしては新戦力のアンナの働きぶりが分かりやすく助かったと言っていい。


「ええ、当然よ」


 平然というが、少し嬉しそうだ。口角が上がっていた。

 それから俺は不満そうにしているリリィにも、フォローを入れる。


「リリィは感電なんかのサポートや、敵の注意を惹きつけるサポート的な役割を上手くこなしていたぞ? 囮役も上手かった。それに攻撃を緩める事なく止めを刺してたしな」

「……ありがとうございます」


 少し顔を赤くして照れくさそうに喜ぶ彼女の頭を撫でたくなる。

 思わず手を上げかけていた。可愛らしい子だ。



 それにしても、先程の戦闘は良い収穫だった。


 今のところは順調だ。リリィとアンナの仲が少し心配な以外、あまり大きな問題はない。

 そこを俺が上手く管理するのが俺の役割なのだから。ここからが正念場だろう。


「そろそろボスかな……」


 この探索における山場。ボス戦。


 歩いた距離を考えると、いつ頭領穢者のエリアに入ってもおかしくない。

 気を緩めてはならない。


 ただでさえ、レベルが上の異空に挑んでいるのだから。



 異空では慢心、油断、勘違いが命取りとなる。


 だから、使役師は余程の事情がない限り、自分の手持ちの使役師と同等、もしくはそれの一つ上か一つ下程度の等級の異空に潜るのがお約束だ。



 従って、四等級のデビルとゾンビを持つ俺は四等級の異空に挑戦するつもりだった。


 手持ちが一体の場合は四等級使徒とと四等級穢者を戦わせても、特にスペックに差がない場合はかなり接戦になるだろう。手駒を大きく損傷させてゲームオーバーだ。


 けれども、俺はリリィのスキルの数や、自分やナナも戦闘に参加する事を考慮した上で三等級の異空ではなく、四等級の異空に来た。

 

 五等級の異空に引き上がったのは想定外だったが、代わりに同じく五等級の雪女が手に入れる事ができたのは良かった。



 戦力的にはここのボスであろう六等級の穢者を相手にする為にもう一、二体欲しかった所だが諦めよう。



 六等級の強さは並の五等級の穢者の五倍に匹敵すると言われている。



 勿論複数対一では五体も必要ないのだが、安全に行くなら四体は持っていろ、と言われるのが使役師間での常識だ。

 


 四から五だと大きな差はないが、五から六は格が変わる。


 強さは段違いだし、値段で見ても数倍以上。

 更に相手はボス。通常の倍近くは強いだろう。


 実を言うと、十分な対策が欲しかったのは事実だ。


 戦力不足とまでは言わないが、この状況だとマスターの腕も相当試されるのだから。



「にしても、もう随分と潜ってるような気がするな」

「新しい事の連続でしたから」


 俺は何気なく、そう話題を振った。

 答えるリリィに、俺は確かに、と頷く。


「わたしにとっても、今日の一瞬一瞬って凄い濃かった気がするや」


 振り返るように、俺の隣を歩くナナがそう言った。

 

「そうか」

「うん。……だってもうマスターの事、凄く愛してるもん」


 俺にくっつきながらそう言うナナに、固まる。

 一瞬頭が混乱して、それから徐々に頭が回ると同時に心音が高まった。


「それってどういう……」

「そのままの意味だってば」


 少し照れた様子ではあるが、屈託のない笑みでそう言ってくるナナにどう返して良いのか戸惑う。


 人生で初めて向けられる、その純粋な好意の受け取り方が分からなかかった。


「そ……っか」


 そう言う俺は、凄く顔を赤くして照れていたのだろう。



 幸せな気持ちに包まれた心が、静かに熱を帯びた時。



 突然、リリィの声に遮られた。



「ーーマスター! ボスですッ!!!」



 空気が変わった。


 リリィの叫び声と共に、五感が集中の波に沈む。


 戦闘体制に入った三人の目の先に、待ち焦がれるボスの姿が映った。


 体長二メートルほどの大きさ。


 真っ白な体毛。頭に刻まれた赤い印。

 脚の周りを纏わりつく、半透明の青い炎。


「……マジか」


 求めてなどいなかった、二度目の想定外。

 相手はすぐに分かった。



 日本の怪異。


 

 白狐(ビャッコ)。

 ーー七等級の穢者だ。


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