第8話 命を賭して


 浜辺の汀(みぎわ)を歩いている。ただそんな気がした。

 意識はなく曖昧な脳は働かない。


 ぼんやりと見える景色は潮が引く様子を映しているのに、体は水中に沈んでいるかのような浮遊感があった。


 足に感覚もないまま歩む脚が砂をかき分けるのを感じ、一歩景色が動く。


 浜辺の風景を見ながら足を進めるが、しかし視界が捉える色彩の数に変わりはなかった。


 茫漠たる海を視界に捉え、ゆらゆらと揺れる己の心は、波打ち際に佇んでいるかのように何度も何度も掻き消される。


 それなのにやはり、例えどれだけ潮に掻き消されても。砂辺に強い想いを刻むのは、己の哀哭を叫びたがる意志が故なのだろう。


 私は何者で。


 誰(た)が人がこの悲哀という暗い海の底に沈んだ私の身を手繰り寄せ、救い出してくれるのだろうか。


 浜辺に。

 皇花が一輪、転がった。




||



 風が薙ぐ。

 冷たい空気に生暖かい息を混ぜ続けながら、その巨大な図体へと肉薄する。


 地を蹴って手に持った剣を差し込んだ瞬間、確かな手応えを感じ、すぐに剣を抜き取った。


「……よし、四体目!!」


 心臓を剣で貫かれ、雪男(イエティ)が血を流しながら雪の上に伏した。

 俺はゆったりと剣を引き抜きながら、光と共に消えゆく雪男を見届ける。


 福音を唱えたのだが、反応は無かった。


「ようやく慣れてきましたか? マスター」

「ああ。……合わせて五体だ。割と楽になって来てるよ」

「そろそろ戦闘にも慣れてきたんじゃないですか?」

「そうかも」


 リリィが手慣れた様子で、別の雪男の魔石を手に歩み寄って来る。こちらは先ほど戦闘中に福音を唱えている。手応えがなかった事からも、やはり失敗だったようだ。


 こっちは感電を使って貰った上で死ぬ気で殺してると言うのに、向こうは楽にやってみせる。改めて人間は非力なんだと実感が湧いた。



「ん?」

「……どうした、リリィ?」

「いえ、今誰かに首元を引っ張られたような……」

「?」

「……まあ、気のせいでしょう」


 尚、戦闘に参加しているのは俺とリリィだけの為、ナナは岩の上に座り退屈そうにして居る。


「ね、暇なんだけど。何で戦っちゃだめなの〜?」

「心配だからだよ。片腕だと倒れたら起き上がるのも、パッとできないし危ないだろ?」

「そうだけどさ〜」


 彼女は不満そうだ。

 俺は遠くで愚痴を言う彼女を放っておき、リリィに話しかけた。


「どうする? 一旦休むか?」

「いえ、ここでは休むのは厳しそうですし」


 最初は切れ味が悪いと思っていたゴブリンソードだったが、使い慣れると案外悪くない事が分かった。


 もちろん品質自体は微妙と言わざるを得ないが、頑丈だし骨がバターみたいに切れるイメージとは違うも、心臓などの急所を的確に狙えば雪男だって殺せる。



 でも足りない。

 もっと、もっと強くなりたい。



 戦闘に少しずつ慣れてから、変わったことがいくつかある。最初は切ることを意識して剣を振っていたが、どちらかという叩きつける様に振った方が良い。



 まあ正直剣より魔弾銃の方が何倍も強く、安全だが、金銭的にもこんな駆け出しが持てるような代物ではない。


「体も冷えてるし、暖を取りたいけど、俺たちは火魔法を使えないし急いで進むしかないな」

「そうですね。……ほら、立ってください。進みますよ、ナナ」

「了解〜!」


 ライターで松明でも付ければ良いじゃないか、と思われるかもしれないが異空内では着火のシステムが違う。なので、火魔法以外では火を生成する事が出来ない。


 ちなみにこれは普通の銃でも同じ事であり、火薬に火が付かないため魔力を放ったり、魔力で火をつけたりする魔弾銃でなければ銃弾は発射出来ない。


 一応異空外でつけた火は異空内に持ち込んでも燃え続ける、という特性がある為、予め異空外で火をつけて置くという手もあるらしい。


 まあ、その手が使われていないという事は、それなりの問題があるという事だろうが。


 ちなみに魔弾銃はバカ高い。


 まあ使えない銃のことなんて放っておいて、それよりも剣の話だ。



 三体目の雪男を倒し慣れてきたのか、動体視力が上がって随分と落ち着いて動ける様になった気がする。



 使役師をやっていると異常なほど動体視力や視野が上がるという話を聞くが、実際の仕組みは判明されていない。



 ただ、異空誕生以降、反射神経の世界記録が次々と塗り替えられていったことからも分かる通り、異空というここの環境自体が影響しているのは間違いないだろう。



 まあ俺は感覚としても、本当に僅かな変化くらいしか実感できていないので、まだまだこれからだ。



「しかし、にしても中々浄化できないなぁ」

「ですね。マスターって運悪くないですか?」

「確かに!」

「解放は別に運だけの要素ではないけど、割と自覚してるからやめて」



 少し悲しくなり、落ち込む。



「あ、でも、私を選んだのは運が良いですね。喜んでください」

「喜んでるさ」


 サラッという俺に、リリィは少し顔を赤らめる。


「そ、その……ご冗談を的なセリフが返ってくると思ってたのですが」

「バーカ。俺の顔に文字で刻んであるだろ。喜んでることくらい。な、相棒?」

「ま、まあ、その褒め言葉。素直に受け取っておきましょう」


 本心なのだが。


 というか、見る限りリリィは褒め慣れてないのだろうか。なんか意外だ。


 デビルと言えばどこか下に見てしまうような風潮があるのは事実だけど、スキルなんかを鑑みれば普通に実力は認められててもおかしくないのに。


「あれ、わたしは!? わたしもマスターの相棒だよね!?」

「……」

「……」


 うん……そうだね。

 俺たちは目を逸らしながら、心の中で答えた。


「二人とも無視しないでよ!?」

「分かってるよ、冗談だって。ナナも大切な相棒だよ」


 俺がそういうと、不安な顔をしていたナナはパアッと笑顔になって得意げな顔で言った。


「だよね〜!」



 そうやって言葉を交わしていると、雪をかき分ける音が聞こえた。その足音に、俺たち一同はピタッと動きを止め、目線で頷きあう。



 ……敵だ。




 出てきたのは白狼。体調は一メートルほどでかなり大きい。真っ白なふさふさの毛は雪と同化していて、保護色になっている。気を引き締めると、向こうもこちらに気づいたようだった。



ーー我ァ亜



 凡そ知性を感じさせないその瞳。垂れる涎を気にすることもなく、その白狼はゆったりと近づいて来る。



「合図と同時に飛びかかるぞ」

「了解です、マスター」


 リリィに話しかけると、彼女はこくりと頷いた。


「ちょっ、わたしは?」

「悪いけど、心配だから下がってて」

「もう! また?」


 不満げなナナをスルーし、俺はリリィと共に構える。

 

「ナナには死んでほしくないからな」

「……ばーか」


 その言葉を背に、俺たちは力強く駆け出す。

 

 白狼。五等級の穢者で、速くて体重も重く、鋭い牙と爪が何よりの脅威だ。

 前回はあまり活躍できなかったからこそ、今回こそは役に立ちたい。


「リリィ!」

「はい!」


 俺がリリィに指示すると、例の如く彼女は手に電流を走らせ敵に向けて叩き込む。


『感電ーー!』


 こちらに向かって走っていた白狼がビクッと震え、足がもつれたように急激に速度を落とす。


「マスター、一旦止まっ」

「いや、今がーー!」


 リリィの制止が耳に入るより前に、俺は剣を振りかぶって、その隙だらけの首を目掛けて剣を一閃する。


 しかし素早く姿勢を低くした白狼に、剣は空を切った。

 剣の重さに引かれ、身体の体勢が崩れる。


「なっ」

「マスター!」


 チャンスから一気にピンチへと状況が切り替わり、すぐ近くで大きく牙を向けてくる狼に身の毛も弥立つような恐怖が背筋にゾッとした感覚を与える。


 恐怖で汗が一筋垂れた時、一気に景色がスローになったような感覚に襲われ、俺を噛みちぎらんと迫るその狼が酷くゆったりと見えた。



ーーザシュッ


 

 肉を断つ音が聞こえたと同時に、流れる景色が元に戻る。


 

 白狼の身体にナイフを突き刺しながら、俺から遠ざけるように狼に体当たりをするリリィの姿が視界に入る。


「ッぐうう!」


 気迫の籠ったリリィの瞳にハッとし、俺は体勢を立て直して一旦下がる。


 役に立とうと焦りすぎていた。

 ……落ち着け、俺が死んだら全滅だ。


「危なっかしいよね、マスターは!」


 戦闘に参加するな、と待機していたナナが飛び出し白狼に怪力の拳を突き刺す。そういう彼女の方が一番危なかっしい気がしたが、俺は口を閉じて黙って剣を構え直した。


 その間に白狼に追撃を与えるリリィが鮮血を散らす。


 飛び退いて距離を取るその白狼に、ナナも拳を構えて駆け出した。

 しかし素早く切り返し、白狼は近寄るナナに急激に牙を向ける。


「うえっ!」


 急には止まる事ができず、一瞬の判断で雪を蹴って飛び上がり、白狼の牙を避け鼻を踏んだ。


 そのまま空に逃げ、不恰好な形で雪に打ち付けられるように着地する。一瞬でその危機的なナナの状況を理解した俺は、素早く駆け寄る。


 が、間に合わないと判断すると、思い切って剣を投げた。


ーー阿嗚


 剣が当たり怯むその狼に、拳で戦う勇気もなく、俺はナナを抱きしめるように庇う姿勢を取る。


「ちょっ、マスター!!」


 その瞬間、俺を咎めるように胸の中で叫ぶナナの声が聞こえて。


「っアア!」


 やっぱり、助けに来るリリィの姿が見えた。



 血が舞う。

 今度は首に刺さった。遂にその白狼は倒れ込みながら、力なくも美しい遠吠えを上げる。


ーーアオーン!!


 そして光の粒子と共に消えた。



「スピネル、第一の福音。ーー貴方と道を共にする。案外、私も貴方も矮小な存在だ。

 我々は手を取り合い、願う。嗚呼どうか、貴方が私の脳裏を見透かして、と」


 ……反応はない。



「駄目、か」


 俺が諦めたように呟くと、光の粒子はもうそこに無かった。


「うっ、ギリギリ……」


 一気に気が抜けて、俺はナナから離れる。

 荒く呼吸を上げながら、俺は彼女を心配するように問いかけた。


「大丈夫か?」

「う、うん……」


 そうはいうが、頬が少し赤く困惑した表情だった。


「本当に?」

「大丈夫だって。それより、なんでわたしを庇ったのマスター!」


 咎めるようにそう言われ、そういえば咄嗟に庇ってしまったけど、どうしてそんな事をしてしまったのだろうと自分の事ながら疑問に思う。


 途端に湧き出た答えをそのまま口から出した。


「その、ナナを死なせたくないって気持ちで一杯になって。必死で……」

「そ、そんなの……! マスターが死んだら意味ないでしょ!」

「大丈夫だって。ほら、実際怪我もしてないし。それに俺だってリリィが来るまでの時間くらいは稼げる気でいたしさ」


 実際、死ぬイメージは湧いていなかった。怪我や痛みが怖くはあったが、同じ五等級の穢者とはいえ雪男ほどの理不尽さはなかったかのように思う。


「ばか! わたしだって、死にたくないよ。 特に今回は、初めてわたしを褒めてくれたマスターの事も、リリィと出会えた事も全部、忘れたくなんてない! でも、マスターが傷つくのは嫌だよ……!」

「ご、ごめん……」


 俺が謝ると、俺たちの会話を見かねていたかのようにリリィが割って入った。


「ナナ、そこまでにしておきましょう」


 リリィはそういうと、優しくナナを抱きしめて落ち着かせるように言う。


「マスターの気持ちは嬉しいですが、危なかっしいんですよ。柔軟さがあるので大丈夫だとは思いますが、楽観的な所は私も心配になります 」

「すみませんでした……」

「分かれば良いんです。ちゃんと状況を見極めてくださいね?」

「ああ、そうするよ」


 確かに俺が庇うよりも、立ち上がるのに苦戦しそうなナナを補助したりと、色々解決策はあったはずだ。


 そうすれば彼女に守ってもらいつつ、時間も稼げた。


 俺は彼女を戦わせるという選択肢をあまりにも排除しすぎていたんだ。


「あのさ……マスター。わたしが弱いのは自覚してるよ。でも、わたしだってマスターを守る使徒なんだから。だから、わたしの事も頼って?」


 ナナにそう言われ、俺は意識を変える。


 ……俺だって弱くて全然役に立ってないのは同じなのだ。

 でも役に立ちたい。


 そうか、彼女は俺と同じ気持ちなんだ……。


「……ああ。状況を見て、助けに来るのは自由にしてくれ。ナナにもたくさん助けられてきたからな」

「ありがと、マスター!」



 嬉しそうに笑う彼女に笑みを返しながら、俺はリリィに覚悟を持って言う。



「だけど、二人でやるって置いてこのままは悔しいしな。……なあリリィ、次は絶対上手くやるぞ」

「ええ。ナナ、言わせておいてすみませんが、恐らく次は出番ありませんよ?」

「……あれ、そうかな? わたしに頼ってばかりの癖にさ。意外と苦戦すると思うけど」

 


 ニヤリと笑う三人は楽しそうな顔をしていた。


 


 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る