第7話 主人公



 ……凄かったな、リリィは……。

 

 呆然としながらそう思っていると、リリィは魔石を手に取って俺の安否を確認する為か近づいて来た。


 声を掛けられる。


「ふぅ。……お疲れ様ですマスター」

「死ぬかと思った。ほんと凄かったよ、リリィ。ていうかこれ、俺必要だったか?」

「当たり前でしょう? 戦闘してくれる人は多ければ多いほど良いに決まってます」

「……でも、全然思ったように戦えなかった。全然ダメで、俺って特別な人間でも何でもないんだなーって思い知らされただけだったよ」


 自嘲で自分の不甲斐なさを呪う俺を、彼女はなんでも無いのようにふふっ、悪意からではなくただ純粋笑い飛ばした。


「え?」

「いえ。何か勘違いしているようですが……貴方は特別ですよ。貴方ほど特別な人は見たことがありません。私のような使徒に感情を見せろとか言ったり、命令なんて待たなくて良いとか言ったり」

「そうだよ、マスター! ていうか、わたしも頑張ったんだから褒めてよ!」


 リリィはさも当然かのように言う。

 それでも。特別な人間だと言われたのは、初めてだったと思う。


「そっか、特別か……」

「え、なんで喜んでるんですかマスター。……褒めてませんよ!? 私の話聞いてました!?」


 焦ったように困惑するリリィをスルーし、俺はナナに向き合う。


「ナナもありがとう。すっげー助かった」

「どういたしまして!」


 笑顔で笑うナナは、少し頬を赤く染めていた。


「何なんですか、もう」


 リリィは俺にスルーされ、呆れながらも可愛らしく怒ったような顔をしていた。


「ありがとう、リリィ」


 そう言い切る俺に、リリィはため息をついてから俺に宣言するように話し出した。


「マスター、貴方はちゃんと特別です。あの指揮は見事でした。私一人ではきっと、雪男に相手に勝つことは出来ませんでした」

「そうかな……?」

「はい。恐らく他の凡才なマスターが指揮を取ってもそうだったでしょう。ですから、勝てたのはマスターのお陰です。……だから、貴方も凄かったんですよ、マスター」



 彼女の言葉は、どうしてか、俺に酷く響いていて。

 とても嬉しかった。


「ああ、本当に……ありがとう」



 俺の返しに彼女は微笑んで、倒れたままの俺にリリィは手を貸そうとする。



「あっ」


 しかし血濡れていたことに気付いたのか、彼女は手を引こうとした。


 俺は直ぐに察知して、逃すものか、と彼女の手を取って抜けた腰を立ち上がらせり。


「手を貸してくれてありがとう、リリィ」

「………全く、仕方ありませんね、マスターは」


 リリィはしょうがないな、と諦めたような表情で、立ち上がった俺から手を離した。


「え〜! それ、わたしがやろうと思ってたのに! てか、マスターはリリィに構いすぎ!」

「悪いな、ナナ。今度手を貸してくれ」


 ナナは俺に向かって伸ばそうとしていた手が無視され、行き場を失ったことに不満な様子である。


 そこで改めて、俺は言葉を放つ。


「悪い、急いで解放作業に入ろう。急がないと雪男の魂を回収できない」



 俺は急いで雪男が倒れた地点に数歩移動する。

 そこには死体の代わりに、光の粒子が宙に漂っていて、弱々しい光を放っていた。



 俺は首元のネックレスを握り、呪文を唱える。

 それはスピネル、第一の福音。解放の呪文だ。


「ーー貴方と道を共にする」


 そう切り出す。反応はない。


「案外、私も貴方も矮小な存在だ。我々は手を取り合い、願う」


 ナナの息を呑む声が聞こえた。

 ここまでの福音を唱えても、光の漂う方向は安定しない。


 そして俺は最後の言葉を溢す。


「嗚呼どうか、貴方が私の脳裏を見透かして、と」


 その瞬間、闇に飲まれるように光は消えた。

 そしてドサッ、と何か石ころ程度の大きさのものが雪の上に落ちる音が聞こえた。

 

「ーー失敗ですね」


 無情にもそう告げるリリィに、俺は頷くしかない。


 倒した時に雪男を浄化しきれば聖遺書に変わるのだが、期待とは裏腹に、地面に落ちていたのは魔石であった。


 あの雪男の魂は異空から解放出来なかった、という事だろう。



 俺の首元に掛けられた紅水晶は発光せず、とても静かだった。



「マジかぁ、命の危険を感じたんだけどな。相手が洋使徒とはいえ、割が合わなすぎるぞ」

「ほんとそうだよ! 痛かったもん!」

「……はいはい、ナナもスゲー活躍してたよ」

「だよね! もっと褒めてくれても良いんだよ?」


 そうドヤるナナは我儘なお姫様のようで、少しくらいのおねだりも許せるような天真爛漫な笑顔だった。


 俺はほら、早くと頭を撫でて欲しそうに待つナナを恥ずかしさからスルーし、リリィに目を向けた。するとリリィは待っていたかのように話を切り出す。


「マスター、どうします? とっとと帰還ゲートに帰りますか? 五等級異空のボスは恐らく六等級の穢者ですよ?」


 引き返す。


 それも確かに選択肢のうちの一つだろう。と言うより、普通であれば、昇格異空を引き当てた時点で大抵の人間は撤退の判断を選ぶ。


 出現する穢者のレベルは上がっている。

 

 だが、無理ではない。それはさっきの闘いぶりを見て分かった。


 エリアが吹雪とかの不可能状態ならともかく、一等級上がる程度なら少々無理を出来る筈だ。



 ……だからこそ



「悪い。それは、したくないかな」

「ね、マスター。それってこれが初回探索だから?」

「ああ」

 


 初回探索。

 駆け出し使役師の中で、重要な情報は当然幾つか存在する。



 そしてそのうちの一つ。

 初回探索の重要性についてだ。



 初めて潜った異空に限り、そこのボスを倒せばボスは一撃で浄化されて、聖遺書に封印されてくれる。



 言わば、異空の救済措置である。



 首領穢者。別称、ボスとも呼ばれるその穢者は特定のエリアに存在し、使役師らが異空探索を終えるのを阻む存在である。


 首領穢者は異空で出る穢者らの一つ上の等級であることが多い。が、通常の野生に出現する個体よりも制限が付くのである。


 つまりは通常より遥かに倒しやすい。勿論聖遺書化すれば戦闘力は元通り。これが首領穢者を狙う理由である。


 等級が高い穢者を倒すのは難しいが、首領穢者であれば比較的に倒しやすい為、狙われやすいのである。


 が、勿論そう美味い話はない。


 欠点として、首領穢者は凄く浄化されにくいと言われている。つまり完全に浄化が溶けるタイミングで倒せる確率が低い、という事だ。通常の穢者と比べて格段に低い。


 普通にボスを倒しても、浄化確率は一番高い四等級でも十%が良いところ。六等級のボスなら浄化確率は五%辺りだろう。


 通常、穢者は人に倒される度に少しずつ浄化されていくのだが、一撃で浄化してくれる場合もあるという。


 なので確率は割り出しにくく、あくまで参考程度なのだが……。


 参考確立通りに考えるなら、この初回探索……それも六等級のボスであれば、多少の危険を考えても逃す手はないと見て良い。



 なので、確実に今の戦力より等級の高い穢者を手に入れられる初回探索は重要なのである。


 この首領穢者(ボス)を取り逃がせば、高い確率で攻略のペースは相当遅れることになる。今後の難易度に大きく関わる要素だ。


 スタートダッシュで遅れるのは望ましくない。


 俺の夢が大幅に遅れることになる。


 ……例えリスクを負う結果だとしても。



「他の人と同じ安定の道を取ってても、差は付かないだろうな。悪いけど、二人には俺と一緒にリスクを背負って欲しい」

「わたしは良いけど、左腕もないし足を引っ張っちゃうよ?」

「……なら早いうちに、ナナを進化させて腕を直せるようにするよ」

「うん、約束ね!」


 俺の宣言に、不安を述べたナナに俺は素早く答える。

 俺とナナは互いに頷くと、リリィに視線を向ける。


「……本当にやるんですか? 己の力を過信して死んじゃう初心者が少なくないのは知っているでしょう?」

「大丈夫さ、俺は誰よりもリリィを信頼してる。死ぬつもりはない」

「わたしも信頼してるよ!」


 俺たちの発言に、彼女はやはり呆れた顔で言葉を返す。


「……『信頼』ですか。私(デビル)に信頼を置くなんて、全く本当に……随分と変わった人です」

「そんなことはないさ。君は信頼に値する。それはさっき俺が一番側で見せてもらったよ」


 そう言い切る俺に、彼女は更なる呆れを顔に出していた。


「……ま、マスターが私を信じても、私が貴方を信じられませんね。だって、どうせ私(デビル)なんて新しく強い使徒が入ったらすぐ捨てるつもりなんでしょう?」


 縋るように、彼女は理由を探していた。


 その顔には焦りが見られた。

 

 まるで、自分が信じてもらえるなんておかしいとでも思っているかのように。

 

 だから俺は彼女を否定する。


「違う。俺は君たちがどうあれ、最初から乗り換えるつもりなんてない。ナナもだ。腕がないからって気にしない。すぐ治せば良い。

 リリィ……あの時、君が戦っている姿を見て、君は凄い使徒なのかもしれないって思ったんだ。君から才能を感じた。

 ……強い使徒が手に入ったとしても、構わない。俺は決めたよ。お前を、お前達を使い続ける。だって、君達は俺の最初のパートナーだから。……それにさ、リリィ──」

「……それに?」



 前を向きながらも、目線だけをこちらに向けるその目を見つめ返す。

 少しばかり期待を込めた少女に、俺は告げた。



「君が格好良かったからだよ。だから、眩しい君を信じてみたくなった。リリィ、君が嘘だと思うならそれでも構わない。俺の目が節穴だって思うなら、笑ってくれても良い。

 でも君は俺が見た中で、誰よりも輝く唯一無二の最高の相棒だった。テレビの向こうの英雄に、あのアテナにだって匹敵する俺の、俺だけの原石なんだ。それを、あの一瞬、君が自由に空を駆ける姿を見て確信した。


 ーーだから確証を持って言う。俺はきっと君となら、誰よりも特別な人間になれる」



 戦闘で見せた彼女の光に呑まれるように、俺は虜にさせられていたから。


 この才能を俺が輝かせる。

 誰にも渡さない。こいつは俺へと与えられたチャンスだ。


 彼女は誰よりも凄くなるだろう。

 そして、その横に立つのは俺でありたい。所有者である、俺でなければならない。


 

 俺が最初に手にした相棒。



ーーリリィ、お前が弱いと言うなら、誰よりも強くしてやる。

 


 それが俺の、使役師としての役目だと思うから。



「あ、あはは……言いながら相当照れてるじゃないですか。全く、都合の良い人ですね。自覚してます? やっぱり貴方、相当変なマスターですよ?」

「そうか?」


 皮肉めいた彼女の言葉に、俺は笑顔で返事をする。

 リリィは皮肉が通じて無いと分かったのか、大きなため息をついた。


「はぁ。そうですよ。全く、……そこまで言うなら、大切に扱ってください。私、安くないので」

「ははっ、まあ六万円だしな」

「その内お買い得どころの騒ぎじゃなくなりますよ」



 俺とリリィは友人のように軽口を叩き合う。

 彼女も釣られて、少しばかり笑みを浮かべていたように見えた。


「ね、ていうかマスターわたしは!? わたしからは何か光るものを感じなかったの!?」

「腕を治してからかな……」

「え〜!?」


 実力を測れないんだから仕方ないだろうに。

 そう思いつつ、俺はパンッと手を叩いて注目を集めた。


「よし、目的は決まったな。一先ず、俺たちの目標はこの初の異空探索を無事終えることだ。みんな、大丈夫か?」

「うん、了解!」


 ナナが元気良く返事をする。そして俺たちの視線はリリィに向かい、彼女の言葉を待った。

 自分に視線が集まったのを感じたのか、彼女は落ち着いた声で再び口を開く。



「……マスターの考えは分かりました。でも、それなら尚のこと現実的に言えばやはり撤退するべきではありませんか?

 全て命あってのこと。しっかりと準備をして確実性を高めるべきで、無理することはない筈です」



 そうだな。

 その通りだ、でも。

 


「いや、無理をさせてくれ」

「何故ですか? 何か理由が?」

「理由……か。そうだな………姉を楽させたげたいとか、生活のためってのもあるだろうけど。多分、俺負けず嫌いなんだよ。一番になりたい。誰にも見下されたくない。それに、


 きっと憧れてるんだーー」

 

 そうだ。振り絞った答えは間違ってない。


 きっかけは多分あの日ーー先生が歴史の授業であの偉人について話した時だ。小鳥遊 翔……日本が第三次世界大戦に参加するのを阻止した偉大な人物であり、俺が憧れと同時に嫉妬と競争心を抱いた人物。


 きっと、嫉妬したのは彼が「誰よりも凄い」と先生が興奮して話していたから。だから、多分俺はその先生が崇拝して居るとはいえ俺では叶わないと言ったことに嫉妬した。


 命知らずな行動だと分かっている。

 死にたいわけじゃ無い。


 ただ、何もしないで死ぬより………俺は何者かになろうとして死にたい。


 だから、憧れたんだ。

 何者かを追い求めて、何万人もの人から愛される……



「ーー使役師という夢に」



 俺は彼女を見る。

 彼女はジッと俺の話を聞いていただけだった。


 続けるように、告げる。


「リリィ、ナナ。俺は君達が何を欲しいのかは知らない。けれど、約束しよう。絶対に、どんな願いでも必ず叶えて見せる。ついて来てくれないか?」


 月並みで、俺が考えた末に出せた一番の条件だった。


 俺の我儘を、きっと彼女は許してくれると思いながら。

 口先だけの対価を約束した。


 そして彼女はゆっくりと口を開く。


「……そうですか。マスターの動機、何か違うような気もしますが……まあ構いません。願いと言われても、分からないので保留でお願いします」


 リリィはそれだけ言うと、にこやかに微笑んだ。

 

「わたしは……」


 そこへ、ナナの声が割り込む。


 前方にいる彼女の顔は、体が前を向いているせいか見えない。

 彼女はこちらを振り返る事なく、続けて言う。


「わたしは、あるよ。お願い……」


 そして突然、彼女は振り返り、誰に視線を向けるでもなく言った。


「わたし、死にたくないんだ。例え生き返れるとしても」


 そう言い放つ死者(ナナ)の顔は、隠しきれない感情を、薄く、露わにしていた。


 恐怖、不安、切なさ。

 言葉を放つ彼女は、そのどれもが混じった表情を顔に宿している。


 会話の意図を理解できないまま、彼女の話が一言一言耳に入り込む。



 ……彼女は記憶を持たない。



 使徒が死んだ時、その使徒は異空へと吸い込まれる。そして、新たに異空のどこかで穢者に戻り、新たな人間に倒され、次のマスターとするまで待ち続けるのだ。



 肉体と性格は同じだが、自身を形作る記憶は消える。

 穢者の死は、人間の死とは異なる。故に、人は使徒を使い捨てに殺す事も厭わない。


 だが。

 使徒だって、死にたくないと、自分を失いたくないと、思う事だってある。



 もしかしたら、彼女も……。


「ナナーー君の願いは?」


 俺はナナにそう問いかけた。


 彼女の目はこちらを見て、後ろめたさと不安を目に宿しながら、しかし……一呼吸おいてナナは告げた。


「ごめんマスター、わたし、まだ何もできてない。でも、マスターが叶えてくれるなら。わたしはーー本物の人間になりたい……変かな?」


 強く決心したような、彼女の瞳に俺は息を呑む。

 けれど意外に思えど、否定する気持ちはひとつも湧かなかった。


 俺はまっすぐ目を捉えて、冷静に答える。


「……いや。変じゃない……よ。でも、分かっているのか? 使徒を『人間』へ変えるには十九等級の使徒まで昇華しないといけない。十九等級の使徒は遠いぞ? それこそ化け物みたいな使徒ばかりだ。ーーきっと途方もない長い時間がかかる」


 ナナが真剣な目で俺を見つめた。


「うん。分かってる。でも……約束して、マスター。わたしはあなたの夢を叶える。……あなたはいつか、その時が来たらわたしを人間にしてくれる?」


 本気なのが分かった。きっと長い道のりになる。

  

 十九等級の使徒をわざわざ人間にして無価値に変えるだなんて、普通のマスターはしないだろう。十九等級の使徒の価値は何億、何十億円よりも重い。



 けれど。

 もし、彼女が俺の夢を叶えてくれると言うなら。



「……分かった。約束だ」


 俺がそう答えると、彼女は薄く満足気な表情を浮かべた。

 俺の胸に顔を埋めながら、彼女は呟く。


「やっぱりマスターって変な人だよね。ふふっ、なんだろ……ありがとうって気持ちと、嬉しいって気持ちがマスターに向いてて、すっごくマスターを離したくない。ね、もしかしてこういうのを、愛っていうのかな?……って、あ、ごめん、使徒にこんな事言われても気持ち悪いよね……」


 彼女が少し頬を赤らめながら、そう言って俺の胸元から離れるが、すぐに思い直したのか、俺へと顔を上げながら儚げな笑みを浮かべた。


「……ッ」

「えっ……」


 真っ赤な顔をして、後ろに下がる俺に、ナナは再び釣られて赤面した。

 気まずい静寂が流れるが、どうにか俺の方からそれを打ち破る。


「き、気が早くないか……?」

「そう、かも。……ほら、恋は一瞬で落ちるもの、愛は熟成されていくものっていうし」


 ナナは結果が予想外の方向に転がったせいか、少ししどろもどろになっている。


「人間に……」


 ボソッと呟いたリリィの声を拾えず、俺は何かを言った彼女に疑問符を浮かべる。


「なら、私もッ……!」


 突如として、リリィが振り絞るように叫んだ。

 彼女は今までに見せたことがないほど、苦しく切なそうな声だった。


「私も、 人間にしてくれませんか……?」


 彼女達にとって、人間になるという事はどれほどの意味を持つのだろう。

 人間として生きてきた俺には、何も分からないし、わかってあげられない。



「っ、あ、ああ……構わないぞ? 約束だ。…… 俺を世界一のマスターにしてくれ。リリィ、ナナ」


 俺の力強い言葉に、真っ先にナナが一歩踏み出してこちらを力強く瞳で捉えて、彼女は宣言する。


「……うん、約束!」

 

 俺たちはお互いに微笑みかけると、再び二人でリリィの返答を期待した。

 俺たち二人の視線がリリィへ向く。


 リリィの凛々しい顔に宿る真っ赤な瞳は、どこか上の空にも見えた。


「……ナナ、マスター」


 リリィの目がこちらを捉える。


「本気ですか?」


 彼女は俺に問いかけてくる。

 俺の覚悟を試すかのように。


「ああ本気で言っている。本気で、俺の願いも君たちの願いも叶えたい。だから、やっぱり俺はお前を信頼するよ。お前が自分でダメだって思ってても、俺たちが必ず背中を支えるから。だから、頼む……リリィ」


 リリィはため息をついた。

 その表情は見慣れた、呆れ顔の彼女の姿で。


「分かりました。飽くまでも、あまり期待はしません」

「……悪魔(デビル)だけに? 上手いこと言うな」

「茶化さないでください」

「悪い悪い」


 あくまでも期待はしない、という彼女の言葉に落胆しかけて、しかし続かれる言葉が耳を満たす。


「……でも、これだけは宣言します」


 彼女は言葉を紡ぐ。

 その顔には大輪の花を咲かせた、ぎこちなさなど感じられない、本物の笑顔があった。


「二人が期待してくれた……」



 甘美な声で、悪魔(あくま)たる彼女は囁いた。

 その目が捉える主には、信頼と絆を捧げよ、と彼女は楽しげな顔で語る。



ーー釘付けにされた視線の先で、鋭い犬歯が牙を剥いた。



 彼女がゆったりと拳を差し出して、俺の胸元にコツンと当てて。



「この私に、任せてください」



 共にこの世界に抗おう。

 


 そう語るような彼女の顔は獰猛で、惚れ込みそうなほど可憐だった。

 






||



???



「始まったね……」


 

 真っ白で出口すら見当たらない狭い部屋の中、回転椅子にもたれかかった少女が独りそう呟く。


 十三、四歳ほどの少女。その容姿は恐ろしいほど整っているが、ダボっと来たその白のTシャツは部屋着としか言いようがなく、だらしなくも見えた。



 声は少年のような高くもエッジの効いた声だが、喋り方は大人のよう。



 けれどやはり、ポテチを口にポイっと放り投げ、ポリポリと食べながら顔を嬉しそうに綻ばせるその姿は幼なげな少女のようであった。




 彼女はクルクルと回る椅子から飛び降りると、手に持っていたポテチの袋をパッと手放す。それは床に触れるよりも前に、音も立てずにどこかへと消え去った。



 裸足のまま埃一つない真っ白な床を踏みしめ、少女は部屋の中央にあるガラスケースへと歩く。


「随分と長くかかってしまった」


 箱型のガラスケースに触れ、優しく撫でる。


「にしても、ちょっとばかし彼に都合を良くしすぎたかな?」


 彼女は独り言を反省するように呟く。

 

「まあ、良いか。英雄の誕生に運の良さは付きものだしね」


 彼女が頭を振り、ガラスケースの中身へと視線を戻した。


 その中には惑星があった。

 青い星ーーそれは紛れもなく人類の故郷、地球。


 

 南極を含む五つの大陸。

 北大陸、南大陸、西大陸、東大陸。


 人類が宇宙から撮影した姿と変わらぬ、美しい星だった。


 

 ただ一点。

 その星の至る所に真っ暗な穴がなければ。


「この世界は穴だらけだ。勿論、文字通りにもね」


 少女はそう呟く。

 誰に向かって言うでもなく。


「ああそうさ、分かっているよ。これは駄作さ」

 

 少女は笑った。

 真っ白な部屋で、誰かに見られる訳でもなく。


 ただ、楽しげに笑った。


「でもそれも面白いじゃないか」


 その白Tシャツに刻まれた、『神』という文字が服をとてつもなくダサいデザインにしている。なのに、それを全て掻き消すかのような美しさが少女にはあった。


「颯真君。先に、君には謝らないとね」


 少女は悲しそうな顔をした。


 その手の先にはいつの間にか、パッと見十数本もの鎖が握りしめられている。気づけば床は鎖で埋められており、真っ白だった床は黒色の鎖で覆い隠されていた。



 少女が手を動かせば、握りしめた手のひらの中でじゃらじゃらと金属音が響いた。


 それは、鎖だった。


 床に無造作に散らばっているような古びた黒い鉄で出来た鎖ではない。それは合金で出来たとても高価に見える鎖だった。



「十二の使徒の王が世界を変えるーー今、王の力に目覚めているのはたった八体。残りの四席、楽しみだよ」


 

 少女が握った鎖を、無造作にピッと指先で弾いていく。


 八つの鎖を手放し、四つの鎖が手元に残った。それらの色は他の合金の鎖と比べ、輝きが弱い。


「さて、世界を滅ぼすんだ。人類にだって、抗える力を与えないと」


 ぐっ、と少女は四つの鎖を引っ張った。


 どこに繋がっているのかも分からないその鎖は、引っ張られてピンと少女に手応えを与える。急激に金の鎖は光を強めた。



「私だって生きていかねばならない。どうか許しておくれ。私はドロドロで汚い絵の具を好む。……この作品の値(あたい)の為だけに、私は世界を美しくするよ」




 ガラスケースの隣に、作品名が記された銀のプレートが置かれていた。




 その地球はーー不完全だ。









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