第3話 プロローグ後編


「ただいま〜」


 一足先に帰って来ていた俺は、夜遅くに帰ってきた姉さんを玄関口で迎えた。


「おかえり姉さん。ご飯作ってあるけど、いる?」


 俺がそう問いかけると、姉さんは返事を返す。


「もらう!」


 声だけは元気に返事をするが、目は閉じかけだ。相当疲労が溜まっているのか、かなり限界のように見える。


「ちょっ、大丈夫姉さん? ほら掴まって」

「うん……」


 心配になって声をかけるが、彼女は力なく返事をするだけだ。


 明らかに大丈夫ではないのは明白だが、それでも気丈に振る舞う姉さんに俺は不安を覚えて彼女を支えようと気遣う。


「ぁ……」

「えっ」


 肩を貸そうと近寄った時、姉さんは突然力が抜けたように倒れた。俺は唖然として声が出なくなるが、微かに呻く姉さんを見て頭が真っ白になる。


「ぅ……」

「姉さん!? い、一旦横になって! ていうか救急車……!」


 オロオロとする俺に、姉さんは弱々しく答えた。


「大丈夫大丈夫……。救急車は駄目……ちょっと疲れてるだけだから……」


 スマホに伸ばしていた手から力を抜いた。


 気が抜けたように、俺も段々と心も落ち着きを取り戻す。


「肩、貸すから」


 姉さんは俺に支えられながら立ち上がると、リビングへと足を進めて鞄を机の上に置いた。しかしバランスが取れなかったのか、鞄は倒れて中身が机に溢れる。


 すぐに直そうとする姉さんを止めさせた。


「それは俺がやるから。姉さんは水だけ飲んで、寝た方がいいよ。風呂は朝入れば良いから」

「でも……」

「なら、明日は休まない? 流石に最近の姉さん、疲れすぎだって」


 俺がそう助言すると姉さんは苦い顔をして、彼女を部屋に引きずる俺の袖を引っ張った。


「それは駄目だよ。明日も働かないとだし……」

「休む方が優先でしょ? 体壊したら意味ないよ」

 

 俺は明日も働く事にこだわる姉さんの意図が分からず、そう言い放つ。


「だから、駄目だって……!」


 姉さんは俺の肩から離れ、自分の力で部屋に入る。

 少し声を荒げた姉の、怒っている理由が俺は分からなかった。


「何言ってんだよ……使役師やめてからずっとそうじゃん。そんなに今の職場が嫌なら、また使役師やれば良いのに!」


 俺は自分の声が釣られて荒くなっているのを自覚した。


「その話はしないでッ……!」

「……でもッ」



 そして彼女に対する一番タブーな話題である、使役師について触れてしまって。

 言い終えてから。あ、やってしまった、という後悔が後から押し寄せる。


「……っ」


 姉さんが悲しそうな顔をして、声を詰まらせる。彼女は何かを言う事を諦めたかのように、ただガシャっとドアを閉めた。自室に鍵を閉めてしまった姉さんに、俺は拒絶の意思を受け取った。

 

 閉められたドアに背を向けた。


「だって、姉さん、このままじゃ死んじゃうじゃん……」


 辿々しい足で歩きながら、自分に対する言い訳を吐き出し、俯いたまま考え直して自覚した。


「……俺、馬鹿だな」


 そう自分に言った瞬間、ハッとした。


ーー本当に馬鹿な子


 自分を捨てた母の言葉がフラッシュバックする。

 やっぱり、俺は何も変わってない。


 居場所がない。

 学校はもちろん、もうここにすら、居場所はなかった。



「また、独りだ」



 酷い孤独感に苛まれ、泣くように言葉を溢す。


 空っぽな自分が、嫌いで嫌いで仕方がない。




 ため息を吐いて、俺はリビングに戻って中身を散らかした姉さんの鞄を片付けようとする。


 そこで沢山の付箋が貼られたとあるノートに目が止まった。

 そのノートが何の物なのかが気になり、ふと付箋が挟まった適当なページを開く。


「……これ、家計簿?」


 綺麗に並べられた数字の羅列や、綺麗な手書きの文字。

 一目でそれが家計簿だと、俺は何となく理解した。


「初めて見た……え?」


 目を通していると、俺はその内容に思わず驚いた。


 姉さんは昔使役師をやっていて、それなりに貯蓄があるのは知っていた。実際、今記されている残高も相当にある。



 けれど、問題は最近の彼女の給料の数字だった。


 思っている何倍も低く、初めて見る実際の家計に俺は戦慄する。


「どうしてこんな……?」

 

 稼ぎよりも使っている金額の方が多い。


 このままじゃ一年後には破産すると知り、俺はようやく姉さんが無理をして働いている理由に納得した。


「あーーだから、あんなに無理を……」


 罪悪感が胸を襲う。

 一番金がかかっているのは、紛れもなく学校にも行って育ち盛りな俺だった。


 多分一年後には、俺も働き始めないと二人揃って死ぬだろう。


「あれ、でも、姉さんが死んだら俺……」


 独り言が口から溢れる。


 姉さんは死にそうなほど、毎日疲労困憊で。

 いつポックリ倒れてもおかしくない。


ーー俺、姉さんが死んだらどうやって生きてくんだ?


 将来の事なんて何も考えてない。働けるのかどうかすら分からない。家の借り方は? 履歴書の書き方は? 税金は? 生活保護は受けられるのか?


 分からない。分からない。分からない。



 姉さんが死んだら、俺も飢えて死ぬんだ。



 急に恐怖が俺を支配した。


「あ……」


 死ぬ。

 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。


 だって俺はただ堕落的に生きていて。こんな俺が働けるはずもなくて。そんな自信もなくて。姉さんの負担になるだけで、きっと迷惑ばかりをかけたまま、死ぬ。



「なんだ……」


 姉さんの心配など最早眼中になく。

 自分が死ぬ恐怖だけが脈を速める。


「姉さんが大切とか言いながら……俺、結局、自分が可愛いのか……」


 醜い人間だ。

 ああ、本当に死んでしまえば良いのに。


 いや、そうじゃないか。俺が死ねば……。


 そしたら姉さんは楽になる。

 俺なんかを養わなくてよくなる。


 でも、姉さんは悲しむのかな。


ーー消えないで……


 昔姉さんに泣きながら言われた言葉が蘇る。


 俺が死んだら、姉さんはきっと……悲しむのだろう。


 あ、そっか。姉さん、俺が死んだら悲しんでくれるんだ。



 元々生きる理由なんてなかったんだ。誰でも良い。その人の心に傷跡を残したい。

 不意に。死への誘惑が強烈に強まった気がした。

 


 ……でも、もし。

 姉さんが、俺がいなくなってくれて楽になった、って喜んだら?


 ッーー!


「死にたくない ……!」


 そんなふうに思われたまま、死にたくない。



 脳は姉の心配ではなく、自分本意の心配で埋め尽くされる。

 


 急に世界に実感が沸いた。


 何となく生きていた俺の、細やかな日常は……こんなにも細い糸の上で綱渡りで救われ来てた……。



「死ねない……」



 どくっ



 焦りが、焦燥感が心を鳴らす。その音は遠くにあるみたいで良く聞こえなかったが、確かに心音だと分かった。


 足りない脳が必死に考える。でも、どうしようも出来ない。



 どくっ  どくっ  どくっ


 

 心音が近づく。


 まだ中学生だ。バイトは出来ない。

 じゃあ、この問題を先送りにするのか? この先の中学生活は、どう過ごせば良い?


 そもそも今から勉強して頑張って、どうにかなるのか? 良い大学を卒業して良い会社に入るまで持つのか?


 ドクッ ドクッ ドクッ ドクッ ドクッ



 鼓動がはっきりと聞こえるようになる。


 もし中学を卒業できても。

 こんな怠惰な俺が、まともに生きられるのか?



 命(しんぞう)の音が五月蝿(うるさ)い。



 只管(ひたすら)な焦燥感が心を駆け巡る。


 焦り、恐怖。


 それでも、何をすれば良いのか分からない。



 姉さん、姉さん、姉さん。

 彼女はいつまで、俺を助けてくれる?


 俺はいつまでもそこに寄生して、甘い汁を吸えると、本気で思っているのか?


 混乱からただ、立ち尽くすばかりだった。

 その時。



「あっ」



 俺はふと、視線を落とした。

 視線の先で、見慣れたはずのスマホが待機画面を写した。


 小鳥遊優彩の横顔が映る。


「使役師……」


 そうだ。


 姉さんだって昔は俺と同じだった。俺と同じ、何一つできない、失敗作だった。何一つ出来ないくせに親にだけは依存する寄生虫だった。


 でもそんな姉さんは、ある日から使役師になりたいと言い出した。

 そこから、親とも口論をするようになって。


 彼女は自分の足で歩き始めた。



ーー俺も、そうなりたい


 使役師なら、中学生でも金を稼げる。


 でも。

 使役師になるのには沢山の金がかかる。


「いや……」


 違う。

 姉さんが使役師をやっていた頃の物がたくさん残っている筈だ。


 お金にすらならないガラクタばっかりだけど処分も難しいし、とぼやきながら棚の奥にしまっていたのを俺は忘れてない。


 これならライセンスを取るだけで済む。


 ふらりと足を進めた。


 リビングの棚の奥底にしまった箱を取り出す。俺は、そこから『回復薬』や使徒を召喚する『聖遺書』を漁った。


「これが……」


 手に取った聖遺書(ぶき)が、あまりにも重く感じられる。


 勝手に持ち出したのがバレたら怒られるだろう。当然だ。無断で持っていただけでなく、姉さんと使役師を諦めるという約束まで破ったのだから。


 かろうじて残っていた理性からか、一度取ったそれを戻そうとして。


ーー貴方は何故生きるのか


 スピネル、第三の福音がふと脳に過った。


「俺が、何故生きるのか……」


 きっと今日の昼ずっと考えていたせいだろう。


 咄嗟に湧き出た問いに、俺は答えられない。


ーー悩まず、焦燥感に怯えないのは楽だ。


 スピネルの福音は続く。貴方は何故生きるのか。


 冒頭部分の続きである、『悩まず、焦燥感に怯えないのは楽だ』という詞が自然と頭に湧き上がる。


 ……そもそも、姉さんは使役師には反対なのだ。使役師を辞める時に全てを失い、悲しみに暮れていたのは俺だって見てきた。


 やめてしまおう。


 そんな決意を固める。


 なのに。


「俺は……生きる理由がないのが怖い。そういう、焦燥感を消してしまいたい」


ーーでもその瞬間、貴方は死ぬだろう。

 

 俺は今、楽を得ようとしている。

 この焦燥感から逃げようとしている。


 ……勝手に盗ったのがバレたら、きっと姉さんは叱りつける。

 それから、彼女の事だから俺を笑って許すのだろう。とても苦しそうな顔をしながら。


 分かっている。そんな顔はさせたくない。

 でも。……それでもッ!!


「嫌だ……」

 

ーー仮初の答えで満足したなら、必ず。


「俺は確かに死んでた。けど、それで終わりなんかじゃない」


 幻聴だろうか。水の音が耳の奥で聞こえる。

 ゴボゴボと泡が水面に浮かび上がる。


 視線を地面に落とした。

 足が震えている。生まれ落ちたばかりの小鹿のように、酷くフラフラとしている。


「……また、生まれ直せば良い」


 踏んでいた地面の感覚すら、俺は意識した事がなかった。


 けれど、今は全てが鮮明だ。世界が違って見える。足が抱える自分自身の重さが、酷く新鮮に感じられた。


「だってスピネルは……そういう女神じゃないか」


 俺は多分、その意味を履き違えていたんだろう。


 だって、神(スピネル)は考え続けるものを好む。一度定義して確定させた答えさえ、疑ってみせろと言い捨てるだろう。


 だから俺は宣言するのだ。


「……姉さん、ごめん。……俺、使役師になるよ」


 この焦燥感を止める術が、他に見つからないから。



 五月二日。

 その日、俺は使役師として挑戦する事を決意した。



||


”貴方は何故(なにゆえ)生きるのか。悩まず、焦燥感に怯えないのは楽だ。

でもその瞬間、貴方は死ぬだろう。仮初の答えで満足したなら、必ず。”


ーー神(スピネル)、第三の福音より


||




 そして時は五月の下旬ごろ。

 


 その日はまだ夏ではないのに、茹(う)だるような暑さが陽の光から伝わってくるような、そんな日だった。



 けれど、異空の中では全く関係ない。



 使役師のライセンスを取得し、十五歳の誕生日当日に俺は第五等級の使役師として異空を探索する資格を得た。


 等級というのはその数字が多ければ多いほど強く、最大で二十まである。


 なお、第五等級が一番最初の等級なのは、単に穢者の等級付けと合わせているからだそうだ。第一等級から第四等級の使役師は存在しない。




 コツコツ貯金してきた金、十万円を追加資金にして俺は使役師になる準備をした。

 バイトすらできない年齢からすれば、なけなしの金だ。



 そしてその資金でもう一体四等級使徒を購入し、俺は今異空の中に足を踏み入れている。




 目的は『対異空高校』に入学する為。

 そこへの過程で人生を変えて、名声と注目の全てを受け取ること。




 辺りを見渡せば雪一面の景色と、この少し開けた場所を囲むように生えた林が目に入った。


 雲ひとつないのに、どこからか降ってきた雪が頭に降り積もる。辺りは恐ろしく無音で、動物の気配の一つもないような世界。肺に入る空気は今まで吸った事のない様な匂いがし、寒波に耐える木々のどれもが見たことの無い種である。



「ここがーー異空」


 世界のどこかにありそうな、果てしなく美しい雪原の光景だ。

 

 それでも血のような紅色の非現実的な太陽と紫色に染まった空が。煌めく白雪を、赤く染めるその日差しだけが。


 ここを地球とは違う、異空なのだと……そうはっきりと認識させた。


「さて……どんな子が来るのか……」


 雪がしんしんと降る中、少々薄着なことを後悔するほど寒い気温に、思わず俺はぶるっと体を震わせた。


「まあ、使徒なんて誰が来てもみんな機械的らしいし」


 独り言もここでは誰にも聞こえることは無い。


 寒さに耐えながらも、首に下げた神(スピネル)の呪文鍵(シンボル)ーー紅水晶と黄金の鉄鎖のネックレスで己の使徒達を呼び出し、話しかける為に近づく。


 穢者は本来危険なのだが、穢れを祓い使徒とすれば俺たち人間に従順な存在になる。なので、恐れる必要はない。



 雪の上を踏みしめ、俺は自分の使徒の二体と相対する。



 姉さんが残した使徒と、俺が購入した使徒。



 片方は同年代程度の少女で、髪色は暗い紫色だ。赤色の瞳が目立ち、首元にかけられているのは真っ黒な鎖だ。俺の持っている金色の綺麗な鎖とは対照的である。


 こちらは俺が購入した使徒で、種族は悪魔(デビル)だ。





 もう片方は少し年上だろうか。人間で言うと十六、十七くらいの容姿をしていて、背中まで伸びたボサッとした赤髪が特徴的である。服も身綺麗とはいえない。何より左腕がないのか長い左袖の先がだらんと垂れ下がっていて空洞だ。彼女も同様に黒の鎖を首飾りとして掛けている。


 背丈や年齢は年上なのに、どことなくメルヘンチックな幼なげな少女に見える。姉さんの備品から見つかった使徒で、種族は死者(ゾンビ)。




 初見の印象としては二人ともかなり整った容姿をしている。まあ、人型の使徒……というか、穢者は大抵容姿が整って居るので特に特筆すべき点ではない。



 距離を測りながら、召喚した自分の使徒達に恐る恐る近づいた。


 

 使徒は新たなマスターに引き継がれる時、記憶を全て失う。姉さんが残したゾンビも所有権が失われていたので、リセットだ。



 白紙の彼女らに、俺は自分が彼女らのマスターなのだ、という意思を持って話しかけた。



「えっと、よろしく。君達が俺の使徒かな?」

「……はい」



 先に返事をしたのは、悪魔(デビル)の方だ。


 全ての感情を剥がしたかのような顔だ。ただ決まった顔を映す彫刻のようで、酷く不気味にも……そして自然的にも見える。



 しかし使徒にとって感情は邪魔だ。命をかけて戦えと命じるのだから、心は死んでいた方が良い。



 期待通りの無感情な返事を見て、俺は特に違和感を覚える事もなく、聞いていた通りの普通の使徒の様子だな、と気にも留めない。



 そして次いで死者(ゾンビ)の方に視線を向けた時、彼女は私の番かな、と言わんばかりに顔に喜色を宿してから、元気良く返事をした。


「うん! よろしくね、マスター!」


 その返答に、俺は思わず固まった。


「……え?」


 驚いた声をこぼしてしまう。

 

 デビルの方は、無機質で感情を含まない声だった。

 

 しかし、ゾンビの方は笑顔で活発に満ち溢れた声で返事をしている。


 なんだ? と疑問に思う。何せ、聞いていた使徒のイメージと違う。使徒に感情はないはず。いやあったとしても感情を殺すが故に使徒なのだし、だからこそ素直に人間の命令に従える。


 片方の使徒は聞いていてた使徒像と会っているのだが、もう片方はまるで人間みたいだ、と率直に思った。


「マスター、驚きすぎ!」

「あ、いや、え……。ごめん、ちょっと聞いてた情報と違ったから……」


 ゾンビが俺のポカン、としたリアクションを笑う。俺が答えると、隣のデビルが可愛い顔に似合わない無表情で、凛々しく同意の言葉を投げてくる。

 

「そりゃあ貴方……驚きますよ」


 デビルにそう言われ、ゾンビはしょぼんとした顔をする。どこまでも彫刻的な綺麗で動かぬ表情のデビルと、対比するように向日葵のような可憐で多彩な笑顔を咲かすゾンビ。


 俺が強い混乱を覚えていると、ゾンビがマスターである俺に恐る恐る質問を投げた。


「マスターは、人間みたいなわたしの事怒らないの?」

「怒る? いや、支障がない限りは気にしないから別に……」


 俺は彼女の疑問に正直に答える。


 戦闘に支障が出ない限りは良いし、元々姉さんが売らずに残していた使徒だったからあまり期待はしていなかった。


「そっか!」


 すると、少し怯えるように質問していたゾンビが嬉しそうに笑った。その表情を見てやっぱり変わった使徒だと思う。


 期待していなかったから気にしてない、とは言い出せそうになかった。


「まあ、確かに使徒は全員デビルみたいのだって聞いてたから驚いてはいるけど」


 というか、ゾンビの方が自然な表情を見せる分、むしろデビルの方が不気味に見えて来たので、こんな短時間でもう末期症状が出ている。


「……わたしもデビルちゃんみたいにした方がいい?」

「驚いたけど、今の方が話しやすいし。そっちの方が俺は好きかな……だからそのままでいてくれないかな?」

「……うん、ありがと!」


 俺が気を使ってそういうと、ゾンビはニコッとはにかむように照れ臭く笑った。

 可愛らしい笑顔だった。


「………」


 そうしていると、反対に無表情だったデビルの表情が少し動いた。あまり表情は変わってない筈なのに、こちらを見る目ジト目はどことなく不満気に見える。


 俺は彼女の視線に気づいて、それとなくフォローを入れる。


「いや、デビルの態度が不満な訳じゃないぞ? ……ていうか、ほら、今はちょっと表情作れてるぞ。ちゃんと感情が伝わったし」

「そう、ですか」


 表情筋の微かな変化が見えて、俺は指摘する。


「ね、デビルちゃんもわたしみたいにやってみようよ!」

「え……」


 ゾンビの援護に、デビルが少したじろいだ。

 相変わらずほぼ無表情のまま、本当にやるのか、とでも言いたげな視線を送ってくる。


 俺は少し申し訳なさを覚えた。どうしてゾンビがこんなに表情豊かなのかは分からないが、使徒は感情を殺しているというし、その点で言えばゾンビは完全にイレギュラーだ。


 デビルは完全に普通の使徒だ。感情が分からない筈の彼女に、無理に感情を演じながら表情を作れ、というのは大変だろう。


「悪い、デビル。……できれば頑張ってみないか? それっぽい演技でいいからさ」


 俺は意を決して彼女にそう言ってみると、彼女は俺を見ながらため息を吐いて目を閉じた。

 すると意を決したのか、彼女は目を細め、口角を下げて俺にジト目を向ける。


「はぁ……」


 シンプルな演技である。

 だが、それ故に彼女の感情表現はとても理解しやすい。


「あははっ、デビルちゃん上手!」

「……意外と演技派だな。でも出来れば次は呆れ顔じゃなくて、笑顔がいいかな〜………なんて」


 インプは呆れた顔のまま、再び表情をリセットする。

 そして俺を見て、目を閉じた。


「……ごめん、今のセリフ恥ずかしかったから忘れて」


 呆れられた事に若干のショックを受けつつ、そう言いながら彼女を待つ。


 するとデビルは何を言うでもなく目を開いた。


「全く、仕方ありませんね…………ふふっ」


 その瞬間。少し不器用ながらも、花のような笑顔で微笑んだ彼女を見て。

 

 使徒でしか無い彼女は、まるで人間のような顔で。


「っ」

 

 相手が使徒である事すら忘れて。


 使徒らしく整った顔立ちで向けられた笑みを、そのぎこちなく作った彼女の精一杯の笑顔を。俺はとても、可愛らしいと思ってしまった。


「かわ……」

「……?」


 思わず声に出てしまって、俺は我に帰った。


 同時に猛烈な反省が頭を襲い、羞恥心を覚えながら悟られないように口を塞ぐ。


「悪い、何でもない」

「……そうですか」


 

 目を逸らしたデビルはそう言いつつ、存外こちらをチラチラと見つつ少し気にしているような仕草を見せていて。



 そんな俺たちの様子を見て、ゾンビはケラケラと笑っていた。





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