第2話 プロローグ中編



 外へ出ると、友人の斎藤らが待っていた。

 丁度昼ご飯へ出かける所だったらしく、俺を待っていたらしい。


 俺が合流して五人で食堂へと歩き始めると、斎藤が俺に話しかけてきた。


「なー、相沢! お前昨日の夜廻(やかい)組の現地映像見たか?」

「見た見た」


 斎藤に話しかけられ、俺は相槌を返す。


「凄かったよなー。やっぱ、憧れるわ『使役師』って」 

「……そうだな」


 彼が言う『使役師』とは五十年前に『異空』が現れ、神である『スピネル』の存在が明らかになってから誕生した職業だ。


「ま、俺らには無理なんだろうけど」


 怪物達が潜む『異空』に行き、『使徒』を操って探索する様子から『使役師』と名付けられた。


 最初は気味悪がられていたが、今では斎藤らが触れていたように、異空災害にて真っ先に助けに行ってくれるヒーローである。




 使役師、か。

 昔、目指してた頃もあったんだけどな……。



 彼らは俺の姉が『使役師』をやっていた事を知らない。

 そしてそんな姉に憧れた俺が『使役師』を目指していた事もだ。


 俺は諦めを含んだ斎藤の言葉を否定したくなる気持ちを飲み込み、相槌を返した。


「……だよな。ほら、早く昼飯行こうぜ」

「オ〜ライ」


 俺たちは歩きながら会話を交わす。俺は移動中、斎藤に話しかけていたが、俺が若干気まずくなったので早々に話題を切り上げていた。


「藤井。お前昨日のアウスタの投稿、あれなんだよ」

「げっ、見てたのか?」

「流れてきたんだよ! きしょすぎだろー」

「きしょくねぇだろ……!」


 彼らは互いにつつき合い、無邪気に戯れあっている。俺は巻き込まれるまい、と一歩見守るように距離を取った。


 若い世代を中心に流行っているSNSは多岐に渡る。俺はアウトスタグラムことアウスタには興味こそあれど、避けるようにしていた。


 にしても男五人、全くと言っていいほど女っ気がない。


「そういや相沢はSNSやってないんだっけ?」


 一人スマホを見ていると、話題に巻き込まれてしまう。


「ん、あぁ」


 急に話しかけられ、俺は画面を素早くスワイプする。別に見られて困るような物は見てないが、何を見ているのか知られるのが嫌だった。


「何見てたんだ?」

「覗くな馬鹿」


 冷や汗を流しながら、笑って誤魔化す。

 その際にスマホの角度を変え、チラリとホーム画面を見せて疑惑を解いておく。


「エロいやつ?」

「オタ趣味だろ」


 随分と好き勝手に言ってくれる。


「違うって」


 俺は短く答えて会話から消える。すると既にみんなの視線は俺にはなく、ほっと安心しながら俺はスマホの電源を落とした。

 


 俺の前を並んで歩く四人の、一応は友人と呼べる男子生徒達。

 一歩引いて歩きながら、俺は彼らの会話に混ざらない。


「お、相沢! よっす」


 そうして歩いていると、隣のクラスの知り合い達とすれ違った。手を伸ばし、ハイタッチを求めてきたので素直に「よっ」と貼り付けた笑顔で返す。


「なあ、武藤見なかったか?」


 短くそう聞かれる。

 名前は確か紺野だったか。俺はこの男の要件を端的に話してくれる部分が嫌いではない。


「悪い、見てないな」

「そっか。全くアイツ……サンキュな相沢!」

 

 しかし彼が去ると、一歩を踏み出すと共に俺は呆気なく彼を脳から消した。

 一歩踏み出せば先ほどの記憶は曖昧になる。


 先ほども言ったように、別に彼が嫌いなわけでは無い。


 ただ本質的には彼と関わりたく無いだけだ。お互い無関心でいたい。

 そんな孤独な考えが、勝手に彼を脳のリソースの無駄だと排除する。


 矛盾している。分かっている。


 仲良くしている癖に、踏み込まれるのを恐れている。

 それは逆も然りだ。俺は人に踏み込む事を恐れている。


 俺は自分が嫌いだ。


 こんな自分が、変わることなく時間切れまでこの世界を同じように生き続ける。そう考えるだけで堪らなく嫌になってしまう。


「今の一組か? 相沢って友達多いよな」


 気になっていたのか、斎藤が俺に聞いてきたので簡素に答える。


「……まあ」


 彼らは別に友達じゃないーーそう口に出そうとして俺は留まった。

 俺にとっては、ただの知り合いで話し相手。だから、友達じゃない。


 そんな言葉はきっと、目の前の彼らにも当てはまったから。


「悪い、先行っててくれ」

「……? おう、分かった」

「トイレか?」


 茶化してくる斎藤と藤井に短く答える。


「そうだよ」


 そんな素っ気ない返事に彼らも興味をなくしたようだ。


 彼らをおいて、俺は反対方向に向かった。そして人気(ひとけ)のない場所で壁にもたれかかる。



 静かな場所だった。


 今はもう使われなくなった閉鎖された第二体育館に繋がる廊下。少しひんやりしていて、かつ滅多に人がこない場所だ。



「ーー落ち着く」


 小さく口に出した瞬間、近くの壁に反響し自分に帰ってくるその言葉が、酷く耳に沁みた気がした。


 言葉にして分かった。

 これが俺の本心だ。結局一人が一番落ち着く。



 たくさんの負い目を抱えながら、人と関わる事がこんなにも辛い。

 それはきっと常人には理解できない感覚だろうけど。


 

 それでも親に捨てられて、たくさんの失敗を重ねて来た俺は孤独だけが友達だった。



 この孤独が寂しくも、心地良い。



 ……きっと本当は、俺に友人なんていない。



「学校辞めたいなぁ……」


 目を閉じ、言いながら思う。きっと本質はそこにはない。


 俺は社会の中にいるのが嫌で。みんなと違って世界に上手く馴染めない。

 だから社会から逃げたいのだと。


 けれど、すぐに考えをかき消した。


「いやいや……学校辞めてどうやって生きていくんだか」


 俺は学校に通っている理由が分からない。


 けれど、学校に通いたくない理由をようやく自覚した。

 

 ……どうして集団行動に向かないくせに、自分を歪めてまで炙れないように縋るようになったんだろう。昔はもっと自由だった気がする。


 目の前の風景が、脳に映らない。

 思考の波が、身体に浮遊感を与える。


「……いつからだっけ」


 俺っていうパズルピースはいつの間に、自分にしかなかった形を他に合うピースにする為に形を整えられたんだっけ。


 どうして、俺だけが我慢するようになったんだ?


 でも、だってそうだろう?

 異端者は普通に生きろと強制されるのが、正しいんだ。

 

 間違ってなかったよな?

 これが賢い選択で、大人になるって事だったんだよな?


 もう少し、短絡的だったら。


「いつから、こんなに苦しいんだっけ」


 今、こんなに苦しくないのかな?


「あっ」


 ポケットから取り出そうとした携帯端末を危うく落としかけ、空中で拾う。すると自然とその落としかけた物体に目を落とすことになる。振動で揺れたスマホは、電源が付いて待ち受けが表示されていた。


 美しい長髪の少女だった。初めて知った当時の幼い俺に取って女性だったが、今はもう違う。その事実に少しだけ寂しさを覚えた。



 小鳥遊(たかなし) 優彩(ゆさ)。

 昔、彼女の名前すら知らなかった俺がテレビ越しに憧れた女性。



 大きくなってようやく名前と顔を知った彼女の表情を、久しぶりに直視した。



 その写真は海辺でカメラとは目を合わせず、どこか遠くを見ている彼女の姿を写した一枚だった。


「っ」


 美しく写っている彼女に、悔しさからか、情欲からか、頬が熱くなるのが分かる。


 俺が幼かった頃に心を奪われたその表情。哀しみとこの世界に対する怒りを宿した眼。でも、彼女の睨んだような表情には、反抗の意思があって。



 若い少女らしい、飽くなき世界への抵抗。



 憧れた人は昔、自分に似ていると思ったのに。あの人と同じ『使役師』になって、自由の翼を願っていたのに。いつしか地から足を離そうとしない俺だけが、この世界に対する反抗を失っていた。


 スマホを持っていた手をだらんと下げる。


「……苦っ」


 苦みと酸味の混じった唾液を無理に飲み込み、圧迫され熱を燻らせているような腹を片手で押さえた。そして耳に入る誰かの荒げた息遣いを、遅れて自分のものだと認識する。

 

 周りを見渡しても誰もいなかった事を確認すると、俺は落ち着き、息を吸って彼らの元へと戻り始めた。



 いつからあの幼い頃に抱いた夢を忘れていた?


 ちっちゃい頃は、根拠もなく歴史の教科書の偉人にだって立ち向かって超えていく気でいたのに。いつの間に、夢を追うのを辞めたのだろう。



ーー賢くなったからだ



 俺は子供だった。世界の事を何もわかっていない子供だった。あんな親でも、産んでしまった以上俺一人を育てる為の苦労を負っていたことに、俺は目を向けなかった。



ーー大人になったつもりでいた



 だから子供のような周囲が嫌いだったし、歪な俺がこの世界に馴染もうとしても、感情だけがついてこない。そんな自分が傷つかないよう、どこか周りを見下す事で自分を保っていた。



 俺は醜い家鴨(あひる)の子だった。

 そりゃ、愛されるはずもあるまい。


 

 濁流のように未練が流れ込んでくる。



 苦しみ、悲しみ、反抗。



 忘れていたんだ。俺がまだ親と暮らしていた時。何者かになりたいともがいていた時。誰かに何かを届けたい、と苦しんでいた時。今よりずっと現実と向き合っていた時。



 あの頃だ。明日食べ物が出されるかも分からなかった時。親に自分の存在価値の全てを否定され、自分を証明しようと足掻いていた日々。



 あの時は、確かに必死だった。本気で小鳥遊 優彩に憧れていた。そうすると周りなどどうでも良くなって、悪口を言われる事も他人に自分を否定されることも、世界に馴染めないことさえ。


 全部全部どうでも良くなった。

 

 あの辛かった時期が、逆に一番自分らしく生きてた。



 立ち止まった。


 誰もいない。廊下に響く空調の涼しさだけが、吸い込む度に冷気を喉を突き刺してこの世界の感触を伝えてくれていた。


「どうしてだっけ」


 どうして忘れていたんだろう。世界は今日も明日もあって。ずっと永遠に続いていく。


 窓から差し込む陽ですら俺は避けてしまう。


 俺はこのままだと何者にもなれなくて、この世界に生きる有象無象の一人として生涯を終える。世界にたった一人しかいない自分という物語の作品で、駄作を書くことになってしまう、そんなごく当たり前の焦りを。


「……そっか。忘れてたからかーー」


 目を逸らしていた? 昔はそれが嫌でたまらなかったのに。いつの間に、俺はそんな日々を受け入れていたのだろう。


 昔は生まれた意味が見出せないまま死ぬなんて、絶対に嫌で。毎晩布団の中で人生という哲学を思考しながら、明日はこうしようと決意を固めていたのに。



 ああ。

 あの頃は、忘れるはずもなかったのに。



「ーー生きる理由さえ憂慮(ゆうりょ)する苦しさを」



 ふと立ち止まって廊下を見た。


 廊下の左右に並ぶ教室、その合間に設置された手洗い場。タイルの間が汚い床。ここが俺のいる現実で、世界。



 それをしっかりと焼き付けてから、俺は食堂へと足を早めた。

 


 いつも見ていた、見慣れた現実(けしき)なのに。

 俺は、いつの間に目を背けていたのだろう。



 足を進めると廊下の壁に鏡が並ぶ見慣れた場所があった。

 普段は女子たちがダンスの練習をしていたりするが、まだ誰もいないらしい。


 足早に通り抜けようとして、気まぐれに鏡に映る己の姿を眺めた。



 ……俺が見えてる世界と、他人から見えてる世界は違うと思ってたのに


 

「ははっ」


 自分の姿を鏡に映すと、意外にもカッコ良い男子生徒が写っていて驚く。妙な気恥ずかしさからか、思わず軽い笑いが口から飛び出た。


 自分の事なんて嫌いだが、親譲りのこの容姿を褒められるのは……どうしてか内心お世辞なんじゃないか、とか疑心暗鬼になりつつも嬉しかった。



 鏡に映る自分の琥珀色の瞳を覗き込む。



 自分は他人と同じ有象無象にしか過ぎない。この目から見える世界の彩りは他の誰とも変わらない。いつの間に、そう思うようになったのだろう。



 目を細めたと同時に、そのまま瞼の重さに抗わず、視界を閉じた。



 そして世界が暗闇に沈んだ時。ぼんやりと脳に浮かび上がった自分が、ただ、人間とは違う姿をしていたような気がした。




||




「ーーという経緯で、世界に異空が出現したというのが今の通説なんですね。……では、授業を終わります」


 教室の隅。授業終わりの放課後の事。

 俺たちはロッカーから荷物を取り出すと、五人固まって集まる。


 ふと、友人の一人である藤井が最初に話題を切り出した。


「この後どうする? コンビニでも行くか?」


 要約すると買い食いでもしながら一緒に帰るか、という誘いだった。


 放課後の時間は大抵決まって何処かで遊ぼうと誘われるのだが、そう頻繁に遊びに乗れるほど俺の財布に余裕はない。


「おう、いいぞ」

「オーライ」


 しかし、友人のうちの二人……村井と田中は早々に承諾したようである。

 残された俺と斎藤は顔を見合わせた。


「相沢、どうする?」

「悪いけど、今日もパス」


 即答しながら、俺は彼らの顔色を疑う。が、彼らはいつものことか、と慣れた様子で話を続けた。


「そっか」

「なんだよ相沢、偶には来いよ」


 ぼやく友人らに、俺は軽く言い訳を返す。


「……はいはい、悪いな。今金欠なんだ」

「てかどうする? ハルのやつでも誘うか?」

「アイツはサッカー部だろ」


 俺の付き合いが悪く、プライベートを大切にする性格を知ってか、特に疑問を抱かれることもない。


「本当に悪い、そろそろ行くよ」

「気にすんなって。俺らダチだろ?」

「そうそう」


 俺が謝ってそう告げると、斎藤らを中心に全員がそう言いながら頷いた。

 ……彼らは、俺を友達だと思ってくれているのだろうか。


 分からない。


「ああ……じゃあな」


 愛想笑いを浮かべながら、俺は荷物を取って彼らに手を振ってから教室を出た。



 そういうのは俺じゃなくて、もっと良い友達を誘えばいいじゃないか。

 こんな嘘ばかりの息苦しい俺じゃなくて。



 ああアイツらはあんなに良い友達をやってくれているのに。


 どうして俺は。

 こんなにも、気持ちの悪い人間なんだろう。






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