貴方に傅いて
クォーツ
プロローグ
第1話 プロローグ前編
それは四十年前、XXXX年のとある日の事。突如として世界各地に『異空』への門が現れた。
登場直後は世界中で入場規制がされ、情報も統制されていた為、その得体の知れない門が何なのかは誰一人として知らなかった。
世間では様々な憶測が飛び交っていた中、門の存在の正体が明らかになったのは、それから一年後のの事であった。
世界が滅びかけた災害ーー『異空災害』がきっかけである。
突如として銃火器がまるで通用しない化け物共が門から溢れ出る。これまで通用してきた常識が、物理法則が、理が、何一つ通用しない。それこそが『異空災害』と呼ばれる、世界大戦に近い被害者を出した大災害であった。
後に『穢者』と呼ばれる化け物共に蹂躙され、絶望に伏した人類。しかし人々の祈りはし届き、反撃する鎖(ちから)を『神(スピネル)』に与えられた。
そこからはあっという間だった。
侵略者である『穢者』を浄化し『使徒』に反転させる鎖を与えられた我々人類は、驚くほどあっけなく平和を取り戻せた。
それからおよそ四十年。
神(スピネル)を讃えていた人々もすっかり変わり、異空や使徒を金儲けに利用するーーこれはそんな時代の話である。
||
中学三年生の春。
親と喧嘩別れをし、先んじて働いてた姉に引き取ったもらったのが去年のこと。俺は現在、姉と共に二人暮らしの生活を送っている。
朝の目覚ましに起こされて、俺の一日が始まった。
「んぐっ……っぁああ」
こじんまりとした六畳ほどの一室。窓際にある一人用の白いベッドにシーツの上。俺はクッションを抱きながら寝起きの目を擦って、デジタル時計を見た。
XXXX年、五月二日。
……八歳の頃の夢を見た。
あの頃の夢は見なくなって久しいのに、今になってまた見るとは思わなかった。
その頃の俺が良く見ていた、テレビ画面に映る女性。彼女は今から戦闘にでも赴くような装備で、奇抜な格好をしていた。
そんな彼女を見ながら、俺は確かに呟いたのだ。
『ーーああ、羨ましいなぁ』
妙に頭に残る、夢から目覚める前の最後の言葉。
「小鳥遊(たかなし) 優彩(ゆさ)、か。憧れなんて捨てたのに……懐かしい夢……」
時間を確認して、体を伸ばし眠気を覚ます。そして立ち上がりつつ、俺は視界に入るものを目に収めた。
作業用のデスク。その近くに置かれた一台のパソコンと壁に設置されたエアコン。制服が取り出しやすいようハンガーにかけてあるクローゼット。数冊の本しかおいていない小さな本棚。椅子に置かれた学生鞄。
俺はため息を吐きながら、ベッド横のスマホを拾ってポケットに放り込む。
ここは毎日繰り返される朝に映る、俺だけの景色。
この酷く殺風景で簡素な部屋が俺の一室だ。
リビングに入ると俺はササっと朝食を用意する。
テレビ横の写真立てには、先ほど夢で見たばかりの小鳥遊優彩と似たような格好をした女性ーー俺の姉さんが笑顔で笑っている。
「姉さん……」
姉さんは昔、『使役師』という職業をやっていた。
危険な職業だからか、とある大きな失敗を機に引退したらしい。今はただのフリーターだ。
朝食を片付けながら、俺は学生鞄を取って靴を履く。
「行ってきます」
元気の良い返事に、答えはない。
唯一同棲している姉は、既に仕事に出かけた後だ。
朝自宅を終え、共同住宅(アパート)を出る。電車を使いたいがそんな金銭的余裕もないので、自転車登校である。
自転車に跨って漕いでいると、街並みの景色が目に映る。ここら辺は大阪の中でも都心部からは離れた少しのんびりしたところで、街路樹が豊富だ。
ふと、自転車を漕いでいるとコンビニに設置されたとあるチラシが俺の目に映った。
『スピネル様への信仰をーースピネル教』
最近世間を騒がせている宗教団体のスピネル教だ。散々ニュースになっているせいで、俺も名前くらいは知っていた。
世界ではかつて『十字(セスト)』という宗教が信仰されていたせいで、海外諸国は神『スピネル』に対し強い拒絶を示した。
今でも海外の殆どの国では彼らに鎖の力を与えたのは『スピネル』ではなく『セスト』という認識になっている。
だが無神論者が多く、拒否反応をほぼほぼ持たなかった日本という国は国民の多くがスピネルという神を認めている。
とはいえ、信仰にまで至る人は今もごく少ない。
そういう背景もあり、過激な活動も多いこのスピネル教は何かと世間を騒がせがちなのだ。
「うわ……」
俺はそのチラシを見たことを公開する。世論のせいか、俺はスピネル教に悪印象を持っている。決して良い気はしない。
とはいえ、姉が昔使役師をやっていた程度で、神(スピネル)にも使役師にも異空にも関心のない俺は当然の如くあのチラシの存在を思考から削ぎ落とした。
片道四十分の登校を終え、すっかり汗だくになった体を不快に思う。更衣室の奥にある個室で、シャワーから湯の出ない冷たいで体を洗い流し、予備の制服に着替えた。黒色の特に珍しくもない中学制服といったデザインだ。
用事を終えると、俺はそのまま教室へと向かう。
空調は効いていないが、気温は十分に涼しかった。
「よう、相沢」
相沢ーー俺の名前である。
「……よっ斎藤」
朝の教室、ちょうど時計の針が八時を指している。丁度ホームルームも始まりそうな時間帯に、俺は話しかけられた。
机を少し引いて、俺は体ごとこちらへ歩み寄ってくる友人に顔を向ける。
軽い挨拶を交わしていると、ふと教室の反対側が静まり返った。
そして同時にがらがらっという音が聞こえて、担任の赤井先生がドアを開け教室の中に入ってきた。
「全員席につけー」
……また、つまらない一日が始まる。
そんな予感がした。
今日は四月下旬。冬が終わって完全に春になり、気温も二十度近くまで高まっている。中学三年生である俺たちも新たな学年に慣れ始めた頃だ。
ちらほらとカーディガンや上着を脱ぐ生徒達も増えて、校庭の桜の木もそろそろ花を咲かすかなというような、そんな季節。
そして俺たちが今いる教室の中。木製のつるつるとした机と、少し固く小さめな椅子。昔ながらの、昭和から変わらない、至る所にある壁の黒染みが目立つ老朽校舎。
……ここが俺のいる教室で、ここが俺の生きている現実だ。
大阪とはいえ、大阪都心六区からは少し離れた、地元感が残る町にある中学。どこにでもあるような普通の中学と言えるし、この場所この土地にしかない唯一の中学だとも言えるだろう。
「っああ」
欠伸と共に眠気が襲い、空調の聞いた部屋に反した暖かい陽射しに俺は目を細める。
片手で頭部を支えながら、俺は窓の外をぼんやりと見つめていた。青空に流れる雲と、木についた緑葉が風で揺られる様子が目に映る。授業をする先生の話を聞き流しながら、俺は暇を潰している。
ーー貴方は何故生きるのか
それは四十年前に人の前に姿を表した神、スピネルの第三の福音として記された言葉だ。
未だに日本は無宗教の人が多く、神の存在を認めても信仰まではしないのが殆どだ。相沢 颯真こと俺もその一人であったが、しかし神(スピネル)が語る言葉ーー哲学には興味を持っていた。
「……研究者によれば『変化しない生物は死と同義』であるから、という考えが現在の有力な仮説です。未だにスピネルが残した『福音』には謎が多く……」
歴史の授業中、教科書を捲りながら、そこに記されたスピネルの福音が目に入る。
==
”貴方は何故(なにゆえ)生きるのか。悩まず、焦燥感に怯えないのは楽だ。
でもその瞬間、貴方は死ぬだろう。仮初の答えで満足したなら、必ず。”
ーー神(スピネル)、第三の福音より
==
もし神(スピネル)が目の前に現れ、俺にそう問い掛ければきっと俺は答えを出せないのだろう
理由もなく生きている。学校に通っている理由すらはっきりしない。
俺は何がしたいのだろう、と自分に問いかけてみる。
けれど帰ってくる答えはいつも決まっていて。
取り敢えず、目の前の授業に集中すればいい。ただ流されるまま生きれば良いじゃないか。そんな自分の自堕落に俺は従うのだ。
「……ただ、スピネルが説いた詞(ことば)の数々の意味は、神であるスピネル本人のみぞ知るとしか言えません」
先生の言葉を聞き流す。
スピネルの福音によれば『何故生きるのか』これを考えない人間は、『死んでいるも同然だ』と、そう断罪している。
有識者曰く『変化しない生物は死と同義』であるから、と言う仮説が強いそうだが……俺よりも先生がそう言うのであれば、そうなのだろうと思う。
俺は『何故生きるのか』という言葉に答えが出せない。そんな悩みを持っている事を吐きだせる相手もいなくて。
今だってそうだ。この騒がしい教室の中でも、いつも独りでいるような感覚があった。
俺はただ、自由に似た鎖をつけられながら日々を惰性している、凡庸な中学生でしかない。
||
「では、授業を終わります」
我に帰ると、丁度歴史の授業が終わり、富野先生が教室を出たところだった。時計を見ると、いつの間にか昼休みの時間を刺している。
だからかスマホを取り出している生徒も多く、皆んな仲の良いグループ同士で集まり始めていた。
「相沢〜!」
その中で一番声量が大きくて目立つ、教室の真ん中で頓挫する男女混合グループ。そのうちの一人に俺は声をかけられた。
俺に声を掛けてきたのは、グループの男子の中で一番よく話す晴(ハル)で、俺は反射的に愛想笑いを浮かべた。
「明日みんなでカラオケ行くんだけど、相沢君も来るかい?」
彼らの中心的存在である菊池が和(にこ)やかに俺を誘う。
「相沢は普段来ないだろ? 今日来いよ〜!」
そして俺に声をかけた軽井 晴も、肩を組みながらそう言ってくる。
周りの反応を伺うと、別にどちらでも良いというような顔だ。嫌われてないのはありがたいが、行っても仲の良い相手はいないだろう。
「あ〜」
カーストが格上の子たちというだけで萎縮してしまう。話してみれば案外、誰もが普通の学生たちだと分かってるのに。
菊池君的にはこれを機に仲良くできたら良いって程度の魂胆だろう。
でも、彼らが普通の学生だからこそ。
俺は負い目を感じる。
「……悪い、俺明日はちょっと」
少し申し訳なく思いながら、俺は難色を示しながら断る。
「そっか」
「ったくよ〜」
こうして誘われるのは三度目だ。誘っても来ない、という事が認知されてくれれば自然と誘われなくなって楽になるのだろうけど。
俺は気の良い顔を貼り付けたまま、彼らから離れる。
笑顔が眩しい。
多分きっと、俺達の間には平々凡々な人間の中で分類された、ちっぽけな差しかない。
それでも。
こんな俺は彼らのようなまともな人間と関わって良いような存在じゃないのだと、そう思ってしまうのだ。
だから俺は。
孤独が良い。
春の日差しは肌寒い温度の中で寒がる人々を暖かく照らしてくれる。
でも窓から離れた位置の暗闇にいる俺たちはその温かみに触れる事はできず。
ずっと寒さに震えるしかない。
俺は歩きながら友人らとの待ち合わせ場所へ向かう。
その慣れた日陰へと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます