第8話

 三日目、午前十時。


 教室棟校舎の二階から三階への階段を、私は、音を立てないようにゆっくりと上がっていた。

「はあ…………っ」

 いつものクセで大きなため息をついてしまってから、慌てて口を閉じる。

 一旦立ち止まってから周囲を確認する。大丈夫だ。誰にも気づかれていない。気を取り直して、また慎重に進んだ。

 校舎の中は空調が完璧に行き届いていて、廊下も階段も、快適な温度がキープされている。でも、慣れない「隠密行動」の緊張感で、今の私は冷や汗が止まらなかった。着ていた爽やかなライトブルーのワンピースも、にじんだ汗のせいで襟首や背中だけ濃い青に染まってしまっていた。

 全く……どうして私が、こんなことを……。

 さっきのチャットでのやりとりを思い返すと、苦々しい表情になってしまう。

 「漆代③は誰かに殺された」。でも「密室や死体消失がある限り、それを主張出来ない」という②の自分と③の意見に対して、①からあがった「提案」。そのせいで、自分は今、こんなことをしている。

 それは……。



ハイメ①

「だったら、その『主張』を裏付ける証拠を見つければいいのよ。これが『殺人事件』で、犯人がいるというのなら。それに対抗する、探偵もいるべきだわ。犯人に気づかれないように確固たる証拠を集めて、全員の前で告発すればいいのよ」


 というものだった。

 それ自体には、私だって反対はしなかった。


ハイメ②

「なるほどね。じゃあ、これから私たち三人で、」

ハイメ③

「全員で行動するのは危険よ。絶対に目立ってしまうわ」

ハイメ①

「ええ。探偵役は、誰か一人が担当すべきでしょうね。犯人に気づかれないようにこっそり行動して、殺人の証拠を見つけるんだから」

ハイメ②

「まあ、そうね。じゃあ、それを誰が担当するかを決めないと」

ハイメ①

「じゃ、よろしくね? >②」

ハイメ③

「あなたが探偵をしている間は、他の人間には私たちが誤魔化しておいてあげるからね。 >②」

ハイメ②

「はあ?」

 なんで私が⁉


 当たり前のようにそんなことを言う自分たち二人に、キーボードを叩く力が強くなってしまった。二人の意見としては、こうだ。

 被害者の漆代③は、昨日の夜八時くらいにハイメ③の多目的室にやってきて、九時ごろに密室の中で死体となって発見された。つまり、ハイメ③は被害者に最後に会った人物で、そんな③が事件の調査をするのは、誰かに知られたときに不要な疑いをかけられてしまいそうでふさわしくない。

 なるほどね。でもそれだけなら、①だって私と同じ条件でしょう?と思ったのだけど。


ハイメ③

「①は、だってほら……ルアム『くん』、だから」

ハイメ①

「ちょっと⁉」

ハイメ②

「ああ、そうか。確かに、ルアム『くん』なんて言うやつには、まともな調査は出来ないわね」

ハイメ①

「何よ、それ⁉ 変なこと言わないでよ! 私はルアムくん」

 書き込みが、すぐに訂正される。

ハイメ①

「何よ、それ⁉ 変なこと言わないでよ! 私は漆代のことなんて、なんとも思ってないから!」

ハイメ②

「……はぁ」

ハイメ③

「……はぁ」


 結局、一番中立の立場で調査ができそうということで。

 いやいやながら、私が探偵役をする羽目になったというわけだ。


 

 それからようやく私は、漆代③の自室――教室棟三階の生徒会室に到着した。

 念の為、そこでもう一度周囲を確認する。

 校舎の東端に位置する生徒会室の前から、廊下の突き当りにハイメ③の自室の多目的室と、さっき自分が上がってきた校舎西側の階段が見える。その途中にある三年一組の教室は佐尻③、三年二組の教室は芥子川③の部屋だ。

 自分たちハイメ以外の人間は、今の時間は職員室で課題制作作業をしていることになっている。それに、どっちにしろ佐尻たちは全員、一階の一年一組の教室に移動したので、三階にはいないはず。だから、もしもここで自分が誰かに出くわすとしても、芥子川③くらいだ。今のところは、三年二組の教室に誰かがいるような気配は感じない。生徒会室に近い東側階段にも、誰かが上がってくるような物音はない。

 私は、素早く生徒会室内に入った。


 探偵として、「漆代③の死」が誰かの殺人であることを裏付ける証拠を見つける。

 そのための最初の行動として私が考えたのが、密室と死体消失が起きた場所を調べること。いわゆる、刑事ドラマで言うところの「現場百回」……生徒会室を調査することだった。

 すでに昨夜の時点で死体は消失しているし、今まで誰でも自由に出入りすることが出来た。だから、いまさら何も残っていないのかもしれないけど……それでも、まずはここを調べないわけにはいかないだろうから。



 生徒会室の入口から中に入って右側の壁には、掲示板と、室内照明のスイッチがある。分厚くて丈夫な遮光カーテンのせいで、室内は薄暗い。壁まで歩いて行って、スイッチをつけて室内を照らす。

 部屋の反対側を見ると、入口近くの壁には雑多に積み上げられたダンボール箱に可動式ホワイトボード。その向こう側、五メートルくらい先にロッカーが並んでいる。他の教室は分からないけれど、ハイメ①がいた音楽室や自分の家庭科室と比べても、かなり物が多い。校舎三階の端の部屋だし、きっと倉庫として使われているのだろう。

 室内には、やはり漆代の死体はない。彼の私物の服や画材などもなくなっている。昨日のままだ。


 まずは、昨日漆代や芥子川たちが破壊した、入口のドアを確認してみることにした。

 生徒会室に入るために外からふっとばした直後は、入口の近くに転がっていた。でも今は、照明スイッチ近くの壁に立てかけられている。それは、この校舎の他の教室に使われているのと同じ、金属製の引き戸だ。ただ、他の教室の入口は引き戸が二枚になっていて左右どちらでも開けられるのに対して、この生徒会室の引き戸は一枚だけ。片方は壁で、取り外すことは出来ないような作りになっていた。この部屋の隣が屋上に通じる上り階段になっている関係で、部屋の大きさが他の教室と比べて半分程度しかないから、それで充分ということなのかもしれない。男性陣の体当たりによって、今は全体的に大きく凹んでいた。

 ちょうど目線の位置あたりに、小さな四角形のすりガラスがはまっている。漆代②が中を覗いたという、ヒビと穴らしきものもあった。

 確か、ここを予約した雑用係の芥子川が事前に送りつけてきた施設の資料にも、この穴のことは書いてあった。つまり、誰かが後からつけたわけではなく、私たちがくる前からあったものということだ。


 戸の、もともと部屋の内側に向いていた面の、手をかける引き手の上部分には、ひねってロックを開閉できるサムターンがある。反対側の、廊下側に向けていた面は、キーを使って開閉できるシリンダー錠になっている。それも、この校舎にある他の教室と同じだ。

 その錠は、ロック構造がひしゃげるように壊れていた。断言は出来ないけど、「ロックされていた状態から力づくで動かしたときの壊れ方」に見える。これを偽装するのはかなり難しいだろう。

 つまり、「破壊されたとき、この引き戸には確かに鍵がかかっていた」と考えてよさそうだ。

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