第7話
「え……」
ハイメは、ノックの音がした入口のほうに振り返る。入口のドアは、すりガラスがはまっている金属製の引き戸だ。リフォームの際に統一されたらしく、校舎棟の教室は全てこのタイプらしい。すりガラスの向こう側で人影が動くのが見える。背の高いシルエットから、その人物のだいたいの想像もついた。
……何なの? 用があるなら、チャットで言えばいいのに。
自分が用意したLAN内のチャットシステムは、PCだけでなくスマホでも使えるようにしていて、使い方も含めて全員に共有してある。実際、今日もルアムはちょくちょく意味のないダイレクトメッセージを、ハイメに対して送ってきていた――それも①②③からほぼ同じようなタイミングで同じような内容がくるので、ハイメはもう彼ら三人をまとめてブロックしようかと思っていたくらいだ。
ハイメは、自分が新しいダイレクトメッセージを受信していることに気づいた。
ルアム①
「ごめん、ちょっとハイメちゃんに話したいことがあって……今からそっちに行っても、いいかな?」
ああ……。一応、チャットでは言ってたのね……。
まだブロックはしていなかったので、単純に気づかなかったのだ。今さらこのメッセージに返信して拒否しても、もう本人がそこまで来てしまっているので意味はない。仕方なく、席から立ち上がって入口に向かう。
あと少し経ったら寝間着に着替えてしまおうと思っていたので、そういう意味ではまだ良かった。今はまだ、今朝職員室に行ったときと同じ格好――キャミソールにロングスカート姿だったから。
引き戸のサムターン錠を回してロックを外し、「彼」と対面した。
「ご、ごめん突然……。メッセ送ったんだけど、既読つかなかったからさ……」
気まずそうに、片手で頭をかいている漆代ルアム。
部屋着なのか、グレーTシャツにハーフパンツというラフな格好。背筋を丸め、自分のトレードマークの一つでもある高長身を台無しにしているのは、突然の訪問に対する「申し訳無さ」を表現しているのかもしれない。そんな姿勢だと、モデル体型で背の高いハイメのほうが、彼を見下すような状態になる。
彼の頭に冷酷な視線を向けたまま、ハイメは尋ねた。
「用件は?」
「あ、うん……え、と……」
顔を赤らめて、気まずそうに口ごもるルアム。
「な、なんかさ……今って、すげえ変なことになっちゃってるよね? 自分が三人になるとか……異常だよ。ありえないよ。……でもマナオとか、ミエ……佐尻さんとか。あ、あと、他の二人の俺とか……。みんな、なんかサラッと受け入れちゃったみたいでさ……」
「……」
要領を得ない言葉だ。ハイメは、少しイラつき始める。
「い、いや、俺も……朝はついイキって、カッコつけてたけどさ……。やっぱさ、こんなの普通じゃないよな? う、うん、普通じゃないよ……。そ、それが、今になって、実感湧いてきたっていうか……」
「で? 用件は?」
ハイメは、もう一度同じ言葉を繰り返す。
「……う、うん」
ルアムはそれを受けて、勇気を振り絞るように一度うなづく。そして、しっかりとハイメの目を見つめながら、言った。
「俺……ハイメちゃんの力になりたいんだ。こんなおかしい状況で、ハイメちゃんも、不安なんじゃないかなって、思って……。もしも、不安に思っていることがあるなら……俺が守ってあげたい、って……」
「……はあ?」
そこで、ハイメは気づいた。
ルアムの体が、わずかに震えている。不安か、それとも緊張か。いや……きっと、その両方だろう。今の彼は、自分の本心を話しているのだと、ハイメは感じた。
「だ、だから、さっきから何が言いたいのよ? と、というか、ずっと言おうと思ってたんだけど、私は……」
「……うん、知ってるよ」
覚悟を決めてやってきたらしいルアムには、迷いはないようだった。
「ハイメちゃんが、デザイン科の
「な、なんで……そんなことを……」
「だって俺……ハイメちゃんのこと、好きだから。ずっと前から」
「……」
それから彼は、自分がどれだけハイメを好きなのか、を語った。
大学に入学してすぐにハイメに一目惚れしたこと。それ以来、見かけるたびにずっと気になってしまっていたこと。今では外見よりも、その性格や内面に惹かれていること。他の女の子に告白されたことも何度かあったが、ハイメのことが諦められなくて断ってきたこと。
今回の課題も、いろんな人にお願いして、ようやくハイメと同じグループになったということを。
「……」
瞬き一つせずにこちらを見つめている、濁りのない澄んだ瞳。嘘や見栄なんかない、自分の真実の気持ちを伝えているとしか思えない、誠実な表情。
そのときのルアムの姿は、ハイメには、そう見えた。
「別に、俺と付き合ってくれとか、そんなこと言ってるんじゃないよ。そんな可能性ないってことは、分かってる。だけどさ……こんなヤバい状況でも、ハイメちゃんは大丈夫だってことだけは……。これからどんなことが起きても、ハイメちゃんには俺っていう味方がいる、ってことは……知ってほしかったんだ。それくらいならいいかな、って……」
照れるように、頬を指でかくルアム。
「だ、だってさ……今ここには、ユウジはいないんだから。いくらハイメちゃんがあいつのことを好きでも……今は、あいつに頼ることはできなんだからさ。だったら……この合宿の間くらいは、あいつの代わりに俺がハイメちゃんを守らせてよ」
そう言って彼は、いたずらっぽくウインクしてから、
「それだけ、言いたかっただけだから……それじゃ、ね?」
ハイメに背中を向けた。
「……」
正直なところ、彼が自分を好いているということは、とっくに分かっていた。あまりに分かり易すぎて、もはや周知の事実と言ってもいいくらいだった。
でも、そんな気持ちを、勇気を出してストレートに伝えてくれたこと。可能性がないと分かっていても、諦めずに自分の気持に正直にいられること。それは、純粋にすごいと思った。プライドが高いだけでいくじなしの自分には、とても出来ないことだ。ハイメはそれに、憧れのようなものさえ、感じ始めていた。
最初思っていた「ただのチャラい男」という第一印象は、間違いだったのかもしれない。本当の彼は、もっと誠実で、しっかりした芯を持った人なのかもしれない。そう思うようになっていた。
「あ、あの……」
誠実な彼に、自分も誠実さで返さなくてはいけないような気がして。去りゆくルアムの背中に声をかける。
「漆代、さんっ」
思ったよりも大きな声が出てしまって、自分で驚く。
「え、えと……あの……」
それを誤魔化すために、続けて何かを言おうと思ったが、何を言っていいのか分からない。他人と接することに慣れてなく、自分の気持ちを誰かに伝える機会も少なかったハイメには、次の言葉が出てこなかった。
そんなふうに戸惑っているハイメに、
「はは……」
と優しい微笑みを浮かべるルアム。それから彼は、背中を向けたまま頭だけを動かして、
「よかったらさ……次は『漆代』じゃなくて、名前で呼んでほしいな」
と、爽やかな笑顔を向けた。
「……っ」
ハイメはそれに、一瞬躊躇するような態度を見せてから、勢いに任せて、
「あ、ありがとう……ルアム……くん」
とだけ、何とか返した。
「え……」
ハイメにそんなことを言ってもらえるとは、思っていなかったのだろう。驚いたように目を見開いたルアムは、
「……うん! じゃ、おやすみ! また明日!」
とだけ言うと、一階の廊下の突き当りの美術室に向かって、スキップでもするように軽やかに歩き出す。さらに、その途中で両手をグーの形にして、「っしゃあ!」と叫んで、溢れ出す喜びを表現していた。
「……ふふ」
そんな、「好きな子に一歩近づくことができた男子中学生」のようなルアムの姿に、ハイメは思わず笑みをこぼしてしまう。そして、彼に気を許し始めている今の自分に、自分自身で驚いてしまうのだった。
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