第5話

 さっきハイメが「他の二人」と話していた間に、マナオやミエリたちも「二人の自分たち」と会話をして、今の状況を理解したらしい。今自分たちの目の前にいるのが、紛れもない自分自身であるということ……つまり、「自分が三人に増えた」という、あまりにも異常な状況を。


 職員室の大きな黒板の前に並んでいる三人のマナオが、まるで小学生の学芸会のように、一人ずつ順番に喋りだした。

「ど、どうやら、ここにいる三人のボクたちは……見た目だけでなく、記憶さえも同じのようですぅ……。ずっと過去の、子供のころから、昨日、校舎一階の教室で眠りにつくまで……。全く同じ記憶を、ボクたち全員が持っていましたぁ……」

 と言ったのは、ピンクの衣装にハート型の髪飾りをつけたツインテール美少女キャラが描かれたTシャツのマナオ。

「ここにいる三人の芥子川マナオは、全員が『昨日、みなさんと一緒にこの廃校にやってきた』……。『車酔いして漆代さんの車で吐いてしまった』り、『四人で夜にBBQをした』りして……『校舎棟一階の一年二組の教室で眠りについた』……そういう記憶を持っていましたぁ……」

 これは、青いポニーテール美少女Tシャツのマナオだ。

「つ、つまりぃ……昨日までの記憶は三人とも全く同じ……。昨日までは、この三人は確かに一人だったのですぅ……。な、なのにぃ、今日の朝になって『それが三人に分裂した』のですぅ……し、しかもぉ……」

 オレンジを基調としたショートカット美少女Tシャツのマナオがそう言う。

 見分けがつくようになのか、いつの間にか三人のマナオたちは服を着替えていた。誰に対してか分からないその気遣いや、Tシャツのデザインを「同じアニメの主要キャラ」で統一していそうなところが、妙に腹立たしかった。


 それから、そのマナオたちは三人でお互いに目配せする。そして、さっきと同じ順番で、一層作り物めいたわざとらしい口調で続けた。

「ボ、ボクは今朝……昨日眠りについた場所と同じ、『校舎一階の一年二組の教室』で目覚めましたぁ……」

「ボ、ボクはそのちょうど一階上の、『校舎二階の二年二組の教室』で目覚めましたぁ……」

「そ、そしてボクは、さらにその一階上の、『校舎三階の三年二組の教室』で目覚めたぁ……」

 最後に小さく「せーのっ」と三人で声を揃えて、

「「「つ、つまり、ボクたちはぁ……昨晩眠っている間に、この学校の三階建ての校舎の各階に分かれて、増えていたのですぅ」」」

 と言うのだった。


 マナオだけでなく、それは他の三人――つまり九人――についても同様だった。

 昨日、教室棟一階の音楽室で眠りについたハイメは、今朝も同じ音楽室で起きた。だが、ハイメが職員室に来たときに既にそこにいた「もう一人のハイメ」は、音楽室の一つ上の、「二階の家庭科室」で目覚めたらしい。さらに最後にやってきた「三人目のハイメ」は、家庭科室の上の、「三階の多目的室」で目覚めた……と言ったのだ。

 同じように、昨日一年一組で眠ったミエリは、垂直方向に位置する一年一組、二年一組、三年一組で、それぞれ一人ずつ目覚めた。一階美術室に泊まったルアムも同じで、今朝目覚めたとき、それぞれ建物の真上にある美術室、理科室、生徒会室にいたらしい。

 今朝、各自が職員室に来た時間に微妙に差があったことも、目覚めた階がずれていたことによる移動時間や、「昨日は一階で寝たのに別の階で目覚めた」ことに驚いていたから、ということのようだ。

 一階の音楽室で目覚めたハイメよりも、二階の家庭科室で目覚めたハイメが先に職員室に来ていたことは、それでは説明がつかないが……それは、部屋の設備の違いだ。家庭科室には調理用の水道設備があり、トイレに行かなくても顔を洗うことが出来たので、その分早く集合場所についた、ということらしかった。


 更に面白いことには、各階に分かれて人が増えたときに同時に、「この合宿のために部屋に持ち込んだ私物」まで、増えていたらしい。

 つまり、ベッドとして用意したエアーマットや寝袋、キャリーケースやその中の服や下着、作業用に持ってきたノートPCなどが、ハイメ本人と一緒に、二階と三階に増えていたのだ。

 人間が増えるという大きな異常事態の前では、付随する物が増えるのは些細な出来事かもしれない。しかし、それはこの状況の奇妙さを更に奇妙にしている一因ではあった。


「俺、絵とか描くからアナログ画材も持ってきてたんだけどさ……それも、三倍に増えてんだよな。その中には、今じゃそう簡単には手に入んないようなレアな画材もあんのに、だぜ?」

「だよな? だから、もしも誰かのイタズラとかだとしても、相当手が込んでるっつうか……いや、やっぱ無理だろ!」

「つか、校舎が三階だから三倍になったんなら……校舎が十階だったら、十倍になってたんかな? そうなってたら、今より更にわけわかんねーことになってたよな⁉」

 同じ見た目の三人のルアムが、そこで顔を合わせて「うんうん」とうなづく。

 芥子川といい、こいつといい……。

 今のハイメは、自分が分裂した「二人のハイメ」のほうを直視することができない。自分そっくりな他人がいる状況が気持ち悪くて、鳥肌が立っているくらいだ。

 しかし、どういうわけか自分以外の人間は、この得体のしれない状況をすでに受け入れているように見える。そのことに、苛立たしさを感じてしまうのだった。


 それからも、いくらかの調査と確認作業、話し合いを行ったりはしたが、結局、それ以上のことはよく分からなかった。

 他に特筆すべきことといえば……各自の「名前のルール」を決めたくらいだろう。


「同じ見た目、同じ性格……そのうえ名前まで同じだと、結構不便じゃね?」

「とりあえずの区別として……呼び方を変えるっつーのはどうよ?」

「呼び方、って?」

「え、えっとー……例えばさ、『俺らが今朝起きた場所』を使って、一階で目覚めたヤツを①、二階のヤツを②、三階を③って呼ぶ、とかさ?」

 そんなルアムの雑な提案を採用する形で、同じ見た目の三人には、それぞれ固有の呼び方がつけられた。

 具体的には、今朝も昨日と同じ一階の音楽室で起きたハイメは、ハイメ①。その①より先に職員室にいたのは、二階家庭科室で目覚めたハイメ②。最後にやってきたのは三階で目覚めたのでハイメ③、という具合だ。


 ①はともかく。朝目覚めた場所が二階や三階だったというだけで、補欠やコピーのような呼び方をされるのは、プライドの高い「ハイメ」としては釈然としないらしい。ハイメ②とハイメ③は最初、少し不満そうな表情をしていた。だが、結局はただの便宜上の呼び方でしかないことを理解して我慢することにしたようだ。

 むしろ、②と③が何も言わなくても、表情だけで二人のそんな心の機微が分かってしまう。それもまた、自分たちが確かに同じ性格で、同じ感情を持っている同じ人間である、という証明のように思えて……。ハイメは――ハイメ①は、やはり気持ちの悪さを感じてしまうのだった。



「まー。とりあえずこのドッペルちゃんたちのことはー、イヤイヤでも、受け入れちゃうしかないよねー?」

「ド、ドッペル……?」

「ほらほらー、ドッペルゲンガーって聞いたことあるでしょー? だから、それを略してドッペルちゃん。可愛くなーい? なくなくなくなーい?」

「フィクションの世界だと、まあまあよく聞くよねー? 大抵はホラーとかー。あとは、コメディでもときどき出てくるかなー?」

 三人のミエリたちが、仲のいい友だちか姉妹のように、口々に言う。彼女も、分裂した自分たちにそれほど抵抗を感じていないようだ。


「ちょ、ちょっと待てよっ⁉ ド、ドッペルゲンガーって、あ、あれだろ⁉ 『見たら死ぬ』んだろ⁉ じゃ、じゃあ、俺ら全員死ぬってことかよ⁉」

 取り乱したルアムの一人が、悲鳴のような声をあげた。それを、三人のミエリが人差し指を向けて小馬鹿にするように笑った。

「えー! ルアムくん、こういうの怖いのー? 意外とダサダサー!」

「だ、だってよ……」

「別にー、これが本物のドッペルゲンガーだとか言ってるんじゃないよー? ってかー、そもそもドッペルゲンガーなんて作り話だしー? 『本物のドッペルゲンガー』とか、いるわけないじゃーん?」

「で、でも、だったらこの状況は……」

「今の状況のことは、全然わかんないけどー。『物も一緒に増えてる』こととかー。『分裂した子が二階と三階に移動してる』こととかー。そんなの、よく聞くもともとのドッペルゲンガーとは、違うでしょー? なのに、『見たら死ぬ』ってとこだけズブズブに信じるってゆーのは、おかしーよー?」

 ミエリの①、②、③が、ルアムの①、②、③に交互に答えていく。

「だ、だったら、どうしてドッペルなんて言ったんだよ?」

「えー? 分裂したあたしたちのこととか、この現象自体を呼ぶのに名前がないとちょいちょい不便そうだから、ドッペルゲンガーってことにしちゃおー、ってだけだよー? まー。『ドッペル』ってドイツ語で『二重』って意味だから、三人いる時点でそこそこおかしいのかもしれないけどねー。だから、気に入らないなら、別の名前でもいいよー? 『分身』とか『影法師かげぼうし』とか、『マルチバースの同一人物』とかー?」

 そんなことを言うミエリ①。残りの②と③も、「オルタとか、アナザーとかとかー?」「ダブル・ツイン・マークツー・セカンドとかも、あるあるだよねー?」なんて言って、クツクツと小動物のように笑っている。


 結局、最初に言った「ドッペルゲンガー」という言葉が一番収まりが良さそうで、それが採用されることになった。

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