第13話 生姜焼きとリビングとゲスト部屋
「はいはい。」
呼び鈴が鳴りました。
何故かお隣さんが飛び出して行きました。
なんで?
何故なら家主の僕が、寝転がっている瑞穂くんのお腹を押さえているからです。
いや、違うでしょ?
僕が行けば良いでしょ?
その前に飛び出して行っちゃったもん。
「ヒッヒッフッ」
「いや、瑞穂くんも違うでしょ。」
昨日からほったらかしになっていたドローインの訓練を始めていたのだ。
のだよ?
両膝を立てて、両脇に手を当てて(瑞穂くんがくすぐったがるので手は甲を)、僕の合図と一緒にお腹を締めて、ついでに肛門も締めて。
ゆっくり息を吐きだす。
これが、ドローイン呼吸法。
女の子に対して「お尻の穴」というのは、思い切りセクハラなので、説明すべきかどうか困ったんだけど。
「シュギョウデスヨ」
って本人が言うから、そう言う事で。
むしろ今の瑞穂くんの呼吸法がセクハラだと思うし。
意外な事に祖父は科学的トレーニングにも明るくて、体感トレーニングやドローイン呼吸の是非可否にも詳しかった。
「1番の問題とされているのは、横隔膜が動くスペースが減るので、重心が高くなる可能性がある事と、呼吸が浅くなる事がある事じゃな。」
ふむ。
「それは丹田の強化に問題があると言う事ですか?」
「あ?丹田の強化なんぞ迷信じゃぞ?占いとか呪いの世界の話じゃ。」
「え、そうなの?道場じゃよく聞いたけど。丹田に力を入れろとか。」
「うむ、医学的に言うのなら心療内科の世界じゃな。病は気からって奴じゃ。とはいえな、人間の心理ってわからんのよ。プラシーボ効果という言葉がある通り、物理やら医学やらを超えた現象は起こり得る。武道だの宗教だのを突き詰めれば変な事が起こるじゃろ?野狐禅って言って、脳みその暴走で起こる現象らしいしの。」
はぁ。
爺ちゃん、この人どんな人だよ。
詳しいことは聞いてないけど、警察で出世したんだから、当然大卒だろう。
自分の姉の孫娘を自分の孫に娶せようなどと悪巧みを企んだ人とは思えない。
…まぁ、それだけ頭が働くんだろうけど。
あと、瑞穂くんがラマーズ法を始めたのは、ドローインと違ってラマーズ法は出産の時に確実に効果があると、お隣さんに聞いたからです。
普段からきちんと身につけておかないと、いざその時にパニックになって出来なくなる妊婦さんがいらっしゃるとか。
「ヒッヒッフッ。」
ええと。
お婿さん絶賛募集中なお隣さんはまだしも、15歳の少女が練習してどうすんのよ。
「腹式呼吸の習得の為には良いぞ。」
「知らんがな。」
瑞穂くんは先にきちんとドローインの練習をしなさいよ。
★ ★ ★
呼び鈴鳴らして来たのは、ホームセンターで買った絨毯にマットレスに文机に、カラーボックスや衣装ケースや。
その他諸々。
あと、Amazonからパイプベッド。
部屋が無闇矢鱈とあるのは、こんな時に助かる。
まだ使わない家具は、箱のままそこら辺にほったらかせる。
…ほったらかすって言葉も良く使う家だな。
爺ちゃんとお隣さんの力をお借りして、絨毯を敷いて、安物のパイプソファセットと、ガラステーブル。
あとカラーボックスを置いて、即席ながらもリビングスペースを仕上げた。
隣は僕と瑞穂くんの私室。
北隣はダイニング。8LDKのうち4部屋しか使ってないし、全部一ヶ所にまとまっているので、残りの4部屋は相変わらず何にも無い。
空っぽ。
「なんじゃ?瑞穂はベッドは使わんのか?」
文机とカラーボックスを自分の部屋にセットするのを手伝いに行った祖父が、怪訝な顔をして戻って来た。
「本人が、床で寝たいって言うんですよ。多分スペインには和室がなかったんじゃないかと思っていますが。」
だからマットレスを買ったんだし。
「あぁまあ、畳自体がなかなかないからな。ワシが行った時は、椅子とテーブルとベッドじゃったし。」
祖父はやっぱりスペインまで行った事あるんだ。
「だから一応、組立式のベッドは買ったんです。本人かベッドで寝たいって言い出したら使おうかと。」
「ソウナッタラ、イッシヨニヒカリノベッドデネルカライイヨ」
結束した段ボールを庭に運びながら、何やら爆弾発言をして通り過ぎた同居人が言った事は無視しよう。
「あら、だったら、その使わないベッド、私が使って良い?」
「はい?」
「いや、私の家、お寺でしょ。私の家も和室しかないのよ。疲れたら昼寝しにくるから。」
いやいやいやいや。
いやいやいやいや。
おかしい。
一から十まで全部おかしい。
「何言ってるの。光さんが大学に通うようになったら、昼間は日本に慣れない瑞穂ちゃん1人でしょ。私が出来るだけ一緒にいてあげようという、お姉さんの優しさです。」
優しさですって言いながら、段ボール開けてるし。
「布団も座布団も、押入に沢山あるから、好きに使っていいぞ。」
「おいこら、クソジジイ!」
ここ1週間で僕は、自分の人生で使った事の無いタメ口を、実の親や、実の祖父に使っているぞ。
僕が色々壊れないうちに、誰か助けてください。
「瑞穂ちゃんのこのマットレス、バネが効いてていいわね。どこで買ったの?」
「あそこのホームセンターですが、Amazonでも買えますよ、って違う!」
「おお!ノリツッコミじゃな。」
なんで爺ちゃん、そんな言葉を知ってるの?
★ ★ ★
さってさて。
ボールに開けた豚コマに薄力粉を加えて、揉みまして。
「モミモミ」
オノマトペ付きで揉み込んでいるのは瑞穂くん。
ここに作っておいたタレを加えます。
薄力粉が取れないように、そっとね。
「ねぇ、中火ってこのくらい?」
「いや、それ、思い切り強火です。」
「寺ってさ、ガスしかないからIHってわかんないのよね。」
「いやいや、思い切り目盛に中火って書いてありますよ。」
手順を知らないだけで、僕の指示(レシピ)通りに作ってくれる瑞穂くんは、適切なアドバイスをあげればその通りに作ってくれる。
料理を覚えれば、問題はなくなるだろう。
が、問題なのはこのお姉ちゃんだ。
何故、全部大雑把?
何故、目分量?
(秤と計量カップも買わないとならんのか?)
あと、危なくて刃物を握らせられない。
お味噌汁の具を、彼女達の勉強の為に昼間っから大根の千六本を選んだのさ。
(因みに僕1人だと、大量に買ってある粉末のあさげ・ひるげ・ゆうげの小袋をお湯に溶いておしまい)。
そしたらさぁ、大根の皮を剥かせられないのさ。
自分の腕の皮を剥きそうで。
僕も瑞穂くんも、刃物の取り扱いは出来ると踏んだんで、ピラーとか買ってないんだ。
彼女のことだから、ピラーを使っても自分の皮を切りそうだけど。
瑞穂くんはちゃんとかつらむきが出来たので、この最初の薄皮は今晩、酢の物にしよう。
千六本も、一度見本を見せたらタントンタントンとリズミカルに音を立て始めたので、包丁の使い方には問題なさそうだ。
あとは、朝炙った油揚げの残りも一緒に、昆布で出汁を取った鍋にぶち込んだら、お玉で味噌を溶いたら「大根のお味噌汁」の完成。
何故か味噌具合は祖父が担当してくれた。
1人だけ手持ち無沙汰で、やりたくなったらしい。
あと、お隣さん。
先ずは豆腐のお味噌汁からだなぁ。
手のひらで豆腐を切ってもらうとこからだ。…血塗れになりそうだけど。
フライパンに油を敷いて、最初は強火で豚肉の表面が少し焦げるほど炒めまして。
直ぐ、玉葱が透ける姿を目指して、中火より少し弱めで、菜箸は使わずヘラでそっと炒め混ぜます。
玉葱はわざと厚めにカットしてあるので、たまに試食して、火が通れば「豚生姜焼き」の完成です。
という事で。
炊き立てご飯と、お姉さんが持って来たお漬物で、わりかし立派な定食が出来ました。
生姜焼きも、濃いめの味付けと玉葱が合ってまぁ成功かな。
では、みなさん。
「いただきます。」
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