第8話 稽古

買ったものは、(瑞穂くんの漫画本以外)全部配送にしてもらった。

殆どは明日着くので、明日は外出出来ないだろう。

だから、今日中に買う物は買い揃えておかないとね。


あと、瑞穂くんが書店で貰った紀伊國屋の紙袋を下げている姿が、なんともオタク臭く見えてちょっと偲び無かったので、ノースフェイスの白いリュックも買って背負わせた。


そしたら。


彼女は、身長は僕並みにあるくせして、背中と肩幅が妙に狭かった。

おかげでリュックが歩いている様に見える。


こんなところは、あぁこの人も女の子なんだなぁと思う。


駅を降りて反対側にスーパーがあるので、晩御飯のおかずを調達して行こう。

ここはネット・配達注文も出来るスーパーなので、チラシを確保しておこうかと思ったわけです。


が。


瑞穂くんに、袖を引っ張られた。


「comamos eso!」


鼻息を荒くして(女の子っぽくないなぁ)彼女が指差した先には、関東では有名なとあるトンカツ屋のチェーン店。

僕も何度か食べた事があるけど、1,000円を少し越すくらいな値段の割には、さっきのホームセンターの並びにあった、松屋フーズ系トンカツ屋よりはるかな美味い。

比べちゃいけないか。


けど、昼にカツかぁ。

重たいなぁ。


「Chuleta de cerdo!Quiero comer!」


瑞穂くんの口からスペイン語しか流れなくなった時は、何を言っても無駄な事は、ここ20時間足らず(18時間くらいかな)しか一緒にいなくともわかってしまったので、買い物を後回しにする事にした。


まぁ、お昼をどうしようか、食べて帰るか、帰って作るか、ぼんやり考えていたとこだったし。

スペインにはトンカツってないんだろうか?

和食なら少し先に「華屋与兵衛」が見えるんだけど。


…因みに彼女達は肉厚ネギだく豚汁セットご飯大盛りキャベツおかわりを旨旨と完食してました。

僕は唐揚げセットを持て余していたのに、食べ切れない唐揚げも彼女が平らげましたとさ。


★ ★ ★


帰宅後、1人で買い溜めた食糧品を冷蔵庫や冷凍庫や納戸にしまっている間、彼女は部屋には篭ってしまった。

買った漫画でも片付けているんだろうと思っていたら、道着に着替えて来たよ。


「ケーコ、ヒカリケーコ。」

「待ちなさい。僕まだ着替えでない。」

「イイカラヒカリケーコ。」


ヒカリとケーコって女子が2人いるみたいだぞ。


「イラナイ、スブリミテテ。」


つまり、自主練をしたいから、コーチングをして欲しいって事かな。


「Uno, dos, tres♪ Uno, dos, tres♪ Uno, dos, tres♪」


竹刀を肩に担いで、ご機嫌そうな瑞穂さんに連れられて玄関に向かう。

相変わらず距離が近い女の子だ。

で、彼女が言ってる事は僕でもわかる。


123、123だ。


買い物で結構疲れたから、昼寝でもしようと思ったんだけどなぁ。

この娘多分、僕が無理矢理連れ出さなければ、午前中から道場に篭ってたろう。


……….



さてと。

道場に入る早々、彼女の素振りを見させられてる僕。

ジーンズにパーカーに靴下という、上から下までユニクロファッションだ。

板敷の道場に似合わないなぁ。

この格好で、道場で正座してるとジーンズが少し痛い。膝が痛い。

言えないけど。


「エイ!エイ!エイ!」


さすがに気合いはウノドスではなく、普通のえいえいえいか。


細身の身体がしなやかに鋭く動き、竹刀の疾さは驚愕モノなのは、一眼見ただけでわかる。

特に剣先は見えないくらいだ。


彼女はスペインの道場で、弍段の段位を既に持っているという。

因みに僕は昇段試験を受けていないから、無段無級だ。

だから、対外的には彼女の方が上という事になる。

筈なのになぁ。どうしてこうなった?


そんな無意味な事をウダウダ考えていたら、50本の素振りが終わったらしい。


「ドウデスカ」

「んんんと。ちょっと待っててね。」


ひと目見て気がついた欠点をわかりやすく説明する為に、僕は庭から板っきれを持ってくる。

庭の隅っこに立て掛けてあるもので、その下には、この家に越して来た時に母さんが植えた小松菜とほうれん草の種が埋まっていますよ。

陰性植物と言って、わざと日陰で育てる野菜だそうです。


いや、家じゃ無くここで家庭菜園始めてどうすんのさ。

わざわざ収穫しに来るの?

当のご本人はウキウキで、世話を僕に託していたけど。


そんな板を道場の壁に立て掛けて、隅っこに立て掛けてある、自分の竹刀を取り出した。

この道場、実は変なものは色々揃っている。

掃除していて見つけた物だ。

その変なものの中から、墨汁を取り出して、竹刀の先に口広のペットボトルを付けた。

ファミマで売ってるメロンや苺の果実入りフルーツドリンクの空きボトルだ。


その丸い底に筆で墨汁を塗ると、僕は板に向かって素振りを始めた。

足は動かさず、上半身だけの動作で10本。

集中力を高める為に気合い声は出さず、ただ黙々と10本、板に向かって打ち込んだ。

ガン。

ガン。

ガン。

力強くも喧しい竹刀と板がぶつかる音が、僕と瑞穂くんしかいない道場に響く。


打ち終えると、板に向かって一礼。


「ナニシタノ?」

「見てみなさい。」

「?」


板には、墨汁の跡が一箇所だけしかついていない。

勿論、飛び跳ねや垂れた墨汁はあるけれど、見てほしい場所は、丸く数センチだけ残った墨跡だ。


あれだけ大きな音をさせて、まだ竹刀側の墨汁は瑞々しく濡れているのに、板に打ち込んだ跡はほんの僅かな面積だという事。


「瑞穂くんの剣先は止まっていない。勿論それは君の疾さの代物なのだけど、剣道競技では、審判に打ち込みの浅さと取られる事がある。」

「ハイ。」

「剣先を安定させる事。それには腕力と体幹を鍛えないとならないだろう。それは女性という生物生体には大変かもしれない。でも、もっと強くなりたいのなら、疾さという勢いの他に必要な部分だと思う。止まるという事は。」

「ドウシタラ…」

「基本だよ。基本は常に大切だ。相撲だったら四股、剣道なら素振り。あと、日本武道に共通する摺り足。筋骨隆々になる必要はない。瑞穂くんには、既にバネという武器がある。意識して素振りをすること。先ずはそこからだ。」


「ムズカシイナ。」


だろうねぇ。

僕は祖父に無理矢理鍛えさせられたけど。


「そうか。じゃ呼吸からだな。」

「コキュウ?」


ドローインという、こちらも基本的な呼吸法なんだけど、体幹を鍛える為には横になっていた方が良い。

ので、それは後回し。後で家の中で教えよう。

15歳の少女を布団に寝かせて、その横に座る僕。

絵面的に宜しくない気がするけど、それはしぃーで。


夕方にはAmazonから漫画が届くから(あと、お隣さんがお裾分けを持ってくる事が多いから)、30分と時間を切って防具を付けて乱取り稽古に付き合った。


あ、この道場に時計ないや。

Amazonで買っとこう。

って言うか、母屋にも時計って台所とお高いの部屋しかないや。

買い足しとくか。

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