第5話 道場
さっきも言った通り、中学生はストライクゾーン外なので、互いの寝室の襖を開けっ放しにしたまま寝ました。
というか、瑞穂くんは寝るまで僕の部屋で僕の部屋のテレビを見ていたので。
大欠伸と共に、電灯の消えた自分の部屋に戻って行ったんだけど、襖を閉めて行かないんだよ。
というか、僕の部屋の灯りが漏れる畳で寝ている、つまり布団を僕の部屋に寄せているわけで。
これは、寂しいんだろうなぁと勝手に判断して、そのままで寝ました。
…誘われてても困るしさ。
★ ★ ★
僕の朝は早い。
これは習慣と言うか何と言うか、子供の頃からそうだから仕方がない。
かと言って夜が早いわけでなく、昼寝が多いだけで。
お隣さんはまだ就寝中。
まぁ朝の5時だしね。
こう言う時に襖で良かった。
物音を立てないで部屋の外に出れた。
お米は無洗米なので、とりあえず3合を炊飯器に入れて、お米を水に浸けておく。
卵にベーコン、食パンにホットサンドメーカーなんかを並べておいて、僕は外に出た。
庭掃除のためだ。
落ち葉拾いをしながら、池のポンプにスイッチを入れる。
水棲生物を何にも飼っていない池だけど、浄水機を動かさないとボウフラが湧く。
あと、水が腐るから臭くなる。
別に池なんかいらないんだけど、父さんが楽しそうに水を貯めていた姿を見ちゃうとなぁ。
実家の庭に、一時期ホームセンターで買ったFRP製の池を埋めて金魚を飼っていたんだけど、庭で放飼いにしているウチのバカ犬が落ちるんだ。
あと、近所に猫が多かったし。
金魚なんか、たちまち全部食べられちゃった。
なので父さん的に、池で鯉を飼うのは一つの夢らしい。
世話させられるの、僕なんだけどなぁ。
落ち葉は庭の隅にコンポストがあるので、こちらにザバァって入れておく。
これは腐葉土にして、ご近所の農家さんに差し上げなさいと、お隣さんからの引越し祝いだ。
祝われているのかね?
働かされているだけの様な気もするぞ。
「オハヨウゴザイマス」
「あぁ、おはよう。」
後ろから声を掛けられた。
瑞穂くんが起きた様だ。
それじゃ、朝ご飯の支度を始めよう、か。か?あれあれ?
「瑞穂くん?その姿は?」
「ドーギデス」
「はぁ。」
相馬瑞穂さんが朝起きて、着替えた格好は、白道着に紺袴。
いわゆる剣道か薙刀の稽古着姿だったのです。
これでわかったぞ。
公民館みたいな離れの正体。
何故、中学生が1人で日本に来たのか。
「……因みに、競技は?」
「ケンドーです。」
「やっぱり。」
★ ★ ★
実は僕には特技がある。
剣道だ。
町道場や学校の部活ではなく、警察の道場に中学の頃から通い続けていた。
何故なら、僕をこの家に放り込んだ祖父が警察の人間で、何でも30歳で警視正になったとか。
引退後、未だに「警視監」「警視監」って、現役時代の部下が尋ねてくるとか。
警視正とか警視監がどれだけ偉いのか、僕は知らないけど。
で、僕はそんな祖父に鍛えられていた訳だ。
そうしたら高校の時に「ぜんけいけん」とか言う大会の県代表選手に勝ってしまい、何やら不穏な雰囲気になった事があった。
祖父はゲラゲラ笑ってたけど。
それでかな。
僕が今の大学を受ける時に、何やら推薦枠を使わないか?って話があったんだよ。
よくわからないから断ったし、両親は「お前がそれで良いならそれで。」ってスタンスだったから、あまり、というか何にも気にしなかった。
しかし、スペインから少女を迎えるにあたって、何やら訳の分からない待遇を受けているのは、多分そっち絡みだ。
あぁもう。
あぁもう。
「ヒカリサン、ケイコオネカイ」
稽古をお願いされたのかな?
しかし、あの離れが道場だとしても(狭いけど)、ここには竹刀も防具もないぞ。
「este」
困っていたら、瑞穂くんが道着の合わせから何やら書状を取り出した。
和紙を畳んであるだけだし、手紙と言うより書状だ。
果たし状みたいだ。
あと、esteは代名詞だと後で知った。
ええと、何々。
『舞台下が倉庫になってます。大叔母。』
…これだけ?
「Sí」
ですか。
あぁ確かに舞台あったなぁ。
公民館で開く町内会のカラオケ大会で、おじさんおばさんが歌いそうな奴。
あれ、何処か開くのか。
…あと、祖父の姉って、大叔母なんだ。
★ ★ ★
ガラスの引戸をからからと開けると、確かに流しやトイレの反対側に1畳程度の低い舞台がある。
どれどれ?
あぁ、この舞台、このまま持ち上がるんだ。
一応、檜っぽい厚くて重い木の台を持ち上げると、1畳分の床下収納庫になっていた。
そこには新品の竹刀と防具が2セットしまってある。
…なんでこんなとこにしまってあるんだろう。
瑞穂くんが中身を取り出して、僕は直ぐに舞台を元に戻した。
重てえ。
「ヒカリサンドーギ?」
「母屋にある。待ってて。」
「Sí」
朝ご飯のはずなのになぁ。
……….
段ボールに放り込んだままの道着を引っ張りだして、あれ?クリーニング屋のタグがついたまんまだ。
ついでに炊飯器のスイッチを入れて道場に戻ると、既に瑞穂くんは防具をつけて待っていた。
こっちにあるのが僕のか。
うわぁ、新しいと面がカチカチだぁ。
付け難いぞ。
「オネカイシマス」
「審判がいないから、自己判断でね。」
「Sí」
38(サンパチ)の竹刀を握ると、先ずは礼。
蹲踞して切先を合わせる。
立ち上がると無言で瑞穂くんは、剣先を突き出しながら突っ込んで来た。
早い。
速い。
疾い。
彼女の竹刀は僕の胸元の高さで迫る。
小手か。突きか。
日本では突きが許されるのは高校生からだ。
それだけ危険で、難しい技なんだ。
しかしスペインだしなぁ。
日本とは違うかもしれない。
でも僕にはわかった。
これはブラフだ。
腕を折り畳んで僕の竹刀を絡み、体当たりしながら瞬時に体を引き、下がりながらの胴狙い。
だから僕は。
竹刀を左に振り。
「小手ぇぇ。」
彼女の小手を打ち抜いた。
………
「qué sucedió?」
竹刀を床に落として女の子座りをして、何か呟いている瑞穂くん。
「瑞穂くん。立ち会いは終わってないよ。」
「ア、ゴメンナサイ」
慌てて竹刀を拾って、礼。
こうして、僕らの初試合は終わった。
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