第2話 日本語が話せない少女

とりあえず。


床間付きの6畳間を自分の部屋と定めた。

いや、早く自分の巣を決めないと落ち着かない。

大体、この家洋間が無いじゃん。


家で使っていたベッドを持って来たけど、畳の乗せたら畳が痛むじゃん。

カーペットなんか無いぞ。

あぁもう、形としては出来ているけど、住むにはまだまだ不便な家じゃん。


トイレも台所も風呂も遠いし。

玄関まで廊下がどれだけあるのよ。


まぁいいか。

とりあえず飯だ!落ち着いたら大学入学の栞を読まないとね。

いや、落ち着く前に食材を買ってこないと、新品の冷蔵庫の中には、キムコとミネラルウォーターしか入ってないじゃないか。


商店街は駅前にあったな。

暗くなる前に買い出しに出ておくか。

まったく。

こんな立派な冷蔵庫を買ってくれるなら、冷凍食品とお米くらい用意してくれれば良いのに。

ぶつぶつ。

米とか味噌とか重そうだなぁ。


早いとこ車の免許を取らないとな、


★ ★ ★


しかしまぁ。

僕の人生で、庭の落ち葉を竹箒で掃く事が日課になる日が来るとは思わなかった。


一応、僕の実家にもささやかながら庭もあって、母さんが家庭菜園をするだけの広さはあった。

柴犬を飼っているし、夏蜜柑の木が2階の屋根を越えている。

それでも目に付いたら拾えば余計なゴミは片付いた。


しかし、この家。

庭だけで実家の敷地2つ分あるよ。

銀杏の木なんかさぁ、秋になったらどうすんの?

地面が黄色くなるよ。

あぁ確か、落ち葉専用の掃除機が売ってたなぁ。

金貯めてホームセンターで買うかな。


…まだ大学始まってないのに、俺、なんの心配してんだろ。


などと、大学の入学式を控えて庭掃除をしている僕でした。


★ ★ ★


さて、今日の晩飯は、と。


鮭が一尾丸々。

椎茸・エノキ・エリンギのキノコセット。

キャベツ。


これは昼過ぎに商店街に買い物に出たら、何故か隣のお姉さんに


「後でお裾分けがあるからね。」


って声を掛けられて、本当に届いた物。

引越しの日に、稲庭うどんの生麺を持って行った(父さんが何処からか持って来た物。蕎麦じゃないし、せめて乾麺をね。)のさ。


お隣さんってのは良玄寺って言うお寺さん。

引越し蕎麦ってお寺さんに持ってくもんだったかな?と首を傾げていると、両親共々上げされて頂き、お茶とお茶菓子をご馳走になった。


いや、知らなかったけど、このお寺はうちの菩提寺らしい。

考えてみたら、少なくとも父方母方の祖父祖母はまだ元気だから、本当に近しい身内のお葬式に参加した事ない。

お墓参りも、ええと、した覚えはあるけど、曽祖父の何回忌だとかで特別に参加しただけで、普段は兄妹とも行ったことないぞ。


なのに、結構髪の長い和尚さんは両親とは顔見知りらしく、3人でアレコレと思い出話に盛り上がっていた。


手持ち無沙汰になった僕に、お茶を運んで来たお姉さんの手招きで中座させてもらい、逃げ出す事に成功した。


「すみません。助かりました。うちの親は話好きで。」

「うちの父もそうよ。まぁ、坊主と教師は何も無くても話せないとならないそうだから。」

「うち、両親とも教師なんですが。」

「あら、3乗ですね。」


僕より10くらい歳上の彼女は和尚さんのお嬢さん(本人曰く行遅れ)。

お隣さんって事で仲良くさせてもらっているけど、どうも檀家さんからもらって困るものを押し付けられている節がある。


僕1人しかいないのに、鮭を丸ごとどうすんのさ。

どうすんのさぁ。

どうすんのさぁ。

どうすんのさぁ。


1人エコーをかけても仕方ない。

実は僕は、刃物を扱う事なら慣れている。

この程度の魚なら、下す事出来る。

とりあえず後の事は考えないで、処理だけしとこうか。


んでは!

シンクの下から、柳刃包丁(カスタムハンドル・黒漆鞘付き)をば取り出しまして。


クソ重たい鮭をなんとかシンクに乗せたところで、呼び鈴がなった。


時刻はそろそろ5時。

春分の日は先週回って来たとはいえ、そろそろ暗くなってきた頃合いだ。

黄昏時って奴だな。

それはいいけど、こんな時間に訪ねてくる知り合いはいないぞ。

お隣さんは帰ったし。


やれやれ。

やれやれやれやれ。


台所から玄関も結構あるんだよなぁ。

しかもあれは、外の冠木門じゃなく玄関の呼び鈴だ。

そう。この家には冠木門が付いている。

隣のお寺さんなんか門扉ないぞ。

なんなの、この家。


「はいはい。」


まだ廊下の電気もつけてない。

この屋敷の雨戸は必要最小限しか開けないのに、全部電動のシャッターだ。

家自体は結構年季が入っているのに、どれだけ近代建築に改装しているのさ。

父さんは電気代云々言ってたけど、この家、屋根の上に蓄電式ソーラーパネル乗ってるし。


曇りガラスの引戸にシルエットが見える。

電気云々考えながら、とりあえず玄関と街灯の電気だけつけて、戸を開けた。

 

「que?」


ええと、そこには。

スポーツバックを前手で持って、何やら不審げな女の子が立っていた。

ショートカットで身長は僕と同じくらいかな。

黒髪と黒い瞳。

見た目は日本人に見えるな。


あ、包丁を握りっぱなしだった。


★ ★ ★


何はともあれ、あなた誰ですか?

鞘を腰に差していたので(刀身が長めなので、日本刀に擬してふざけてた)ちゃっと納めて玄関内に招き入れた。

 

けど。


「Me llamo Mizuho」

「あぁええと。」

「Es usted el Sr. Luz?」

「あの、あのね。」


どうしよう。この人何を言ってるのか、わからない。

しかもこの人。穏やかに話をしている割に目の力が凄い。

圧がある。


「Es usted el Sr. HIKARI?」


近い近い。顔近い。

この人、何語喋ってんだかわからない。

ええと。

なんで言えばいいんだ?


あ、スマホの翻訳アプリを使えば!って何語かわからないと翻訳出来ねぇ。

スマホの画面を見た僕の一瞬のフリーズで彼女は僕のしようとした事に気がついたらしく、バッグのポケットから何やら取り出した。


『私は相馬瑞穂です。貴方は相馬光さんで間違いないですか?』


間違いありませんが、なんて返事すりゃいいんだ。


あ、この娘が言われてた孫娘さんかな。

だとしたらスペインだっけ。

翻訳アプリをダウンロード、ダウンロード。

って早いな。

この家に来ているWi-Fi、どれだけ早いんだよ。


『そうだ。僕は相馬光。貴女はスペインから来られる相馬さんかな。』


似たような合成音声で返してみると、頭をぶんぶん上下に振って、ニコニコ笑い出した。

涙を流しながら。

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