Second Impact 5
「落ち着いたか?」
「…はい、―――だめですね、…。恐い」
院長の机に凭れるようにして、神尾が息を吐く。
「…――ファージというのは、細菌に感染するウイルスのことです。バクテリオファージ。あれは、芽胞じゃなかった、…。ファージでした。…感染して、ウイルスの持っている性質を、細菌に感染させるのに使います。溶原化といって、感染した細菌にウイルスが溶け込むように同化して、増殖する性質を利用して、――――…人工的に望む性質を溶け込ませる、組み込む為に利用したりもします」
黒城が真直ぐに神尾を見返す。
「T4ファージなどが、大腸菌に感染させて人工的に遺伝子を入れ替える際等によく用いられます。聞いたことがあるかもしれません。…あれは恐らく、φX174系統のファージです。球形ではなく、おそらく正二十面体の、――――エルシニアの本体から芽胞のようにみえていたのは、あれは、芽胞ではなくて、感染する処だった、…――あるいは」
「放出される処か」
しずかにいう滝岡に無言でひとつうなずく。
「溶菌型といわれるファージもあります。細菌に感染し増殖した後、細菌を壊して内部から放出される。…溶原型でも、感染後、宿主である細菌が死を迎えたときには、…―――」
「放出されることになる」
滝岡が視線を伏せ、淡々という。
「…――――一部の大腸菌等は、治療による抗菌剤などで死を迎えた際に、崩壊して内部に持っていた毒素を放出するものがあります。よく知られているもので、O―157等がその類です。毒素は致命的で、救命できないことも多い」
「…そのO―157等が持つ毒素も、もとはシガ毒素―――赤痢が持っていた毒素を、ウイルス、ファージが別の細菌から大腸菌に感染させて、つまりは毒素を造る遺伝子を移動させた、感染させて毒素が作れるようにした、といわれています。ある細菌の持つ遺伝子を、別の細菌に移動させる。もともと、それはファージと呼ばれるウイルスの持つ能力でした」
鷹城が無言で神尾を見詰めている。
「…バクテリオファージ、―――それを人が人工的に行うようになったのは、最近のことにすぎない。けれど、もし、人工的に誰かがその目的を持って、…」
「ファージを、エルシニア・シュベ、なんでしたっけ?に感染させて、強い毒を持って、感染も簡単にするものにしていたら、ですか?」
「…Yersinia pseudotuberculosisです、…。エルシニア・シュードツベルクローシス―――――それに、まだあります」
「まだ他に何か?」
鷹城の問いに苦笑して神尾が返す。
「低温好適性、――――好冷性ともいいますが、人に感染する細菌には珍しく、4℃でも増殖します。4℃から28℃という低温でも。冷蔵庫に保管した食べ物の中でも増えることができる、ということです。実際に、沢水などの中に生存していることが知られています。感染源として、水、が考えられるということです。自然宿主として考えられるのは、ブタ、イヌ、ネコ、等に、げっ歯類、―――これらの中には発症する種もあります。ブタは殆どの場合、発症せず、いまでも30%程は腸に実際に菌を持っているはずです。感染源として、ブタの腸などに触った後、よく手を洗わずに調理した食材などが原因となることがあるようです。…―――あの子が、どこから感染したのか、…。生活史を、食べた物と行動範囲を調べなくては」
「それは、こちらでやる」
「…関さん」
「というか、もうやらせている。家族を含めて、行動を洗っている処だ。神尾さん」
「…―――はい」
屈み込むようにして視線を合わせていう関に、神尾が視線をあげる。
「犯人が、もしそいつをばらまくとしたら、どうする?何処に撒くとおもう」
「…関さん、それは、…―――犯人が、どれだけ知っているかによるかと」
「知っている?何を?」
「ウイルスとこの細菌の性質についてです。…どれだけよく知っているかによります。その性質を。どこへ撒けば増殖して、より感染しやすいのか。どんな性質をしているのか」
「あんたはどうおもう?」
関の真直ぐな視線にたじろぐ。
「…それは、わかりません。…―――知らなすぎる、唯、何から感染したのかはヒントになるはずです。あの子が何から感染したか。家族と違うものを何かくちにしていないか。…」
「何が違うかを聞くんだな?」
「そうです。僕が聞き取った範囲では、…―――。ですが、あらためて調べてもらった方が良い。それに、家族が発症しないかも、」
「…―――そちらに関しては、僕の方で手配しています。心配せずに」
「…秀一さん?」
不思議そうにみる神尾に微笑んで。
「とにかく、調査に関してはこちらに任せてください。神尾さんには、この細菌について調べてもらわないと。それに、わかったことがあったら、すぐに教えてください。こちらで対処します、ね?関」
「―――あのな?ま、確かに、調査するのはこっちの仕事だ。神尾さん」
「はい」
緊張して見返す神尾に、関が軽く笑む。
「あの、…」
「ええ、こっちは本職なんでね?治療とかそういうことはわかりませんが、調べて犯人を逮捕するのはこちらの仕事なんで。ですから、神尾さんは犯人を捕まえる為の行動のヒントや、そんな何かがわかったら教えてください。こちらからも、情報は伝えます。じゃ、いきますから」
屈んでいた背を伸ばして、関があっさりと踵を返し、鷹城と出て行くのを。
「―――――…」
「少し休め」
「…滝岡さん、」
そういって無言で首を振る神尾に、背を軽く叩く。
「滝岡さん」
見上げる神尾に滝岡が笑む。
「まず、あの子の治療法だ。そして、もし、このテロが、…―――」
「すでに、もう広まっていたら」
蒼い顔のまま浅く笑んでいう神尾に笑ってみせる。
「…神尾、そのときは治療法を見つけるしかない。…違うか?」
浅く笑んでみせる滝岡に、神尾が泣きそうにして苦笑を返す。
「…―――はい、そうですね」
泣き笑いそうになるのを堪えて、扉に向かう神尾の背に。
「セカンド・インパクトというのは」
落ち着いた声が掛かり、それがまだ一度も発言していないもう一人からだと気付いて、振り向かずに神尾は応えていた。
「…―――最初の接触による感染、…――その次にくる衝撃だからです。最初の感染を防いだ、とおもったときに、毒素による二度目の衝撃が起こる、―――――」
そして、最初の衝撃に耐えても、次の衝撃に耐えられずに。
「細菌の死による、毒素の放出です。セカンド・インパクトは、…二度目の衝撃、セカンド・インパクトは、致命的になることが多い。細菌が死ぬときに、毒素を放出するとき、――――。感染という一度目を乗り切っても、その感染から治癒しようというときに、二度目の衝撃を受けると、致死的になる」
振り向いた神尾の瞳に映るのは、何なのか。
「…―――毒素に身体が耐えられずに、死に至るんです。…」
おそろしいのは、治療してもしなくても、細菌の死は起こる、ということです、と。
しずかに微苦笑を零して、神尾が去る。
残された黒城が、静かに側近の名を呼ぶ。
「樋口」
「すみません、出過ぎたことを」
穏やかな声でいう樋口に、黒城が僅かに視線を伏せる。
「いや、構わん。―――…」
静かに思考に沈むようにして、黒瞳を僅かに伏せ、黒城が在る傍に控えて、樋口が見守る。――――
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