Second Impact 4

 グラム陰性菌の桿菌―――腸内細菌科に属する、エルシニア属グラム陰性通性嫌気性桿菌――――。

 桿菌と呼ばれる由来となる形の、楕円形の細長い棹型の菌が、幾つも画面には映し出されている。

 それに加えて、その周囲に映し出される幾つもの小さな球形に近い粒。

「…芽胞、…―――」

呟く神尾に、永瀬が突っ込みを入れる。

「神尾ちゃん、でもこれがグラム陰性菌なら、芽胞はないでしょ?おれだって知ってるぜ?」

「その通りです。…グラム陰性菌は芽胞を作らないといわれています」

呟くように返すと、画面を見詰めたまま動かない神尾に。

 困ったように見つめてみて。

「あのさ、でも、この菌が芽胞作ったとしたって、学術的には大事件でも、大したことはないよ?つまりさー」

「がほう、というのは何かね?」

黒城が訊ねるのに滝岡が眉を寄せてみて。

「…つまり、芽胞というのは、植物の芽に、胞子の胞と漢字で書きます。…――細菌の胞子であり、環境が悪いときに自己を保存する為に、まるで植物の芽のようにして、本体から生えてきます。――――この画像は、まるでそのようにもみえますが、」

「実際には、その芽胞というものではない、ということか。この画像の細菌がグラム陰性菌という種類になるから」

「その通りです」

滝岡の説明に黒城が問い返すのに、苦い顔をしたまま滝岡がうなずく。

 軽く息を吐いて。

「神尾、だが、…―――。どうした?神尾?」

眉を顰めて滝岡が神尾を見る。

 何かを見据えたようにしたまま、突然、神尾が驚いたように動きを止めるのに。

「どうした?おい?」

肩を掴んでいう滝岡に、まったく視線を向けずに、神尾が呟く。

「そうですね、…。芽胞の訳がない、…―――そんな理由はないんです。…まさか、」

「神尾?」

「…―――滝岡さん、…ファージです」

「…何だって?」

呟くようにくちにする、まるでうわごとのようにくちにする神尾に、滝岡が問い返して。

「…――――――ファージ?」

驚いて、滝岡が掴む手に力を籠める。

「おい、…神尾、それは、―――?」

茫然と問い返す滝岡を、神尾が見返す。

 真直ぐに見詰めて。

「滝岡先生!セカンド・インパクトが、…―――!永瀬先生!」

振り向く神尾に、永瀬が蒼褪めて見返す。

「…エンドトキシン・ショックか?ちょっとまて、毒の性質は?型は?」

「わかりません、…――――毒素に対抗する処置は?」

「…抑えてはいるよっ!当然だろ?しかし、…――――おい!三日月、いるか?そう、あの子の容態どうだ?透析スタンばってるよな?いますぐ、免疫の、…第一コールして、そう、アレルギー専門の先生と、腸管出血菌の毒素、解毒に詳しい先生につないで。…――――おれもすぐ行くから!神尾ちゃん、毒素わかんない?何組み込まれたか!」

必死な形相になって取り出したPHSで連絡して、永瀬が神尾を見る。それに、神尾がくちびるを噛む。

「すみません、…。培養もまだ途中で、…――――」

そこで絶句して、神尾が口許を手で覆う。

「…――神尾ちゃん?」

「…永瀬。患児は、―――ICUだな」

肩に手を置いて、その永瀬に滝岡が静かに云う。

「…あ、そうか、――――…」

茫然と永瀬が言葉を失う。

「…手術中は無論、感染防御の処置は取っているが、…―――。処理も通常の感染を防ぐ基準でのものだ。…ICU内でも、そうだな?」

「…他の患者から隔離はしてないね。…そもそも、ICUに運んだからな。――――…」

「永瀬」

滝岡の問い掛けに、永瀬が両手で顔を覆ってしばし俯いて考え込む。

「…―――あー、…。通常の看護処置はしている、…。他の患者さんに触るときには、…――体位をかえたり、感染可能性のある物質に触れる処置をする際には、手袋の交換等はする、…―――けど、機器を操作したり、記録を取る際にはしてないな、―――――呼吸管理してるからな、まだ、…―――そちらから移るってことはないはずだ。…」

「神尾、隔離の必要性はあるか?」

永瀬が思い返して、ようやく顔をあげるのに、滝岡が冷静に神尾に問う。

「…―――滝岡さん」

「Y.pseudotuberculosisの特性としては、確か、腹部症状の他に、咽頭炎などもあったな?」

「…はい、猩紅熱様の、―――ですが、…。主症状として主に排菌されるのは、やはり、便などですから、――――」

「隔離は必要か?」

再度問う滝岡を、神尾が見返す。

「――それは、…――。今後、どのような症状が起きるかどうか、解りませんから、…。できれば、」

「…神尾ちゃん、患者は動かせないぞ?…いまの状態で、もし、」

「陰圧室に、処置ができる準備を整えよう」

「――滝岡、…。だがな、専任で誰かいなけりゃ、…――――そう簡単には、それに、第一、…―――動かしたことで、一気にいくかもしれないんだぞ?わかってるか?」

怒鳴る永瀬に、滝岡が視線を返す。

「わかっている。だが、他の患者に罹患させる訳にはいかない。…―――いずれにしても、解毒処置を行えるようにしなくてはならない。…神尾、どうした?」

滝岡が向ける視線に、白く血の気の薄い顔で神尾がうなずく。

「隔離シート、病室の中でさらに行う際の、あれのテント型があったはずです、…―――。あれを臨時に設置しましょう。感染力、…どう排菌されるかについては、正直、いまはデータがありません。元になる菌の特性を引き継いでいると考えてもいいのかどうか、…」

蒼白な面で語る神尾の肩を、滝岡が軽く叩く。

「滝岡さん?」

見返す神尾に笑んで頷く。

「わかった。それで行こう。それから、永瀬、移せるようなら、陰圧室に移動させる。第一とも協力して、治療方法を考えよう。…―― 永瀬」

「…――――わかったよ」

永瀬が、何処か血走った眼で滝岡を見返して唸るように返して。

 踵を返すと、院長室から出て行く永瀬を、滝岡が見送る。

「…――――」

鷹城が灯りを点けて、薄暗い室内が明るくなったのに驚いて神尾が周囲をみる。それに、スライドを消しながら。

「処で、神尾さん、―――…。テロリストが菌をばらまくとしたら、何処にだと思います?」

「え、…?鷹城さん?」

戸惑って見返す神尾に、明るい瞳で鷹城が繰り返して。

「この菌をばらまくとしたら、何処に撒くでしょう?教えてください。何か、つまり、この細菌に手が加えられて、感染したら危険なものになったんですね?」

「…――――――おそらく、推測ですが。…」

もう消えたスライドを見るように視線を動かして、何もない壁に息を吐いて神尾が苦笑を漏らす。

「…あれが、ファージなら、…」

「その、ファージというのは」

黒城の言葉に振り向いて。

「おい、…神尾?大丈夫か?」

「…―――はい、あの、…――――」

思わずも、笑い出して留められなくなって、泣き笑うようになって片手で口許を覆い、身を折るのを滝岡が止めようとするように身体を支える。

「おい!神尾!」

「…――――いえ、その、…―――」

笑うのをとめられずに、これは、笑いたいのか、泣きたいのか、怖くて、…―――脅えているのか。

 震えを止められずに、細かく震えているのをとめられずに。

笑うように、泣くようにして神尾が腕をつかんで、支えてくれている滝岡にいう。

「…すみませ、…―――こん、な、…――――」

震えの底にあるのが、恐怖だと、理解しても止めることができない。

「…――神尾、飲め」

「…たきおか、さん、…――」

茫然と見返す神尾に、院長のデスクから戻り、何かを手にしている滝岡をしばし理解できずに。

 ――――あ、…。

ふと、それが理解できておかしくなって笑む。

苦笑して、手に滝岡の差し出すグラスを両手に取り、額を置いて大きく息を吐いていた。

 それから、無言で見守る滝岡の前で、一口飲む。

「…――――ありがとう、ございます、…」

泣きそうな口調でいって、何とか微笑もうとして失敗しながら。

 もう一口飲んで。

「…―――お酒、ですか?」

突然気付いておどろいてみる神尾に、滝岡が軽く肩を竦めて見返す。

「気付けにはいいだろう。飲み過ぎるなよ?酔ってもらっては困る」

「…――勿論です、…。」

困惑した顔で、手にしたグラスの中にある透明な液体を見つめる。

「スピリットですか、…―――」

「四十五度と書いてあるな。もう飲むなよ?」

「…滝岡さん、…――――」

院長のデスクにグラスを置いて、神尾が息を吐く。

「すみません、――――」

そして、黒城を揺れている視線で見返る。

「…――――取り乱しました。…テロにペストが使われる危険があると昔からいわれていたのはご存知とのことですが。…」

小さく微苦笑を零してみつめて。

「ペストが恐れられているのは、本来はその毒性です。黒死病と呼ばれたペストは、腺ペストです。リンパ節が腫れ、文字通り身体が黒くなって死にます。そして、敗血症ペストに、肺ペスト、――――治療しなかった場合の致死率は非常に高い。勿論、現在では治療薬が存在しますが。…」

薄く溜息を吐く神尾の腕に軽く滝岡が手を置く。

「はい、――。いまでもノミに咬まれて腺ペストに感染する例などはありますが、散発例に留まるのは、飛沫感染する、―――人から人へ感染する力を持つ肺ペスト、つまり、肺にペストが感染する確率が、自然発症なら0.2%と少ないことです。線ペストの患者が、肺に感染を引き起こし、さらに痰や咳をするようになり、人に移す、―――自然感染の場合、そこに至る前に、絶対数が少なければ、そして、もし最初から肺ペストを発症していても、適切な期間に治療が行われれば現代では致命的にならずに済みます」

「…神尾」

「はい、ですが、…―――要はペスト菌は毒性は強いのですが、広めるのは案外難しいということです。インフルエンザのように爆発的に広まるには、重症化するのがはやい。ですから、もしテロに使うなら、それが欠点でした」

浅く息を吐いて。

 蒼白い顔のまま神尾が続ける。

「ですが、例えば、ウイルスには、ノロウイルスのように、ほんの百もウイルスがあれば、感染させられる強い感染性を持つウイルスもあります。…―――本来なら、エルシニア属はそこまで強い感染性を持ちませんが、…――もし」

蒼白なくちに血の気の戻らないまま、何かを見据えるようにして。

「もし、そんな強い感染性と、ペストの毒性をこの細菌が持つようになっていたら」

「神尾さん?」

問い掛ける鷹城に視線をあわせる。その昏さに鷹城が息を呑む。

「…―――僕には、わかりません。もしかしたら、抗菌剤も効かないのかもしれない。…感染性が、強くなっていて、さらに毒性も」

「…神尾」

「―――滝岡さん、…。培養に出してます」

不意に、そして正気に返ったようにして神尾が驚愕して滝岡を見る。それに眸を細めて、眉を僅かに寄せて。

「…レベル2の処置は勿論していますが、…レベル4にしないと。それから、万が一にも怪我をして、血液に入れないように、…注意を、…――――いけない、ここに、こうしてる場合では、」

「飲め」

「――――」

別の器を差出していう滝岡に、神尾が見返す。

「…水だ」

「…―――――すみません」

水を呑んで息を吐いて、額を抑える。

 目を閉じたまま動かずにいる神尾をみて。

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