Second Impact 3

「これ、全部回収できたんですか」

「…全部は回収出来なかった、…。二つ、後から解って、手に入れられたのは箱だけというのがある」

地図の中で色が違う印を頤で示して関が云う。

「残念ながらな、…。うちと警視庁から人を出したが、…―――。それに、他にもつかめていないルートがある可能性がある」

難しい視線で関が地図を見ながらいうのに、神尾が緊張しながら、薄暗い室内にいる彼らを見廻す。

「…――つまり、…これは、―――」

神尾が詰まるのに、永瀬が淡々と。

「生化学テロって奴だ、…。神尾ちゃん。何が目的かわからんが、その細菌を輸入して、バラ撒くつもりってことだ」

硬い声で感情のみえない永瀬に、神尾が言葉を失う。

「細菌テロだよ」

永瀬が淡々と声にするのを、神尾は慄然として耳に受け止めながら。

 何処か、脳が受け付けないのを感じていた。

 ――――ばかな、…――――。

「でも、エルシニアでも、―――…pseudotuberculosisですよ?pestisじゃない」

蒼い顔で見返す神尾に、永瀬が感情の読めない眸で見返す。

「…わかってるよ、だから、おれには見当もつかん」

短くいう永瀬に、蒼い顔のまま神尾が沈黙する。

「…―――Y.pestisならともかく、…Y.pseudotuberculosisで何を」

茫然としながら呟く神尾に、永瀬が地図を見る。

 ――――…一体、なにを、…。

茫然としながら考え込む耳に、繰り返すその声が漸く届いていた。

「…―――何が違うのですか?神尾先生」

「あ、…――はい、…すみません、…――――もう一度、お願いします」

驚いて蒼い顔で振り仰ぐ神尾に、黒城が淡々と繰り返す。

「その二つの菌で、何が違うのですか?神尾先生」

「…―――はい、…――。ご存知かもしれませんが、Y.pseudotuberculosisは、…――失礼」

神尾が、目を閉じて額に軽く拳を当てて、深呼吸する。

「神尾先生?」

訊ねる黒城に、目をあけて、視線をあらためて合わせて微笑んで。

「すみません、…――。解りにくいですね。今回の菌が、Y.pseudotuberculosis――エルシニア・シュードツベルクローシスなら、同じエルシニア属で食中毒の原因菌として、法律で届け出が義務付けられているエンテロコリチカと同じで、毒性が強い、危険な菌とは思われていません。尤も、泉熱の原因や、一部、川崎病の原因菌ではないか、ということもありますので、――――…ダメだ、わかりにくいですね。…」

神尾が言葉を切って、視線を伏せ、一度溜息を吐く。

「…すみません。―――」

「つまり、ペストのように、致死率が高く、バイオテロに利用されることが想定されている菌とは違う、ということだろう」

穏やかに滝岡が補う声に驚いて神尾が視線を向ける。

 それまで、まったく発言せず、静かに気配も消えていたようだった滝岡をみてほっとして。

「いえ、…はい、ありがとうございます、その通りです。…―――ペストが、そういったテロに使われる危険がある、とかいう話は、ご存知ですか?」

神尾があらためて黒城をみていうのに、鷹城がくちを挟む。

「大丈夫、この人は知ってるから。…バイオテロ、嫌な話だけど、確か、ペストの粉末を空気中に撒いたら、一時間位は感染力をもっていて、人がそれを吸い込むと、肺ペストを発症して、それで人から人への集団感染を狙うテロに利用される可能性があるのでは、とかいわれてるんだよね?」

「―――…よく、ご存知ですね、…。そちらも、説明しなくても?」

「そうだな。…いまの説明と同じようなことなら」

穏やかに見返していう黒城に、ほっと息を吐いて神尾が天を仰ぐ。

「…すみません、無駄に緊張してますね、…――。でも、ですから、―――」

「つまり、これがペスト菌なら、テロに使われる理由もわかるが、何で、食中毒を起こす菌を、ってことだろ?」

「はい、永瀬先生、…――確かに、その通りです。日本でこの菌が検出された集団食中毒では、同時に千人近くの人数が感染して食中毒の症状を発症したことがありますが、死亡率はゼロでした。…これまで、検出された例での死亡例は無かったはずです。泉熱として、菌が同定されていなかった頃にも、…―――勿論、川崎病となればまた別ですが、あちらは自己免疫が関連しているのではという話もあるので、…―――つまり、…―――北米と、他の感染例でも、…―――エンテロコリチカよりは重症化する例が多いですが、それでも、過去死亡例は、――――…。いずれにしても、現在では、よく抗生剤が効く菌です。多くが、特に抗菌剤を投与しなくても、通常の体力があり、基礎疾患がなければ、…重篤化することもなく治癒するのが普通で、――――…」

「つまり、重症化することなく、本来なら治るということかね」

穏やかに訊ねる黒城に、はっとして神尾が見返す。

「…はい、――――」

答えて、またすぐに沈み込むように拳を口許にあてて考え込む神尾をおいて、黒城が滝岡を見る。

「この菌に感染した患者が、この病院に来たそうだが」

「…――いまも入院しています。ICUで加療中です」

「どういう症状だったのかね?教えてくれないか」

しばし沈黙して滝岡が黒城を見る。

 それに、鷹城が肘で突いて。

「滝岡さん、…場合が場合だから」

「…――――」

眉を寄せて、滝岡が鷹城を見る。それから、黒城に向き直って。

「…――腸重積から腸閉塞症―――絞扼性イレウスを起こし、生命の危険があった為、開腹して処置しました。症状は腹痛と発熱、腹痛の原因が、炎症と、――イレウス、腸がねじれてしまう症状で、その中でも、締め上げたようにして、血が通わなくなり、放置すればその部分の腸が壊死してしまい、死亡する絞扼性イレウスという状態になっていた為に、手術して処置しました。…何か?」

黒城がくちを開く前に滝岡に問われ、しずかな視線を向ける。

「いや、それは、誰にでも起きる症状なのだろうか?その細菌が感染すれば」

神尾が、その問いに不意に顔をあげて首を振る。

「それはありません。…――そもそも、絞扼性イレウスの原因は不明であることが多いんです。…その中でも、原因として感染症がみられることは確かですが。感染が引き起こす炎症によって、腸の動きが悪くなるか、こう動くうちに、捻られるようになって、殆ど偶然のような形で、腸が腸自体を絞め上げるような形になってしまうのが、絞扼性イレウスです。腸が収まっている形や、個人差がとても大きく、この原因で必ずこれが起きる、とはいえない症状です。手術して切除等をしなければ、致命的になるのは確かですが、――――」

「つまり、テロに使えるようなものではない、と」

黒城を神尾が見詰める。

「…―――はい、それにむしろ、もし腸重積を起こすのを目的とするなら、ウイルスの方が、…―――」

いいながら、何かに引っ掛かるようにして、神尾がくちを閉じる。

「…どうした?」

訊ねる滝岡に、少し首を振る。

「ご存知かもしれませんが、…。一時期、ロタウイルスのワクチンで、接種した幼児が腸重積を起こす例があるというのが、…―――。唯、確実だったかは、――――…。何れにしても、ロタウイルスのような腸に感染して症状を引き起こすウイルスで、引き起こす例があるというのはよく知られています」

「腸重積というのは?」

「―――…すみません、幼児や小さい子供によく起こるんですが、腸が重なって、腸が腸の中に入り込むようになってしまったりするんです。激しい腹痛の原因になりますし、勿論、それがあまりよくない重なり方から、ねじれて戻らなくなって、絞扼性、絞めて血が通らなくなるようになっては危険なので、常に慎重な処置が必要な状態です。小さな子は特に、腸の動きや免疫が出来ていない為か、よく起こるんです。絞扼性になるのは、むしろ、子供には稀で、大人に多いんですが」

「大人の方に。何にしても、テロに利用されるような状態ではないということかね?」

黒城の言葉に神尾が驚いて見返す。

「…いえ、はい。そうですね。利用は、どうでしょう?何にしても、絞扼性イレウスは危険ですが、そこまでいかない場合の方が多いですし、そうであれば、本来は腸の内容物が外へ出るようにして、内科的な処置で経過をみながら、そうすることが多いはずですから。つまり、投薬や点滴で、本来はそれで治せるものです。…」

自分でそういいながら首を捻る神尾を、黒城がしずかな視線で見詰める。

「確かに、テロに利用するというのなら、致死的な、何かが必要だろう」

穏やかにいう黒城に、永瀬がいやそうな視線を流す。

「いっちまえば、つまりは腹を下したり、腹痛を起こすってことだからな。バイオテロとかっていうには」

「無論、それが重要機関で一度に起これば、確かに問題ではあるが」

何処か少しばかり面白がっているように、黒城が云うのに滝岡がいやそうに眉を寄せる。

「伯父さん、そういうのは」

「…―――正義、そういうが、…」

少しばかり面白そうに黒城が滝岡に向き直っていうのに、滝岡が固まる。

「…伯父さん、その呼び方は」

「―――…滝岡先生、そういえば、下の名前あったんですね」

「…神尾、おまえ、驚くのはそこか」

伯父―――黒城を咎めかけて、滝岡が驚いてくちにしてしまった神尾を振り向いて睨む。

 それに、鷹城が口許に手を当てて笑って。

「…秀一、おまえも、」

「いえ、滝岡のにーさんも。確かに、業務中に、そういうのは」

「―――すまん、だが、その」

詰まっている滝岡に、白々しく黒城が云う。

「おまえが、わたしを伯父と呼ぶからだと思うが?」

そういって楽しげに微笑んでいう黒城に、滝岡が睨む。

「すみません。…―――黒城さん」

「そう憎々しげに呼ばなくてもよかろう。わたしがおまえの伯父なのは事実だ。それに、――」

「わかりました、わかりましたから!…神尾?どうした」

「…――――いえ、…」

ぼんやりと宙をみるようにしている神尾に、滝岡が気付いて問い掛けるのに。

「…いえ、その、…」

「神尾ちゃん?」

「…永瀬先生、――滝岡先生も、…―――あの患者さん、…あの子が、…――あの子の症状は、先に滝岡先生がいわれただけでは、なかったですよね?」

「…――それは、えーと、…。どれのこといってるんだ?神尾ちゃん」

戸惑うように永瀬が思い返しながらいうのに、神尾が僅かに首を振る。

「…その、勿論、一番主要だったのは、絞扼性イレウスでしたが、…―――確か、」

額に拳をあて、考え込むようにして俯いて呟く神尾をみて、滝岡が云う。

「…もしかして、じんましんのことか?発疹もそうだが、…―――

血管性浮腫」

「そうか、…あったな。――――――――あれ、そういえば、神尾ちゃん」

永瀬が顔を向けるのに、神尾が視線をあげる。

「そうですね、…。それです。…―――遺伝性の可能性があって、…C1欠損をいまは調べている処です」

「そうだ。だから、本来なら手術は行いたくなかったんだが、…。いまも、対抗処置はしているな?永瀬」

「勿論だ。…あーと、黒城さん、…。血管性浮腫っていうのは、じんましんの酷い奴だと思ってくれていいんですがね。ひどいときには、喉の中とかが腫れちまうんですよ。…喉の中、つまり気管が腫れて、息ができなくなるんです。…これに、遺伝的になりやすい体質の人がいましてね。何かの刺激や、怪我するとか、手術とかでも起きたりします。…だから、本来なら手術はしたくなかったと滝岡はいってる訳です。…―――いまも、突然、刺激を与えたせいで身体の中が腫れて息が止まったりしないように、慎重に管理している処です。…だから、忙しいんですけどね」

黒城を見ずに解説してから、最後にちら、と睨んで慌てて視線を逸らす永瀬に、淡々と視線を返す。

 その黒城を、見るともなしにみながら。

「…―――原因である可能性はありますね、…」

茫と視線を彷徨わせながらいう神尾に、滝岡が声を掛ける。

「つまり、腸重積、―――絞扼性イレウスの、か?」

「ありうることでは、…―――。感染に対する反応で、何らかの反応が起きて浮腫が起き、結果的にそれがイレウスを引き起こした、―――…」

「確かに、考えられなくはないが、…―――それが、感染により引き起こされたとして、どうした?」

訊ねる滝岡に、茫然としながらいう。

「…それは、―――そうか、滝岡さん、ここに繋げますか?」

「なにをだ?神尾」

突然、生き返ったように見返して、滝岡の腕を掴んでいう神尾に問い返す。それに、幾度も頷いて。

「滝岡さん、検査室の、―――僕がみていた映像、エルシニア、今回検出された菌の画像です。」

興奮している神尾の腕を押さえて、滝岡が内線で連絡を取る。

「西野か?すまん、急に。院長室のスライドに、そうだ。…神尾が先程までログインしていた検査室の、そうだ、その画像を映し出せるか?…――――わかった、神尾、これか?」

「…――――これです」

地図の替わりに映し出された映像を、神尾が凝視する。

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