Second Impact 2

「おかしいですよね、…。まるで、芽胞みたいにみえる」

顕微鏡でスライドを覗いて、神尾が首を傾げていうのに、別のデスクで検体をみていた技師が同じく首を捻って。

「でも、陰性菌ですから、芽胞はないはずですよね?」

「…そうなんですよ、…。でもこの固定標本では、まるで芽胞が出来てきているようにみえます。…周辺にみえるのも、―――アルカリ処理したんですよね」

怪訝そうにいう神尾に、技師が頷く。

「勿論です。先生の指示ですよ?」

「ええ、―――培地をアルカリ処理してもらった方に出てくれたお陰で、判定がはやくできたんですよね。…これは何だろう、…」

スライドを画像処理したものを別のモニタに移して、顕微鏡を離れて神尾が見ながら首をひねる。

「…――何だろう、…。アルカリ処理した培地で、―――」

「大きさからは、ウイルスとかでしょうか?」

「…電子顕微鏡は置いてませんしね、…―――。培養には出してありますよね」

モニタに映し出された、細長い楕円形にみえる細菌と、その途中から生えているようにみえる円形に近い粒のような形をみて、神尾が疑問を呟くのに、技師がスケジュールを確認する。

「培養に出してありますから、―――けれど、速度が遅いですからね。結果が出るのは、――――」

「はやくて、二、三日後になりますね。ありがとうございます。…ああ、そうだ。処理は、―――…レベル2で?」

「はい、気をつけてます」

真剣に見返す技師に、神尾が笑顔になって礼をいう。

「ありがとうございます。…どんな細菌でも、患者さん達には致命的になる危険がありますからね。それに、どんな変異があるか、わかりませんから」

少しからかうように笑ってみせていう神尾に、技師が大きく眉を寄せてみせる。

「やめてくださいよ、…―――。先生がこちらにこられたときの騒ぎは、もう沢山ですよ、…。あれは、検査部には回ってきませんでしたけどね」

「はい。…――まあ、何にしても、廃棄処理等は慎重にお願いします。何があるか、わかりませんから」

微笑む神尾に、技師が頷く。

「その通りですね。慣れが一番怖い。シールきちんとして捨てますよ。…先生、呼び出しですよ?」

「え?…――何だろう?患者さんなら、こっちに直接きますよね」

患者の容態等、緊急の異変があった際に連絡のくるはずのPHSではなく、検査室のいま利用しているデスクに掛ってきた呼び出しのサインに神尾が首を傾げる。

 検査室のデスクには、各自が使う顕微鏡等の機器が置かれていて、それらを使用するには、最初に利用者登録を行わなくては使えないようになっている。

 呼び出しの内線もワンセットになっていて、その登録をしてから、機器を使用する為、呼び出しのコールは確実にそのデスクを利用している者宛になる。

 細菌等の危険な検体を扱うこともある為に、使用者を確定する為のシステムだが。

「何だろう?…はい、神尾です」

首を傾げて内線をとった神尾が、相手の言葉にさらに少し驚いたような顔になる。




「―――…失礼しま、す、…。――」

怪訝な顔をしながら、神尾が院長室に呼び出されて、一応、挨拶しながら扉をあけてみると。

「…――――どう、」

滝岡をみつけて、どうしたんですか、と聞きかけて。

身長の高い滝岡が、据えた視線で向き合っている、これは滝岡よりも少し低いが、長身といっていいだろう相手をみて。

 ―――ええと、…?

つい眉を寄せて相手をみる。無言で静かにそこに立っているだけの存在だが。

 ――――…滝岡先生と、この人がいると、…――狭い、ですね、何か、…。

そーっと、注意を引かないように、滝岡と対峙している――どちらも無言なのだが、―――すい、と流れるように立っている、無言の制服を着た人物から離れる方に歩いてみる。

 ――えーと、どうしよう、…。

いつもは威圧感等ない滝岡が、少し近寄り難いように感じるのは、気のせいではないだろう。

 ――どうして、僕がこの人と、滝岡先生がいる処に呼び出されて?

デスク側に立つ無言で、静かに立つ姿勢の良い人物と。

 それに、滝岡と、三角の頂点を結ぶような位置に、そっと逃げてみて。

 ――なんていうか、いたたまれない雰囲気なんですが、…。

子供がいたら泣きだしそう、というか、…。滝岡先生、ここまで相手と緊張感ある雰囲気でというのは、―――話題に出たときしか知りませんが、院長に対してくらい?

と真面目に考えて、ふと思う。

 ―――院長も御親戚ですから、この制服の人も、滝岡先生の御親戚なんてことは、…――――。

漂う緊張感につい、そんな無駄なことを考えていると。

「…――あ、おまたせしましたっ、…げ、ていうか、どーして、あなたまでいるんですっ?聞いてませんけど!」

神尾が、大きく音を立てて開いた扉に視線を向けると。

「…秀一さん?に、関、さん?」

驚いて神尾が見る先には、先日別れたばかりの鷹城秀一に関の姿があって。

「あ、神尾先生、よかった、呼んでくれて。――――で、どうして、あなたが?呼んでないですよね?」

眉を寄せながら、鷹城が制服の怜悧な印象を与える人物におどけるようにしていうのをみながら。

 ―――何だか、無駄に根性が凄いっていうか、…秀一さんって、神経が太いんですね。

つい、神尾が感心しながら、その鷹城をみるくらいには。

「…――――」

無言で視線を動かす人物の黒瞳には何の感情も読めないのが。

 迫力が、ありますね、…。

別に脅している訳でもないですし、唯立っているだけの筈なんですけど、とか思いながら、神尾が鷹城に返す。

「ええと、あの、秀一さん、僕に用ですか?」

「あ、はい。それで、…―――」

いいながら中に入る鷹城の後ろで、関が扉を閉める。

 無言でいる関の雰囲気に、何かを感じて神尾が視線を向ける。

「…――――どう、しました?関さん」

「…――神尾」

神尾が入って来ても無言でいた滝岡が、ようやくくちを開き、軽く息を吐いて僅かに眉を寄せて呼ぶ。

 そこへ。

「滝岡先生?」

「―――…こちとら、くそ忙しいのはわかってるだろうが!何でいちいち呼ぶんだ!滝岡、…!」

「…永瀬先生?」

神尾が驚く前で、文句をいいながら、ドアを乱暴に開けて入って来て、抗議しようとした永瀬がくちを閉じる。

 何処か、蒼い顔で永瀬が凍りついたように、制服の人物をみて動かなくなるのに、神尾が心配してその傍に寄って肩に手を置く。

「どうしました?永瀬さん?」

「…ああ、いや、―――」

その人物を凝視したまま動かずにくちにする永瀬に。

 そして、関がやはり扉が閉まるのを確認しているのを、視野の隅に入れて神尾が訝しげに、その人物を振り向く。

 唯、無言でかれらを見返す、静かな黒瞳。

 怜悧であり、端正な面立ちであるのは確かだろう。

 整えられた制服の印象が、何処か。

「伯父さん」

「…やっぱり、御親戚なんですか?」

「…―――」

滝岡の言葉に、神尾がつい驚いて、のんびり口に出すのに。

その人物が僅かに眉を寄せて、神尾をみる。それに、驚いたように鷹城が神尾と件の人物を交互にみて。

「えーと、神尾さん、…」

何か云い掛ける鷹城を遮り、―――僅かに、視線だけで制してみえたのは、多分気のせいではないだろう―――一歩、その人物が神尾の方に歩を進める。

 ―――何だか、映画か何かに出てきそうな人ですね、…――。

圧倒的な存在感に、つい瞬いて見返して。

 手を差し伸べているのに気づいて、驚いて見返す。

「失礼した。自己紹介がまだでした。黒城といいます。はじめまして。お話は伺っている。お会いしたかった、神尾先生」

「…――は、はい、…。誰から僕の話を?」

手を差出して、握り返す神尾に、鷹城と永瀬がぎょっとした顔をする。永瀬が少し蒼くなって一歩下がり、鷹城が珍妙な顔になって何とか踏み止まる。

 握手を普通にして、微笑んで黒城が応える。

「槙野教授や、日野所長など。以前から貴方のお話は伺っていた。大変なお仕事をされている」

穏やかに微笑んで静かにくちにする黒城に、真剣にそう思っているというのが伝わって、神尾が瞬く。

「…―そうですか、…。でも、いまは海外勤務はしていませんから、大変ということは、…――。別の大変さはありますが、…」

勿論、といま担当している患者達を思い出して僅かに眉を顰める神尾に。

 少し歩を下げて振り返り、黒城が云う。

「お時間をとり、申し訳ない。…樋口」

短く呼ぶ声に、神尾が驚いてそちらをみる。

 薄暗く照明がその声に落ち、院長室のデスク側の壁を利用して、スクリーンが淡い光に現れる脇に。

 長身細身の人物が控えていたことに気付いて神尾が目を丸くする。黒城と同じ種類の制服を着た―――少し、制服についている色々なものの数が違う気がする、と思いながら神尾がみて。

「…どこにいたんですか?」

素直に疑問をくちにする神尾に、少し、その樋口と呼ばれた人物が微笑んだような気がして、驚いて神尾が見返していると。

「そーですね、お時間を無駄にするといけませんものね、―――。

神尾先生、これが、僕が今日、みてほしいものです」

鷹城が前に出て、何かを院長のデスクに置かれた装置にセットする。

「これは、…―――」

映し出されたのは、ビニールの小袋が二つ。左側に置かれたものが大き目で、右上に置かれた小袋は半分位の大きさだろうか。背景は藁のような色をした細い紙がクッションのように敷き詰められていて、小袋二つには色の違う粉が入っているようにみえる。

 しげしげと眺めて、神尾がくちを開く。

「これを僕に?一体何ですか?」

「写真です」

鷹城が投影したものと同じ写真を神尾に渡す。それを手に、不思議そうに首を傾げる神尾に、鷹城が話し掛ける。

「中に入っているのは、ご覧の通り粉です。―――――つい最近、押収されたんですけど」

「…押収、ですか?」

目を丸くして写真を手に神尾が鷹城をみる。それに、関が前に出て。

「…――うちで押収しました。この処、管内で、麻薬を海外輸入品として小包で送って来る事件がありましてね。基地に勤務している米兵の関係者宛に、荷物を送って受取らせるという手口でしたが」

いいながら、関が新しいスライドを映す。

「…――これは、その荷物を?」

「受取った、――荷物が送られた場所です。基地周辺の住居等を宛先としていました」

地図に映し出された印と、手許の写真を見比べて神尾が不思議そうに訊く。

「でも、…それが?どうして僕に。麻薬関係の研究はしたことがありませんが」

「わかってます。鷹城」

関が短く呼ぶのに、鷹城が軽く溜息を吐く。

「こちらの方が、神尾さんに会いたがった理由も多分同じですが、…――。大麻や何かの輸入がこれまでは大半で、これらも同じように密輸麻薬だと思われて調査していたんですが、…」

鷹城がいいかけてくちを噤む。

 硬い声で、永瀬が蒼い顔でいうのを。

「…―――神尾ちゃんに頼むってことは、―――…」

そっと、しずかに吐き出すように。

「永瀬先生?」

心配して肩に触れる神尾を、永瀬が見返す。

「…―――細菌か?その中身は」

硬い声と表情のまま、永瀬が神尾をみたままいうのを。

 僅かに頷いて鷹城が引き取る。

「はい。…―――これの中身は、細菌と、…ウイルスでした。二つの中身は別で、大きな方の小袋が細菌で、小さい方が、おそらくウイルスだろうという話です」

「…同定できてねーのか」

永瀬が蒼い顔のままぼそり、という。

薄暗い室内で鷹城が微笑む。

「残念ながら。こちらでも調べてはいますが。…細菌は、――これが写真です」

鷹城の言葉に、その背で関が操作してスライドが変わる。

「…―――もしかして、…。Yersinia?」

細長い楕円形をした細菌の写真をみて、神尾が呟く。

「…神尾ちゃん、まさか」

それに、鋭く永瀬が視線を向ける。

「―――写真だけですと、…。でも、―――Yersinia pseudotuberculosis?…まさか、でも」

茫然としながら、先程みてきたばかりのスライドを思い出して神尾が眉を寄せる。

 映し出された細菌の姿をみながら、凝っと特徴を見いだせないかと見詰める神尾に。

 鷹城が、にっこりと微笑む。

「勿論、正解です。それで、こちらに伺いました。…―――こちらで、その細菌が出たというお話を伺って。…エルシニア、――――」

「エルシニア・シュードツベルクローシスとかいう、舌を噛みそうな名前の奴が、丁度、あんたの処で見つかったって聞いてな。…あのとき搬送されてきた子供から出たって?」

厳しい顔をして関が問い掛けてくるのに、神尾が驚く。

「待って下さい、―――。どうしてそれを。…保健所には届けましたが、…――――。」

「届けてくれて助かった。法律で届け出が定められている種類ではないときいたが」

穏やかに神尾に話し掛ける黒城に、驚いて見返す。

「あ、はい、それは、…よくご存知ですね?確かに、食中毒を防ぐ為の法律で届け出が必要とされている菌は、同じ属のエルシニア・エンテロコリチカですが、この菌も多数の食中毒を起こしていますので、やはり一応、保健所に連絡を。集団感染を引き起こした際には、かなり多数へと広がる特徴を持っていますから、…――。それが、どう?」

戸惑って、黒城と鷹城を見比べる神尾に、鷹城がにっこりと。

「ええ、それで僕の方も助かりました。…そちらも助かるっていうのは、―――――事前連絡かなにか?」

鷹城の視線に応えず、しずかに黒城が視線を映し出されている地図へ向ける。

「沈黙ですか、…。いいですけどね?というわけなんです、神尾さん。本当に、今回連絡してくれて助かりました。僕達も、情報を早く集めようとしていたので」

「…情報を、はやく、ですか?…その、――――」

突然、腑に落ちて愕然としたように神尾が地図を振り仰ぐ。



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