第6話

 久し振りにハロワ(ハローワーク:公共職業安定所)に来た。ほぼひと月ぶり。それほどバイトが忙しかったわけではない。前回来た時は丸一日粘って求人を探したが、結局目ぼしいものは見つけられなかった。いい加減焦りもあるが、(面接を)受けたいものがない以上仕方がない。相談窓口で職員にそう言うと、「今は時期的に求人数が少ないですから、もう少し間(あいだ)を置いても良いかも知れませんね」、そう返された。いつもはその半分無責任とも取れる返答に、その時は「そうですね」と素直に反応できた。正直、目途の立たない仕事探しに疲れてきたのかも知れない。

 家(うち)に帰っても就職浪人のオレに居場所はない。去年定年退職した元警察官の父親は、天下りが上手くいかなかったと見えて、時折警察OBの集まりに出掛ける他はまるで不機嫌を絵に描いたような顔で一日を過ごしている。一方母親は今年春から久々に外へパートに出るようになった。近所に新しくできた惣菜だけの店。なんでも障害者の社会進出の一環として作られた施設らしく、いつまで続くかは分からないが、元保育士の母親はこのところ目に見えて生き生きとしている。それがまた何とも云えないプレッシャーに感じられ、バイトが早く退(ひ)けてもオレは真っ直ぐ家に戻る気にはなれない。


 馴染みの検索機席に座り、オレはいつものように「製造」から探していく。もちろん「正社員」。予想通りあまり変動はない。密かに狙っている企業はあるが、まだ求人は見当たらないし、前に窓口で聞いたところ、やはり応募倍率(過去分)はハンパないらしい。かと云って今時「派遣」や「契約」で就職したところで、「正社員」登用の可能性はほとんど皆無(ゼロ)と云っていい。以前やはり同い年くらいの顔馴染み(〝岩(ガン)さん〟〝チャリ男(お)〟の仲)がハロワの紹介で「契約」就職したが、半年も経たないうちに辞めて戻ってきた。

「『正社員登用あり』って云うから就職したのによ、後で周りから聞いたら『正社員登用は高卒以上。それも改めて入社試験する』んだって。それじゃあ俺みたいなバカは最初からアウトじゃん。騙しだよ、騙し」

 オレは奴に合わせて苦笑いしたが、内心ショック半分、一応安心が半分だった。そうだ、こう見えてもオレは大卒なんだ。高卒とか、中退の連中とは訳が違うんだ。ハロワに居る間、オレは幾度となくそのフレーズを繰り返している。まるで古(いにしえ)から伝わる呪文かのように。

「真人(まこと)さんは就職しないんっすか?」

 今日の早朝、バイト先の清掃会社の後輩、矢壁が訊いてきた。

「別に、今はさ」

 何とか話題をはぐらかそうとするが、高校中退・今年二十歳(はたち)の矢壁には自分でも差し迫ったテーマであるらしく、乗り合わせた作業車の中でも最近よくその話をする。

「『今は』って、真人さんも今年二十七でしょう。そろそろバシッと正社員、決める時期なんじゃないんすか?」

「…まあ、その気になりゃな」

「まこっちゃんは大卒だから大丈夫なんだよ、お前さんと違って」

 そう横から口を出すのは、同じ清掃作業員・丸山のおっさんだ。もう五十はとうに過ぎているらしいが独身、年老いた母親と二人暮らしをしている。一昨年(おととし)ようやく正社員に登用され、本人は「身体(からだ)の続く限り」この会社(社長を入れて従業員十一名)で働くつもりらしい。

「真人はウチの会社、何年目だ?」

 そう訊くのは会社の業務課長・田島。車が趣味で、仕事でもほとんど運転は自ら買って出る。噂では昔かなりのワルだったらしいが、真偽のほどは分からない。とにかく気性・風貌共に独特で、何とも不思議な中年だ。

「かれこれ四年、ですかね」

「…長いな」

 田島は言った。オレは一瞬ドキリとする。

「大卒だろうが何だろうが、新しい仕事に入るってのは一苦労なんだ。経験は一旦横に置いて、まず0から始める覚悟が要る。そしてそれは、歳を重ねれば重ねるほど大変になる」

「う~ん、そういうもんっすかね」

 矢壁が代わりに応えた。

「特に男はダメだ。プライドがあるから。その点女はいいな。職場の人間関係に溶け込めれば、一週間で一年いたような顔になる」

 田島はハンドルを切りながら言う。オレは母親のことを思い出し、すんなり納得する。

「じゃあ、尚更ですよね。真人さん」

「あ?」

 オレは走り去る外の風景に目をやり聞こえないフリをする。お前なんかに言われなくても分かってんだよ、このお調子者(モン)が。オレは密かに呟く。それから間もなく、今度は自然と苦笑が出る。プライドか。そんなもの、自分にはとっくの昔無くなったと思っていたけどな…。

「さて。じゃあ、今日は一階フロア、四時間で済ませるぞ」

 現場を間近にして田島から容赦ない檄が飛ぶ。オレは何より、それで矢壁のお喋りが当分中断されることの方が有難かった。


 あった。

 今日のオレには目算がある。新聞で見た、再来年から竣工される駅前再開発事業。それに関連して、地味ではあるが一応その業界では国内上位クラスの企業がこの街に支店を出すとの噂を聞いたのだ。仕事は『建設営業』(もちろん正社員)。学歴・職歴共に畑違いだが、この際挑戦してみるに損はない。オレは迷わず求人票のプリントアウトボタンを押す。少し間があって、足元にある印刷機から紙が排出されるのが分かる。

 ふと下を見ると、そこに青い紙切れが落ちていることに気づいた。目当ての求人票と一緒にそれも拾ってみる。

「ん?チケット?」

 確かにそれは何かの入場券(チケット)らしいが、肝心の内容については何の記載もない。まるで作りかけの不良品みたいだ。よく見ると日付らしきものは辛うじて読める。今月の二十日(はつか)、水曜日。

「何だ、こりゃ」オレは瞬時にゴミ箱を探すが近くには見当たらず、仕方なくそれをポケットに突っ込むと先に相談窓口の方へと向かう。時刻はそろそろ夕方の四時半。オレのように仕事を終えてから(或いは仕事前に)求職者がなだれ込む時間帯だ。さっさと待合席に座って順番を確保しておいた方がいい。

 オレはその時、自分の中にほのかな希望が宿っているのを感じていた。


 どうしてこう上手くいかない?

「これくらいの企業になりますと、『大卒』と云うだけでは要件に足りないのかも知れません」

 だったら、最初から『経験・資格不問』って書かなければいいではないか?

「営業職となると、色んな実地の経験・知識も必要ですから、とりあえず門戸は広げておきたいのでしょうね」

 じゃあ、オレは?オレは専門の教育を受けてる。

「田所さんの場合、福祉系の大学を出ていらっしゃるようですが、卒業後一旦就職された後、二年目で退職されてますよね?」

 それがどうした。一年間でも経験は経験じゃないか。生保の連中みたいにただ遊んでたわけじゃないんだ。

「一年と云うのは経験としてはまだまだですし、何より何故そのタイミングでの退職なのか…。やはり採用する側としては懸案となってしまったのでしょう」

 …。

 応募から五日目。最速での書類選考落選の知らせを受けて、オレは再びハロワを訪れた。相談員(前回と同じ)はオレの登録カードを受け取ると、机上のパソコンでデータを一瞥し、こちらが問うまでもなく次々と不採用の原因を検証してみせた。それはまるで、一方的に架け梯子の先を切られるような、そんな残酷さがある。オレは自分の中に切迫する感情に戸惑い、追いまくられるしかない。

「だったら…」

 一頻(ひとしき)りぐうの音も出なかったオレの口から、ようやくそれだけが漏れ出る。

「はい?」

 相談員がオレの顔を覗き見る。まだ若い。1、2歳下くらいか。きっとオレより偏差値の良い大学(がっこう)を出て、真っ直ぐに就職して、これから定年まで土日祝休み(もちろん有休付き)の公務員職を過不足なく全うしていくのだろう。何とも立派なものではないか…。

「だったら最初からそう言ってくれたら良かったじゃないですか。後からどんなに分析されたって、こっちはもう落っこっちゃってんですからどうしようもありませんよ」

「あ。いえ、でもまだ」

「まだ求人があるって云うんですか?」オレは畳み掛ける。「一つのこれって云う求人を探すのに、こっちがどれだけ苦労してるって思ってんですか」

 自分の声が大きく、そして尖っていくのが分かる。止めようと思っても身体の奥底から勝手に何かが湧き上がってくる。まるで砂漠の鉄砲水が一気に下流の村を襲うかのように。「応募書類一式作るのにも、こっちは2、3時間はかるく懸けてるんだ。何とかそれで相手に自分のことを分かってもらおうと。それをあんたたちは…」

 オレの腰が上がりかける。

「田所さん」

 その若い相談員は予想外に落ち着いていた。「お気持ちは分かります。ただ前回も私は申し上げたはずです。『現在の状況でこの企業への応募はかなりの冒険ですよ』と。あなたがそれをどう解釈されたかは分かりませんが、もし今回の結果を想定されていなかったとするなら、私はあなたにもう一度申し上げなければならないと思います」

 オレはその毅然とした物腰に思わず引き寄せられる。

「就職は、まず等身大の自分を知ることからですよ。あなたはもう一度、その原点から始めるべきだと私は思います」

 その一瞬で、オレの中は真っ白になった。

それからどうやってハロワを後にしたのか、全く覚えていない。ただ途中で何かに蹴躓いて、それを思い切り蹴飛ばしたことぐらいだ。オレの何十度目かの、そして満を持しての挑戦は、こうして呆気なく風塵(ちり)と消えた。


 もうハロワに行くのは止めよう。いや、この際バイトも少し休みたい。今年に入ってから厄介で大きな現場に回されることが多くなった。それだけ頼りにされてると云えなくもないが、いくら汗水出して働いたところで、貰えるのは決まった時給と僅かな時間外だけ。普通に働いている同級生の半分にも及ばない。先の見通しなんて、立つわけがない。

 前の仕事の時もそうだった。元々介護職員として就職したオレが丸一年勤めて分かったことは、人並みに暮らしを立てていこうと思うのならここにいてはダメだ、と云うこと。事実ベテランでも(と云うかベテランの順に)過労が祟って身体を壊す者があとを絶たなかった。中には退職を余儀なくされる者さえ。そのうちオレは思うようになった。職場(しごと)に愛着が出てくる前に決断をしなければならない、と。そして実際、オレはそうした。

 オレは普通に暮らしたいだけだ。親に文句を言われることなく、他人に迷惑を掛けることもなく、ごく一般的な家庭を持って、子育てをして、そしていずれ年老いて…。だがしかし、今のオレにはその普通すら望めなくなっている。一体どこで間違った?一体何が、オレの邪魔をしてると云うのだ?

 行き着けの書店脇の自販機でオレは一時喉を潤す。いつの間にか外は肌寒さを感じるほどになっている。オレは自分でも気づかずにホットの缶コーヒーを選んでいた。ふとポケットの中に違和感がある。掴んで出してみると、それは例の青い入場券(チケット)だ。改めて日付を見る。何だ、今日じゃないか。それに…。この前はなかったはずの場所の記載がある。うつせみ山公園・大駐車場。ああ、子どもの頃よく親に連れられて行ったところ。最近は市内に別の公園が整備されたこともあって、ほとんど足を向けることはなくなっていた。

 久々に行ってみるか。オレは自転車をその方角の方へと向ける。そうだ、オレに今必要なのは何より気晴らし。間違っても現実の自分なんて、見たいとは思わない。それは…それは何かに負けたことになるから。オレはペダルに力を込める。よし、途中でコンビニに寄っていこう。腹が空いた。それに深夜のライブとかなら、きっと夜通しになるだろう。今のうちに何か腹の足しになるものでも買っておこう。


「日が短くなったな」

 加速の付いたオレの自転車は、無灯火のまま夕闇の通りを疾走していく。街の明かりがぽつぽつと灯り始めるのが分かる。

 全てが、こんな風に流れてしまったらいい。オレは訳もなくそう口走っている。

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