第6話 言葉の落とし穴 ~歴史と現代に潜む解釈の罠~

「民主主義のために戦う」


この一つの言葉が、理念やスローガンとして、 

20世紀に起きた多くの戦争や紛争の正当化や推進に、

利用されてきたことをご存知でしょうか。


実は「言葉の解釈」は、私たちの身近なところでも深刻な問題を引き起こしています。

例えば、SNSでの「いいね」の意味も人によって全く違います。

「共感した」「見たよ」「応援してるよ」「面白い」など、様々な解釈が可能です。

その曖昧さゆえに、時として大きな誤解が生まれ、トラブルに発展することもあります。


第一次世界大戦が始まったきっかけは、実はたった一通の電報の解釈の違いでした。1914年、オーストリアのフランツ・フェルディナント皇太子が暗殺された際、

ドイツは同盟国オーストリアに対して「セルビアへの強硬な対応を支持する」という電報を送りました。

この「強硬な対応」という言葉を、オーストリアは「戦争も辞さない」という意味に解釈。

その結果、大規模な戦争に発展し、約2000万人もの命が失われることになったのです。


最近では、2011年の東日本大震災の際、「想定外」という言葉の解釈が大きな問題を引き起こしました。

原子力発電所の安全性を説明する際に使われた「想定外の事態」という表現。

電力会社はこれを「めったに起こらない事態」という意味で使いましたが、

実際に起きてしまった後では「予測できたはずの事態を見逃していた」という解釈に変わり、大きな社会問題となりました。


また、1999年にNASAの火星探査機が墜落した事件があります。

原因は、NASAのエンジニアとメーカーの技術者の間で使用する単位の解釈が違っていただけ。一方はメートル法、もう一方はヤード・ポンド法で計算していたことで、約1億2500万ドル(約125億円)もの探査機が失われてしまいました。


では、こうした解釈の違いはなぜ生まれるのでしょうか?


1. 文化や価値観の違い

 「公共の利益」という言葉一つとっても、その解釈は国によって大きく異なります。例えば、新型コロナウイルス対策では、中国は「公共の利益」を理由に個人の行動を厳しく制限しましたが、スウェーデンでは「個人の自由」を重視し、大きな制限を課しませんでした。同じ「公共の利益」という言葉が、全く異なる政策を生んだのです。


2. 世代間の認識の違い

 「働き方改革」という言葉。親世代は「もっと頑張って働こう」と解釈するかもしれませんが、若い世代は「ワークライフバランスを改善しよう」と考えるかもしれません。

 「いい仕事」の定義も世代によって異なります。年上の世代は「高収入」や「安定」を重視し、若い世代は「やりがい」や「自由度」を重視する傾向があります。


3. 立場や利害関係による解釈の違い

 「適正な税金」という言葉の解釈は、立場によって大きく異なります。政府は「必要な公共サービスを提供するための財源」と考え、企業は「できるだけ抑えたい経費」と捉え、市民は「何に使われているのか知りたい負担」と考えるかもしれません。

  実際、1765年のアメリカ独立戦争のきっかけとなった「印紙条例」も、イギリス本国は「正当な課税」と考えましたが、アメリカの植民地側は「代表なくして課税なし」と反発し、解釈の違いが革命の引き金となりました。


4. 時代による意味の変化

 「民主主義」という言葉は、古代ギリシャでは「自由民による直接統治」を意味していましたが、現代では「国民主権に基づく代議制」を指すようになっています。

 「プライバシー」という概念も、インターネット時代に入って大きく意味が変わりました。かつては「他人に干渉されない権利」程度の意味でしたが、今では「個人情報の管理権」という、より広い意味を持つようになっています。


5. 意図的な解釈の操作

 「国益」という言葉は、しばしば特定の政策を正当化するために使われます。例えば、同じ貿易政策でも、ある人は「国益を守るための保護主義」と解釈し、別の人は「国益を損なう経済鎖国」と解釈するかもしれません。

 2008年の世界金融危機の際、「必要な規制緩和」と説明された政策が、実際には高リスク金融商品の取引規制や自己資本比率規制の緩和、巨大金融機関への優遇など、一部金融機関の利益を優先するものでした。これにより、短期的な利益追求が優先され、金融システム全体のリスク管理が軽視されました。


6. 翻訳や言語の壁

  国際条約の解釈を巡って国家間で対立が生じることがあります。例えば、日本語の「誠意を持って協議する」という表現は、英語では単に"consult"と訳されることが多く、これは単に「協議する」という意味であり、「誠意」に含まれる真摯な態度や相手への配慮といった重要なニュアンスが欠落します。つまり、条約上は「誠意」を伴う協議が求められているにもかかわらず、翻訳によってその意味が十分に伝わらず、解釈の相違を生む可能性があるのです。

  技術用語の解釈の違いが大きな事故を招くこともあります。先のNASAの事例はその典型です。


7. メディアや情報環境による解釈の違い

 同じニュースでも、どのメディアを通じて情報を得るかによって、全く異なる解釈が生まれることがあります。

 SNSの普及により、同じ出来事でも、それぞれの見たいものだけが見える世界で全く異なる解釈が広まりやすくなっています。


——これらの要因は、単独で、あるいは複数が組み合わさって作用します。


例えば、コロナ禍での「自粛」という言葉の解釈は、世代間の認識の違い、文化的背景、立場の違い、メディアの影響など、複数の要因が絡み合って、社会の中で様々な軋轢を生みました。


では、私たちはこのような言葉の解釈の違いに、どう向き合えばよいのでしょうか。


まず大切なのは、同じ言葉でも人によって違う意味に受け取られる可能性があることを知っておくことです。特に重要な話し合いをする時は、お互いの理解が本当に一致しているのか、確認し合う必要があります。


誰かが言葉の意味を意図的に変えようとしていないか、注意を払うことも大切です。

歴史は、言葉の解釈が政治的な目的のために利用されてきた例に満ちているからです。


言葉は、私たちの考え方や行動に大きな影響を与えます。

一つの言葉の解釈が変わることで、社会の在り方さえも大きく変わってしまう


——それほど言葉には大きな力が秘められているのです。


この力を正しく理解し、慎重に扱っていくこと、

つまり「言葉を磨く」ことが、

より良い社会を築いていくための第一歩となるのではないでしょうか。

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