第2話 日記20250102 お賽銭

 我が家の近くには神主さえいない小さな神社があり、普段は誰も訪れない。

 だが正月となれば人が途切れることなく訪れる。

 金運がつくという神様なのだ。


 不思議なことに、彼らは皆、十円玉や百円玉に大金持ちにしてくださいと願いを掛けて賽銭箱に放り込めば、たちまちにしてお金が天から降って来ると信じているようなのだ。

 そのために三拍三礼一拍がいいとか、いや二礼二拍手一礼が良いとか、神様に名前を憶えてもらうために自分の住所氏名を言うのがよいとか、色々に騒ぐ。

 それでいて御捧げは安物の食事一回分も賄えない硬貨一枚である。

 何と強欲なこと。そのような心持に神が感心することはない。

 

 人間に例えてみよう。

 正月を楽しんでいると、誰かがチャイムを鳴らしまくる。

 いったい何だと出てみると見たこともない人間が立っている。こちらの顔をみると「ご縁がありますように!」と叫んで五円玉を顔に叩きつけてくる。

 挙句の果てに自分の住所と名前を述べると、ご利益お願いしますと付け加えてから、にやにやして帰っていく。

 あなたが神様ならどうする?

 それが私なら・・絶対に草の根を分けてでも探し出し、ひどい目に合わせる。

 当たり前だろ?

 

 普段から信心し、毎月一回はお参りをして、神社の催事には率先して手伝いに行く。それぐらいやって初めて神の氏子と言える。

 賽銭程度で神が助けてくれることはまずないのだ。

 それでも神様だって台所事情は苦しい。お金がないと神社を維持できないし、名前が売れねばそれにつれて神威は弱まり、最後にはその神様はいなくなってしまう

 だがまったく御利益無しでは誰も来なくなって同じく神社は寂れてしまう。だからときたま・・ほんのときたま、これは簡単だぞという願いをちょっとだけ聞いてくれる。

 それが実情である。


 霊能者が初詣に行くと、神様が顔を見せてくれて住所と名前を聞いて覚えてくれるという話があるが、それは呼び出したのが霊能者だからだ。一般の人間の顔を見るために、神様がわざわざ出て来るわけもない。

 そしてそれでさえ、霊能者を自分の部下にしてこき使ってやろうという神様の下心が見え隠れしている。

 きっとそういう話を聞いて私も!となるのは、幸運の星の下に人生を気楽に生きてきた人たちなんだなと、私は思う。

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