招集
西暦二〇四〇年三月現在。政治の世界で、『生物』が主役になる事は早々ない。
それが生物学者である、雨宮由紀の考えだった。
確かに生物は、人間の生存に欠かせない存在である。人間が生きている環境は数多の生物種で形成された、生態系によって成り立つのだ。そのピースを破壊、即ち絶滅させる事は、自分達の暮らす家を破壊するのに等しい愚行だろう。最優先で解決すべき事柄なのは間違いない。
しかし直接的な利益もない。
いや、ありはするのだ。夏場の気温が五十度にならないのも、脂の乗った魚が食べられるのも、生物達のお陰である。だがこれは巡り巡っての結果であって、何処かの生物が地球冷却ビームを撃っている訳でもなければ、お魚丸々太るビームを撃ってる訳でもない。
故に「生物を守って何か意味があるの?」と思われてしまう。エアコンを知らない者には、室外機の重要性が分からないようなものだ。そして多数の人々は、生物多様性や生態系の重要さに、そこまで興味があるとは言い難い。
多くの人が認知していないから、政治も取り上げない。民主主義において重要なのは民衆からの支持であり、民衆の共感が得られないテーマはやっても仕方ない事なのである。
「(だから、まぁ、政府に呼ばれた時はちょっと嬉しく思ったけど)」
由紀はそんな日本政府の会議に、この日招かれた。
最初は、少しは国も生物について考えるようになってくれたのかと嬉しく思った。日本国が今後何百年何千年と続くためには、生態系が重要なのだと理解したのかと。そして世間では天才だとなんだの持て囃されているとはいえ、若干二十代の自分がその重要会議に参加出来て誇らしいとも。
しかしどうにも奇妙だと、後になって気付いた。
まず会議は極秘で行われるらしい。確かに多くの人々が生物多様性の重要さを理解しているとは言い難いが、それでも自然保護自体は大多数の人々が大切だと思っている。会議自体に異論が出るとは思えないのに、何故隠すのか。
次に参加者。スーツ姿の人々は、官僚だろうか。日本政府主催の会議なのだから、官僚がいるのはなんらおかしくないが……百人近くぞろぞろと集まるのは、些か大仰ではないか。おまけに良く見れば、テレビで見た事がある大臣達が勢揃いしている。農林水産大臣や環境大臣、経済産業大臣だけでなく、防衛大臣や厚生労働大臣、挙句に総理大臣までいるではないか。どの分野の政治家も『生物』とは無関係ではいられないだろうが、いくらなんでも勢揃い過ぎる。由紀のような科学者は他に二人いたが、何故科学者が少数派なのか。
おまけに長テーブルと椅子の配置から、科学者達が政治家と対面する位置関係になっている。これでは科学者の議論を政治家が聞くのではなく、政治家に科学者が詰問される場面ではなかろうか。
そして場所。
此処は総理大臣官邸の地下にある危機管理センターである。地震などの大規模災害、或いは(前例はないが)他国からの侵攻など、国家存亡の一大事での緊急会議に使われるらしい。確かに生物多様性は危機的状況だが、いくらなんでもここまでやる必要はない。
それと自分の肩書き。由紀は生物学者であるが、専門は進化生物学である。由紀はこの分野で多大な成果を出した、(自分としてはまだまだ未熟だとは思うが周りの評価曰く)天才的に優秀な研究者だ。しかしわざわざ緊急会議で集めるべき人材か? 生物をより詳しく理解するためには必要な学問だが、緊急の対策で用いるようなものではない。
「なんだこの会議は……」
「
由紀以外に集められた研究者二名も、困惑を露わにしていた。どうやら彼等も何故自分達が此処にいるのか疑問に思ったらしい。彼等も生物学者なのだろうか。
一体この会議で、政治家達は何を聞こうとしているのか。自分達は何を答えれば良いのか。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。これより国際宇宙ステーション・ヘルメス爆発事故の緊急会議を始めます」
その疑問は、司会進行を担う官僚の一言でますます深まった。
国際宇宙ステーション・ヘルメス。
由紀もその名前はニュースで見た。今から一週間前、国際宇宙ステーションの一つであるヘルメスが突然爆発事故を起こしたらしい。
当時ヘルメスには七名の宇宙飛行士が滞在していたが、爆発事故により全員死亡したと見られている。日本人宇宙飛行士も一人いた事から、一週間前はそこそこ賑わった話題だ。尤も、以降続報は殆どなく、大半の人は記憶の片隅にある程度だろう。
そこまで思い出した由紀は、ますます違和感を抱く。国際宇宙ステーションの爆発事故に関する会議で集めるべき人材は、間違いなく宇宙関係、または工業系だ。生物学者がいたところで大して役には立たない。
「(強いて言うなら、その宇宙ステーションで培養していたウイルスや細菌について意見を求められるかもだけど……)」
常識的に考えて、宇宙ステーションの爆発に耐えられる生物などいない。中にどれだけ危険な細菌がいたところで、全て『滅却』されている筈だ。大気圏外から地上に降り注ぐ可能性は、余程の奇跡でも起きない限りあり得ない。
そもそもヘルメスに危険な細菌がいたとは思えない。あの宇宙ステーションは、太陽系やその外にある星を観測するための施設である。感染症や生物学の研究に使うものではないのだ。秘密裏にやっていたという、陰謀論的可能性は否定出来ないが……そこまで考え出すとなんでもありになってしまう。大体ヘルメスは多国籍(日本・アメリカ・イギリス・フランス・オーストラリア)で運営されている施設なので、一国の陰謀であれこれ出来るとは思えず、たかが細菌研究で数ヶ国巻き込んでやるとも思えない。
やはり生物学の専門家を集める理由が、由紀には分からない。あれこれ考えているうちに、官僚の一人が紙の束を渡してきた。なんの気なしに、由紀はぺろりと紙を捲ってみる。
そこには未知の生物の写真が記載されていた。
「……………は?」
思わず出てしまった独り言。しかしその声で我に返るよりも前に、由紀は紙に印刷された写真を見つめる。
その『生物』らしきものは、奇妙な外見をしていた。
いや、第一印象は生物ではないというのが正確だろう。何しろ無数の結晶……水晶のような塊だったのだから。結晶の並び方に、一見して規則性は見られない。大小も形も違う結晶が、一塊になっているようだ。色合いはエメラルドグリーンと言うべきか。美しくも、不自然さを感じさせるものだ。
由紀は鉱物の専門家ではないので、これ自体に詳細な回答は出来ない。突き放した言い方にはなるが、鉱物の専門家に聞け、というのが一番誠意のある答えとなるだろう。つまり真面目に考えてもその程度の答えしか出せないという事。
この歪な塊の中心に『肉体』が見えなければ、写真からもすぐ目を離していただろう。
「(何よ、これ。軟体動物……?)」
一見してそれは、軟体動物の一種のようだった。無数の触手を持ち、それがタコやイカのようにうねうねと曲がっている様子が見て取れる。
触手の数は、写真にあるだけで九本だろうか。中心部に口はなく、代わりにどす黒いレンズのような、目のような物体がある。色彩は黒っぽいが、やや赤みの混ざった色合いだ。
このような外見の生物は、少なくとも由紀は知らない。隣にいる学者達も資料を見て固まっているので、同じ考えなのだろう。
そして生物の異形さに気を取られ、これまた気付くのが遅れたが……写真の背景に、白い点が幾つも見える。水晶の色合いや生物の体色から、これはモノクロの写真ではない。だから映し出された白い点は、確かに白いものの筈。
海中での撮影ならばマリンスノー(浅い場所に暮らす生物の排泄物や死骸が雪のように降る現象)だろうが、どうにもこの写真は海中で撮られたものと雰囲気が違う。それに撮影したカメラの近くにはマリンスノーが一切なく、白い点は一律で遥か彼方にあるらしい。だとするとこれは……
「……宇宙?」
思わず、独り言が漏れ出てしまった。
その独り言を笑ったり、首を傾げたりする者はいない。それどころか一人の男――――この国の総理大臣が、こくりと頷いた。
「写真から察するとは、若いのに優秀だという評価は正しいらしい。呼んで正解だった」
「え。い、いえ、あの、これは……え、本当に、宇宙……?」
「事の発端は一週間前。国際宇宙ステーションであるヘルメスが爆発する直前の事だ」
戸惑い、動揺する由紀に、総理大臣自らが淡々と語る。
曰く、ヘルメス爆発前後のJAXA……宇宙航空研究開発機構に、一つのデータがヘルメスから送信された。どうやら事故の直前に、乗組員が発信したらしい。
送信タイミングから考えて、ヘルメスの事故原因が写っているのではないか。当然のように辿り着いた結論の下、画像データを解析したところ……この奇怪な生物が写ってたらしい。
最初は何かの間違いかとも思われたが、JAXA以外の組織にもこの画像は届いていた。各国で解析に取り組んだところ画像に不備はなく、悪質なイタズラなどの線もなくなった。
そしてNASAが先日、この奇妙な生命体が地球の周囲を飛んでいる事を確認した。
「NASAにより撮影された画像も、資料には添付している。確認してほしい」
言われるがまま見れば、確かに他にもこの奇妙な結晶生物の写真が貼られていた。更に細かなデータも載せられている。
推定全長は三十メートル。全身に生やしている結晶の大きさは三〜十メートル程度。結晶の組成は現時点で不明。
現在この生物は地球から高度四百キロ地点を、時速三万キロの速さで周回している。周回軌道は基本的に直線であるが、時折大きく向きを変えるらしい。軌道変更のタイミングは不規則。また地球への交信なども特に確認されていない。
横向きの姿も撮影されている。結晶があるため輪郭は歪だが、大まかな姿は小麦など、イネ科植物の種子に似た細長いもの。触手が生えているのはこの姿の両端部分であり、どちらが頭かは分からない。観測した限り、前後も左右も頻繁に入れ替わっており、『頭部』がない事も考えられている。
現在スペクトル分析など、様々な調査が進められているが、結果を得るには今しばらく時間が必要なようだ。
「この生物の存在は、ヘルメス運用に関わった五ヶ国のみが知る機密事項だ。現時点での憶測だが、この生物がヘルメス爆発事故の原因だと我が国を含めた五ヶ国全てが見ている」
「……そしてその生物が今、地球を周回している?」
「その通り。君達を呼んだのは、この未知の生物に関する生態について考えてほしいからだ。もっと言うなら、この生物が人類にとって危険か、有益か、退治するならどうすべきか……可能ならばそこまで知りたい」
総理大臣からの言葉に、由紀と他の科学者達は互いの顔を見合う。
総理の言葉に、嘘はないだろう。
というよりそれは自然な考えだ。未知の生物が、地球の周りをぐるぐる飛び回るなど、実に気味が悪い。しかも(意図的か事故かも不明だが)国際宇宙ステーションを破壊し、乗組員である日本人を『殺害』した存在だ。何を企んでいるのか、何をするつもりなのか。国家としては知らない訳にはいかない。
しかし、あまりの事に由紀は言葉を失ってしまう。
他の科学者二人もそうだ。これもまた当然だと、由紀としては言いたい。何しろ今告げられたのは、人類が長年待ち望んでいた『地球外生命体』との初接触。その事実を、数え切れないほどの証拠と共に提示されたのだから。頭の中がパンクしそうで、ろくな考えが何一つ浮かばない。
それでも由紀が立ち直れたのは、この世紀の大発見に少しでも関わりたいから。
好奇心が驚きを凌駕し、思考が巡り始める。この正体不明の生命体について知りたい、考えたいと思い始める。
これは亡くなった宇宙飛行士やその遺族からすれば、不謹慎な考えかも知れない。それでも衝動が抑えられないからこそ、由紀は科学者となり――――数多の成果を、年配の科学者にも負けないほどの結果を、たった二十数年の人生で出したのだ。
「分かりました。では、私の私見ではありますが、述べたいと思います」
歳上二人の科学者が唖然とする中、誰よりも早く由紀は己の意見を口にする。緊張で引き攣る顔に、自然と不敵な笑みを浮かべながら。
きっと日本初の、地球外生命体に関する議論がここから始まった。
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