ep.010 夜明け

「……ヒビキ、と言いましたか」


後ろから声をかけられて、ハッとする。

この声は……お姫さま?


「いや、これは――」


「大丈夫、わかっています」


振り向こうとした俺の肩を手で制しつつ、横に並ぶ。


「私も一瞬だけ目にしました。一足遅かったようですね」


伯爵が殺されてしまった。

これって、けっこうな失態なのでは……?


お姫さまの視線がこちらに向く。


「私たちは気付かず、この部屋を素通りしてしまいました」

「あなただけの失敗ではありませんよ」


優しく落ち着かせるように言葉をかけてくれる。

そのお陰か、混乱していた頭が少しずつ落ち着いてきた。


よく考えたら、こんなに近くでお姫さまの顔を見るのは初めてだ。

白いヴェール越しでも、その造形の美しさが窺える。



こんなタイミングで不謹慎だが……

彼女の肩にかかる金色の髪束が、月明かりに照らされて印象的だった。




---




その後戻ってきた騎士団によって、伯爵と黒ローブたちの遺体の検分が行われた。


今回の要人を狙った襲撃の黒幕は何者なのか。

結論から言えば、伯爵の差金である事は、ほぼ確定的ではあった。


だが、何の目的で襲撃を企てたのか。

黙示の使徒とはどういう関係だったのか。


伯爵が死亡した以上、それを明らかにする情報を得ることは叶わなかった。




ここは城館の2階にある行政官用の来賓室。

窓の外を見ると、夜明け前の空がかすかに白み始めていた。


一晩まるごと、この騒動に付き合ってたって事か……


来賓用のソファに座るお姫さまの背後に、護衛の一行。

向かいに副団長と俺、ルーファさんという並びだ。


本来は3階の貴賓室を使うべきだそうだが。

(このお姫さまが、やんごとない身分だという事は何となく察してきた)


それはともかく。


これから今回の事件の中に関する説明が行われるという。

もっとも重要だとされる「精神魔法」と「暗殺者」に関するものだ。



「今回、傭兵二人が精神魔法をかけられたという話でしたが……」

「その後の調査で、尖塔内とその周辺の警備兵も被害に遭っていることが分かりました」


「……なるほど、それで尖塔の外壁を登られての襲撃を許したのか」


お姫さま一行の、金髪の青年が思案するように言う。 

あの時は俺たちにも、尖塔の上の方から遊魔が襲ってきた。


「姫様のお部屋には魔法防壁をかけていましたので、皆さんは精神魔法の影響下に入らず済んだものと」


副団長は続ける。

タマちゃんは“結界”だと表現してたけど、魔法の類なんだな。


伯爵による精神魔法発動、正門での陽動、尖塔への攻撃、という時系列か。


本来は、正門での陽動が行われているうちに、伯爵はお姫さまの部屋に向おうとしていたって事だよな。


「あとは運良く、子霊の守護を受けた傭兵が参加していたのは幸いでした」


ルーファさんと俺のことか。


つまり色々な要素が重なって、精神魔法は目論見通りの効果を発揮せず、伯爵の計画は頓挫したと。

その、精神魔法とやらをずいぶん過信した計画だな? と思わないでもないが。


「精神魔法は、条約で“禁術指定”されているはずですね?」


お姫さまの確認に、副団長がうなづく。


「この魔法に長けたものは、人の行動すらも操れるようになる」

「さらに“可視できない力”という点で、たいへん多くの犠牲が伴う」


副団長は俺やルーファさんにも目線を配る。

俺たちにも再確認を促しているんだろう。


「そのために先の大戦後、国際的に禁術指定された経緯があります」


今回は昏倒する程度でしたが、と副団長は付け加える。


禁術、か。

精神魔法の件を報告したとき、輪をかけて信じがたいといった空気だったのはこのせいか。


「黙示の使徒は他にも、埋もれた古代魔法の類を、積極的に再研究していると聞きます」

「今回あったように、遊魔を呼び出す術もそのひとつです。我々にはどんな原理かも分かっていません」


話を聞きながら思案していたお姫様は顔を上げて、


「わかりました。この件は急ぎ王政府に報告をしましょう」


と、疲れたように言う。

彼女はそのままソファに身を沈めると、後ろに控えるマリアンヌを見上げる。


「リオル霊領に向かう、という方針に引き続き変わりはありませんね」


マリアンヌは厳しい顔でうなづく。

副団長はそれを見届けながら、次の話題を切り出す。



「続いては、その伯爵の命を奪った黒装束についてです」


——来たな。

彼女の情報を得るために、ここまで命を張ったといっても過言ではない。

どんな細い糸でも、姉貴につながるものは全て辿っていかないと。


「使徒同士の口封じではないのですか?」


黒髪の青年、シリウスが軽く手を挙げる。

……結果として、伯爵が死んだことで闇に葬られた事は多い。


副団長は彼を見やりつつ、続ける。


「実際のところ、確証を得られる情報はありません」

「シリウス殿の仰るとおりである可能性もあります。ですが……」


副団長は一旦言葉を切ると、


「口封じであるならば、伯爵を“二度”狙った理由が分からない」


と、続けた。

二度狙った……? もしかして。


「その黒装束の人物は、おそらく昨日も伯爵に対して襲撃を行っています」


そうだ。

昨日の襲撃を受けて、今日の警備強化に繋がったはずだ。


「昨日は全く予測できなかった突然の嵐が襲いました」

「本来、伯爵は姫様のお迎えに上がる予定でしたが、急遽予定を取りやめた——」


お姫さま一行が、ハッとする様子が伝わってくる。


「あの炎上した馬車は……もしかして、元々は伯爵の?」


お姫さまの静かに問いかけに、副団長はうなづく。

まとめると、こうらしい。


昨日、フェルデン近郊に到着したお姫さま一行。

フェルデン側は、騎士団長が率いる護衛の一団を派遣した。


その護衛の一団のうち、案内役となる伯爵が乗るはずだった馬車。

これがお姫さまとの合流後、炎上したらしい。


お姫さまを狙った襲撃と思いきや……本当は伯爵を狙っていたかもしれない、と。

副団長は、そういう推理を立てているようだ。


不意の嵐による暗殺失敗ってことか。

……あの嵐って、もしかして転移のせいだったりするんだろうか?


俺の内心はよそに、静まり返る室内。

その中で。



「——では、ヤツは一体何者なのだ?」



誰かがポツリとつぶやく。

だが、それに答えを返せるものはいなかった。

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