ep.007 月夜の警備

静寂に包まれた、月夜の中庭を見回す。


今いる城塞はそのまま、フェルデン地方を治める侯爵家の居城でもあるらしい。

華美な装飾はほとんどなく、質実剛健といった雰囲気だ。

それでも美しく花々が生けられ、気品が漂っている。


月明かりが石畳を淡く照らし、木々が風にそよいでいる。

剣を持つ手に少し汗が滲むのを感じながら、俺は尖塔の入口脇で待機していた。


配置から移動せず誰も通すな、か……


副団長からの指示を反芻する。

となると、ここで中庭に異変がないかを繰り返し見回す他、する事がない。


月を見上げてみる。

地球の月とほとんど変わらないな。


『なんか、映画みたいだなぁ』


『映画か……おぬしの時代の文化じゃな』


『あ、そっか。タマちゃんには分からないか』


異世界に転移して2日目。

単なる高校生だった俺が、貴族の城の中にいるっているのも不思議だよな。


まだこの世界のことは全然分からないけど……

この街は地方諸侯が治めるいち都市である、という事はなんとなく理解した。

ってことは、国の中枢にあたる首都がどこかに存在する、って事なのかな。


元の世界でいえば、中世ヨーロッパ諸国に近い形か。


新しい知識や体験の連続に、緊張と同時に少しだけ高揚感も感じていた。


『そういやさ、まだ魔法って見たことないよな』

『魔法でないと遊魔には勝てないってマスターが言ってたし、気になるよな』


『実体があるのか不明瞭な存在じゃったからな。同じく神秘で対抗する必要があるのじゃろう』


ファンタジー系のゲームによくある、火風水……みたいな魔法なんだろうか。


『もし遊魔が現れた場合、借りた鉄剣では戦えないよな』


『ワシの神格を一時的にその剣に宿すことはできるぞ。韴霊剣ほどの威力とはならないがな』


そんなことできるのか。

タマちゃんめっちゃ便利じゃん。



ちらりと横を見ると、同じく尖塔の入口脇で、ルーファさんがゆっくりと辺りを見回している。

昼間は怒涛の展開だったし、外套を着ていたから気に留めなかったけど……


ルーファさんの容姿は、猫耳も相まってかなり人目を引くはずだ。

癖のある栗毛のセミショートが似合う、凛として麗しいお姉さん。って感じ。


俺が見繕ってもらった装備よりも、さらに動きやすそうなショートパンツスタイルが、正直目のほよ……いや毒である。

それと外套で隠れて気づかなかったが、ちゃんとしっぽがある。


短剣も装備しているみたいだが、背中に背負った短弓がメインの武器だろうか。


ルーファさんには遊魔を倒す術があるって話だったけど、魔法を使うのかな?

……仲間の戦い方を知っておいた方がいいよな。


「ルーファさん、ちょっと聞いていいですか?」


「なにかニャ?」


「遊魔を倒せる手段があるように話していましたけど、どういうものなんです?」


ルーファは少し考える素振りを見せると。


「たぶん、響くんと同じ感じだと思うニャ」


『なっ』


へっ?


タマちゃんも驚きを隠せない様子だ。

もしかして、タマちゃんの存在に気づかれている?


「響くん、“子霊こだま”って知ってる?」


「いえ、まったく……」


「知らニャいか。君の見た目と服装から、同じ霊領れいりょう側の出身かと思ったんだけどニャ」


「霊領……いえ、違いますが……」


子霊に霊領……

どちらも初めて聞くワードだ。


「そっか。響くんの周りから、子霊に似た気配を感じたんだけど」


それってつまり、ルーファさんもタマちゃんみたいな神格と行動を共にしている……?


「その子霊って、どういうものなんです?」


「うーん……説明するより、呼び出して見せた方が早いんだろうけど」

「ちょーっとだけ目立つ子だから、今呼び出すと誤解されかねないニャ……」


な、なるほど?

目立つようなら、襲撃と誤解される可能性もあるか。


でも話のニュアンス的には、タマちゃんみたいな“剣”とは違いそうだ。

元の世界の創作にあるような、妖精とかそれ系だろうか?


それはそれとして——

ルーファさんが同郷のよしみで良くしてくれているのだとしたら、申し訳ない気持ちになる。


『響よ。気持ちは分かるが、少々油断をしておるぞ』


おっと。しまった、警戒が甘くなっていた。

タマちゃんに叱られてしまった。


ルーファさんにまた後で、と一言伝えて警戒に戻る。


気を引き締め直して、城塞を囲む外壁の上にも不審な影がないかを見ていく。

上の方で首を巡らせながら、ふと気になった事を聞いてみる。


『そういえば、最上階の要人って誰かな。タマちゃん、覗きに行けない?』


『部屋には結界が張られておるようじゃぞ。そもそも、これ以上おぬしから離れられぬしな』


『結界、か』


結界がどんなものかはイメージできないけど、相当に用意周到だな。



風が少し強まり、木々のざわめきが大きくなってきた。

静かだった中庭に、ざあざあと響き渡っている。


ふいに感じた気配に、俺は思わず目線を戻す。


「こんばんは。今宵は素晴らしい月夜ですねぇ」


上質な衣服に身を包んだ貴族らしき男性が、いつの前にか門前に現れていた。

その姿に一瞬、ドキッとする。


「あ、どうも」


慌てて会釈する俺に、男性は美しい所作で一礼を返してくる。

き、貴族の作法は全然わからんぞ……?


「ほっほ、珍しい礼の仕方をなさる方ですね。それでは」


男性は自然な様子で、尖塔の入口に向かって歩き始めた。

その進路上にルーファさんがすっと割り込む。


「すみませんが、誰も通すなと言われてまして」


ルーファさんが静かにそう告げる。

いけない、そのまま見送りそうになっていた。


男性は穏やかに微笑む。


「昨夜の襲撃者を警戒しているのでしょう? 私はこの城の者ですから」


「それでも、通すわけにはいきません」


ルーファさんは断固とした態度を取る。


「困りましたねぇ……」


男性は溜め息をつく。


「定刻通りに参上するよう閣下から言われているのですが。あなたに責任が取れるのですか?」


その言葉に、何か冷たいものを感じる。

まるで蛇に睨まれているような、そんな違和感。


「そうまで言うなら、団長か副団長を呼んでこられては?」


ルーファさんは怖気づく様子もなく返す。

男性の表情が一瞬だけ歪んだような気がした。


「……分かりました、ここは引き下がりましょう」


男性はゆっくりと踵を返し、そのまま立ち去っていく。

その後ろ姿を見送りながら、ほっと息をつく。


何だったんだ。

本当にただの来客だったのか?


『……………………』


タマちゃんはまだ、警戒した様子で貴族の方を見つめている。


それにしても、自分ひとりだったら通してしまっていたかもしれない。

反省しつつ、ルーファさんに向き直る。


「ルーファさん、すみませんでした——」


振り向くと、ルーファさんの様子がおかしい。

辛そうな顔で尖塔の石壁に背を預けている。


「ルーファさん!?」


「大丈夫ニャ、響くん。いいから警戒を続けて」


はっとして周囲を見渡す。

今のところは大丈夫そうだが……


「やられた、精神魔法ニャ。迂闊だった」


精神魔法——?


背中から、ルーファさんの苦しそうな息遣いが聞こえる。

さっきの貴族がかけていったって事なのか?


『おのれ、何かおかしいと思っておったが……!』


タマちゃんは何かを感じ取っていたのか。

どうすればいい……俺が今できる事ってなんだ?


『タマちゃん、あいつを追いかけた方がいいか……!?』


『落ち着け響。彼女のその様子、一人でここを守ることはできぬだろう』


言い聞かせるような、落ち着いた声が返ってくる。

たしかに、俺たちに任されたのは尖塔の入口の警備だ。


……そうだ。いかなる時も心を乱してはいけない。

それが、剣の“教え”だったろう。


もどかしさを押さえつけ、心を落ち着かせる。


とにかく、いまはルーファさんが回復するまで、彼女と入口を守り切ること。

それが俺の役目だ。


『その精神魔法、なんで俺には効かなかったんだろう』


『おぬしはこのワシ、韴霊剣の神格が身体を包んでおるからな』

『人ごときの呪いなど、その内側に入り込むことはできぬ』


なにそれすげえ。


『逆にいえば、ルーファさんを回復する手段にはならないっつー事だな……』


ルーファさんの子霊はタマちゃんと似た存在のようだけど……

彼女を守るには至らなかったのか。



いつの間にか風は落ち着き、中庭は静寂を取り戻している。

木々や噴水、花壇の影——あらゆる場所に目を配る。


稀に届く風に木々が揺れるたび、緊張感が走る。


あの不審な貴族は、昨日の黒装束の彼女と関係があるのだろうか。

頭の中で疑問が渦巻く。


そのとき。



——カンカンカンカン!



これは——城塞の正門の方からか!

城壁の上で兵士が緊急の合図を鳴らしたのだろう。


これで全域に非常事態が伝わる……さすが騎士団、連携が取れている。


「さっきの貴族なのか……それとも、別の仲間か……?」


声に震えが混じっているのを自覚する。

剣の柄を握りしめ、それを力尽くで抑え込むようにする。


ルーファさんはまだ辛そうだ。

今は俺が、彼女を守らねば——



ガシャアアアン!!



『上からじゃ!!』


「————っ!!」


タマちゃんの叫びに、咄嗟にルーファさんを抱きとめながら横に飛ぶ。


さっきまで立っていた場所に、大量のガラス片が降り注ぐ。

次いで、ドッ、ドッと地面を震わせながら何かが続けて落ちてくる。


上の方で争うような声がうっすらと聞こえてくるが。

それを気に留めている余裕は、今はなかった。


こいつらは——

巨大な影がゆっくりとこちらを振り向く。


実体がありながら、影のような存在。


遊魔だ。

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