ep.003 彼女との出会い

「ふん……ふふん……」


かすかに聞こえる歌声。


懐かしい音色。姉が好きだった歌。

でも、誰の声だろう。


聞き覚えはないがその歌声は心地よく、体に染み渡るようだった。


天国だったりして。

天国なんだったら姉に会わせてくれてもいいのに。


いやいや、それは姉貴も死んでることになるじゃん。


ん、いや? 俺も死んでるんだったらいいのか?


ばかばか、何言ってんだ。

俺が先に死んでも、姉貴には幸せに生きて欲しいだろ。



……心地良すぎてなんかトリップしていた気がする。

たしか足を踏み外して転げ落ちて……気を失っていたのか?


まぶたをゆっくり開けると、淡い橙色の光が揺れている。


焚き火だ。

パチパチという薪の燃える音が耳に入る。


辺りは薄暗い岩肌で囲まれていて、遠くから雨音が聞こえてくる。

さっき見つけた洞窟の中か?


あったけえ……

まだ身体の芯は冷えているのか、腕や指の動きがぎこちない。


目を凝らすと、火の向こうに黒い装束の人影が見えた。

あれは……人、だよな?


俺の身じろぎに気付いたのか、鼻歌が中断してしまった。


黒装束の人物に身体を向けようとするが――

イテテ……身体のあちこちを打ったみたいだ。


何とか顔を向けて話しかける。


「もしかして、助けてくれたんですか?」


こちらの問いかけに、おそるおそる人影がうなづく。

フードの下から垣間見える表情は、若い。


自分と同じくらいの年齢だろうか。


「大きな外傷はありませんでしたが、打撲がひどく身体も冷え切っています」

「無理に身体を動かさず、もう少し火に当たると良いです」


やっと上半身を起こすことができたが、足や背中、肩とあちこち悲鳴を上げている。


ん、何か甘い香りが一瞬……


そのときパサリと、胸から布がすべり落ちる。

黒いケープのようだった。


あれ? っていうか俺、パンツ1枚だぞ?


辺りを見回すと、俺の道着は焚き火の近くで木組みにかけられていた。

乾かしてもらっているようだ。


わ、わざわざ脱がしてくれて、たぶん私物のケープをかけてくれたのか。

ありがたいけど、はずかしい……


「あの、なんてお礼を言ったらいいか……」


首を振る黒装束の人物。

その弾みで、フードの中から金色の髪束が一房こぼれる。


気にするなってことか?

あまり喋りたくないようだ。


さっきの声質からしても、女性のようだった。

そりゃあ、こんな所で得体の知れない男と馴れ合いたくはないか。


……だけど、どうしてもひとつ聞いておかないといけない事があった。


「さっき口ずさんでいた歌って、誰に教えてもらったんですか?」


黒装束の女性がギクっとしたような身じろぎをする。


「き、聞いていたのですか?」


ここで素直に「姉を思い出しました!」なんて言おうものなら。

ヤバいやつ認定されること間違いない。


俺は詳しいんだ。


「すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですが」

「俺も昔を思い出して、気持ちよく眠れたもので」


あれ、これもだいぶ気持ち悪いか?


「そ、そうですか……」


恥ずかしがらせてしまった。


「ただ、あまりこの歌のことは覚えていないのです」

「……子供の頃に誰かが歌っているのを聞いていた気がするのですが」


覚えてない、か。

なにか懐かしむような気配に、嘘をついているような様子はない。


「そうですか……」


でも、これはいきなり手がかりを掴んだんじゃないか?

元いた世界の歌を、異世界で知っている人がいる。


その出所は姉貴しか考えられない。


「なんて場所の出身なんです?」


とたん、彼女の動きが固まった。

そのまま視線を外すように俯いてしまう。


しまった。


「それは……お答えできません。」


なんだか言葉以上に、扉を閉じられた感じがした。


「あ、ごめん! 変な事を聞いて!」


やっちまった。

いくら手がかりが目の前にあるからって、深入りしすぎた。


多分、ほんのちょっとだけ、素で話してくれていたんだと思う。

姉貴がいたら、ぶん殴られていたレベルの失態だ。


気まずい空気が流れる。


黒装束の女性は焚き火の世話をし始めた。

こちらを相手にしないことを決めたらしい。


仕方なしに、その様子をぼーっと眺める。


服装からして普通の旅人とは思えない。

さっきからカチカチと聞こえる金属音は、短剣か何かだろう。

あの装束の下に隠しているのか。


俺の常識(?)に当てはめれば、アサシンってところだけど、どうなんだろ。


ローブから零れる髪の毛が、焚き火の明かりでキラキラときらめく。

装束の隙間からたまに見える素肌は、なめらかに白く透き通っている。


人形みたいに綺麗だなぁ。


そういえば、この人が初めて会った異世界人になるのか。

異世界人ってみんな美形なのか……?


っていうかこんな女性に服を脱がされたのかと思うと、今更ながら顔を覆いたくなる。



……あれこれと思索を巡らしていると、次第に眠気がやってくる。



「あの」



うとうとしているところで、向こうから声をかけられる。


「差し出がましいかもしれませんが……」

「フェルデンの街は、ここから真っ直ぐ西に進めばすぐです」


近くに街があるのか!


「ですが……」


黒装束の人物は一瞬言葉を切り、外の方を見やった。


「雨脚がまだ強い。日の出まで待った方が良いです」

「私は夜のうちにここを出ますので」


この雨の中で? ……雨具があるのかな。

まぁでも、そういう判断になるよな。


「ありがとうございます、色々と」


ここまで施してもらっただけでも、本当にありがたい。


相手はもう黙り込んでしまっていた。

フードの下で、何か考え事をしているようにも見える。


眠気は限界に近づいているが、あともうひとつだけやっておく。


『タマちゃん、いるか……?』


心の中で問いかけてみると、頭の中にハッキリした声が返ってくる。


『うむ。ほれ、ここに』


おおっと、念話ってやつか?


続いて、タマちゃんの霊体がぱっと目の前に現れた。

俺の頭を、ポカっと小突くような動作をする。


『まったく、転げ落ちていった時はどうなる事かと思ったぞ』

『この者が友好的な人物で本当に良かった』


『ほんとそれな』


本当にアサシンなのだとしたら、俺の命はなさそうなものだが。


『タマちゃんから見て、どう思う?』

『只者ではないじゃろうな。だが、今のところ敵意は感じられん』


そうだよな。


明らかに動きが洗練されていて、一発で訓練を積んでいる人間だと分かる。

さっきの化け物のような存在が、もっと当たり前にいる世界ってことなのか……?


それに彼女はなぜ、こんな場所にいるんだろう。


色々聞きたいことは沢山ある。


『ところで……タマちゃんの姿と声は、俺以外は感じ取れないお決まりのやつ?』


『お決まりのやつとは何じゃ……その通りじゃが』


良かった。


『タマちゃんは、まだ人に見せちゃいけない気がする』


『む、そうか? たしかに、どんな反応をされるか分からぬか』


そう、アニメじゃ大抵トラブルに発展するんだよ。

俺は詳しいんだ。


『だから、剣を使うのは本当にヤバい時にしておきたい』


『……なるほどな。承知した』



……だめだ、瞼が重すぎてどうにもならない。

彼女ともう少し話すには、どうしたらいいだろうか。


そうだ。


俺はあの歌のこと、彼女に教えてあげられるんじゃないか。

今日は無理でも、フェルデンに向かえば、また会う機会があるだろうか?


しかし、その思考は形になることなく、霧散してしまう。


温かな炎の傍で、もう俺は眠気に抗うことができなかった——

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る