第五話 天使様と勉強会
「……どう解けばいいんだ、これ」
日曜日の午後、雪也はため息をつきながら図書館の机に伏せて、もたれかかる。
一週間後に二学期末テストも控えて、雪也は昨日まで何も手をつけていない状態だった。
流石に勉強を始めようと思い立ったが家では集中できない。
故に図書館にわざわざ足を運んでいる。
勉強は正直言って嫌いだ。
一度始めると昔のトラウマだったり、強迫観念が蘇ってくる。
だから集中しても長続きしないので点数も取りにくい上に嫌な記憶も思い出す。
とはいえそうも言ってられないのが現実だ。
「斜辺を一と置くとこの公式が成り立って……だから……」
雪也は小声でボソッと呟きながら、問題の解説を見る。
しかし解説すら一向にわからず、無意識のうちに額に眉を寄せていた。
とりあえず一度休憩を挟もう。
勉強会しからまだ一時間しか経っていない。
危機感を持った方がいいのは承知しているが、休憩は大切だ。
雪也はバッグからスマホを取り出して、何かメールが来ていないか見る。
すると永戸からメールが来ていたので雪也はすぐに返信をした。
「……さて、そろそろやるか」
友人とのメールのやり取りも終えて、勉強を頑張ろうと息込む。
そしてまた一からわからなかった問題を解こうとするのだが、やはりわからない。
休憩を挟んでも無意味だったらしい。
悩むより学校で誰かに聞いた方がいいだろうか。
雪也がそう考えるとすぐに、ある人物の顔が思い浮かぶ。
「美鈴だったら教えてくれるかな……」
再度、スマホを取り出してメールのアプリを開く。
そして問題の写真を撮って、美鈴にダメ元で送ってみることにした。
美鈴であれば成績も優秀なのでわかるだろう。
けれど「友達になれない」と言われた雪也の頼み事を素直に受けてくれるだろうか。
『時間あったらこれ、教えてくれないか? どうしてもわからないんだ』
『もしかして図書館にいたりします?』
『ああ、そうだけど』
『私も今から図書館に行く予定だったのでその時に教えますね』
ダメ元での依頼だったが美鈴はあっさり受けてくれた。
それに図書館に来るらしいので直で教えてくれる。
雪也は口角を上げつつ、美鈴が来るまで別の問題に取り組むことにした。
メールのやり取りから十数分が経ち、図書館に美鈴が来た。
集中していた雪也は美鈴に声をかけられ、美鈴に気付く。
「お待たせしました。隣失礼しますね」
「わざわざ悪いな。ありがとう」
「いえ、大丈夫です。元々私も勉強する予定でしたので」
美鈴は勉強の準備をした後に、雪也の方へ少し体を傾けた。
それを見て、雪也はわからな買った問題の箇所のページを開く。
ルーズリーフの新しい紙も用意して、メモの準備も万端できている。
「この問題なんだけど、解説見てもわからなくてな」
「……なるほど、確かにこの問題は初見だと難しいですね。けど慣れれば簡単です」
美鈴は思考する様子もなく、早速解説に移っていく。
問題集の問題は一通りやっているのだろうか。
やはり美鈴に頼んで正解だったようだ。
「ではまず三角比の公式、全部覚えてますか?」
「ああ、導き出し方とかも一応」
「なら途中まではできますよね?」
「そうだな、この三角形の縦と横は……」
雪也と美鈴の二人の真ん中の位置で、雪也は丁寧に教えられる。
美鈴の説明はかなりわかりやすく、問題のプラスアルファまでしてくれた。
「……だから答えがこうなるわけです。わかりました?」
「ああ、だいぶ理解した。そういうことか……」
「理解すればもう次からは解けます。あとは似たような問題が他にもあるので……これとか難しいですけどさっき教えたことを使えばできるかと」
「わかった、やってみる」
お互いにペンを無言で走らせる。
雪也がわからなくなったら美鈴に聞く。
そうしていつの間にか勉強会のような形になって、一時間が経過した。
「天春、ここどうすればいいと思う?」
「ここは……」
美鈴は相変わらず丁寧に教えてくれている。
ただ、雪也は聞いた自分自身の集中力が低下していることに気付く。
あまり美鈴の言葉が入ってこない。
さらに、集中していて今まで気づかなかった美鈴の甘い香りが集中を阻害する。
美鈴の長い髪は雪也の腕に触れていて、少し近い。
雪也はほんの少しだけ距離を空けた。
しかし意識的になのか無意識的になのか、美鈴は椅子を体でずらして距離を縮める。
同時に動いたことで美鈴の香りが強くなり、余計に集中しづらくなった。
「……って、聞いてます?」
「えっと、この公式なんで使うんだっけ」
「聞いてきたのは雪也さんなんですからしっかり聞いてくださいよ」
「ごめん、集中する……け、けどちょっとだけ離れてくれないか? その……近い」
「近い? え? あ……ご、ごめんなさい。もう少し離れます」
美鈴は少し顔を赤らめて椅子を左にずらす。
異性と距離的に近いと意識してしまうというのが思春期男子。
言わないべきかと思ったがどうしても集中できなかったので仕方ない。
「つ、続きに戻りますけど、だからこの公式の意味は……」
美鈴は軽く咳払いをした後、また説明を続けた。
そうして勉強会は十七時過ぎまですることになった。
「じゃあそろそろ俺、帰ろうかな。天春は?」
「私は……やっぱり私も一緒に帰ります」
席から立ち上がった雪也は背伸びをして、美鈴と図書館を後にする。
図書館の外の空は紅く染まっていて、カラスの鳴き声が騒がしく聞こえていた。
そんな夕暮れ時の中を二人は歩いていく。
「今日は勉強教えてくれてありがとう」
「いえ、アウトプットも大切ですし、こちらとしても有益な時間でしたよ」
雪也は素直に勉強を教えてくれた礼を言った。
勉強会のような形だったが天春によるマンツーマン指導といってもいい。
特に雪也は何もしておらず、美鈴の勉強時間を奪っているのは事実。
だから礼を述べたわけだが、やはり美鈴は否定から入る。
「……前々から思ってたけど、天春って謙虚だよな。ちょっと分けて欲しい」
「そうですか? 謙虚な性格ではないと思いますよ」
「ほら、そういう言動が謙虚だなって」
「あ、たしかに」
美鈴は同級生でも礼後正しくて、その上謙虚な性格だ。
親の小さい頃から教育されてなどと言っていたが、素で言うあたり元の性格もあるだろう。
少し抜けているところもあるのだなと、美鈴の素が少し垣間見えたと思った。
「……ふふ、たしかに謙虚な性格かもしれないです」
美鈴は一拍置いて、上品に笑った。
しばらく美鈴と接していたからわかる。
その笑顔は愛想笑いでもなんでなく、美鈴が心の底から見せた笑みだった。
可愛い笑顔だな、思わず雪也はそう思ってしまった。
「なら、雪也さんは……大胆な人ですよね」
「そう? 大胆なんて初めて言われたな」
「例えば……」
雪也は美鈴とそんな会話をしながら帰り道を歩いていく。
友達になろうと断られてから、でも前より仲が深まっている。
前なら笑顔なんて見せてもらえないだろうし、話すら続かなかったはずだ。
けれど今は笑顔で、自ら話してくれる美鈴がいる。
明らかに前より仲良くなっているが、それでも時々自ら距離をおこうとしている。
なぜそんなことをするのか、雪也には思いつかない。
ただ、美鈴と友達になりたい。
そんな思いは前よりも強くなっていた。
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