第四話 距離の縮まり

「次は化学で移動か……一緒に行こうぜ、雪也」


 休み時間、化学の教科書を持って透が雪也の席にやってくる。

 雪也も教科書とノートを持って立ち上がった。


 そして透と化学の教室へ向かう。


「あれ、今日永戸は? 朝いたよな」

「体調悪くて早退したぜ」

「なるほど、あとで心配のメールでも送っとくか」

「風邪流行ってるらしいしなー。テスト近づいてきてるし、気をつけないとかかる」


 透とそんな会話をしながら廊下を歩いていく。

 ただ、会話しててもわかるくらい廊下での人々の視線が一点に集まっていた。

 何だろうと思って前をよく見てみると雅之、唯香、美鈴の三人で話しながら歩いていた。


 学年の中での有名人が三人並んで歩いているのだ。

 注目が集まらないはずないだろう。


「あ、最近、見なかった組み合わせだ」


 透もそれに気づいたのかそう呟く。

 

 遠くからみてもわかるくらい、前にいる唯香の表情は明るくて笑顔だった。

 一方で美鈴はというと愛想笑いを混ぜながら話している。


 美鈴が家に遊びにきて以降、妹は母同伴なしで一人で美鈴と遊ぶようになった。

 

 毎日とまではいかないが美鈴は雪乃とよく遊んでくれている。

 そしてある程度時間が経ったら雪也が妹を迎えに行って、その際に少し話す。

 知り合い以上友達未満のような関係を続けている。


 ただ、やはり美鈴に心は開かれていない。

 初対面よりは仲が深まったが、雪乃に見せるような純粋な笑顔は向けられたことがない。


「唯香、めっちゃ笑顔だな」

「そうだなー、雅之も唯香と話してる時はめっちゃ楽しそうだし……見てるこっちが心痛くなるわ」


 透は苦笑いをしながら頭を掻く。

 

 美鈴の方はまだ雅之のことが好きなのだろうか。

 やはりあまり表情豊かでない彼女の心情は読みにくい。


「負けヒロインの天使様が報われる日は来るのかねえ」


 透は何の悪気もなしに言った言葉だとは思う。

 

 ただ、「やめてください」と言われた先日の夜の記憶が蘇った。


 天使様と言われて容姿面だけでチヤホヤされている。

 あまり内面を出すことのない彼女だからこそ誰からもその内面は見られていない。


 勝手に負けヒロインとも呼ばれて、周りの生徒は彼女の気持ちを全く考慮していない。


 それは雪也も同じだった。

 結局、美鈴の表面上の部分しか見ていなかった。


「雪也、急に止まってどうした?」

「何でもない。ぼーっとしてた」


 内面的な部分を見なければ、美鈴に心開かれないのは当然。

 

 美鈴との接し方を改めた方がいい。

 そう気づいた時、過去の自分の言動に嫌気がさした。


 ***


「雪乃、そろそろ帰るぞ」


 考えを改め直した放課後、雪也は軽い贈り物を持って公園に雪乃を迎えにきていた。

 雪乃は砂場で美鈴と遊んでいる。


 声をかけると雪乃は道具を置いてこちらに走ってきた。


「えー、まだ砂遊びしたいのです!」

「わかった、じゃあちょっとだけだぞ」

「やったー!」


 雪乃は飛び跳ねて喜び、砂場に戻る。


 夕暮れ時だがまだ沈み切ってはいない。

 少しくらい延長してもいいだろう。


 それに美鈴に渡さなければいけないものもある。

 贈り物を持って雪也は美鈴の元に近づいた。


「天春、いつもありがとう」

「大丈夫です。楽しいですし」

「子供好きなのか? じゃないと美鈴と遊んでくれないだろうし」

「そう……ですね。一人っ子なので余計に雪乃ちゃんが可愛いなって思えるんです」

「なるほど……とりあえず、いつも雪乃と遊んでくれてるお礼にこれどうぞ」


 雪也は先ほどから持っていた袋の中からカイロを取り出す。

 

 いつも寒い中、遊んでくれているのでささやかなお礼だ。


「十六個入りのカイロ。寒いだろうから使えると思って」

「……わざわざ買ってきてくれたんですか?」

「さっきな。お礼の一つくらいはしたかったから」

「ありがとう……ございます。使わさせていただきます」


 贈り物を渡されると思わなかったのか、美鈴は虚をつかれた様子で渡したカイロを見ている。

 

 とはいえこの贈り物はお礼の意味合いだけではない。

 謝罪の意味合いも兼ねている。


 ただ、どう口に出せばいいかもわからないので形にした謝罪だ。


「......俺に言いたいことあったら遠慮なく言って欲しい」

「言いたいこと?」

「もう少し距離空けて欲しいとか……あんまり俺と話してても楽しくないだろ?」

「別にそうは思ってませんよ。むしろどうしてそう思ったんですか?」

「だって俺と話す時、基本表情変えないし、声色も淡々としてるし、そもそも俺と話したくないのかなって」


 美鈴と話すときはいつも雪也から話しかける。

 会話しないのも気まずいので世間話くらいはしたいと思ったからだ。


 けれど美鈴は雪也に話しかけられて逆に嫌かもしれない。

 美鈴の内面を知らない以上、認識の差は出てしまう。


「全然そんなことないですよ。話してて楽しいです」


 しかし返ってきた言葉は雪也の予想とは反対のものだった。

 表情を変えていないゆえに言葉に説得力がない。


「……昔からコミュニケーションとか顔に表情を出すのが苦手なんです。小さい頃から礼儀とか作法ばかり習っていたので人と気軽に話したりできないんですよ」


 美鈴は初めて自分のことを語り始める。

 話してくれると思わなかったので雪也はより耳を傾けて話を聞くことにした。


「あんまり上手にも笑えなくて……愛想笑いは得意なんですけどね」

「家庭の事情聞くのもあれかもしれないけど、厳しい家庭なのか?」

「厳しいというよりは……家系の地位が高いところで生まれ育ったので教えられたんです」

「なるほど、そういうことか」

「はい、だから……昔から友達とかもなかなかできなくて」


 友達ができないと言っているが仲良くしている人はいるだろう。

 唯香や雅之と仲良くしている場面を見かける。


「友達……唯香とか雅之は?」

「あの二人は……更科さんは元々フレンドリーな性格ですし、大島さんも同じです。だから私でも仲良くできた。でも二人の中に入ったらダメだと思うので。関わりたいですけど」

「その、天春は……雅之のことが好きなのか?」

「......噂で広がってますもんね。負けヒロインの天使様って」


 美鈴は雪也に対して初めて口角を上げた。

 しかし見ているこちらが目を背けたくなる苦笑いだった。

 その表情からは悔しさが感じられて、一方でどこか諦めのついた顔だった。


「本当......嫌になりますよ」


 美鈴の言った言葉に対して、雪也はどう返せばいいかわからなかった。

 何を言っても彼女を傷つけてしまう、そんな気がした。


「……好きかどうかはわからないですけど恋と似たような感情は抱いてます。誰にも言ったことなかったですが、側から見たらわかるものなんですか?」

「特別な存在なんだろうなっていうのはなんとなく......」

「なるほど......でもそもそも大島さんと付き合いたいとは思ってないですよ。友達で十分です……いや、友達でいることすら邪魔ですかね」


 おそらく美鈴は自分の立場をしっかりわかっている。

 ゆえに悩むことも苦しむことも多いだろう。


「じゃあ友達にならないか? 俺でよければだけど」


 雪也は羞恥を覚えながらもそう提案する。

 彼女の内面を知った今だから、彼女と友人になりたい。

 

 ハンカチを貸した時のように一人でいて放っておけなかったからではない。

 

 純粋に彼女と友人になって、雪乃に見せるような笑顔が見たい。


 そう思う自分がいたのだ。


「雪也さんともし友達になれたら……きっと楽しいでしょうし、明るい毎日が送れそうです」


 美鈴は肯定的な言葉を並べた。

 けれど返事は違った。


「でも私のことは気にかけなくて大丈夫ですよ。ずっと一人で……生きてきましたから」

「気にかけてるとかでは……」


 雪也が反論しようとした時、雪也の視界は美鈴の顔をはっきりと捉える。

 瞳は若干、潤んでいて、唇をキュッと噛んでいる。


「……天春?」

「その……ごめんなさい。友達になってもあなたが傷つくだけだと思うので」

「どういう意味だ?」

「言った通りの意味です。私はもう……」


 何かを言いかけたところで美鈴は口を閉じる。

 彼女にはおそらく事情がある。

 けれど深入りなどできるわけない。


「連絡先だけは交換しませんか?」

「……そうだな、雪乃に何かあった時に連絡取れるし」


 二人はスマホを取り出してお互いの連絡先を交換した。

 交換し終える頃には日はもう沈み終わりかけていた。


「じゃあ私、帰ります」

「お姉ちゃん、また明日遊べる?」

「明日は厳しいかな。でもまた遊ぼうね。雪乃ちゃん、ばいばい」

「うん、ばいばい」


 美鈴はそうして去っていった。


 雪也の気分的には告白していないのにも関わらず振られた後のような状態だった。


「帰るか、雪乃」

「うん、帰ってお母さんの手伝いするー!」

「……そうだな」


 美鈴が話してくれた彼女の内面は思った以上に傷ついていた。

 天使様というベールを被って、中身は誰も見ない。

 友達もいないということは自身の素を出せる人がいないということ。


 だから雪也がその役を担いたかった。

 

 純粋に友達になりたいというのもあった。

 雪乃と遊んでくれる分、何か恩を返したいとも思っていた。


 しかし雪也は何もできずにただただ無力感に襲われる。


 心のモヤモヤが晴れないまま、雪也は妹と帰路についた。

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