第三話 天使様の正体

「あのね、お兄ちゃん、聞いて聞いて!」


 学校から帰宅後、雪也がリビングで間食がないか探していると、帰ってきた妹に話しかけられる。

 そんな妹の頭を撫でながら雪也はお菓子を漁る。

 

 あれから一週間以上が経過した。

 雪也はもうすっかりあのことは頭から抜けていて、誰かに話もしなかった。

 ハンカチを返してもらった以降、美鈴に話しかけられることもなく、いつも通りの学校生活を送っている。


「雪乃、おかえり」

「ただいま! あのね、聞いて!」

「ん、どうした?」

「私ね、最近、お姉ちゃんと遊んでるんだけどね」

「お姉ちゃん?」

「うん、近所のお姉ちゃんで公園に行ったら遊んでくれたんだ。それからね、毎日お姉ちゃんと遊んでるの!」

「なるほど、失礼のないようにするんだぞ」

「でね、そのお姉ちゃんが今日家に遊びにくるのです!」

「お、そうなのか、よかったな。じゃあお兄ちゃんは部屋に篭らないとな」


 近所のお姉ちゃん、どんな人だろうか。

 たしかに夕食の時もよく話に上がっている気がする。


 危ない人ではないと思うがどんな人物なのだろう。


「お姉ちゃんはどんな人なんだ?」

「えっとね、優しくて、髪長かった! あと高校生って言ってた!」

「ふーん、高校生か……」


 雪也は雪乃の言うお姉ちゃんが小学生くらいの子供だろうと思っていた。

 ただ、予想以上に年上だった。


 母同伴で遊ぶだろうし、余計な心配は要らないか。


「あ、雪也、ちょっと買い物行ってくれない?」


 お菓子を漁り終えて部屋に籠ろうとすると、母にばったり出くわす。

 タイミングが悪かったらしい。

 と言っても捕まってしまった以上は仕方ない。


 広谷家には父がおらず、数年前に離婚している。

 なので母は女手一つで働いて、祖父母がいるとはいえ家事も大半やってくれている。

 そんな母の負担の軽減になるなら手伝いも率先してやるべきだ。

 

 頭ではわかっていても実際お願いされると面倒臭いと思ってしまう。


「別にいいけど......何買ってくればいい?」

「スーパーでこれ買ってきて、お金余分に渡すから余ったら小遣いにしていいよ」

「ん、わかった」


 母からお金と買うものリストを渡される。

 働いた分、お小遣いがもらえるのは嬉しいが少々面倒ではある。


 とはいえスーパーに行って、買って、帰るだけ。

 故に一時間もかからない。


「あとごめんだけど、今日人が来るから十七時半ごろまで帰ってこないで」

「人来るからって何で俺帰ったらダメなの?」

「来る人、女子高生なのよ。その子結構可愛いからあんたが絡み出すかもしれないでしょ。連絡先聞いたり」

「息子に対する信用ゼロかよ。別にいいけど……」


 言い換えればこれは家から追い出されたということだ。

 

 来る人というのは雪乃の言うお姉ちゃんだろう。

 自分が追い出される代わりに雪乃が楽しんでくれればそれはそれでいいか。


 雪也は財布に母からもらったお金を入れて外に出た。


 ***

 

「外寒すぎだろ……」


 十八時前、すでに暗くなってしまった道を雪也は歩いていく。

 

 ただ、日のあった昼間とは比べ物にならないほど寒い。

 冬に入り始めているのだなということを実感させられてしまう。


 母に家を半強制的に追い出された後、スーパーで言われた通り買い出しをした。

 その後はゲームセンターで時間を潰したりして気付けば十八時前。

 

 十七時半と言っていたので流石にもう帰っていいだろう。


 お釣りが思ったより少なく、さらにこんなに寒い夜道を歩かされている。

 少々息子に対する仕打ちが酷くないだろうか。


 一言くらいは文句を言ってやろう。


 家の前に着き、そんなことを思いながら玄関のドアを開けた。


「ただいま……って……」

「待て待てー、逃さないよー」

「きゃっきゃっ、お姉ちゃん早いよー!」


 ドアを開ければ、雪乃となぜか家にいる美鈴が駆け回っていた。

 

 雪乃の言うお姉ちゃん、その正体はどうやら天使様だったらしい。

 

 美鈴は純粋な笑顔で雪乃のことを追いかけている。

 雪乃も満面の笑みで騒ぎながら、家の柱だったり机の周りを回っている。


 どちらも可愛い。

 

 雪乃は別として、雪也は人に対して可愛いと思ったことがあまりない。

 しかし美鈴があまりに無邪気な笑顔を浮かべるのでそう思ってしまった。


「お兄ちゃんだ、おかえり!」

「あ、お邪魔させてもらってま……す……」


 妹が兄の存在に気づいたことで動きが止まり、必然と天使様と対面する。


 お互いしばらく目を合わせたままで言葉を発しようとしない。

 そして気まずい空気が流れてしまった。


「……どうも」

「えっと……では、長くお邪魔させていただくのも申し訳ないので、そろそろお暇しますね」

「美鈴ちゃんもう帰っちゃうの? って、あら、雪也、おかえり。まだ帰ってこなくてよかったのに」

「流石に息子に対して酷くないか」

「冗談よ。あ、二人って知り合い? 美鈴ちゃんも雪也と同じ高校らしいけど」


 一応、知り合いではある。

 ただ、友達でも何でもないからこそ気まずいわけだ。

 相手からもハンカチの一件で認知されているのでどう接すればいいか困る。


「知り合いっていうか……」

「どちらにせよちょうどいいわ。雪也、美鈴ちゃん家まで送ってあげなさい。もう夜も暗いし」

「心配なさらなくても全然大丈夫ですよ。一人で帰れます。広谷さん……あ、いえ、雪也さんにも悪いですし」

「夜道は危ないわよ。美鈴ちゃんに何かあったら大変だわ」

「では……お言葉に甘えて。雪也さん、よろしくお願いします」


 美鈴は雪也に頭をぺこりと下げる。


 母はどこまでも人使いの荒い人らしい。

 しかし母の言うことは正論で暗くなった夜道は危ない。

 美鈴を家まで送っていくべきだろう。


「お邪魔しました」

「娘のためにありがとう。また遊びにきてね」


 美鈴の帰りの準備ができた後、雪也は美鈴の同伴で家を出た。

 家を出た後、気まずさからしばらくはお互い無言で歩いていた。


 けれど流石に遊んでくれたお礼くらいは言ったほうがいいかと思い、口を開ける。


「……ありがとうな、妹と遊んでくれて」

「いえ、お礼をいうのはこちらですよ。その……ハンカチを貸してくれた件は改めてありがとうございます。これでお返しですね」

「ああ、いいよ、別に。野暮かなとは思ったけど」

「いえ、助かりました」


 雪也は「なら、良かった」とだけ返す。

 あれ以降、少々羞恥が残っていたのだが、助かったという言葉でそんな羞恥も無くなった。


「ていうかまさか雪乃の言ってたお姉ちゃんが美鈴だとは思わなかった」

「あの……私、名前名乗ってましたっけ?」

「え? ……あ、たしかに。けど天使様で有名な人だから知ってる」

「……やめてください。そのあだ名嫌いなんです」


 美鈴に軽く睨まれてしまい、雪也はすぐに謝る。

 つい口に出してしまったがたしかに失礼な発言だ。

 

 勝手に天使様と名付けられて勝手に負けヒロインと呼ばれる。

 想像してみればかなり嫌かもしれない。


「ごめん、配慮足りなかった」

「改めて天春 美鈴です」

「広谷 雪也です」

「知ってます」


 何か会話に噛み合わないものがある。

 ただ、笑いを誘っているわけでもなさそうなので雪也も笑えない。


「あと私のこと苗字で呼んで欲しいです。名前呼びは慣れていないんです。ずっと苗字で呼ばれてきたので」

「わかった、天春でいいか?」

「はい、そっちの方が呼ばれ慣れているので」


 いつもの友人と話している癖で名前呼びだったが、相手からしたら嫌だったのだろう。

 と言っても基本的に雪也は人を呼ぶ時は名前で呼んでいる。


 ふと、透の天使様が苦手という発言が頭によぎる。


 相手と一線を引くとはこういうことだろうか。

 でもたしかに雪也と関わるメリットはない。

 モテるゆえに男子から執拗に迫られたりしたから一線を引いているのだろうか。

 

 要するに警戒心マックスというわけだ。


 こちらとしても妹と遊んでくれるだけで美鈴と仲良くなる必要性はない。

 むしろ妹のためにも好かれる努力より嫌われない努力をしなければならない。


「ここで大丈夫です。アパートなので」


 その後は二人でしばらく無言で歩いた。

 再び美鈴が口を開いたのは美鈴の家に着いた時だった。

 

「送っていただきありがとうございました」

「じゃあまた明日」

「はい、さようなら」


 雪也が軽く手を振ると、美鈴も手を振り返してくれる。

 しかしそんな彼女の顔は無表情で瞳にも感情が乗っていなかった。


 妹と遊んでくれていた時は笑顔だったが、警戒心を持たれているのだろうか。

 

「負けヒロインの天使様……か」


 雪也も踵を返して自身の家に向かって歩き始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る