第32話

しばらくして鍋のかぼちゃが柔らかくなると、男がヘラでかぼちゃを潰し、牛の乳らしき白い液体を注いだ。

とろりとした、とても濃度のあるスープが出来上がる。

(ぬぅ、大変に美味しそうの……)

指を咥える勢いで鍋を覗いてしまうと、男が炊飯器を指差す。

(おっと……そうだったの)

スイッチを押すと、男はさっき狩ったばかりの獣の肉をぶつ切りにし、小さく角切りにした知らぬ根菜と炒めてから、とまと缶で軽く煮込む。

男が、この獣は森の兎とはまた少し違い、ほんのり癖があるため、濃い目の味で煮込むと教えてくれ、そのまま出してあった画板で、料理と我と狸擬きを描き始める。

腹を見せていた狸擬きが、良い匂いにスンスンと鼻を鳴らし始めたけれど、男に描かれていることには気付いているらしく、動きはしない。

それに習って動かずにぼんやりしていると、やがて炊飯器が、赤飯が炊けたとピーッと音を立て、男は画板を脇に置き、鍋を掻き回す。

軽く済ませた昼からは、そう間は空いていないけれど、お腹はもう空っぽである。

両手を合わせて、2人と1匹で、

「いただきます」

をする。

かぼちゃのスープは甘く濃厚でもったりとして、

(ののぅ、甘味と言えるくらいに、甘くて美味の)

トマト煮も、肉自体は柔く美味、癖とやらはよく分からぬ。

野菜も煮込まれ良い塩梅。

塩梅と言えば、こちらには梅干しはあるのか。

一度、民家の庭先で干してあるものを1つくすねてみたものの、干し柿のように甘いどころか酸っぱくて塩っ辛くて、あれには驚いた。

赤飯おにぎりは今日も生きる源。

ぬくい食事の後でも、夕食後は気温がするりと下がり、食事の後片付けをしてから、男が天幕を設置する。

寝るまでそのまま荷台でも良いのではと思うけれど、荷物も増え、狭いからだろうか。

ストーブを置いてほわりとぬくい天幕の中で、本を開いて男に言葉を教わる。

男と並び、男に凭れ、そのうち男の胡座の中に収まり。

「ぬぅ……」

集中すると、肉体は疲れ知らずでも、若干頭が疲れる感じはする。

ずっと小豆から生まれたと信じて疑わなかったけれど、もしかしたら、何かのきっかけで人間の幼子に我の心魂だけ乗り移ったのか。

「……」

(……ふぬ)

全く分からぬの。

目を閉じて頭を男の胸に預けると、

「つかれたか?」

と書かれ、かぶりを振ったけれど。

「そういえば、今日の甘いものはまだだな」

の書き言葉に、

「そうだったのっ」

途端に元気が出る現金な心と身体よ。

しかも。

「のぉぉ……?」

どういう魔法で原理なのだ。

あの洋梨に似た果実が乗ったタルトレットが、艶々のまま切り分けられている。

氷魔法の一種で、若干、食べ物の腐敗を遅らせられる、らしいけれど。

男の指に何か仕掛けがあるのかとまじまじ見ても、指紋があり、厚い爪があるだけ。

「???」

男はその指先で、狸擬きが摘まむ焼き菓子のメレンゲ菓子を摘み、我の口に運んでくる。

「あむぬ」

甘いサクサクをモグモグしながら男を見ても、男は満足げに微笑むだけ。

くびれなしのタルトもやはり美味で、大変に満足なティータイムを満喫すと、男に、

「その氷魔法で、人の時間も若干の固定出来るのか」

的な、思い付いた事を書いて見せ、更に身振り手振りで訊ねたら、男は微笑んだまま固まり、酷くたじろがれた。

どうやら、それは非人道的な行為に値するか、死ぬか、そもそも、その発想がないらしい。

(まぁ、そうの)

ここは善人ばかりの世界だからの。

引かれたついでにあの大爪鳥に人は乗らないかと訊ねたら、

「……」

今度こそ固まられた。

大きさほどには骨も肉も多くなく、馬達のように、人や何かが乗るようには出来ていないと言う。

そう言えば、

(あの白い狼も、人と自分等の立場はほぼ同等と話していたの)

家畜も扱いもだいぶいいし、人権ならぬ獣権がある。

狸擬きが我を乗せることも、狸ならではの特殊な習性かと思われていた程、どうやら珍しい行為らしい。

(やはり、色々違うの……)

とりあえず、気を削ぐ問い掛けをしてすまぬと謝ると、男は少し考えるような顔をした後、

「君の国では普通なのか」

と聞かれた。

ぬぬん。

そういう意味では。

「人は満遍なく遥かに悪よの」

と答える。

別にそれが悪いとは思わない。

あの世界での人間はそうだっただけ、それだけのこと。

「悪……」

「ここいらにも、人にも獣にも害を成す獣がいるけれど、あれの、あれらが人の形をして、その辺をうろうろしておるの」

そんなに間違ったことは言っていない。

はず。

男は、しばらく何か考えるように目を閉じていたけれど、

「だから君は強いのか」

と顎に握った手を当て真剣な顔をして訊ねられた。

「ぬ?……ふむん、どうだろうの」

小豆を弾丸のように飛ばせるのは小豆洗いの賜物だけれど、気の触れる様な、ひたすら長く生きてきた時間も、ほぼ人間とは接することはなかったため、特に脅威もなかった。

仰向けにひっくり返っていた狸擬きも、興味深げに耳をこちらに向けている。

文字だけでなく、口にもしているから、狸擬きにもやりとりは聞こえている。

と、思ったら、

「この前」

不意に、唐突に男の声がはっきり聞こえた。

「の?」

「君の国へ行ってみたいと言ったけれど」

そう言えば、そう言っていたの。

「俺は足手まといになるか?」

眉を寄せ、深刻な顔をしているため、

「くふふっ、平気のっ」

思わず笑ってしまうと、ごろりと俯せになり、前足をぺたりと左右に伸ばした狸擬きが、

「自分も行きたい」

とタシタシを前足を敷物に叩き、せがんできたけれど。

むしろ。

「ぬぬ、……その、お主こそ、首輪が必要の……」

狸擬きの、ガーンッと言わんばかりのリアクションに、

「少なくとも我のいた場所ではの……美味しいものを食べたければ、人里、街に行くしかないしの……」

いくら自由でも、人にとっての自由。

そういう所は、人間様の世界だ。

元いた世界の食物連鎖や人と獣の階級を三角形とすると、こちらは割りと台形に近いのかもしれない。

我がいた場所は、一体どんな魔都なのかと怯える狸擬きは、そんな姿がとても楽しいため、しばらくは誤解は解かないでおこうと、内心でほくそ笑む。

そう。

今更白状するけれど、我の性格は、あまり良くない。

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