第31話
草原から小さな森を抜けると、話に聞いていた小さな村が、道から少し外れた場所に見えた。
想像通りちんまりしていたけれど、意外にも立派な橋があり、橋の向こう側にいた村人の男がこちらに気付くと、手を振って停まるように促してきた。
旅人や行商人とはあまり交流をしないと聞いていた、小さな村の村人たちは、村長の交代と共に、旅人ともっと交流して行こうと話し合い、旅人用の小さな小屋も建て、金銭や物々交換で村を発展させている途中らしい。
そのうち冬でも抜けられるようにしたいと、色々考えているらしいとも、後で男が、かいつまんで教えてくれた。
今は、村人が男に何やら交渉を持ち掛けているらしい。
男は少し考える顔をしたのち、何度か頷くと荷台へ向かい、木箱を取り出していると、一度村の方へ戻った村人が荷台を押してやってきた。
馬車から眺めると、木彫りの民芸品のような物が並んでいる。
男は少し悩み、何か1つ手に取り、代わりに大きめの木箱をそのまま渡した。
こちらがだいぶ割りを食っているはずだけれと、村人は胸に手を当てて感謝を示しているし、男曰く、自分1人のせいで行商人や旅人の印象を悪くするわけにはいかないと。
(ふぬ……)
それと、これから冬が来るせいもあるのだろう。
そうなれば旅人も格段に減る。
(中身もなかなかにいい男の……)
昼は抜き、ひたすら先へ先へ進むと、進むべき道から、細目の分かれ道があり、分かれ道のだいぶ先には、ここからでも見える大きな大木が1本聳えており、そのまた先は森が広がっている。
男はその細い道に入ると、森の奥に湖があると描いて教えてくれた。
男は先に進みたいのだろうけれど、村で馬車が停まったおりに、荷台から降りて我の隣に乗ってきた狸擬きの腹が、ぐーぐー鳴っている。
そして男の腹も。
狸擬きに至っては、前足の一本で腹を擦りながら、もう片方で我のポンチョの裾を摘まんでくる始末。
男が、大木までは行こうかと少し速度を上げる。
大木の下まで着いた頃には、
(おや、雨が来るの……)
少し冷えた空気に、水気が混じった風がほんのり届き、
(まぁ、この大木の下なら大丈夫だろう)
と遅い昼にする。
しかし炊飯を待つには長く、男がパンを炙り、まだまだ瑞々しい葉物と脂の乗った燻製肉も軽く炙りパンに挟んだものを手渡してくれる。
それとお茶ではなく、鍋に牛の乳と茶色い砂糖を混ぜて温めたもの。
男は今日中に湖畔までと考えていたらしいけれど、雨の気配を伝えると、ここで夜を明かそうかと仕草で伝えてくる。
わかったのと頷き、しかし、珍しく先を急いでいる気がする。
「……何かあるのの?」
口を開くと、男が少し驚いた顔をする。
「ん?」
「のの……」
声が伝わった。
が、男はなぜか都合が悪そうに視線を泳がせたあと、
「……いや、その、約束した魚を食べさせたくて」
口許を軽く覆いながら理由を教えられた。
「……の」
あぁ。
なるほど。
我のためか。
でも。
「このサンドイッチもとても美味の。急がずとも、我は充分に満足しているの」
勿論、感謝も。
男はなぜか微苦笑すると、手を伸ばして頬をつついてくる。
「なんの?」
「いや、何でもない」
「?」
ここで夜を明かすならば、時間はまだたっぷりあり、男と手を繋いで腹ごなしの散歩をする。
狸擬きは、水色と桃色の羽の大きな蝶々を追ってフラフラしている。
「おっと、そうの」
大事なことなのに伝えていなかった。
直接言葉を交わせる時に、伝えておかなければ。
「石を換金したあの紙幣は、1割を除いてお主に預けるの」
「……」
男が足を止めて見下ろしてくる。
「我に付き合ってくれる礼の、遅くなって悪かったの」
「……」
どうしてか、見下ろされたまま絶句された。
こちらは見下ろされると無意識で、我を抱っこするのかと両手を伸ばしてしまうし、男も反射の様に抱き上げてくれる。
しばらく考えるような顔をしていたけれど、
「あれは、君が思うより遥かに大金だ」
大きく息を吐きながら男が呟く。
「そうの?」
ならば尚更良かった。
「俺は貰いすぎだと言っている」
「ぬ。これから共に長く旅をするのだろうの?礼としては足りないくらいの」
男はゆっくり歩き出すと、またしばらく黙っていたけれど。
「君の世話代か」
「そうの」
馬車も食事も言葉も寝床も、新しい世界への道標も。
「……なら、そうだな、喜んで受け取ろう」
蝶々が目の前をふわりと飛んで来た。
その蝶々を追ってきた狸擬きが、気付けば目の前に蝶々ではなく、我と男がいることに、
「……?」
不思議そうに首を傾げている。
視線を落とせば、男の胸ポケットに煙草の詰められた革の袋と、紙の束が詰められており、1枚を拝借し、簡単な紙飛行機を作って飛ばせば、狸擬きだけでなく男も驚いている。
紙で遊ぶ習慣はないらしく、そもそも紙飛行機自体、少なくとも男は知らないらしい。
その場で2人と1匹で輪を囲み、紙飛行機の折り方を見せる。
男は勿論、狸擬きの器用さだけは認めていると、2人と1匹で紙飛行機を飛ばす。
男は勿論、狸擬きは高さが取れないくせに案外よく飛ぶ。
男はしゃがみこんでこちらに高さを合わせて距離を競い合ってくれる。
楽しくなったのか、狸擬きが宙を飛ぶ紙飛行機を追い掛け、追い抜いていく。
(犬かの……?)
そう言えば、この世界ではまた見たことがない。
犬も猫も。
我達のはしゃぐ声に、いつの間に、森から出てきていた獣、気配を消して近くにいた獣、大木の上に潜んでいた、兎と同じくらいの大きさの獣たちが、そこかしこから出てきて、好奇心旺盛に顔を覗かせていた。
姿はやはり兎と似ているけれど、こちらは顔の横に小さく丸い耳が付いている、あの白い森にいた獣と似ている。
横目で様子を窺っていると、どうやら紙飛行機が不思議で気になるものらしい。
男に伝えると、男はいい獲物を見つけたと目を細め、わざと紙飛行機を獣の方へ向けて飛ばすと、獣は逃げるどころか我慢出来ないらしく、紙飛行機に飛びかかった。
そこに男が靴に仕込んでいた、だいぶ小振りのナイフを引き抜き、額に的中させている。
「相変わらず、御見事の」
男曰く、この生き物は3、4体の群れで行動するらしく、我がそこいらに紙飛行機を飛ばしては、飛びかかる獣の頭に男がナイフを貫通させていく。
異常を察して逃げそうになったうちの1体は、小豆で後頭部から貫通させて仕留めると、近くに獣の気配はなくなった。
せっかくなので、捌く練習をさせてもらう。
草原に流れる血の香り。
獣の、皮を肉を裂くのは、楽しい。
中の臓物が覗けるのも。
(ふむん)
内臓に傷も付けずに済み、少しは上手くなってきた気がしないでもない。
男に血塗れの手で小さな心臓を口に運ばれ、男も食べている。
狸擬きは、離れた場所で、マイペースに紙飛行機を飛ばしては追いかけているけれど、楽しんでいる様で何より。
心臓を食べる意味は何かしらの意味があるのか、後で聞いてみよう。
大木の下へ戻ると、男が早めに、この兎たちの肉を使い、食事の下拵えをすると身振りで伝えてきた。
狸擬きは今度はまた蝶々を追い掛け始めたため、こちらは男と共に敷物に腰を下ろし、男の下拵えを眺める。
男が荷台から取り出してきたのは、
(のの、かぼちゃの?)
色は若干薄めでとても大きいけれど、味は呆けていないのだろうか。
皮は固いのも同じらしく、男が珍しく難儀しているため、
「の」
貸してくれと男から大きめの鉈を受け取り、ここだと敷物を軽く貫通してしまうため、敷物から移動させて鉈を振り下ろすと、
(切れ味がいいの)
豆腐のように切れた。
男に言われるまま、小さめに切っていく。
固いくせに、ほどほどの大きさになると皮は手で剥ける不思議。
バターに似たものを鍋に落とし、鍋にかぼちゃを入れて炒め、白い粉、多分小麦粉をまぶし、水を少なめに注ぎ。
蓋をした男が、対面でじっと作業を見ている我に視線を向け、
「この野菜は君のいた国にもあったか」
と書いて訊ねてきた。
「似たものは見たことはあるけれど、食べたことはないの」
赤飯以外は、山に自生している果物を少し齧った程度。
堪能したのか、食事を察したのか、のそのそと戻ってきた狸擬きが、ふと立ち止まり、空を見上げている。
「の……?」
つられて顔を上げると、大きな大きな大鳥と、その子供かもしれない、大鳥と比べると豆粒のような小鳥が編隊を成して飛んでいる。
(壮観よの……)
上空はもっと寒いはずだけれど、鳥達はやはり寒さに強いのだろうか。
黒い点になるまで見送ると、男は敷物に寝そべって煙草を吹かし、鳥達ではなくこちらを見ていた。
目が合えば、すっと目を細める。
(ふぬ……)
色気と言うのは、まこと生来のものなのだのと、男を見て気付かされる。
我がこの身体に持っているものはとてと少なく、当然色気も持ち合わせてはいない。
そう、全く持ち合わせてはいないからこそ。
(持ち得る人間に惹かれるのかの……)
そして人は、その瞳に記憶するだけでは飽き足らず、文で、絵で、写真で、映像で残したくなるのだろうか。
あの便利な撮影機、カメラとやらが少し欲しいと感じた。
この男のほんの一瞬を、永遠にしたいと。
「……」
男が身軽に起き上がり、煙草を咥えたまま、焦げ付かぬように鍋を軽く搔き混ぜては、蓋を閉じてまた横になる。
こいこいと手を振って呼ばれ、
「?」
四つん這いになり鍋を迂回して這い寄ると、けれど特に用はなさそうで、ただ黙って笑いながら髪を撫でられた。
男の腕を枕にして、大きく広がる大木の葉の大群をじっと眺めていると、
(ふぬん……)
鳥、そしてあの耳短の小動物以外にも、木の上に住処を構えているのが多く見える。
(住処としても大盛況の……)
雪が積もったら、獣たちはそのまま木の上で冬眠するのだろうか。
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