第33話

寝床は荷台かと思ったけれど。

「また暖め直すのもな」

と言い、男は天幕から出ていくと、我の寝巻きを包んだ風呂敷を運んできた。

更に天幕に置いていた水の入っていた樽に布を浸すと、固く絞ったものを手渡され、男は、左右に転がっては眠る体勢を模索している狸擬きの毛を掴むと、ジタバタする狸擬きを引き摺り、天幕から出ていった。

風はまぁ防げる荷台に登る音はしたけれど、荷台とはいえ着替えはもう寒かろうに。

手早く身体を拭き、寝巻きに着替えると、狸擬きが鼻先を覗かせ、のそのそ入ってくると男も布団を抱えて戻ってきた。

上半身は裸のままで。

「お主の……」

我が背中を拭くからと、わざわざ寝巻きを身に付けずに戻ってきたらしい。

「風邪を引くの」

「風邪は幼少期以来引いたことがない」

(ぬ?)

また通じる。

なら。

「お主が気にするなら、背中を向けてくれれば充分の、同じ部屋で着替えて欲しいの」

「……」

「一体、何が気に触る?」

「……狸が」

あぁ、なるほど。

半分は狸擬きを追い出すためでもあったのか。

なら。

「あやつには目隠しでもすればいい」

布でも掛けてやれば、視界が暗くなってそのまま寝るかも知れん。

男の背中を拭き終えると、男は昼間に村人から買っていたものを袋から取り出した。

それはなかなかに精巧な1本の木櫛だった。

金属の獣用のものとは全く精度が異なる細やかさ。

あの村には職人でもいるのかもしれない。

男は我の背中に回ると、櫛で毛先から髪を梳かしてくれる。

(おや)

何とも。

(甲斐甲斐しいの……)

なんぞ、どこぞの姫にでもなったような心地。

「慣れておるの」

「慎重なだけだ」

「くふふ」

「?」

「とてもこそばゆくて、しかし心地良くて、心が忙しいの」

「……」

動きが止まる。

「の?感謝したのだけれどの?」

何やら気を悪くさせたか。

「いや、俺は君の世話係りだからな」

櫛は毛先から頭のてっぺんへ。

櫛が離れていくことに、名残惜しくすら感じていると、

「……朝も、梳かそう」

髪で隠れるこめかみに、唇を、吐息と共にそっと押し付けられた。

「のの……」

心を読まれたようだ。

天幕の灯りを落とすと、それを待っていたかのように、夜行性の獣たちが、木から降りてくる音がする。

それを狙う、普段は森の沼地にでも潜む、地を這いずるものたち。

狸擬きも、ピクピクと耳を休ませずに動かしている。

「……どうした?」

広げた布団の上に横たわった男の隣に滑り込もうとしたけれど。

「……狩りの時間の」

我はどうやら同じ獣でも、愛らしく野を跳ね、狩られる小動物などではなく。

滑った地を撫でるように這い、捕食する貪欲な獣側に位置するらしい。

「肉を補充したいの」

昼間のトマト煮が、とても美味だったのだ。

大木から降りてくる小さな獣たちは、天幕に警戒はしているものの、ここには稀に人間が来るのだろう。

若干は見慣れたものの空気。

そして見えない天幕の外に視線を向ける男に、

「お主が緊張すると獣にも空気で伝わるの」

狸擬きはもう丸くなっている。

少なくとも表面上は。

その場で立ち上がると、男は、岩山の道で散らばった狼たちを思い出したのか、溜め息を吐くと、

「解体用のナイフを用意しておく」

と暗がりの中でも、諦め半分の顔で許可を出してくれた。

「感謝の」

(これで朝から肉の)

夜行性の獣共々、我も夜目は利く。

キャミソールにカボチャパンツ、裸足に草履を突っ掛け、天幕の外へ。

森の奥に沼地でもあるのか、やはりあのいつかの、オオサンショウウオ擬きがぬるりぬるりと大木の周りを、天幕の周りをうろうろしている。

走り、オオサンショウウオ擬きを飛び越えては、そいつらの獲物、昼に森から出てきた兎擬きよりも色の濃い、夜に特化した焦げ茶兎たちを、小豆を飛ばして横取り掴んでは、テントの入口に放る。

四方八方に逃げるもの、木の上に戻ろうとするもの、最後には当然獲物をことごとく横取りされ、こちらに敵意を見せてきたオオサンショウウオ擬きたちの頭も隈無く撃ち抜き。

そのあまりおいしそうでないオオサンショウウオ擬きたちは、他の獣の餌として、前足を引っ張っては、森の方へ、ブンッと放り込み、放置する。

そして残りの小さな獣たちをむんずと掴み抱え、

「戻ったの」

の言葉に天幕の内側が明るくなり、男が出てきた。

男は天幕の入口、我の足許に落ちている小さな亡骸ちちたに視線を向けるよりも、寝巻き姿の我の身体に、ぽんちょを被せてきた。

「被せる前に出ていくから」

「の、……すまぬ」

天幕の中だと血の臭いが籠るため、解体は灯りを点けて外で行う。

夜の空気に血と内蔵の臭いが風に流れ、生き物たちの、少しのざわめく気配。

また少し、捌くのにも慣れてきた。

獣たちはあっという間に肉だけの姿になり、

(ふぬん、実においしそうの……)

明日ものは別に取り分け、残りは男が荷台へ仕舞いに行く。

夜は更に濃くなり、改めて布団の男の胸に潜り込むと、

「あまり、歓迎はしない」

「お主の胸にかの?」

「狩りだ」

冗談が通じぬ。

「……」

「すまぬ、お主の食事が美味なため、ついの」

「……」

ぬ、正直に言ったのになぜ黙る。

そうだ、それに。

「あのかぼちゃのスープもとても好きの」

沈黙を貫く男に、しかし梳かされた髪を撫でられる。

心がこそばゆいのは、なかなか慣れない。

それでも。

「今日も、とてもよい日だったの」

そして、明日もまたよい日になるだろう。

くだんのように先は見えなくとも分かる。

それは。

「我の隣に、お主がいてくれるからの」

心からそう思っている。

「それは、俺も同じだ」

「の……」

そうなのか。

何だか酷く落ち着かず、男に更に身体を寄せてしがみつくと、男は瞬時固まったけれど。

また何か諦めた様な、大きな溜め息を吐いてから、我の身体をぎゅっと抱いてくれた。

(ふぬ……?)

どうしてか損ねた男の機嫌は戻せたのだろうか。

するとまだ起きていたらしい狸擬きが、敷物に尻尾をぼふぼふを叩きつけ、

『自分は?自分も一緒にいる』

と存在を主張してきた。

「の?……ん?お主か?お主は……」

狸擬きは。

ううん。

「……」

「その、ぬぅ、まぁ、元気の」

そう、元気一杯。

精一杯の感謝の意の言葉を絞り出したつもりだったのだけれど。

「……フーンッ!?」

狸擬きはなぜか憤慨し、男が噴き出している。

「のっ?なぜ笑う?」

我を強く抱えたままひとしきり笑った男は、

「のの?」

それには答えず、ただ、

「おやすみ」

の一言を残して、それからは何を聞いても答えず、眉を寄せる我と、プンスコと憤慨する狸擬きを置いて、1人先に睡魔に身を委ねていた。

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