第29話
翌日。
男は大量の食料品や、馬車の部品を買い、幌の綻びがないかを確認し、新しい馬になった馬車で、おじじの店の前まで向かった。
狸擬きと共に茶を振る舞われて待っていると、どこからか、男が結構な重さのあるはずの荷車を、軽い手荷物のようにゴロゴロと運んできた。
そして軽くなっていた馬車を転がしては、色々な店で品物を積み終えると、あのケーキの美味な茶屋まで行くと、タルトレットやチーズケーキを、ホールのまま丸ごとと、焼き菓子もたんまりと買い込んでくれた。
店を出る時に、店主には、
「新作を用意して待っている」
と言ってくれたと男伝に教えて貰った。
また是非、立ち寄りたいものだ。
馬車でおじじの店に戻り、おじじにも挨拶をしたけれど、男は、多分、しばらくは来られない的なことを言ったのだろう。
それでもおじじは腕を上げ、男と肘を軽くぶつけ合い、にかりと笑った。
そんなおじじに手を振り、組合へ向かう。
混雑しているかに思えた組合の前には、しかし荷馬車はそう停まっておらず。
組合の中からも、割りとあっさり出てきた男が言うには、あの後に声を掛けていた行商人や旅人たちが、予定を早めたり日程を早めたりしたらしく、あの老人の運ぶはずの荷物はあらかた捌けていると。
代わりに、皆が遠慮したか、この世界にもあるのは分からぬが、縁起を担いだか、誰も欲しがらない老人が積んでいた食料があるけれど、どうするかと聞かれた。
我は勿論、狸擬きも大歓迎だ。
男が老人の残した食料を大量に荷台に積み、出発する。
岩の街が段々下に見えるようになり、岩に囲まれた街が、ゆっくりと視界から遠ざかっていく。
岩の街を抜けると、ここからは更に標高が上がるらしい。
(遠くに見える山の木々の高さも、葉も違うの……)
荷台を引く馬の毛は多く、足も尚更太いが、毛の色は若干薄い。
狸擬きの毛も、寒くなれば太くなったり更に毛量が増すのだろうか。
その狸擬きが、ここら辺からの一帯は、鹿が主だと教えてくれる。
ふむぬ。
「鹿は美味しいのかの」
ふと口にすると、男が、
「?」
とこちらを見つめてくる。
何でもないとかぶりを振ったけれど、こちらから少し身を引く狸擬きを見て、なにやら察したのか、男は小さく笑うとまた前を向く。
鹿はあまり食べないのだろうか。
岩の崖肌に沿った通り道、景観はとてもいいけれど、少し狭くなった道を抜けているため、男はあまり余所見ができない。
氷の女神が、遠く遠くから気まぐれにふうっと息を吹き掛けた様な、冷たい空気が時たま混じり、通り過ぎていく。
「……」
始めに反応したのは狸擬きだった。
耳を立てたまま、こちらを見てくる。
(ぬ……?)
なんぞと耳に集中させると、
(……あぁ)
息遣いと、爪が岩を跳ねる音。
(狼の)
その足音の軽さからして、あのいつかの白い狼よりはだいぶ小柄、狸擬きと同じくらいか、しかしどうにも数が多い。
少し離れた山の一角にいたけれど、冬を前に獲物がなく、少し狩りの範囲を広げたといった所だろう。
まだ遠いけれど、相手はすでにこちらには気づいているため、男に馬車を停めるように頼む。
道を塞ぐことになるけれど、背後から馬車の気配は全くない。
狸擬きと先を見てくる、と書いて伝えると、男はじっとこちらを見下ろしてから、駄目だは言わず、
「俺は足手まといか」
と訊ねられた。
我の笑っていない顔で、察したらしい。
されど、足手まといかと聞かれれば。
ううん、どうなのだろう。
男がどれだけ強いのかは分からない。
「小さめの狼の群れ、その数は10を越える程度」
と書くと、男は額を押さえた。
どうやら無理らしい。
なら。
「すぐに戻るの」
男のあるかもしれない静止は聞かず、すでに馬車から降りてこちらを振り向く狸擬きの背中に飛び乗り、毛を掴むと、瞬時に走り出され、また前髪がぼわっと舞い上がる。
夜におでこにされた、男からの「おやすみの挨拶」を思い出し、無意識に唇をきゅっと噤むと、狸擬きの瞬足は伊達ではなく、ものの数十秒で、曲線の先と、崖肌の僅かなでっぱりに、道を阻むように、狼たちが待ち伏せしている所まで到着した。
狼たちは黒に近い深い灰色。
12頭と少し大きな群れだけれど、もしかしたら、こちらの世界では普通なのかもしれない。
感じるのは、敵意と殺意と捕食者としての眼差しのみ。
話しかけずとも話は通じないのは解り、狸擬きの毛を掴んでいた手の平から小豆を出すと、指先で小豆を弾き、まずはリーダーと思わしき狼の額に強めに当てる。
当然あっさりと貫通し、数秒後には鳴き声もなく倒れ、すぐ後ろの数匹に当てて始末していくと、残り半分になった所で残りが逃げ出したため、狸擬きの足で追い、4頭のツガイを残し、なるべく頭に飛ばして殺した。
最後に当てた、崖に登り逃げ掛けていた狼が2匹、滑るように転がり落ち、
(あぁ、毛が傷むの……)
失敗したと思う。
仕方ない。
それより、
「男が心配するから戻ろうの」
ものの数十秒も掛からぬのだけれども。
戻ると、男は馬車から降りていた。
狸擬きに乗ったまま、男に、馬車で進むように促し先導する。
狼の死体が散らばる所まで進むと、男は馬車から降り、その惨状を見回すと、されど男は冷静で、狼の死体を持ち上げて眺めている。
(……のの)
正直、もう少し狼狽えるかと思った。
が、表向きはそんな素振りは見せず、少し先は道幅が広くなっているため、そこまで狼たちを運びたいと身振り手振りで伝えてくる。
解ったと頷き、近くに倒れた亡骸を持ち上げるも、こちらでも狼は雑食のせいか、更に痩せてもいるしで、
(肉は格段、美味しそうではないの……)
男が馬車も移動させ、荷台から大きめのナイフやノコギリなどの解体道具を取り出してきた。
兎の時から、解体は得意ではないと思っていたけれど、また教わりながらやってみると、兎より大きいためか以前よりは上手く出来た。
内臓はまだ温かい。
そして、狼の心臓は食べないらしい。
回収するのは毛皮だけ。
男が、血塗れの我の手も、桶から掬った水で流してくれる。
毛の内側の皮を男が指先で温風を出し、乾かしていく。
少しの肉と内臓たちは、馬車の通らない端にでも置いておけば、肉食の鳥達が摘まみ、血はそのうち降る雨が綺麗にしてくれると。
骨はそのうち風化するのだろう。
内側だけ乾かした毛皮は、大きくて丈夫な麻の袋に積めて、荷台には積まずに荷台の外枠に引っ掻けた。
その回収した毛皮を洗うのは、川にでも出てからにしようと、男の書いた文字に頷きつつ。
「ぬ……?」
ふと、ポンチョが、血で汚れていることに気付いた。
裾の白いもふもふ部分の一部が赤くなっている。
時間が経てば赤黒くなってしまうだろう。
(ぬぅ……)
まだ我の身体に馴染んでいないせいか、汚れは自然に落ちる気配もない。
男からの我への贈り物として、存外に気に入っていたため、汚れたのがとても嫌で、落ちないのは解りつつも唇を尖らせ手で擦っていると、男が荷台へ向かい戻ってくると、水魔法で少量の水を掛け、小さな石鹸で擦り、火と風魔法で乾かしてくれた。
あっという間に汚れも落ち元通りなる。
「のぉぉ……」
やはり魔法は凄い。
「ありがとうの♪」
嬉しくて礼を言うと、こちらこそと言うように胸に手を当てて、かぶりを振られた。
「の?」
何かしたらと思ったが、狼の毛皮の束の入った麻袋を指差され、肩を竦め苦笑いされた。
(あぁ……)
狼の退治か。
「我にはそれくらいしかできないからの」
先の長く続いた狭い崖を抜けると、男の安堵した吐息が聞こえた。
予定外の狼の出現に狭い崖、案外気を張っていたらしい。
岩場から、段々と固い土の地面になり、少し尖った枝や葉の木々目立つ森の中へ入ると、
「のの……?」
いつかの森にもあった、あの小さな小屋と似たものが建っていた。
こちらの山に建つ小屋も、扉以外は石で出来ている。
しかも、つい最近、誰かが使った気配が残っている。
今は無人で、獣に侵入されないように分厚い扉もしっかり閉じられており、そこに男が馬車を停めた。
小屋の外に井戸があり、こちらは組み上げ式だ。
男が、水もあるしここで狼の毛皮を洗ってしまいたいけれどいいかと、紙に書き見せてきた。
勿論と頷き、桶の水の中に男が風魔法を閉じ込めた万能石と、細かくした石鹸を落とし、毛皮をぐるぐると回して洗いつつも、数が多いため、我と狸擬きも別の桶で男に教わりながら、手作業で毛皮を洗う。
狸擬きも前足くらいなら石鹸水も嫌がらずに、もむもむと狼の毛皮を洗っている。
洗い終えたものから毛皮を濯ぎ、男が組み立てた物干し棒に広げ、その辺の木の枝も、物干しとして使わせて貰う。
急いで乾かさなくても大丈夫だというため、そのまま自然乾燥に任せることにした。
そして一息吐けた時には、昼はとうに過ぎ、狸擬きが前足を腹に手を当てて、こちらを見上げてくる。
確かにお腹は空っぽだ。
しかし、これからまた休みなく食事の用意をすることを、億劫に感じているのは男も同じらしい。
ならばと、小屋の中に入ると、やはりほんの数日前に使われたばかりで、埃もほとんどなく、ありがたくそのまま使わせて貰う。
取り急ぎの、お茶の用意とケーキを小屋に運び、2人と1匹で、一仕事の後のご褒美ティータイム。
湯を沸かしている間に男がケーキを取り分け、狸擬きには焼き菓子を。
今日のティータイムは、あのふわりふわりとしたチーズケーキ。
「やはり、美味の」
「すふれ」と言うものだと教えて貰った。
男も美味しそうには食べてはいるものの、少し何か考えるような顔をしている。
「……?」
そんな男が教えてくれる今日の予定だと、今日はこの森をもう少し進む予定だった。
けれど、思わぬ足留めもあり、ここで一晩夜を明かそうかと迷っていると書かれ、特に反対もなく、狸擬きと共に頷く。
そうと決めてしまえば何となく場の空気も弛み、男が荷台からストーブを運んで来た。
外に干した狼の毛が乾くまで、我は男に、岩の街で買った本の文字を、1つずつ教えてもらうことにし。
そう。
布団を敷いたベッドに並んで腰掛け、画板に文字を書いていたつもりだった、はずなのに。
(んの……?)
「……の?」
画板は外され、気づいたら男の膝枕で眠っていた。
(ぬ……?)
うたた寝など初めてで、上を向くと男は本を広げていた。
が、我が起きたのが分かったのか、本を閉じると頬をつついてくる。
からかうような眼差しで。
(……ぬ)
人の食事をしているから、人に近づいているのだろうか。
そのまま男を見上げていると、片手で頬を包まれる。
親指で目許をなぞるように撫でられ、目を閉じて、手の平に頬を擦り寄せたけれど、ふと狸擬きの気配がないことに気づいた。
「……?」
男が外を指差す。
あのぐーたら狸が珍しいと思ったけれど、この辺の主にでも、挨拶に行ったのかもしれない。
そのうち帰ってくるだろう。
頬を包まれたまま、男に頭を撫でられるのは気持ちいい。
元の世界で、何度か撫でたことのある猫も、こんな気分だったのだろうか。
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