第28話

夕方に夕食の支度をしていると、誰か、人が訪ねてきた。

男が出て行き、こちらは男の手伝いで、脚立代わりの箱に乗って火を使っているため、そのまま調理を続けていると、男は少し考える顔で戻ってきた。

話はとうに出来なくなっているけれど、食事の前に、紙に書いて教えてくれる。

老人の荷物を分散して運ぶ手筈になり、急ぎでなければ、少し老人の荷物を引き取って運んでもらえないかと言う依頼だと。

ちょうど閑散期で休暇を取っている大爪鳥も多く、行商人達に声を掛けている。

頼まれてくれるなら明日の出発前に、この街の組合に寄って欲しいことなど。

全く構わんの、と返事をしかけたものの、まだ自分がこの男に、行き先も何も告げてないことを思い出した。

「……の」

男は、どこまでも行くと言ってくれているのに。

(ぬぅ……)

男は何か察しているのか、いや、生来の優しさなのだろう。

「……」

何も言わず聞かず、ただ湯気を立ち上げる炊飯器を指差し、3本の指を上げて見せてきた。

赤飯おにぎりが3つ欲しいと伝えてくる。

「そうの、今日も世話になってるしの」

いつの間にか寝室から出て来ていた狸擬きが、自分も自分もと言わんばかりに尻尾を振ってきたけれど。

「お主は今日は寝ていただけの」

「……」

そして茶を嗜(たしな)んだだけ。

「……」

さすがにおとなしくなった。

単品ではそんなにと思っていたチーズも、薄くしたものを肉と野菜と一緒にパンで挟めば。

「ぬぅ……美味の」

次はもうチーズがないと物足りない程に。

(これは良いの……)

狸擬きも首を傾げながらも、もくもく食べている。

それでも、赤飯おにぎりは始めになくなっているから可愛いものだ。

(の、男もか……)

おにぎりを置いた皿は空だ。

この街とも、このなかなかに居心地の良い宿とも、今夜でお別れとなる。

明日から、またしばらくは荷台で寝ることになると。

男は、とりあえず先へ行くことにしてくれたらしい。

「……」

そして自分達が向かう方には、小さな村はあるけれど、旅人を泊められるような場所も宿もないと。

夜には雨は止み、風が吹き、雲を飛ばしていく。

今日も大変に満足な夕食の片付けをすると、狸擬きは1人掛けのソファに飛び乗り、一丁前に肘掛けに前足を置いている。

順番に風呂に浸かり、狸擬きは濡らした布で拭くだけにしてやる。

男が寝巻きを纏うと、煙草を吹かしつつ外に出たため、つられて外へ出た。

風が雲を吹き飛ばした後の空は、カラフルで、めるへんな夜空が広がる。

男が煙草を指に挟まない左手をこちらに伸ばしてきたため、手を繋ぎながら、しばらく互いに物思いに耽っていたけれど。

(ぬん……)

すっと息を吸って、我は煙ではなく、言葉を吐き出す。

「……我があの山から旅に出た理由は、ただ、魔法が欲しかったからの」

便利そうで、とても羨ましくなったのだ。

小豆洗いの次に、ワクワクした。

自分も欲しいと。

そんな単純な、子供じみた理由。

でも、そのためには、

「まず、人と話せるようになりたい」

順番としては、それからだろうと思ったのだ。

間違ってはいないと思う。

けれど。

「旅を始めてすぐに、ほんの一部の獣たちと、言葉が通じることが分かったの」

白き狼にあの豚は、達者に暮らしているか、もしくは旅を続けているのだろうか。

あぁ、若き大爪鳥もいた。

人と話せないのは不便だけれど、僅かとは言え、獣と話せるのは、とても心が弾み。

それでも、

「辿り着いた石の街で、簡単な文字だけは読み書きができるようになったの」

それに、人の識字率が低いお陰で、看板などはどこも絵が描かれていて、思ったよりも、不便は少ない。

しかし、魔法も欲しいし、人とも話したいけれど、その代償として、獣と話せなくなる可能性は否定できないとも、思った。

「旅は楽しいしの、なんなら、しばらくはこのままでも、なんて、ぼんやりと、ほんのりと、思ったりもしていたのだけれどの」

なのに。

そこに。

「我の前に、お主が現れたの」

「……」

男の手が、我の手をきゅっと握ってくる。

「……したらの」

そう。

何とも困ったことに。

「お主と一緒にいるようになり、日々を過ごすようになったら」

「……」

「我は段々、……その、何よりも、お主と話したいと思うようになってきてしまったの」

「……」

男の長く吐き出す煙が、空へと霧散していく。

「魔法を使えることでもなく、獣と話せることでもなく」

今も、我の手を包んでくれ、隣に立つ男。

我を見て、我を抱き上げ、絶えず慈しみの視線を向けてくるこの男と。

そして、言葉は少しずつ、通じるようになり。

それはとても、心弾み。

だからこそ。

(もし)

もし。

我が魔法を使えるようになったり、他の者たちと話せるようになる代わりに、我の手を繋ぐ男と、言葉が通じなくなったらと思うと。

「我はそれが」

とても。

「……とても嫌の」

胸がきゅうと縮こまる感じがして、片手で巫女装束の裾をぎゅうと握る。

「……だからの」

だから。

男と少しずつでも、話せるようになっている我には。


今は。


「目的地が、ないのだ」


今宵の空に、流れ星は降らず。

男はずっと黙ったまま、煙草を吹かし、通じているかも分からないこちらの言葉に、ただ、じっと耳を傾けてくれてはいたけれど。

ポケットから「しけもく」を仕舞う小袋を取り出すと、ふっと口から煙草を落とす。

その袋をポケットに仕舞うと、男は身を屈め、こちらの顔を見ぬままに、軽く抱き上げてきた。

そしていつもより更に強く胸に抱かれ、

「の……?」

顔が見えぬままの男のシャツを掴むと、

「……嬉しいよ、とても」

男の低い声が聞こえる。

「ぬぬ」

「俺もだ」

「?」

「俺も、君と、もっと話がしたい」

「の……」

「旅の道中がこんなにも心踊り、こんなにも楽しいのは、初めてだ」

そうなのか。

本当に真っ直ぐにしか言葉を放たない男の。

顔を見せないところからして、多少の面映ゆさはあるらしいけれど。

男は言った。

ならば、こちらの仕事に付き合ってもらいつつ、君の魔法を手に入れる方法を探そうと。

以前も話したが、魔法は生まれ持っての性質で、全く持たないものが稀なため、まず、魔法を手にする、と言う考えがなかった。

他の者たちも同じだと思う。

そして俺が思うに、君の持つ豆と、あの「おにぎり」ができる魔法の道具は、こちらの魔法はどうやら根本的に違う気がする。

言葉は「おにぎり」が理由だとすれば、そうそう話が出来なくなることはないだろう。

君の魔法を手に入れる方法も、大きな国や街へ行けば、また色々と違うはずだと。

「どうだろう?」

そんな男の言葉に、胸の奥に滲むのは純粋な喜悦と、小さく疼く、甘い知らない、何か。

「それが良いの……」

こくりと頷きつつ、気になることが1つ。

魔法はともかく。

「の、我の『お主以外の者たちと言葉を交わせる』は後回しで良いのの?」

我もそうだけれど、男にとっても不便だろう。

そう思ったのに。

男は、

「君の言葉は、俺が当分一人占めしたい」

なんと。

男の顔を見ると、恥ずかしがるどころか、また悪戯っ子の顔で笑っている。

「ぬ、ぬぅ」

冗談なのか本気なのか。

「本気だ」

到底信じられん。

「ぬー」

唇を尖らすと、男が笑いながら中へ戻る。

狸擬きは、1人掛けのソファで、腹を出して、ぐーすか寝ている。

(ま、そのうち起きてベッドに来るだろうの)

男に抱かれたまま寝床へ向かうと、言葉はもう、通じなくなっていたけれど。

ベッドに横たわり向かい合うと、男の手の平が、我の額に掛かる前髪を上げてきた。

「の……?」

そして、おやすみ、とでも言うように、我の額に唇で触れると。

(……)

我のなんとも言えない気持ちを置いてきぼりに、まもなく男の寝息が聞こえてきた。

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