第26話
翌朝。
狸擬きは全く起きず、寿命を全うしたかに思えたけれど、たまに姿勢が変わっているため、どうやら生きてはいるらしい。
朝は赤飯おにぎりと、昨夜おじじが持たせてくれた食事処の数品の料理。
男の用意してくれた黄金色のスープ。
馬が芝生に解放され、好き好きに佇んでいる。
男は今日は別の店に向かい品物を卸してくると。
その前に、荷台の布団を物干しに干してから行く。
馬車は使わず、丈夫そうな持ち手のある鞄を片手に、片手は我の手を繋ぎ、おじじがいる店とは逆の西に向かう。
少し歩くけれど、街中の馬車に乗るか問われ、かぶりを振る。
自分の歩くペースで、街を見て知りたい。
少しばかり時間を掛けて向かった西側は、
「のの……?」
並ぶ店の雰囲気や歩く人間が違う。
冒険者寄りの行商人から、そこはかとなく行商人でも、商人といった出で立ちの人間が多い。
(我の手を繋ぐこの男はどっち付かずの……)
男を見上げると、
「?」
首を傾げて、どうしたと問うてくるけれど、答える前に、ふと男が足を止め、目の前に男の目当ての店の入り口があった。
そこはやはり同じ石造りの建物だけれど、おじじたちの建物と比べると、こちらはどこも若干小さく、代わりに建物に少しの見映えがある。
木の扉は解放されており、換金所の石の店ではなく、加工された鉱石の店。
薄暗い部屋の中、夫婦らしき男女が何やら話している姿が見える。
声を掛けた男に2人は振り向くと、驚きつつも、見知った顔に見せる親しげな笑みを浮かべ、男に手を繋がれた我を見て、また驚いている。
(ここは、宝石屋さんの……)
昨日の換金所もそう言えば薄暗かった。
(確か光に弱い石もあったかの……?)
男が鞄ごとを渡すと、女が受け取り、奥の机で鞄を開いている。
店の真ん中に鎮座する、ふかふかのソファを勧められ、よじ登ろうとしたら、男に抱えられてソファーに座らされた。
店主の夫が、盆に飲み物を淹れてきてくれたそれは。
(綺麗な青磁(せいじ)の……)
正確には違うのかもしれないけれども、似ている。
我には温めた牛の乳に、何か甘い蜜を垂らしたものを注いでくれている。
男には珈琲らしきもので、良い香りが漂ってくる。
ふぬ。
(甘くて、何だか懐かしい気がする味がするの……)
美味な事には変わらない。
男と店主の夫が、元気だったかだの、君の子供か的なやり取りをしている。
鞄の中身を確かめ終わった妻の方が、紙幣を纏めたものと、台紙の厚い本を持ってくると、紙幣の束は男に、本はこちらに差し出してきた。
絵本だろうか。
小さな家の絵が描かれている。
「ありがとうの」
礼を言って受けとると、女はふわりと微笑み、また男たちとの話に加わる。
ふぬふぬと絵本を開くと、
「?」
不意に、絵本から緑色の何か飛び出し、
「のぉっ!?」
びっくりしてそふぁにひっくり返った。
「!?」
男がどうしたと言った様な言葉を放ち、店主の夫婦も驚いた顔でこちらを見ている。
「ぬぬ……、その本から……」
思わず絵本を放ってしまったけれど、絵本は男が受け止めていた。
絵本から、何か出てきたのだ。
絵本を指を差すと、男が首を傾げながら本を開くと、また一瞬で何かが構築されていく。
「の……っ?」
なんのこれは。
絵本の中に森が?出来ている?
紙が、立体に森の形になっているのだ。
「ののぅ……?」
どうやら、そういう仕掛けの絵本らしい。
(ぬ、こんなものがあるのの……)
男ににじり寄りまじまじと見てしまうと、
不意に本が揺れ、
「?」
我の驚きっぷりに、男が必死に笑いを堪えてるため、本が揺れている事に気付き。
「ぬぅぅ……っ」
むくれると、ますます堪え切れない様に笑われ、
「のーっ!!」
男の腕をポカポカ叩くと、男はごめんごめんと謝っているのだろうが、口許が笑っている。
ふと、対面の夫婦もクスクス笑っていることに気付き、
「ぬっ……!?」
ばつが悪く、ソファに凭れると、男が笑うのをやめ、本を膝に置いてくれる。
宥めるように我の髪を撫でながら。
「ふ、ふぬん……っ」
我も、外見はともかく、中身はいい大人のつもりではある。
気を鎮め、改めておとなしく本を広げると。
(ふぬぬ、開くと絵が飛び出してくるのの……)
こんな本があったとは。
向こうの世界にもあったのだろうか。
(きっと、あったのだろうの……)
我が触れる機会がなかっただけで。
本の中には森が現れ、川も流れている。
次のページを開くと、愛らしい花が咲いている。
次のページは、小さく愛らしい家が現れた。
次のページは、ハンバーグらしき肉料理とパンとスープ。
次のページは、ふかふかそうなベッドとランプ。
次のページは、ビスケットに牛の乳と思わしき飲み物が入った器。
最後のページは、それらが一面に詰まったもの。
(これはどういう仕掛けになっているのの……?)
狸擬きがこれを見ても、やはりひっくり返るだろうと思うと、少し笑ってしまう。
まぁ男はひっくり返った我を見て、少しどころか、大笑いしていたのだけれど。
何度も見返し、色々と想像が膨らむ。
この小さな家は、森の中にあるらしい。
住んでいるのはどんな者なのか。
1人なのか、2人なのか。
2人と1匹かもしれない。
近くに街はあるのだろうか。
川は小さいけれど、きっと綺麗な川だ。
本を広げ、半ば夢現にいると、不意につんつんと頬をつつかれた。
「……?」
顔を上げると男が微笑み、空になった鞄を閉める。
仕事は終わったらしい。
夫婦に礼を言って本を返し、男と外に出た。
空は薄曇り。
宿に戻り、また馬車から品物を取り出す。
持ち手のない木箱のままだけれど、男は片腕に担ぎ、片手は手を繋がれる。
それからは店の人間に品物を渡しの繰り返しで、仕事は仕事だけれど、どちらかと言うと頼まれた「おつかい」らしく、行商人の男の仕事でもないらしい。
男が胸の前で両手を広げて、終わりと言った仕草を見せたのは、とうに昼を過ぎた頃。
この街は、少し硬い鐘の音が鳴る。
狸擬きの様子を見に行くと、仰向けにひっくり返り、後ろ足をピクピクさせながら寝ているため、放っておくことにした。
男に仕草で、
「お茶か昼か、どっちがいいか」
と訊ねられ、ティータイムは狸擬きに恨みがましい目で見られそうで、昼食にすることにした。
商人側にある、庭に石のテーブルや椅子のある店に入ると、商談をしているような客もおり、庭の席に案内されると晴れ間が見えてきた。
昨日の店にもあったけれど、この街は肉の煮込み料理が一般的で大衆的らしい。
テーブルが高く、顔の半分がテーブルから隠れると、店員がクッションを持ってきてくれた。
テーブルの向こうからやってきた男が、店員が椅子にクッションを敷いてくれて間、我を抱き上げてくれる。
(まるでお姫様の……)
テーブルの上の品書きが見えるようになり、川魚の絵を指差すと、男は肉の煮込み料理を頼んでいる。
紙に午後は自由時間だと書かれ、何がしたいか聞かれた。
(ふぬん……)
小豆を洗いたい。
でも、この辺りの川は遠い。
魚を捕るものの専用の行き来する道があるらしく、そうでないものはあまり歓迎されない様子だ。
(小豆洗い以外だと……)
何だろの。
少し考え、
『お主とこの街をもう少し散策したい』
と書くと、男は微笑み、料理が運ばれてきた。
男の肉の煮込み料理を口に運ばれる。
(やわこくて美味の)
そして。
(同じ煮込みでも、店によって味も案外違うのの……)
目一杯手を伸ばして男の口にも、魚を運ぶ。
男は魚も料理出来るのだろうか。
『一応は』
と返事。
そして、ここでは魚はそこそこに貴重だと教えてくれる。
ほぼ店にしか卸されないと。
男は、ここを出て森を抜けたら、しばらくは川沿いを進むことになる。
湖があるから、釣竿を用意して魚を釣ろうと。
川沿いの道。
それはとても良い道である。
足をパタパタさせてしまうと、男も笑う。
この街にはもう一泊し、明日は減った荷台に荷物を積めてから、そのまま出発すると聞かされた。
食事の後は、また街を冷やかしに行く。
おじじの店で金物や雑貨は買い足していたけれど、こちらの商人街とも言える店たちは、使い勝手に追加して、見映えや装飾を考えられた品物が多い。
当然値も更に張るけれど、
(ほほぅ、めんこいものも多いの……)
男はひたすら、所狭しと紙が積まれ並べられた店で、大量の紙を買い足している。
東側で安いものもあったけれど、紙の質もやはり違うらしい。
品物を眺めていると、どうやら我は、割りと質のよい紙を、移動中に落書きなどで大量に消費している気がしている、と言うか実際していた。
知らなかったとは言え。
(少し気が咎めるの……)
これからは少し気にすることにしよう。
そして、同じ紙繋がりか、少しの本がオブジェの様に立て掛けられて売られている。
男に取ってもらうも、午前中の宝石屋のこともあり、恐る恐る開くも、ごく普通の文字が並んでいるだけ。
(読めぬけれどの……)
知らぬ文字の羅列。
男が別の本を手に取りパラパラ捲り、それを何度か繰り返した後、
「これをお勧めする」
的なことを伝えて来たため、その本と、愛らしい色と柄の付いた小さな覚書帳、メモ帳を幾つかと共に、これは換金した紙幣を、お小遣いとして自分で買わせてもらう。
その後は、服屋で男の厚手の服を選んでやり、その店の女からの個人的な男への誘いを、体のいい断る盾、防波堤として使われたり。
それくらいは言葉が解らなくても、女の視線、身振りと放たれる空気で解る。
(むぅ……)
こういう時のために我を連れているのかと、店を出て歩きながら頬を膨らますと、男が肩を竦め、苦笑いで、何か謝る様な言葉を口にしながら立ち止まり、我を抱き上げてきた。
「……?」
男は立ち止まったまま、我の顔をじっと見つめ、何か言っている。
それは言い訳の類いではなく、我に何か、言い聞かせるような口調で。
(なんの……?)
我は何も解らないのに、男はただ、我を抱く腕に力を込める。
(んぅ……)
言葉では伝わらないのに、こちらに対する気持ちだけは、確かに伝わり。
(……狡いの)
「仕方なしの」
むくれるのをやめて、変わりに男の首にぎゅっとしがみついた。
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