第25話

食事の前に風呂場で大きな桶を使い、洗濯をしてもらう。

万能石が風魔法を吸収し、浅い桶の中でグルグル回り、水を捨ててまた水を足して濯ぐ。

高さがあり気づかなかったけれど、窓の外に物干しが設置されていた。

身に付けている肌着を男に干されるのは、人ではないけれど少し羞恥心と言った感情が沸き起こる。

男が風魔法で乾かしてくれている間に、キャミソールとカボチャパンツにポンチョを羽織り、そのまま放牧場へ出て、楽しげに馬と戯れていた狸擬きを捕獲し、頭上に掲げて風呂場へ連行し、洗う。

当然、泡まみれになり不機嫌な空気を隠さない狸擬きではあるけれど。

「……」

「大層汚れてる上にお主、今は馬の涎まみれだったの」

「……」

「馬と共に馬舎で寝るかの」

「……」

「……我に付いて来なければ、こんな風に洗われずに済んだのだの」

意地悪を言ってみると、短い足が桶の中でじたばたし、

「のわっ……!冗談だと言うに!」

泡が湯が風呂場に弾けた。

フンッフンッと鼻息を荒くする狸擬きを宥めつつ、軽く拭き上げてから、とうに服を乾かし終え、ソファで煙草を燻(くゆ)らせていた男に、狸擬きを乾かして貰う様に頼む。

桶の湯を捨てて頭と身体を洗い、浅く広めの石で組まれた湯船に浸かる。

「ぬぬん……」

気持ちが良い。

夜は、おじじが食事を共にしたいと伝えてきていたらしく、街の外灯が点き始めた頃。

夜は危ないからと、男に抱えられて指定された店に向かう。

夜の街は更に男達の声が賑やかになり、酒の香りも、そこかしこの店から漂ってくる。

あまり食堂とは関係なさそうな店からも。

酒飲みが多い街なのかも知れない。

おじじが指定してきた店は、酒場などではなく、多分行商人等が仕事の話に使うであろう、個室の店。

とは言え高級感はなく、仕切りがあるだけの、中は至って普通の、四角いただの飾り気も少ないテーブルと椅子。

気持ち程度に絵が飾ってあるけれど、知らない藍色の花の絵。

男に椅子に座らされると、男は隣に座り、狸擬きはおじじの隣に座る。

おじじが男に酒を勧めているけれど、男は苦笑いで断っている。

代わりに狸擬きがテーブルに肉球をタシタシ叩いて「アピール」している。

(ま、おじじの奢りだろうから好きにするの……)

泡の少ないビールらしき酒が2杯。

煮込んだ骨付き肉や、葉物野菜の酢漬けに似たもの、それに川魚が出てきた。

(のの……)

どれも大皿なため、男に取り分けてもらうと、自分の分を取り分けていたおじじが、何か男をからかうような意味合いの言葉を口にしたらしく、男は、少し目を伏せて、何か口にしている。

そして、視線を逸らした先に我がいたためか、ふと眉を上げた後に、慈しみの眼差しで頭を撫でてきた。

頭を撫でられるのは心地よく、目を閉じると、男がおじじに何か言う。

おじじがそれに対して何か言ったけれど、こう、

「やっぱりお前も酒を飲め」

的なこと位は解る。

狸擬きは酒に強いらしく、美味しそうに飲んでは、更に追加で運ばれてきた、芋を揚げたものを前足で摘まむと、ポーンと口に放り込んでいる。

つられて摘まんでみたけれど。

(のの、これは、ポテト、の)

油がまぶされホクホクして少しの塩気が大変に美味。

たまに、他の席から和やかな笑い声がしてくる。

男とおじじの聞こえない話を聞きながら、狸擬きと一緒にポテトを摘まんでいると、男が店から出された濡れた小さな布で、油と塩で汚れた我の手を拭ってくれる。

(ぬん)

今更だけれど、

(この男は、我を甘やかすの……)

それを見た狸擬きは、

「……」

おじじに短い前足を見せ、大笑いしたおじじに、爪と肉球を拭ってもらっている。

店を出ると夜もとっぷり更け、おじじは酔った頭を左右にゆらゆら振りながら帰って行き、外は昼よりも人が増え、肌も露な、妖艶なドレスを纏った女達も、ちらほらと紛れはじめている。

ねおん街、ではないけれど、夜でも少し灯りを落とし、どんな魔法か、外灯がほんのり桃色掛かっている場所は、女たちと飲めたり遊べたりなど、所謂「そういう店」を現しているらしい。

(ほほぉ……)

幼い我を胸に抱き、脇には千鳥足の狸を引き連れて、夜の岩の街を歩く男は、若干浮いているのは確かだけれど、それは今に始まった事ではない。

そして通り過ぎる少し無骨な男達は、やはり目が合えば、皆、にかりと歯を見せて笑い、ご機嫌に手を振ってくれる。

小さく手を振り返していると、目の前から、ゆったりと歩いて来たのは。

昼間、あの男が方向転換した先にあった、路地の先の店から出て来た、あの「大人の女」だった。

ゆったりとしたうねりのある豊かな髪に、ここではだいぶ異質で上質であろう、艶やなか、やはり生地の少ない扇情的なドレス。

どんな染料を使っているのか、目許も唇も、爪先までもが艶やかに煌めいている。

女はこちらに気付くと、あら、と言わんばかりに気だるげな目を瞬かせ、足を止めて、話し掛けてきた。

男の方に、だ。

女から漂う好意的な気配。

まぁ気持ちは解らないではない。

なんせこの男は、適度に彫りの深い、整った顔立ちをしている。

男が肩を竦めてかぶりを振り、女は残念と言わんばかりに、長い睫を伏せ、艶かしい唇に細く長い手を当てる。

そのまま男と二言三言話してから、我には話し掛けてこない代わりに、握手を求めてきた。

握手は、この岩の街での挨拶なのかもしれない。

そっと手を出せばやんわりと包まれ、

(ののぅ、柔かいの……)

細いのに驚く程滑らかで柔らかい手の平。

鼻腔をくすぐるのは、甘いパルファン。

女は手を離すと、ゆったりと微笑み、またねと言わんばかりに、また優雅に手を振り、通り過ぎて行った。


宿に戻り、千鳥足の狸擬きの足を拭いてやれば、ふらふらと寝床へ向かい、窓際のベッドに飛び乗り、腹を見せて寝息を立て始めた。

我自身も割りと自由気ままに生きている自覚はあるけれど、

(こやつの自由さは、我を余裕で越えていくの……)

男も服を脱ぎ、もう1つのベッドに腰掛けている。

我は、風呂場の手前の脱衣場で服を脱ぎ、畳んで風呂敷包む。

寝巻き代わりのキャミソールとカボチャパンツに履き替え寝床へ戻ると、薄暗い部屋で男がベッドの端に寄り、自分の腕を枕にして我を待っていた。

久々にふかふかのベッドによじよじと這い上がると、男の胸の中に潜り込む。

「疲れてないか?」

男の言葉がはっきり聞こえた。

「疲れることはないの。お主はどうの?」

「少しの緊張はあったけど、疲れはないかな」

やはり若いの。

しかし。

「緊張?」

「たまに店がなくなっていたりするからな」

なんと。

「ごく稀にだよ、あの店は大丈夫だろうけど」

確かに。

しかと「バイタリティ」に溢れるおじじだった。

「食事はどうだった?」

「大変に美味だったの、昼間の甘味も」

「そうか」

男が小さく笑う。

でも。

「ん?」

「お主の食事も大変に美味の」

「……」

返事がなくなり、顔を上げようとすると、

「ぬんっ?」

また頭を抱えられて、胸に押し付けられる。

(なんぞ、照れ屋の)

疲れてはいないと言ったけれど、それは体力的な話。

無骨な行商人街に子供を連れ歩き、また色々と気も張っていたのだと思われる。

男はそのまま寝息を立て始め、その男の匂いを、今は少し石鹸の匂いも混じる匂いを目一杯嗅いでから、我はそっと男の腕の中から離れた。

起こさないように寝床ではなく、居間から芝生のある外に出ると、雲が多く、星の見えない空を見上げる。

目を閉じて耳を澄ませると、岩の間を抜けていく風の音。

やはりだいぶ崖下に流れる川の音。

そして夜でも馬車の、馬の爪音と車輪の回る音が近づいてくる。

長旅の疲れた音ではなく、短距離を回ってる軽快な音だ。

そういえば岩の道にも、外灯が点々と取り付けられていた。

「……」

男が部屋から出てくる音に、目を開き、外の観察はここまでにする。

街の中も騒がしくはあるものの、おかしな気配はなかった。

(それにしても)

「本当に過保護の」

我を見付け安堵した男の吐息に、

「……の」

暗がりで両手を伸ばし男に抱っこをせがむ。

男に抱き上げられて寝床へ向かいながら、

「俺は君がいないと眠れないんだ」

男の呟き。

お主は、大事な人形がないと眠りに着けない赤子か。

「寒がりなんだよ」

そう言えばそうだったの。


岩の街の夜が、ゆっくり更けていく。

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