第24話
午後。
狸擬きも、テコテコと付いて来たけれど、宿の前に「ティータイム」と察したのだろう。
街の見学がてら茶屋を探すけれど、洒落た店よりも、昼から酒を飲ませる店や、飲み屋と茶屋と兼ねてる店も少なくない。
そういう店は、我よりも男が警戒し入りたがらない。
ただ、おじじが教えてくれたメモを頼りに向かうと、大きめの看板に、洋菓子に似た絵が描かれている店に辿り着いた。
店内も、カウンターはあれど、あまり酒場っぽさはないのは、白い塗料で壁も床も塗られているせいか。
ランプも、何か獣の耳の様な形をしている。
(愛らしくて良いの)
客はまだおらず、静かなのもいい。
カウンターの奥のドアから出てきた店主は、非常に大柄な男で、髪は短髪、元は冒険者と思われる。
さぞ大物とやりあってきたのだろう、捲った二の腕に傷がいくつも残っている。
体格が良すぎて、前掛けは紐を付け足し、後ろで結んでいる有り様。
しかし、その前掛けには肉球のマークが、まるで前掛けの上を小さな獣が歩いた後の様に、当て布で縫い付けられていた。
狸擬きがそれに気付き、自分の肉球をじっと見てから、こちらを見てきたけれど、一体、我に何を言えと言うのか。
品書き、メニューに描かれたケーキの絵にも、この岩の街では、白黒茶程度の色が着いている。
狸擬きは、これがいい、とメニューの1つをタシタシと叩き、焼き菓子の詰め合わせを要求してくる。
男は、シンプルで飾り気のない1ピースのケーキを頼んでおり、
(……?)
パウンドケーキ的なものかと眺めていると、店主の男がこちらを見下ろしてきた。
そして、ニッと唇の両端を上げて、迫力のある笑顔を見せてくれたため、また知らぬ果物のタルトレット的なものを指差すと、店主は頷き、男が指を3本立てて、お茶、多分紅茶を追加し、店主はカウンターの奥の厨房へ戻っていく。
「こういう店を開く人間は、氷の魔法を強く出せる者がわりと多い」
と男が紙で教えてくれる。
「ほほぉ」
なるほどの。
おじじの店にあった、あの万能石の色の違いを訊ねていると、純粋に燃えている長さや威力の違いらしい。
そして、おじじの店の品物は、やはりほとんどが玄人に降ろすのが主だと。
我は飾り気のあるものが好きだと伝えると、男が考えるように、顎に握った拳を当てる。
狸擬きはテーブルに前足をぺたりと置いたまま、キョロキョロと室内を見回し、しかし椅子から降りることなく大人しくしている。
石の街でもそうだった。
獣のわりに随分と聞き分けが良いのは、この世界の獣の特性か、この狸擬きが特殊なのか。
目が合うと、小首を傾げられる。
そうそう待つこともなく、店主が盆に乗せたケーキを運んで来ると、
「ふのの……、ガラスの皿の?」
少しばかり歪な形の平らな皿は色も濁っており、多量の気泡もあるけれど、またそれがこのガラス皿の味の1つなのであろう。
「ほぉぉぉの」
それは大変に魅力的で欲しくなったけれど、旅をする身でガラスの皿はあまりに敷居が高く、脆すぎる。
それでも、
「とても雅で麗しく、ケーキがより美味しそうに見えるの」
そう伝えると、言葉は通じないけれど、店主は皿を褒められた事は解ったらしく、またニッと迫力のある顔に、今度ははにかみが混じった。
肝心な、皿に乗せられたタルトレットは、楕円のタルト生地の上に、赤みの強い橙色の果物が1口の大きさに切られて、重なって乗っている。
(ぬ、柿……かの?)
これなら何度か山などで食べた記憶はあるけれど、こちらではタルトレットの具に乗せるものなのかと、干し柿から随分と垢抜けるものだのと驚く。
狸擬きの目の前には、またころりと愛らしい形の焼き菓子などが、小さなかごに盛られ、男は店主に、これらを描いてもいいかと、紙と筆を見て許可を貰っている。
その男の頼んだものは、淡黄色で、上面だけは淡い焼き色が鈍い琥珀色。
昔の菓子の調理本の、写真の記憶を掘り起こすけれど。
(なんだったかの……)
男が手早く描き終えると、店主が続けてお茶を運んできた。
テーブルにまた可憐な白いカップを置き、紅茶を注いでくれながらも、狸擬きが前足2本で焼き菓子を持つ姿を、感心したように眺めている。
男は、男の頼んだケーキに関心と興味を示す我の視線に、楽しげにケーキをフォークで切り、一切れをフォークで刺すと、それを我の口許まで運んできた。
「ぬ……」
少しだけ躊躇したのは、全く味の想像も付かぬ食べ物だからであり。
(そうそう不味いものでもあるまい……)
微かに酸味のような匂いと、山羊か何かの乳を凝縮、いや発酵したような匂いが鼻に付き。
「あむぬ」
口に入れれば。
(ふぬ……?)
ふわりと口の中でなくなっていく甘さと、
(のの、これは、ちーず、チーズの)
甘くないチーズは一度だけ元の世界で齧ったことはあるけれど、あまり気に召すものではなかった。
けれどこれは。
(砂糖と混ぜると、ぬぬ、卵も?入って、ふわふわで、なんとも味が優しく)
「これはとても好きな味の」
次はこれを食べたい。
そして、柿のタルトレットも、
「ぬぬん♪」
(よいの、よいの)
熟し過ぎるギリギリの柔かさが、固めのタルト生地と全く違った食感で、何とも美味。
男にも差し出したけれど、苦笑いで手を振られる。
「のの?」
どうやら柿らしきものは苦手らしい。
男が、
『タルトは、今の時期の旬の果物を乗せていると言っていた』
と書いて教えてくれる。
(ほほぅ、時期が違えばまた違う果物が乗るのか)
フォークを咥えながら、この土地にいる間に、ここには何回来られるだろうかと指を折り考えていると、男がまた我の口に、チーズケーキを運んできた。
(良いのの?)
と思う前に口を開いてしまう。
とても美味だけれども、男の柔らかな笑みとその眼差しには、なぜか胸の辺りが落ち着かなくなる。
「んむ……」
足をぶらぶら振ってみても、それは変わらない。
男が煙草に火を点け、天井に煙を吐き出す。
店主がやってくると、同じく煙草に火を点けながら何か男に話しかけ、楽しそうに話を始める。
たまに視線がこちらに向くものの、何を話しているのかはさっぱり分からぬ。
そして店主は、狸擬きに興味があるらしい。
人気者の、狸擬きは。
(そういえば)
ここは獣が少ない。
金具を付けた中型や大型の鳥は飛んではいるけれど、獣を連れているもの自体が少ない。
後で聞いたら、旅人や冒険者ではない行商人は、あまり獣は相棒にはしないという。
(まぁ、そうの)
店主が、男から筆を借り何か書いて見せてきた。
『あまいものはすきか』
と。
頷くと、店主は俺もだと言わんばかりにニコニコと頷き、やはり好きが高じてこの仕事に就いたのかと納得する。
『とてもおいしい』
と書くと、店主は目を見開いた後に、喜びの拳を天井に突き上げた。
そんな店主に見送られながら店を後にし、おじじの店まで戻ると、店の前で大人しく待機している馬たちに、おじじが水を与えてくれていた。
そしておじじの店の品物がごっそり減っている。
行商人が立て続けにやってきて品物を持って行ったらしい。
馬車に乗り、男がいつも泊まっているという宿へ馬車で移動すると、
「のの……」
四角い石の平屋の家がいくつも並び、家の前には馬車が停められ、建物の向こう側は、馬のための放牧場が広がっている。
男は、泊まる手配をしてくると馬車から降りるなり、建物に沿って走って行ってしまった。
少し離れた先に見える受付も、ただの宿の受付にしては、とても大きく、立派に見える。
我を1人にしたのも、宿の敷地内のため問題ないと考えたのだろうけれど。
一緒に受付に連れて行かない理由は何であろうか。
(……宿泊費の支払いかの?)
あの男は、我がコインや紙幣を出すのを渋るし浮け取りも頑なに拒否する。
「お主はどう思うの?」
「?」
同じく隣で退屈そうにしていた狸擬きは、我の問いかけに、
「……」
宿の裏だけでなく、受付の奥にも馬の気配がとても多いと答え、我の問いかけなど、欠片も聞いていない。
しかし。
(馬の?)
しかも多いと。
「ふぬん?」
気配を探ると確かに、匂いもしてくる。
駆け足で戻ってきた男が、我に手を伸ばし抱き上げてくれる。
狸擬きもポンッと降りると、しかし平屋の向こう側、芝生の広がる馬の放牧場へ、トトト……と行ってしまう。
その自由極まりないマイペースさは、一体誰に似たのやら。
飾り気のない木製のドアを開けて目に入るのは、大きな敷物の上に足の短い机と、布張りの背凭れ付きの長椅子、ソファと、テーブルを挟んだ向かいに一人がけのソファが2台。
仕切りのないその部屋の右手には、水場と備え付けのコンロ、足の長い大きなテーブルと椅子が4脚。
左にあるドアを開くとベッドが2台。
雪隠は勿論、風呂もある。
これはもう。
(家と言えるの……)
逆に、ここまで揃っていると、食堂などはなさそうだ。
ソファのある居間から見えるのは、あの崖の道から見えた芝生で、公園などではなく、馬の放牧場だった。
別の馬車の馬と思われる馬たちが、のんびり佇んでいたり、ゆっくり走っている馬もいる。
その知らぬ馬たちに紛れて、狸擬きも楽しそうにピョコピョコ跳ねている。
我を抱いたままの男が、
「どうだ?」
と目で問い掛けて来た。
男の真似をして、胸の前で拳を2回振ると、男は笑って、馬を放牧してくると我をソファに座らせると、外に出て行く。
ソファにいても、大きな格子窓からは芝生が見える。
男が我等の馬も芝生に解放し、そのまま芝生に面する格子窓から戻ってきた。
けれど。
『この馬たちとはここでお別れだ』
書いて見せられた。
「の?」
元々、ここで借りた馬なのだという。
ここは馬貸しとしての経営もしており、宿の経営者と共同らしい。
馬が多いわけだ。
そして今の馬は返して、また新しい馬を借りるのだと男は教えてくれる。
『色んな種類の馬がいるんだ、今度は暑さ寒さに強い馬に借り換えるつもりだ』
と。
(の……)
「……それは」
それは。
間違いなく、我のためだろう。
行き先を言わない我のために、どこにでも行ける強い馬を借りようとしている。
「……」
男の文字を読み、言葉に詰まり、当然、何も伝えることも出来ない我の前に、男は屈んで視線を合わせきた。
そして、目を細めて、
「焦らなくていい」
と言い、それははっきり伝わった。
「の……?」
男に抱き上げられながら、けれど男は話は終わりと言わんばかり、放牧場から見える先の岩山を指差す。
「ここは、あの岩山を削って資源を掘り出しているんだ」
と芝生から見た真っ正面の岩山は、確かに歪な形をしている。
ほほぅ。
では。
「あの山は、いつか消えてなくなるのの?」
「そうかもしれない。ずっと遠い遠い先の、後の世では」
後の世。
命の灯火が尽きることのない我は、その遠い先の世で、それを見る日が、来るのかもしれない。
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