第21話

夕食にはまだ早い時間だったけれど、今日は昼を食べていない。

お茶にしようかと、男が、人間用の天幕を設置し、荷台からランタンを何倍も大きくしたようなものを出してきた。

暖炉、ストーブと言うべきか。

あの万能石も、それ用に大きなものが中に置かれている。

上には鍋などが乗せられるらしい。

天幕の中が暖まってくると、狸擬きがひっくり返り、腹を出して寛ぎ始めた。

けれど湯が沸き、最後の焼き菓子を取り出すと、狸擬きはくるりと起き上がり、こちらへやって来た。

お茶を淹れ、空になった鍋に、男が昼に摘んだ秋苺を放り込む。

茶を飲みながら、狸擬きと共に美味な焼き菓子を摘まんでいると、徐々に甘い香りが天幕の中に広がり、

(ぬぬ)

これはあれの、果物煮。

(ジャム、と言うものの)

砂糖が入ってないから、正確には違うのだろうけど。

男はたまに搔き混ぜつつ様子を見ている。

「ふぬん、よき香りの……」

男は秋苺を煮詰めながら、木のまな板でおれんじに似たものの皮を剥き始めた。

それを手伝い、中の薄皮を向いていると、男が煮つめている秋苺を木のスプーンで掬うと、我の口に運んできた。

「あーむ」

(のの……)

これはこれは。

温く、甘く、とろりとして。

(ふぬん、大層なご馳走の)

頬を思わず両手で包んでしまう。

それを見た男も少し口にして、うんうんと頷いている。

煮詰めた秋苺をいつくかの空き瓶に移し、荷台の木箱にみっちり詰まっていた空き瓶はこんな風に使うのかと知る。

別の鍋で今度はオレンジを煮始め、皮は入れない代わりに、風魔法で乾かしている。

狸擬きは果物のためかそこまで惹かれないらしく、お茶の後は、またも仰向けにひっくり返り、短い手足が天井に伸びている。

オレンジを煮詰めたものも、フーフーと冷ましてから口に運ばれる。

「ふぬん」

オレンジも少しの酸味が鼻に抜け、なかなかに美味。

風が天幕を揺らしてくる。

「……」

しかし、天狗の気配はなし。

こちらの世界は、どんな山も、獣たちが縄張りを張っている様だ。

青のミルラーマの主は不在だけれども、もし我となると。

(やはり我は獣かの……)

ぺたりと座り込み、ストーブの火を眺め、ぼんやりそんなことを考えていると、男がいつの間にか、画板を手にして何か描いていた。

「……?」

見ているのは、我の方。

楽しげな顔のため、にじりよって画板を覗き込むと、

(の、本当に上手いのの……)

我の顔が描かれていた。

少しきょとんとした、自分で思っているよりも幼い顔付きで、こちらを見つめている。

今にも、何か問いかけて来そうな表情。

男が紙を捲ると、ストーブの向こう側でひっくり返った狸擬きが描かれており、

「くふっ……!」

そのこみかるな描写具合に堪らず吹き出すと、狸擬きは、どうやら自分のことが話題にされていると解ったらしい。

起き上がるとモサモサと近寄って来たものの、男の描いた絵を見て、

「……フンッ!?」

なにやら憤慨している。

「なんの?」

狸擬きは、

「自分はこんなに足が短くない」

と訴え、それを書いて男に伝えると、男もまた声を上げて笑い出した。

狸擬きは短い四つ足をジタバタさせて、更に憤慨している。

それを見て更に笑う男。

これ以上ないくらい、そっくりに描かれているのに。

我は気付く。

(「客観性」と言うものは、実に難しいものなのの……)

1つ勉強になった。


笑い疲れ、しばらくは煙草を吹かす男の横で、うつ伏せになり、字の練習をしていたけれど。

一通り憤慨し終え、大人しくなった狸擬きが、炊飯器を肉球でつんつん押して催促してくる。

「お菓子を食べたばかりの」

と文字を書こうとしたら、男の腹も鳴る。

(の、足らんのか……)

狸擬きはともかく、大の大人なら当然か。

あの低い山では、 また兎のような獣も数匹は狩った。

山の狸擬き曰く、全ては自然の摂理、と静観していた。

達観しておるの。

早めの夕食にしようかと、男が肉をスープに落とし、同じく山で採ってきた野菜を煮込む。

それに赤飯おにぎり。

(……山菜はあまり得意ではないの)

と思ったけれど。

「のの、やわこくて癖もなくて美味の」

肉の方は油が多く、それがまたよい旨味になり、美味しい。

寝るのは天幕ではなく荷台らしく、男がストーブの持ち手を慎重に持ち、荷台に上げている。

「の、お主、少し焦げてないかの?」

「?」

温いためかストーブに近付き過ぎ、狸擬きの背中が少し燻っていた。

天幕から出て男に荷台に持ち上げられると、下が岩だと床冷えがきついためと今日みたいな風が強い日は、寝床は荷台になると教えてくれる。

寝る時も男は寝巻きの様なものを羽織るようになり、狸擬きも身体を丸めている。

相変わらずキャミソールにカボチャパンツ姿の我を見て、

「寒くないか?」

的な事を聞かれ、平気だと答えると、

「俺は寒いのは少し苦手だ」

とはっきり聞こえた。

「暖かい国から来たからの?」

と問えば、

「そうかもしれない」

あぁ、君は温かいなと胸に抱かれる。

なるほど最近とみに胸に抱かれているのは、湯たんぽ代わりかと、ほうほうと顔を埋め、男の匂いを嗅ぐ。

「臭わないか?」

「良き匂いの」

「いや、いい匂いではないだろう」

「我に取っては良い匂いの」

「……」

黙ってしまったため顔を上げたら、どうやら恥ずかしいらしい。

(おや、ういの)

気持ちを見抜かれたのか、頭を抱えられ胸に押し付けられながら、

「君も、いい匂いだ」

髪に鼻を押し付けられた。

深く息を吸い込まれ、

「のぉっ…!?……わ、我は良い匂いではないのっ」

すでに数日は髪を洗えていない。

ジタバタ暴れると、男が笑い身体が、馬車が緩く揺れる。

狸擬きが迷惑そうに背後で寝返りを打ち。

「どこまで」

「……?」

「君はどこまで行くんだ」

不意に、頭をしっかり抱えられたまま、髪に唇を押し付けるように聞かれた。

どこまで。

(どこまで……)

我は。

「我は……」

「うん」

「我は、魔法を……」

男のシャツにしがみついたが、男の動きが止まる。

「……?」

聞き取れなくなっているらしい。

(あぁ……)

時間切れだ。

これこそ。

(魔法の……)

男は紙を手に取ることなく、ただ伸ばした指先でストーブの火を弛め、また我の背中を、優しく抱いてきた。

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