第18話

ひたすら広いすすきの草原を抜けた先はこんもりしたもこもこと並ぶ、遠目には丘のように感じる低い山が待っていた。

夕暮れが近付き、山に入る前に夜営の準備。

雨の心配はなく、ただ、狸擬きが山を見上げてスンスンと鼻を鳴らしている。

「のの?」

狸擬きはその場でくるくる回り、山に同胞がいると訴えてきた。

おや、ならば。

「会ってくるが良いの」

「……」

手土産が必要だと訴えてくるため、

「街に着く前に、菓子がなくなったとの文句は聞かないからの」

焼き菓子を持たせると、感謝と短いフンスと共に、あの馬車を追ってきた時の慌てふためいた走りとは違う、俊敏な獣の走りで、夜の早い、山の中へ疾走していく。

男は夜営の準備をしながらも、山の中へ駆けていく狸擬きを見送り、こちらを見てどうしたと視線だけで訊ねて来たため、山に仲間がいるらしいと伝える。

赤飯おにぎりより仲間とは、何とも意外である。

(仲間の……)

一度も会ったことはないし、会いたいとも特に思わなかった。

握り飯は今日は多めに分けられるため、パンはなしにする。

缶のとまとすーぷ的なものは、追加された干し肉の出汁が出てなかなかに美味い。

男との2人の食事は始めてだ。

目が合えば微笑まれ、どう返していいのか未だに分からない。

そう言えば、なぜランタンの灯りに虫が来ないのだろう。

2人きりでも変わらない静かな食事を終え、訊ねてみると、逆に首を傾げられた。

この世界の虫は灯りに寄ってこないらしい。

「ミルラーマでは虫が寄ってきていたのか?」

と聞かれ、そもそも灯りもなかったため、黙ってかぶりを振ると、男はじっとこちらを見つめてきた。

が、

「今日は『おにぎり』がたくさん食べられて満足だった」

と何も聞かずに、礼だけを述べてくれる。

どちらも、必要以上には干渉しない。

片付けの後に男があぐらを掻いて身体を拭いているため、背中を

拭いてやると、少し気恥ずかしそうにはにかむ。

無駄な肉がない、若い背中。

拭き終えると、荷台に乗せられ、身体を拭く濡れた布を渡された。

幌も下げられ、狸擬きと違いレディへの心得はあるらしい。

小さな身体を拭きつつ、思う。

少しでも長く一緒に居れば、いつまでも成長しない我は、訝しがられるだろうと。

この見た目の年齢、人も獣も少し見ないだけでも成長は著しい。

我が人でない事を話したら、男はどんな反応をするだろうか。

「……」

あの男のことだ。

案外あっさり受け入れるかもしれない。

いや、もしかしたらこちらにも自分と似た様な者がいて、全く珍しくないのかもしれない。

そう、同じ妖怪の類いの様な。

ゆーれい的なものも森に存在していたし。

ただ。

そう。

男が、我を、受け入れられなかった時。

それは、少し、

「怖い」

のかもしれない。

「……ぬ」

怖い?

怖いと、恐れを感じる自分に少し驚いた。

怖い、との。

(今、我は怖いと感じた)

怖さなどいつぶりに感じた?

裸体のまま立ち竦み、小さな手を握る。

そもそも、恐怖を感じたことなどあるだろうか。

記憶にある限りはない。

不快さは多少あったけれど。

そして気づく。

我は、

(怖いのは、あまり好きではないらしい)

それは。

(ぬぬ、何だか人間っぽいの……)

少し、可笑しな気分。

思ったより長考していたらしく、幌の外からこちらを慮る声。

何を言ってるのかは解らないけれど。

手早く寝巻きを身に付け幌を開くと、男は少し安堵した表情を見せ、そのままそこにいろと手振りで示してから、今夜は外の敷物などはそのままにして眠るらしく、指先で風を出してランプの灯りを消している。

荷台に丸めてある布団を敷き、狸擬きは今夜は帰って来ないのかと両手を伸ばして伸びをしていると、男に何か呼ばれた。

幌を捲ると両手が手が伸びてきてあっさり抱き上げられる。

「の?」

男に裸足のまま抱かれて男を見ると、男は片手で空を指差した。

「ぬ?」

顔を上げると、

「のの……?……のっ……」

色とりどりの流星群が夜空を流れていた。

星たちがどうしてああなるのか、全く解らない。

宇宙の仕組みの本は、確か幾度か拾った気がするのに。

(ぬ……)

そうだ、その度に同時に落ちてた料理本の記憶に全てを持っていかれている。

我ながら食い意地の張りっぷりにびっくりする。

男は指を差して何か教えてくれる。

星の名だろうか。

こちらにもあるのか。

しかし何とも。

(大変にカラフルの)

まさに金平糖が粉々になって流れているように、色がとかく「ぱすてるからー」なのだ。

それは。

(とても、愛らしいの……)

金平糖が空に流れていく時間はあっという間で。

「良いものが見れたの、ありがとうの」

男に礼を言うと、男はこちらの額に額を優しく当て、確かに、

「どういたしまして」

目を伏せた男の声が、はっきりと聞こえた。


(どういうことの……)

男は柔らかく微笑むだけ。

「……聞こえているのの?」

問い掛けても、今度は小さく首を傾げられるだけ。

男はまるで赤子をゆっくりとあやすように歩きながら荷台へ戻る。

馬たちはとうに天幕の中で眠っている。

荷台に戻され、飛び乗ってきた男を見上げると、

「……?」

笑みを浮かべたまま、どうしたと視線で訊ねてくる。

(声が……)

「言葉が聞こえた」

と言ってみるが、男は、

「?」

布団の上に腰を下ろし、箱の上に乗るあの日記帳らしい束の下から紙を取り出し、渡してきた。

そうだ、 画板はベンチの方に置きっぱなしだ。

「言葉が聞こえた」

と書くと、男は、

「君の声も少し聞こえた」

と見せてきた。

なぜ。

いつ。

(なんのきっかけがあった?)

場所、環境、短い月日、触れ合い。

男と文字で話しつつ、言葉を口にしてみるも、通じることはなく。

気持ちの強さ、根性論も出たけれど、どれも違う気がする。

男は、

「一言でも通じたのは嬉しい」

と書いて見せてくる。

(ぬ、ぬぅ……)

文字にするのが気恥ずかしく、小さく頷き同意すると、

「ん?」

とからかうような表情でこちらの顔を覗き込んできた。

「おっお主は、少し性格が悪いぞのっ」

拳を振り上げると、男はもう何をされるか解っているのか、両手を胸の前に広げ、その両手の平をぽかぽか叩くと、男は楽しげに笑う。

話していてる間は全く思い付かなかったのに、布団に潜り、男の胸の中にすっぽりと収まると、

(……赤飯おにぎり)

ふと、これだと思う正解が浮かび、顔を上げたけれど、男はもう静かな寝息を立てている。

(のの……)

起こすのは忍びなく。

ふぬ。

まぁ。

(明日でいいかの……)

明日。

その言葉に、思考が停止を掛ける。

そう、朝、この男に赤飯おにぎりを食べさせても良いものか、と。

こちらと言葉が通じると、代わりに他の人間との会話が出来なくなるかもしれない。

狸擬きや他の獣とはどうなのだろう。

そして、この正解を知ったら、この男はどう思うか。

「……」

何だか落ち着かず男の胸に額を擦り寄せると、起こしてしまったのか、そっと髪を撫でられる。

親鳥の羽の中にいる雛の気分はこんな感じなのだろうか。

雛はずっとここに居たいと思うし、親鳥は雛がずっと大きくならずに、いつまでも雛であることを願うことは、あるのだろうか。

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