第16話
ピーッ
と炊飯器の音にハッと目が覚め、男も寝ていたのかピクッと身体が揺れる。
男の後ろで狸もビクッと跳ね、身体を起こすと、男が大人しくなった炊飯器を見て、立ち上がるとちょっと待ってろと、周りを見回してから、小さな村の方へ走っていく。
狸擬き程ではないし本気で走っているわけではないのに、とても早い。
足の長さか。
自分の足を見下ろす。
ちんまりと言った言葉が何より似合う。
(ま、狸擬きよりは長いからの)
自分に不毛な慰めをしつつ、赤飯をぎゅむぎゅむ握っていると、狸擬きが並ぶ握り飯を見て尻尾をふりふりしている。
「おや、ご機嫌の」
男は赤飯を握り終えた頃に戻ってきた。
両手にコンロにカップに手鍋。
どうやら茶の用意を一式を持ってきてくれたらしい。
川で水を汲み、お茶を淹れて、2人と一匹でいただきますをする。
男の、美味しそうに食べる顔に、狸擬きのふんふんと夢中になって食べている姿を見ると。
(ふぬ、今日も大変に良き日の)
空から、どこかからの帰り道か、片足に金具を付けた鮮やかな青い鳥が飛んで来た。
通り過ぎると思ったら、敷物の上に着地する。
間近で見ても美しい鮮やかな青色。
小首を傾げる鳥は言葉は通じないものの、握り飯を欲しがっているのは解り。
男が小さく指でおにぎりを摘み、手の平に乗せると、ツンツン摘まんでいる。
(人慣れしてるの……)
鳥は綺麗に食い終わると、満足したのかその場で数度ほばりんぐをして組合の方へ帰っていく。
おにぎりを食べ切って、肉球を舐めている狸擬きを見ていると、
(おやの……)
山とは反対の遠くの空から、湿った風が流れ込んで来る。
(夜からは少し荒れるの……)
小豆を洗っておいて良かった。
数日は水が濁る。
男に夜から天気が荒れると描いて伝えると、空を見て頷き、村に戻ろうと指を差される。
それでもまだ天気はいいためか、宿屋を通り過ぎて店へ連れて行かれた。
保存食らしきものが多いけれど、薬のような液体の入った瓶や、酒と思われるものも陳列している。
この男は酒は嗜まないのだろうか。
「?」
とこちらを見下ろしてきたため、酒瓶を指差すと、男は少し考えた後、人差し指と親指を少し離した仕草。
少しだけと言った体だろうか。
悪戯っ子の様な顔をして微笑む。
狸擬きは「イケる口」だと言うし、男に酒瓶を取ってくれと指差すと驚かれ、隣にいる狸擬きのものだと指を差して伝えると、納得したようなしないような顔で、しかし葡萄酒らしきものを手に取ってくれた。
男に抱き上げられて、我らがやってきた道にまで出るけれど、ただただ我より背丈のあるすすきの様な草が生えた草原が、視界一面に広がり、
(のぉぉ……)
初めてここにこの村を作った、作ろうと思った人間の根気の強さに恐れ入る。
それくらいなにもない。
夕食は宿屋でらしい。
到着した時はまだ時間が早かったため人も居なかったけれど、夕暮れ時にもなると、小さな村もざわつき始め、意外な事に子連れもいた。
1人だと手前の宿、数人だとこちらの宿と分かれているらしく、組合の出張所の隣、昼間は閉まっていた、どうやら酒場らしい店が開こうとしている。
宿に戻りつつ、行かなくて良いのかとそれとなく促してみるものの、男は今度は苦笑いでかぶりを振るだけ。
同じ行商人仲間か、知り合いらしい人間に声も掛けられていたけれど、男は昼間より、我と繋いだ手に力を込めて挨拶をしている。
その仲間たちの興味深そうな視線に、こちらの事を聞かれているのは分かるけれど、何と答えているのやら。
宿の食堂は2階にあり、しかし時間になると、部屋で待つ様とに、狸擬き共々止められ、戻ってきた男の手には3人前の簡単な食事が木の盆に乗せられていた。
男の作った食事の方が俄然美味しいと思われる、固めのパンに、保存食だろうか、やはり固く薄い肉を挟んだもの。
具のないスープ。
狸擬きは食べもせずに炊飯器をつんつん押して催促してくる有り様。
村の者たちも同様なのかと思ったら、周りの畑や小さな家畜たちはこの村の人間たちのためのものだと教えられる。
今は居ないけれど、大型鳥もいるから新鮮なものもそれなりには手に入ると。
(小さな村であるし、旅人に居着かれたり長居されないための食事事情なのだろうかの)
男は慣れた様子で噛み千切っているし、狸擬きのために赤飯をセットしてからスープを飲むと、
「ぬぐ……っ?」
良く言えば薬草や薬膳、悪く言うと選りすぐりの不味い雑草を煮詰めた様な味に、何でも食べられはすると自負していた舌先でも、さすがに手が止まり、男はスープから顔を離した我を見て身体を震わせて笑っている。
「ぬぅぅ……」
男の器は空っぽ。
良く飲めるものよの。
ある意味関心していると、男はそそくさと煙草を取り出した。
やはり口直しは必要らしい。
目をすがめて煙草を吸う男の顔は、嫌いではない。
横顔を見せて煙を吐き出す男に、思う。
(なぜ)
なぜ、他人を、いや、旅人をあそこまで警戒する。
2階の食堂の賑やかな空気が伝わってくる。
別に行きたいわけではない。
あまり賑やかな場所は好きではない。
そんな食堂の中で、会話もなく黙々と食事をしているこちらはとても奇異に映るだろうし、それは無駄な好奇心と噂話の種になるだろう。
男をじっと見ていると、痒くもなさそうな頭を掻き、こちらの意図を組んだのか、
「子供に子供を守るべき大人がいないことは、とても不幸に思う世界だ」
と男は紙に書いて教えてくれる。
「そんな子供は大切な保護対象となり、良い里親の元へ引き渡されたり、子供が望めばちゃんと子供が楽しく働ける曲芸団なんかに紹介される」
「紹介料なんかはなしだ、大人たちはただの善意でしかない」
「でも、君は不幸ではなさそうだし、それらの善意は余計なお節介でしかないだろう」
確かに。
「行商人は特にお節介や世話焼きが多い。勘違いされて連れて行かれないように少し気を張っていた」
そうなのか。
全く、知りもしなかった。
男がそうは見せないだけで、これまでどれだけ気を張っていたかと気付き。
「……」
床に敷いた敷物に尻を付いて崩れかけていた足を正座に戻すと、
「ありがとうの」
膝の上に手を重ね、視線を下げて言葉で礼を伝える。
この男には、適当な礼では済まないくらい、色々と気遣ってもらい、教えてもらい、そして我を、色々なものから守ってくれている。
男は、吸い殻を吸い殻置きに押し付けると、何か言っているが、全く分からない。
少しむず痒そうな顔をしているのは分かるけれど。
しかし、男が異様に気を張っていた理由も解り、
「こちらとしては理由が解れば、対処もしやすい」
善意だからこそ、たちの悪さはあるけれど。
「部屋で大人しくしている」
と書くと、男は笑わずに頷き、炊飯器が炊き上がりの合図を鳴らし、狸擬きがむくりと起き上がった。
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