第15話

夜。

ふくろうに似た声の鳥が鳴いていた。

(いや、ふくろうは鳥ではないのだっけかの?)

夕食の時に、男は毎食握り飯をもらっていいのかと少し申し訳なさそうに紙に書いてきた。

男だって当たり前のように備蓄を消費しているではないか。

そう思ったけれど、やはり見た目の幼さで幼子から食料をせしめている気分になるのだろうか。

けれど。

「ま ほ う」

と書いてみる。

男が瞬きして、考える顔。

「もんだいない」

それに、

「おれいのひとつ」

と付け足すと、男はそうかと肩を竦め、頭を撫でてくる。

猫や犬はこんな気持ちなのかとおとなしく撫でられていると、

「の……?」

狸擬きが肉球で手の甲をなぞってきた。

どうやら男の真似をして撫でてくれているらしい。

「くふふ」

柔く、くすぐったい。

明日は宿で眠れると教えられたけれど、

(そう荷台も悪くないの……)

男は今日は鳥の名前や姿を教えてくれた。

うつらうつらしながら、今日はまた色々な新しい体験をしたと思う。

夕食は骨付き肉が野菜とともに煮込まれ、汁は透明なポトフとやらで、それがまたとても美味しかった。

睡魔に纏わりつかれ、かくっと画板に頬が落ちてしまうと、男が画板をそっと引き抜いてくれる。

そのまま、少しの間眠っていたらしく、そのふくろうに似た、

「ホー、ホー」

ではなく、

「ポー、ポー」

と少し愉快な鳴き声に目を覚ますと、男は布団から抜け出し、木箱を机にして厚手の紙の紐で束ねたものに、何か文字を書いていた。

多分、日記だと思われる。

「……」

ランタンの灯りで、より深く彫りが深く見える横顔と裸体を眺めていると、視線に気づいたのか、どうした?と無言で訊ねてくる。

布団に頬をくっつけたまま何でもないと答えると、男は紙の束を見返してから閉じて紐で纏め。

机の上にあるランタンを指に引っ掛け隣にやってくると、横にごろりと横たわった。

もしや、男がいないと眠れないとでも勘違いされたのだろうか。

(ぬぅ……)

非常に不本意である。

否定したいけれど、紙に書く程でもなく、小さく息を吐くと、こちらに伸びてきた男の指先で頬にかかる髪を掬われ、すっと背後に払われ、何か聞かれた。

「……?」

男は、そうか、伝わらないのかともどかしそうに手を伸ばし、机に起きっぱなしの小さい紙を手にすると、

「君たちの旅の目的を聞いていなかった」

と。

(確かに……)

全く聞かれないから、目的なく旅をする人間は少なくないのかと思ったくらいだ。

旅の目的は、人間と言葉を交わすこと。

魔法を取得することなのだけれど。

狸擬きの目的は知らぬ。

ただ、今朝のあの鳥といい、獣と話せれば、この世界で、もっと愉快に過ごせるのではないかとも思うのだ。

今より更に遠くに場所を離れれば、人間の言葉は勿論、文字も変わる。

けれど獣たちは、言葉は共通な気がする。

背後にいる狸擬きなど、言葉を発することすらしない。

それでも伝わる。

だから。

そう。

多少、今のままでも、と、そう思い始めてもいた。

でも。

(けれどの……)

薄暗い橙色の荷台の中で思う。

この男と、もっとすんなりと言葉を交わしたい。

低音の、耳に心地好い声で、真っ直ぐに通じる言葉を聞いてみたい。

そう書くために、伝えるために指を伸ばした気はするけれど、

(あぁ……)

また、落ちるように沈むように意識が遠退いていく。

(睡魔め……)

男の仕方なさそうな微笑みを最後に。

(明日、話す……)

深い眠りに誘(いざな)われた。


翌朝、早朝から出発したせいか、思ったよりもだいぶ早く目的地が見えてきた。

すすきに似た背の高い草が広がっていたけれど、徐々に、ぽつりぽつりと小屋が現れ、そう大きくない畑や果樹園が目に留まる。

馬車がすれ違える道も踏み固められており、人の住む家もちらほら見え始めて来た。

向こうの他の道から来た小さな馬車の老人が、こちらに手を上げてすれ違っていく。

隣の男も手を上げてそれに応える。

森を抜けるのだろうか。

小さな鳥が飛び立って行った辺りから、全てが小さく纏まった、こじんまりとした村が現れた。

木と石の半々の建物の造り。

手前にある少し大きめの建物は、平屋で長細く、人の家ではなく寄り合い所を思わせる。

実際ここが組合の出張所だった。

馬車の置き場、馬用の水場も用意されている、雪隠も。

狸擬きはキョロキョロと周りを眺め、馬車から降りると狸擬きなりの伸びをしている。

こじんまりしているわりに道が広いのは、やはり馬車が通るためだろう。

宿屋らしいものが2軒、道具屋、何か食べ物が売ってそうな店が数件。

出張所の隣の店は閉まっていて何屋かは不明。

更に奥は店を開いている者たちの、住まいと、多分ここの村人用の畑が広がっている。

(本当に小さいの)

馬車から降りると、男は荷台へ向かい、中から何か書かれた書類的なものだけでなく、布袋に食料や見慣れぬものを詰めて荷台から降りると、男を見上げている我に片手を差し出してきた。

「……?」

片手を伸ばすとその手を繋がれ、出張所へ歩き出す。

迷子と思われないためだろうか。

狸擬きもテコテコついてくる。

中は平屋だけれど吹き抜けで、数少ない旅人や行商人が長椅子に横たわっていたり、端のテーブルで話をしていたり。

空気は悪くなく、壁には色々な、古いもの、新しいものも読めない文字で、色々な知らない文字が書かれた紙が所狭しと貼られ、手紙らしい封筒も、画鋲で少なくない数が留められている。

男は、ここの仕事をしているらしい、壁に貼られた紙の文字を書き写す、後ろ姿からしても妙齢の女に声を掛けた。

振り返った女は、やはりまだ若い女で、緩いうねりのかかった亜麻色の髪に白い肌が印象的な細面の輪郭。

男に気づいてパッと笑顔を浮かべた。

知り合いらしい。

が、男に手を握られた我を見て、笑顔が固まる。

「……?」

「……、……」

何か話しているが全く聞き取れないのは、言葉が違うのもあるが、ここは若干の訛りも入っている様子。

ただ、ニュアンスからして、女に男の子供かとでも聞かれ、男が否定しているくらいは容易に解る。

女の安堵した空気。

男が差し入れらしい布の袋を見せると、女は胸の前で両手を合わせて喜んでいる。

(素直で分かりやすくて良いの)

感情表現の乏しさ、むしろ一部が欠陥すらしている自覚はある故に、少し眩しくも思う。

ふと女がその場で屈み、視線を合わせてこちらに話し掛けてきたけれど。

「何を言っているのか解らぬの」

答えると女の困惑した表情。

男が、話はできないとでも言ったのか、女は男を見上げてから、それでも、何か歓迎している的な身振り手振りと表情を貰えた。

こくりと頷いてそれに答えると、組合所を後にする。

女の名残惜し気な空気がふわりと漂い、

(我は邪魔者かの……)

手を繋がれたまま、そのまま向かいの宿屋の奥の2軒目に男は向かった。

そう新しくないけれど、使われている石の割合が多く頑丈そうだ。

補修は所々なされており、知らない土地の匂いの名残も多いのは、旅人がとみに多いからだろう。

狸擬きも忙しそうに鼻を蠢かせている。

ここら辺の宿はどこも先払いが普通らしい。

男のシャツの裾を引っ張り適当なコインを見せると、男は目を見開いてから、かぶりを振って支払いをしている。

(ぬん……?)

礼は最後に纏めて受け取るのだろうか。

部屋は1階で、ふかふかではなさそうだけれど、ベッドはある。

荷物を置く大きな簀の子に似た板がドアの右手に。

土足禁止はありがたく中に入ると、男が身振り手振りで、

「こちらに馬車を移動させてくる、荷物も持ってくると、だからここで狸擬きと待っていろ」

とこちらに伝え、男は部屋を出ていく。

狸擬きの背を借りて小さな窓の外を眺めると、何の野菜か分からないものが育ち始めているのが見えた。

部屋の中のドアは2つ。

1つは雪隠。

1つは簡素な風呂場兼手洗い場。

色々洗い物も多いのだろう、大きな桶もある。

狸が風呂場を覗き、そろそろと身を引いていた。

じっと耳を澄ますと、奥の民家の畑の、更に奥に川が流れているのが聞こえ、

(……ぬん、流れも良い、水も十分に棲んでいる気配の)

男が荷物を抱えて戻ってきたため、外へ行くと伝えると、男も付いてくると。

なんと、少し休めばいいのに。

そしてまたしっかり手を繋がれる。

数は多くないけれど、旅人が多いせいか、それに混じり人攫いでもいるのだろうか。

しかし。

(この男の体温は高めの……)

狸擬きもまたテコテコついてくるけれど、それは片手にザルと一緒に持った風呂敷に包んだ炊飯器のせいだろう。

思ったより畑から川は離れており、そして少し深い。

(ぬぬん……)

溺れることはないと思うけれど、望んだ深さではなく。

男は何を察したか、そのまま川に沿って歩き出してくれる。

そしてやはり洗えずとも川の近くは嬉しく、勝手に口が開く。

「あーずき洗おか♪」

「たーぬき洗おか♪」

握り飯を期待し、先を歩いていた狸擬きが、気持ちいい程に飛び上がり、思わず笑ってしまうと、男もその狸の剽軽な飛び上がり方に笑っている。

男は、場所を知っていたのか、流れも穏やかな浅瀬まで来ると、やっと手を離してくれた。

そして敷物を敷くと、やはり疲れていたらしく、敷物の上で大の字になっている。

狸擬きも男の隣に寄り添い丸くなる。

こちらは構わずに流れる川の水に ザルを浸すと、


「あーずき洗おか、びすけっと食べよか♪」

「あーずき洗おか、うーさぎ食べよか♪」

しゃきしゃきしゃき

しゃきしゃきしゃき


存分にしゃきしゃきしてから、男と狸擬きが陣取る、敷物の脇に鎮座している炊飯器に小豆を落とすと、スイッチを押す。

「……」

目を閉じている男からは規則的な呼吸音が聞こえ、狸とは反対側の男の隣に身を寄せ、空を見上げた。

雲は多少あり、ゆっくりゆっくりと流れていく。

そういえば。

空の鯨と蛇はしばらく見ていない。

もう遥か、ずっと遠くを飛んでいるのだろう。

まだ、我の見ぬ世界の果ての果てまで。

視線を移すと、川の向こう側の山が視界に入り、ここの山々は緑が少し濃い萌葱色をしている。

低い山が列なり、奥は更に高い山々が聳えていた。

目を閉じて、じっとじっと意識を山の方へ飛ばす。

ただただ山の方へ。

ただただ山の向こうへ。

葉の掠れるざわめきから始まり、山に生息する生き物たちの息遣い。

(ぬ……)

あの青熊よりもだいぶ大きな獣が徘徊している。

それでも狂暴さは窺えず、男の反対側にいる狸擬きのような臆病さで、ただ山の秩序を保つために日々巡回を欠かさない様子。

この辺り一帯の山の主なのだろうか。

主なのだろう。

山の穏やかさもこの獣のお陰だ。

「……」

不意に、ぷしゅっと炊飯器の湯気が小さく立った音で、意識を今いるここに引き戻された。

(のの……)

目を開けると、空の下を足に金具と筒を付けた鳥が飛んでくるのが見えた。

そう大きくもないため、ご近所を回っているのかもしれない。

鳥達はどこで寝泊まりしているのだろう。

後で男に聞いてみようか。

川の水を含む、緩い風が抜けていく。

あの白い霧の様に、風も掴めるかと小さな片手を空に伸ばして力を入れてみるも、何も掴めない。

「……」

ふと思う。

あの圧縮した白い丸を湯にでも浸せば、あれらは元に戻るのだろうか。

狸擬きにこの考えを読まれたら、またきっと酷い顔をするのだろう。

くふふと1人で笑いながら身体を横向きにすると、男の身体に当たり、顔を顔を上げると男が目を開けて横目でこちらを見ていた。

(のの、なんの)

起きていたとは。

手を伸ばして指をわきわきしているところも見られたか、1人笑いでも見られたかと、気恥ずかしさで唇を尖らすと、男も身体をこちらを向いてきたが、口許は笑っている。

男は空を指差し、掴んで食べる真似をする。

どうや、雲でも掴んで食べる気だったのかと聞かれた様だ。

(なんと!?)

「ぬ、ぬぅ、我はそんな子供ではないのっ」

男の胸をポスポス叩くと、男は尚更おかしそうに笑い、宥めるように背中を抱いてきた。

「ぬっ……?」

よしよしと言わんばかりに、赤子でもあやすように。

「ぬぬ……っ」

我は、赤子ではない。

あやしが必要な小さな獣でもない。

でも。

けれども。

(ふぬん……)

どうしてか、居心地は悪くない。

少し気持ちが、落ち着かないだけで。

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