第10話
『好奇心旺盛な女の子が長い長い旅をしていると、なにもないこの土地に辿り着いた。
川で魚を釣って焼いて食べていると、旅人が通りかかり、旅人は焼いた魚の礼に、男の魔法で小さな石の家を建ててくれた。
次に現れたのは道に迷った牛飼いの女で、その辺に生えていた草が全て剥げたためと、御馳走してくれた焼き魚の代わりに牛を1頭くれた。
妖精が雨宿りに来て、お礼に花の蜜をくれた。
そんな風に、ポツリポツリと旅人が迷い人が来ては、泊めてもらえたお礼に、魚のお礼にと、素敵なものが増えてゆく。
畑に、牛に、鶏に。
旅人や、たまの迷い人用の小さな宿が建てられたのは、それから数年後』
ピーッ
「の……?」
狸擬きに、たどたどしく読み聞かせてやっていると赤飯が炊けた。
部屋に赤飯のいい匂いが漂っている。
「絵本は途中だけれど、夕食にするかの」
赤飯を握り、もう一度湯を沸かしお茶を淹れ。
「ふぬん♪」
(よき、よき、とてもよきの)
赤飯握りだけでもとても美味なものだったけれど、お茶があると尚更良い。
狸擬きも、ふんふんと満足そうに食べては、お茶を啜っている。
『いつかは世話になったと、家を建ててくれた旅人がやってきた。
人が多く訪ねてくると答えると、
「次は宿屋はどうだ?」
と宿屋を建ててくれた。
それからしばらく、双子の旅人がやってきて、しばらくの間ここで店を開かせて欲しいと女の子に頼んだ。
そうやって四季折々に行商人が来ては、商売をして、また去っていく。
やがてその1人がその場に居着き始め、また1人、また1人。
それでは宿が埋まってしまうため、1人が石の家を建てた。
みんなの家も建てた。
やがてそこは村となり、街となり、そんな頃に、大きな鳥が飛んできた。
大きな大きな山を2つ3つ越えた村からのプレゼントを届けに来た鳥。
そんな風に、他の村との交流が始まった頃、女の子は住んでいた小さな家を仲間に譲り、また旅を始めました』
とりとめのない、村から街へとなっていったこの土地のお伽噺。
(主人公でありながら影が薄いのは、主軸であるはずなのに、この娘の心理描写が全くないからかの)
そのわりに双子だのが妙に現実味がある。
変な、
「りありてぃ」
に溢れている。
「文字の勉強にはなったの」
書き文字の練習もしなくてはだが、それは追々。
1人で風呂に浸かりながら、ふとあの青年と豚の気配を感じないなと思い出す。
人が多いせいもあるけれど、こちらは街の外れ、あちらも街の外れにいるのかもしれない。
次の日は、また街を回りつつ、吟味して旅のものを買い足し、日持ちしそうなビスケットや焼き菓子は、気持ち多めに買い足し。
昼は赤飯おにぎりをせがまれ、休憩を取りつつ、また外に出て賑やかな街を周り、荷物を置きに宿へ戻ると。
「……今までありがとうの」
斜め掛けの鞄も少し大きいものに替えた。
午後は、川底などで拾っていた石をコインに替えようか迷ったものの、看板には見知らぬコインの絵もあり、悩んだ末にやめておく。
(ここを越えたら別のコインになりそうの……)
国境的なものはあるのだろうか。
出発前夜の今夜の食事は外で頂くことにしたけれど。
夜も屋台が多いし色々あるけれど、道中ではあまり食べられないであろうパンが食べたい。
ふと、
「お主は酒は飲めるのの?」
狸擬きに訊ねてみれば、フンッと力強い鼻息。
ふぬ。
「ま、そのうちの」
こちらの世界では夜でもパン屋はやっている。
主食に近いものになっているからだろうか。
客もほどほどにいるけれど、街の人間と他所から来たものの半々といった所か。
日持ちしそうなパンも売っている。
今食べる分と、明日の朝用のパンも買い込み、買ったものを食べられる隣のスペースで、小さなテーブルに買ったパンたちを広げると、
「□○△?」
その男の声に、先に反応したのは狸擬きだった。
多分、この世界での狸擬きの名の呼ばれ方をしたのだろうと思う。
狸擬きが反応してから、こちらもテーブルのパンから顔をあげると、年若き青年ではなく、かといって中年でもない、幅の狭いハット帽を被った少しばかり浅黒い肌の男が、髭の生やした顔にニッと笑みを浮かべて、同じく買ったパンの袋を隣のテーブルに置くと、隣に腰を下ろした。
(なんの)
幼いとはいえ淑女の隣に座るのだから、一言くらい欲しいものである。
しかし、まぁ人攫いや盗人の類いではなさそうなため、
「何用かの?」
一応訊ねてみる。
「……△△○□?」
やはり。
「……お主が何を言っているのかわからぬ」
男は少し考えるように髭をなぞりながら、腰に巻いた鞄からよれた紙と書き物、万年筆の様なものを取り出す。
ハットの下は、灰色の混じる黒髪は首に届く緩い癖毛。
老化の一種ではなく、そういう毛色なのだろう
生地の丈夫そうな上衣に、べーじゅの下衣、膝までの長いぶーつ。
少し、うえすたんな、西部劇の格好だ。
その西部劇の男は、紙に何か書いてこちらに見せてきた。
『ひ と り か?』
そう書いてあった。
(……ぬ)
わからない振りをするか迷ったけれど、すでに文字を追う視線の動きを読まれており、こちらが言葉を理解した事にも気づかれただろう。
しかし、
(1人ではない)
狸擬きを指差すと、これは失敬とでも言うように肩を竦められる。
ほんのり深めの顔立ち、瞳の色は灰色。
きっと行商人か旅人、なのだろうけれど、わりかし遠くからやったきた者だと思う。
この辺りでは、すれ違う者たちには見なかった顔立ち。
漂うのは、旅慣れた空気。
我を見つめ微笑む男をじっと見つめると、微かに感じるのは、ここより遥かに乾燥した記憶の匂い。
ふわりと微笑んでいた男は、けれど流石に不躾に長いこちらの視線に少し戸惑った顔をした後、横顔を見せながら、書き慣れているようにペン先を滑らせ、
『た び の と ち ゆ う か』
と文字で訊ねてきた。
頷くと、四方に指を差され、
(ふぬ……行く進路はこの店からすると、多分、真裏かの)
背後に指を差すと、男は胸の前で拳を作ると軽く上下に振りながら目を細めて笑う。
「?」
『ほ う が く お な じ』
『あ す は い つ で る』
『の せ て い こ う』
初対面で随分ぐいぐいくるの。
しかし、こちらの格好で、この街の者ではないこと、この辺りにはいないと思われる獣と行動を共にしていること、テーブルで明日まで保ちそうなパンを吟味していること。
旅支度のために買い足した荷物が脇に積んであること。
(まぁ、我ながら分かりやすいの)
しかし。
「なぜの?」
あまりに唐突で、一見、人攫いしにか思えぬ。
ごく、ごく稀にいる。
自分が悪人の自覚のない、心からの善意で、それは全てが自分への純粋な善意過ぎて、悪意を感じられない、あの「さいこぱす」とやらが。
それでも。
(この男は、それではなさそうの)
奴等にはそれでも、どんなにどんなに目を凝らしても目の奥に光がないのだ。
この男の瞳孔はキラキラしている。
男は再び何か言ったけれど、こちらは当然聞き取れない。
男は今度は困った様に苦笑いをして髭を撫でると、くいくいと親指を店のドアへ向ける。
そして、びーるでも呷るような仕草をして、自分の胸をパンパンと叩く。
酒を御馳走してくれるらしい。
狸擬きも、退屈そうに静観しているし大丈夫だろう。
パンを仕舞い、男に着いて店を出ると、昼間とはまた違う、若い人間が多い賑やかな茶屋に連れて行かれた。
お好きなものをと言わんばかりに品書きを広げられ、
「狸擬き、この男の奢りの、お主も遠慮なくの」
サンドイッチ的なものを選ぶと、男は、品書きの1つの別のサンドイッチ的な絵が掛かれたものを、ぽすぽすと前足で叩く狸擬きを、楽しそうに見つめている。
そんな男は、紙に文字を書いてはこちらに見せてきた。
自分は行商人で、気ままな旅人でもあり、明日、ここから一度家に帰る予定だ。
とは言え先は長い長い旅で、たまにでもなく行き先の同じ仲間を乗せては、暇潰しの相手になってもらっている。
午後に、少し珍しい格好をしたどこか異国の娘と、普段は遠い遠い山にいるはずの獣の、1人と1匹の組み合わせを見掛けた。
生来の好奇心が強く、珍しい、話をしてみたいと思ったが、昼間の雑踏の中、小さな姿はあっという間に姿を消した。
しかし食事に出た夜、再び相見えたため、これはと声を掛けてみたと。
そこまで聞くまで、いや、単語ごとに読み、男が「以上」とジェスチャーした頃には、サンドイッチはとうに食べ終わり、狸擬き共々におかわりもして、腹はまあまあに膨れた時だった。
「ふぬん……」
男は、
「話し相手」
というが。
そもそもその「話」ができないだろうに。
パン屋の、あの時点で分かっていたはずなのに。
親切心か、好奇心か。
少しの間迷ったが、万年筆の様なものを借りて、
(ご存じの通り)
『はなしはできない』
と書くと、構わないとでも言うように、ちらと眉を上げて微笑まれる。
灰色の瞳を何度見つめても、あるのは好奇心と楽しげな光だけ。
『ひはだせるか?』
「?」
こちらは何も出ない指先を立てて見せると、男は意図を汲んだらしく。
胸ポケットから煙草を取り出し、指先を立てて指先から、あっさりと、尚且つふわっと火を灯して見せ、煙草に火を点けると、
「これでいいか?」
と首を傾げてくる。
「ぬん」
よく見せてもらうと、火は指に触れてはいない。
「ほほぉ……」
温度もある。
熱くないのだろうか。
男はきゅっと手を握り、パッと手を開くとこちらに向けてきた。
決して柔らかそうではなく、皺の深い、豆の潰れた硬そうな手の平。
人間の手の平など、まじまじと見るのも初めてのと思っていたら、ふわっと温い風が顔に当たり、前髪がふわりと浮いた。
「のっ……!?」
火と風の温風。
驚くと男はまたにやりとし、まだ何か隠し球がありそうな雰囲気を出してくる。
「んぬぅ……」
少し癪だが。
(仕方ないの)
「話に乗ったの。お主に一緒に連れて行って貰うの」
言葉は通じないはずだけれど、男は目を細めて胸の前で拳を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます