第9話
宿に戻り、昼過ぎまで「勉強」に勤しみ、ふと顔を上げると、あの鳥の、大爪鳥の気配が薄くなっていく。
狸擬きもいつものように眠らずに、ぺたりと座り込み、器用に板を持ち眺めている。
「遅めの昼は甘いもので済ますかの」
狸擬きが尻尾を振る。
「お主も食べたければ店の椅子に座るの」
「……」
無言。
昼過ぎは朝よりも人が少なかった。
代わりに商業人ではなく、家族連れや若者たちが街を華やかに賑わしている。
低い立て看板にあの大きな苺擬きの絵が描かれた紙が貼られた店を見掛け、朝は閉まっていたなと扉は大きく開かれ窓も大きく開放的な、こう「モダン」な店内には、今まで入ったことのない、同じ給仕服を着た若い女子が3人、店内をパタパタと動く大所帯な喫茶。
客は席が半分程埋まっており、眺めていると、
「✕○△?」
1人の給仕がこちらに気づきやってくると、両手で人差し指を1本ずつ立てて、我と狸擬きとそれぞれを見る。
人1人の獣1匹と言う意味だろう。
頷くと、窓際の席に案内され、硝子窓の外側を人が絶えず通り過ぎていく。
狸擬きが椅子によじ登り、前足をテーブルに置いていると別の給仕がやってきて、濡れた布で狸擬きの前足を拭いてくれる。
「すまぬの」
給仕は通じてないだろうが、ふわりと微笑むと品書きを置いて別の客に呼ばれ消えていく。
「お主、箸、ではないな、匙やあのフォークに似たものを使えるのか?」
スン、と鼻を鳴らされる。
どっちだ。
まぁ手で食べられるものを探せばいい。
ここも、室内は洗練されてはいるが、やはり品書きには絵がしっかり描かれており、文字はおまけのように小さい。
(おっきな苺、おっきな苺、どれの)
前に食べたものと形は違うが、これだろうと思うものが描かれている。
少し長細い三角形の、たるとれっと。
狸擬きには、多分焼き菓子の寄せ集めを頼んでやる。
いや、ただの焼き菓子と侮るなかれ。
たるとれっとと同じ値段がするのだ。
紅茶に似た物と、持ち手のないカップの飲み物を頼み、狸擬きと向き合う。
そこそこに長く生きては来たが、まさか、
(異世界で狸と茶屋でお茶を嗜むとは思わなかったの)
長生きはしてみるものだ。
狸擬きは肉球をテーブルにくっ付けておとなしくしている。
「お主はあの里に帰らなくて良いのか?」
「……」
「ぬ?自分がいなくても大丈夫?」
そうなのか。
ならいいけれど。
ふと、暗くなったと思ったら離れた扉から水の匂いがし、
「おや、雨の……」
口にした途端にザッと勢いのある水滴が街を歩く人間たちに降りかかり、皆、いや半分程度は駆けていき、残りは気にせずに濡れずに歩いている。
薄暗くなった室内、給仕の1人が、木の簡素な踏み台を片手に、壁に設置されたランプの傘の許へ向かうと、踏み台に乗り、指先を傘の下の例の石に触れさせると、火が点き明かりが灯る。
(ぬぅ……)
あれはやはり火なのか。
原理が解らぬ。
人差し指を立てて力を入れてみるが、
「ふぬぬ……っ」
何も起きない。
狸擬きの呆れた様な視線に、
「ぬ、お前もできぬだろうの」
バツが悪く唇を尖らせながらも、やはりこの狸や獣等と意志疎通ができる、話せている限りは、あの「魔法」は使えない気もする。
この世界では、見た目だけは人の姿を保っているけれど、中身は獣寄りなのだろう。
(ふぬ)
別に全くそれでも構わないのだけれど。
魔法が使えないのは頂けない。
いけず、と言うやつだ。
給仕が何か言いながら、たるとれっとと焼き菓子を運んできた。
が。
「のの……?」
なるほど、クッキーやらの焼き菓子が皿に乗ってきたが、それは数人で分けて食べる量なために値段も張っていたらしい。
給仕も心得ているのか、小さな袋に、その口を閉じる紐をテーブルに置いてくれ、食べきれない残りは持ち帰れと伝えてくる。
続いて運ばれてきた紅茶のカップも、華やかで尚且つ可憐。
(とても良いの)
狸擬きの前には、持ち手のない器、それに注がれてるのはなんだろう。
頼んだのは我なのだけれども。
ミルクっぽく見えるけれど、少し濁っている。
狸擬きは両手で持つと、スンスンと匂いを嗅いでから、うまそうに啜っているから大丈夫そうだ。
たるとれっと、はとても美味しかった。
やはり店によって、作り手も違えば味も違い、それもまた良し。
この世界には、あの「ちょこれーと」とやらはないのだろうかと考えていると、狸擬きは爪先でまた器用にクッキーを摘まんでは口に放り込んでいる。
「凄いのお主」
感心していると、狸擬きが皿ごと少しこちらに寄せ来てた。
「……?」
もう腹一杯とは到底思えぬが。
狸擬きが皿に乗った焼き菓子を爪先で差し、こちらに爪先を向けてくる。
「あぁ、お裾分けの」
ではありがたく頂くとする。
皿から、果物を甘く煮詰めたものを挟んだ焼き菓子を1枚もらう。
サクサクしていて、中の甘いジャムと思われる蜜にも微かな酸味があり、
「のの、美味の」
(柑橘類も合うものなのの)
旅の前に保存の利きそうな焼き菓子を、少し鞄に詰めて行くのもいいかもしれない。
楽しい旅がより楽しくなる。
しかし。
「ぬー……」
問題は。
(荷物がの……)
ほどほどに力はあっても、なんせこの身体は小さすぎる。
肩から掛けっぱなしのこの鞄も、持ち帰り用の焼き菓子でもういっぱいになる寸尺。
しかもよく見るとだいぶくたびれている。
炊飯器より長い付き合いなのだから、とかく長持ちしている方なのだけれど。
対面の狸擬きがぽすぽすとテーブルに肉球を押し付けている。
「なんの?」
「……」
「ぬん?『自分に持たせれば良い』とな」
心を読まれた。
そういえば昨日は尻でふみつけてしまったがビクリともしなかった。
「お主は案外丈夫、いや、力持ちの?」
フンフンと鼻を鳴らされる。
ふむん。
なら、有り難く甘えよう。
まずは狸擬きが背負える背負い袋を見つけなければならない。
ほんの数枚ほど残った菓子を袋に詰めて店を出た。
狸擬きと街を歩きながら冷やかしながら、それっぽい店を探していると、そのうち、革や金属らしいものを扱う、天井まで品物で埋められた、そう広くない店で、狸擬きの身体にしっかり巻き付く背負い袋を見つけた。
黒に近い焦茶色の、狸擬きの毛の色に馴染む、茶色い革で作られたもの。
狸擬きがぺたりと床に座り込み、自分で器用に腹の前で革紐のベルトで巻き付けている姿を、気さくな男の店主が物珍しそうに眺めている。
他にも数品買ったけれど、コインを支払うと少しずつまけてくれた。
狸擬きがきっといい見世物になったのだろう。
他にも旅支度を探しつつ、つい関係ない店も立ち寄っては買い足してしてしまったため、宿に戻る頃には、とうに夕刻になっていた。
今日は宿では夕食は頼んでいない。
食事は外でも良かったが、
「部屋で一息吐きたいの」
「……」
狸擬きからの不満も聞こえてこないため、夜は赤飯おにぎりにしよう。
実は良いものを買ったのだ。
宿へ戻ると受付にいたおじじがこちらに気付き、こちらへやってきた。
何用かと思ったら、おじじが指で三角を作り食べる真似をする。
(あぁ……)
昨日渡した赤飯おにぎりか。
おじじはニコニコしながらうんうんと頷き、美味しかったと伝えてくているようだ。
「それはよかったの」
部屋で狸擬きの足を拭き、新しく渡された布で狸擬きの毛をわしわしと拭く。
「今日はこれで勘弁してやるの」
部屋で変わらぬ佇まいで留守番していた炊飯器に小豆を入れて炊飯しながら、買ったものを袋から取り出す。
四角い、小さな四方が15センチ程度の高さは5センチ程度、七輪ではなく焜炉コンロに近い物と言えばいいか。
真ん中に穴が空き、中は丸い受け皿が引っ付いている。
上の空洞に小鍋が乗る程度の、これまた小さな五徳に似たものが乗っている。
店の者に実演してもらったこれは、やはりマッチで間違いないらしい。
(この世界にもあるのが嬉しいし有り難いの)
主に石や革の店に置いているらしい。
箱は紙ではなく、薄い、なんだろうか、薄くてざらざらした木でもない、藁半紙を固くしたようなもので、表以外はどの面でもマッチを擦れる。
(元の世界で読んだ本だと、ライターの後にマッチが作られたと言うけれど……)
こちらの世界にライターに近いものはないし、なぜ魔法が存在する世界でマッチが作られたのか。
自分のように魔法が使いない者も存在するからだろうか。
この石は4~5回使えるらしい。
使い終えるとそのまましてゴミとして捨てられるし、野宿で焚き火に放り込めると身振り手振りで。
多分、そんなことを言っていた。
(気がする)
火だけれど、煙もでない焼いても石にも何の臭いもない。
不思議で便利な道具。
マッチを擦ってみると、ボッと小さな火が付いた。
揺らめく橙色が美しい。
コンロの中のこの万能石に近づけると、石がゆっくり小さく発光し、ゆらゆらと火にまみれていく。
これは。
「固形燃料、に近い物かの」
部屋の灯りと同じかと思ったけれど、部屋の灯りの石はもっと融通が利く。
そしてもう1つ買ったもの。
小さな片手鍋、注ぎ口があるから『みるくぱん』と言うだろうか。
愛らしい紅色に塗られた手鍋。
風呂場で水を注ぎ、コンロに置く。
狸擬きもゆっくり尻尾を振りながら眺めてくる。
別の袋から茶葉と茶漉しも取り出す。
「茶漉しは元の世界とタメはるくらいに精巧の」
茶葉だけを取り扱う店もあったが、逆に飲み物はそこまで多くの種類はないのだろう。
狸擬き共々、なんと試飲とやらまでさせてくれ、日持ちもするだろうと、旅立ちのために色々と買ってしまった。
気掛かりなのは。
「荷物……入りきるかの」
買った時には大きく見えた狸擬きに背負わせる鞄、部屋に転がる今は、何とも頼りなく小さく思えてきた。
最悪、両手が塞がるが片手にも荷物を持つか。
ぬぬんと考えていると湯がぼこぼこと沸きだし、
「お主はどれがいい?」
茶葉の袋を並べると、狸擬きは少し首を傾げて悩んでから、トストスと小さな前足が1つの袋を叩く。
香ばしさが売りの、いつか嗅いだことのある匂い。
(あぁ、これはなんだったかの……)
あまりに記憶が膨大すぎて思い出せない。
生きている間、ほとんどの時間、ただひたすら小豆を研いでいただけなのに、それでも、あの大きな大きな海のように、頭の中は記憶で埋め尽くされている。
「我は……そうの」
二度程度はおいしく飲めるらしいほうじ茶に似たものを選ぶ。
とぽとぽと茶漉しを通して湯を注ぎ、1人と1匹で茶に口を付ける。
「……ふぬぅ」
「……」
何だか力が抜ける。
それは。
なかなかに、良い脱力感。
茶を飲みながら絵本を開くと、狸擬きも隣にやってきた。
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