第8話

商業人が多いせいか、ここの街は朝が早いらしい。


商業人向けの朝食を出している店も多く、他の客もそれに釣られて外に出てくる。


宿も朝食はなく、あの台所への扉は閉じられたまま。


今朝は薄曇りで気温は少し低めかもしれない。


暑さ寒さはそう感じないが、人に合わせて不自然にならぬよう、多少は服も変えなければならないかもしれない。


狸擬きには先に握り飯を食べさせると、そのまま呑気に二度寝に入るため、呆れ半分1人で外に出てきた。


(護衛とは一体……)


朝からがっつりと食べさせる店や、店は開かず店の前に屋台を出している所もある。


珍妙な格好の幼子1人の姿は多少目は引くらしいが、ちらと好奇の眼差しが向けられるだけ。


この世界は自立がとても早い土地柄なのかもしれない。


それよりも。


(今朝は何を食べようの)


屋台の主人と目が合い、人懐こく手を振られ、そこは何屋の、と近づきかけた時。


「の……っ?」


不意打ちにも不意打ちの風がすごい勢いで吹き抜け、周りも驚いて動きを止めている。


木の看板が倒れて転がり、ざわついた声と共に、


(ふぬ、大爪鳥の)


大きな大きな影ができ、 街を覆うように旋回し、どうやら珍しいことらしく、皆が空を見上げているし、屋台や家の中にいた人間らも外に出てきて空を見上げている。


ほんのり黄色みがかった鳥は、5回程旋回したあとに、寝場所である、我と狸擬きが泊まっている宿より、更に更に奥の街外れの方へバサバサと翼を羽ばたかせながら「ほばりんぐ」をして降りて行き視界から消えていった。


自分で言うのもなんだけれども、我は勘はいい方なのだ。


だからこそずっとずっと生き長らえているし、こんな所まで来て、今は何やら旅までしている。


(何用かの……)


そう、あの鳥に探されている気がした。


「ふむん」


きっと、あの馬車の幌から見上げたあの一瞬ですでに認識されていたのだろう。


我も視力はいい方だけれど、鳥には到底敵わない。


それでも。


とりあえず先に腹拵えをしたい。


さっきの屋台で芋に似たものを揚げた揚げ芋を買う。


「うぬん、美味、美味」


油の付いた指を舐めて、まだまだ腹には余裕があるため歩き出す。


朝から結構がっつりなものを売っていて、


(あれの、お祭りとやらに似ているの……)


元の世界ではずっと、遠目から眺めているだけのものだったけれど。


この世界にも祭りはあるのだろうか。


きっとあるだろう。


焼いた肉を薄い小麦の生地で包んだものを買い、


「のの、これも美味いの」


少し考えてから、


「もう一つ」


と店の店主に指を上げてコインを見せると、承知と言わんばかりに力瘤を見せてくれる。


宿へ戻る前に穴のないドーナツ的なものを買い、食べながら帰る。


受付は無人。


「帰ったの」


ぐうすか寝ていた狸擬きは、こちらの声ではなく、買ってきた土産の魚サンドの匂いに鼻をひくつかせて起き上がる。


「食べたら散歩の」


「……」


「そうの。宿も揺れたの?」


「……」


「のの、さすが石でできた建物の」


ビクともしなかったらしい。


狸擬きを引き連れて街の奥へ奥へ向かうと、店ではなく民家が増え、生活臭が漂ってくる。


悪いものではなく、感じる空気も柔らかい。


外に出てきている街の人々には、さすがに幼子1人か、ここら辺の者でもない、どうした?と露骨な視線は感じるけれど。


その民家を更に抜けると、大きな芝生が広がり、また大きな大きな低い形だけの囲いがあり、少し遠くに見えるのは、こんもりと青々とした山々。


手前の囲いの真ん中に鎮座しているのは、


(大きいのぉ……)


例え鎮座していても真っ正面から見上げればひっくり返りそうな程に大きな鳥。


こちらに気づいているはずのに目を閉じている。


柵を潜り、鳥の前に立つ。


「何用かの」


ちらと三重の目蓋を開いた瞳は美しいエメラルドグリーン。


『……』


「我に用があるのではないのか?」


『……』


勘違いだったか。


『……』


「なら帰ろうの」


狸擬きを促す。


今日は宿で『お勉強』の続きをしたいのだ。


そうの、もう1泊分の宿代を払わねば。


『……お待ちを』


案外若い声だ。


人間でいうと年若い青年、昨日馬車で一緒になった若者くらいだろうか。


「なんぞ」


『手合わせ、願えませぬか』


手合わせ。


囲碁や将棋の事ではないのだろう。


(ふぬん)


小豆の沸く右手にほんのり力を込めながら、


「それだけ大きいと我は手加減はできぬ。そうしたら、お主は仕事が出来なくなるどころか、当分飛べなくなるが良いのかの?」


青熊たちには初めは力加減が分からず軽く投げつけるだけで、蜂の巣どころか原型もなくしてしまった。


代わりにどれだけの小豆でどれだけの威力があるのかは、それとなく解った部分もあるのだけれど。


『それは……』


大爪鳥はぐっと詰まる。


「お主はまだ仕事中だろうの」


こやつらは好戦的な種族なのだろうか。


もっとあの可憐な豚に色々聞いておけばよかった。


『そうなんですが……』


もだもだして埒が明かない。


(ふぬ、面倒の)


不死とは言え時間は有限なのだ。


「『かまってちゃん』とやらは苦手での。失礼するの」


狸擬きがフンと呆れた空気を漂わせ、それがこちらにもしっかり向いていることが納得いかない。


年のわりに気が短いとでも言いたいのだろう。


余計なお世話だ。


(まぁよいの)


それより我は、そろそろ小豆を研ぎたいのだ。


そう、この大きな囲いの向こう側に抜けた先に山との間に川があるのも知っている。


「今日はしゃきしゃき日和の」


曇っていようが関係ない。


鳥の前を通り過ぎて行くと、のこのこ着いてきた狸擬きが、しかし足を止め、大爪鳥の方へ戻っていく。


(のの……?)


珍しく仕事をしそうなため、放っておいて1人で川へ向かう。


知らない草木も花々も段々見慣れてきた。


川に泳ぐ知らない魚も。


(最近、美味しそうには見えてきているがの)


「ふふん、ふふん♪」


「ふふん、ふふん♪」


小豆を、小豆を、しゃき、しゃき、しゃき。


宿に炊飯器を置いてきたが、ここにも盗むものは居ないだろう。


研いだものは、小振りの麻袋に仕舞い、口を縛る。


また小豆を洗っていると雲の隙間から光が射し込み、


「……」


小豆を仕舞ってから、鞄を枕にして、その場に、草むらに寝転がり辺りを見回し。


「……ぬん」


本当に。


(ここは知らぬ世界なのだの……)


しみじみと感じる。


それとも。


これは、元の世界で我が見ている、長い長い夢なのだろうか。


目を閉じ掛けると、


(の……?)


鯨と蛇の姿が、雲の隙間から、チラと見えた。




もたもたと歩いてきた狸擬きが、前足を立てて座る。


「なんぞだったの?」


「……」


伝わってくるのは、あの大爪鳥はここらでは一番自分が強い自覚があった。


なのに、どうやら自分と同じくらいの気配がして気にしてみたら、豆粒のように小さな生き物。


気のせいかと思ったけれどどうにも気になる。


気になって呼び出してみたら、どうやっても敵いそうにない相手で、へそを曲げたと。


声の通りに、いや、それ以上にずいぶんと幼いらしい。


下らないと大爪鳥の許へ戻ると、今度は両足で立っていた。


立派な爪を立てて。


「もう何日もしたら我はここから出ていく。そしたらまたお主が一番強い、一等賞だ、安心せよの」


酷く納得行かない顔をし、まぁそれはそうかと、隣の狸擬きの背を撫でる。


「強さを誇示したいなら、お主も旅をしてみればいいの」


『……』


「別に人の奴隷でもあるまい」


そういう術が掛けられている様子もない。


『飯が』


「の?」


『向こうもこちらも、人間が出してくれる飯が美味いのです』


飯。


『狩りならいくらでもできますが、この爪とくちばしではろくに料理もできない』


「ははぁ」


至極納得した。


「生肉より焼いた肉よの」


『そうなんです。生まれたときからそうだったから、もう生肉そのままは食べられはするけど食べたくない』


「ぐるめ、の」


『甘やかされて育ちました。だから小さきあなたにも、どうにも無駄に突っかかってしまった』


申し訳ない、と目を伏せる。


年若き幼子と思っていたが、案外身の程と無礼を詫びる術は知っているらしい。


(あれの「初めての挫折」というものの)


「しかし、大きな大きなお主を賄えるほどに、そちらの村は裕福なのだの」


『私たち用の家畜が飼育されているくらいなので』


「なんと」


『それに、私たちは飛ぶために骨も肉も案外少ないのですよ』


「ほほぅ」


『強いのは嘴とこの爪先だけ』


「十分ではないか」


昼までに荷物がここに届き、それを持ってまた帰ると。


「お主の仲間はたくさんいるのかの?」


『多くはいない様です。私の種族は群れることなく、人間のように数少ない子を生んで大切に育て、やがて旅立つと聞きます」


(の……?)


少し気になったが、その疑問は後回しにする。


「お主は?」


『年頃になれば見合いがあるそうです』


見合いと。


一体どこから来るのやら。


商業人やここの土地の人間がやってきた。


大柄な人間ばかりだけれど、ほんの僅かな悪意の欠片も感じられないため、怖くはない。


勝手に人の土地に入ったことを咎められるかと思ったが、


「○○?」


「△□?」


見た目のせいか鳥を見たくて迷い込んできた子供と思われたのか、ニコニコしながら鳥を指差し何か訊ねてくる。


黙って小首を傾げると、それでも、そうかそうかと言わんばかりに頭を撫でてくれる。


「帰れるか?」


的なことを聞かれたために、頷いて狸擬きを率いて踵を返すと、


『また』


鳥の声が追いかけてきた。


「?」


『またいつかお会いしたい』


「あぁ、そうの」


そのうちの、と手を振ると、図体の割にとても澄んだ、


「ピルルルルゥ……」


美しい鳴き音を聞かせてくれた。




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