第7話
二皿目を食べ終わる頃に、食堂のドアから老人が入ってきたため、隣の席に置いておいた葉と風呂敷に包んだ赤飯おにぎりを、風呂敷から外して差し出す。
老人が自分の胸許を指差すため頷くと、嬉しそうに両手で受け取り、物珍しそうに葉を眺めて、何か言っているが当然聞き取れず。
あの有り難い玩具と絵本のお礼だ。
ご馳走様をして、椅子から飛び降りるも目測を誤り、狸擬きの毛先を草履が踏み、
「のっ!?」
滑って丸まる狸擬きに、もいんっと尻餅を付いてしまった。
「……っ!?」
狸擬きは驚いて跳ねたものの、やはり声は上げない。
もしかしたら、無口ではなく、ただ声が出せないのかもしれない。
「のの、すまぬの」
「……」
怒るかと思ったが、スンッと鼻を鳴らすだけ。
部屋にもどり、詫びも込めて赤飯を炊き、
「ほれ、炊いてる間に風呂の」
促せば、先刻尻で踏んづけた時より遥かに不満げな顔。
「お主が丸まった所を見てみるの、すでに汚れておるの」
石畳に敷かれた敷物は枯草色だったけれど、見事にそこだけうっすら茶色い。
「このままではベッドでは寝かせられんの」
の言葉に渋々浴室の扉へ向かう狸擬き。
風呂場手前の脱衣場には、厚手の紙に、灰色に何やら鈍い色が混じった軽い石が置いてあり、隣には、
「燐寸、マッチの……」
狸擬きが、短い前足を伸ばして石を取ると、こちらにマッチを持って来いと3本足で風呂場へ向かう。
その狸擬きに、この石にマッチで火を点けろと促され、マッチを点けて石の先に火を点けると、軽い石の先にふわっと火が灯り、狸擬きは石が半分くらい燃えるまで持っていたけれど、すでに水が溜まっている浴槽に放り込んだ。
「のっ?」
石に点いた火は当然消えたけれど、底まで落ちた石は、熱を持ったままらしく、じわじわと水温が上がっていく。
「ほほぅ、焼け石の……」
この大きさの石が、この水量だと適温なのだろう。
浴槽の水が温まる間に、
「あーずき洗おか、たーぬき洗おか♪」
「たーぬき洗うか、ゴシゴシゴシ♪」
狸擬きを洗う。
今回は2回で泡が立った。
自分の身体も洗ってから、
「身体を貸してくれの」
狸擬きに乗ってから、猫足の風呂に浸かる。
石はもう熱は持たず、湯の温度は適温。
浴槽に高さがあるせいで、頭まですっぽり収まり浴槽と石の天井しか見えない。
狸擬きが、身体を盛大に身体を震わせ、水飛沫が降って来た。
広くない浴室には、黴が見えず清潔であるけれど、乾燥している気候のため、黴などは無縁なのかもしれない。
その割に。
(ここも、水の不足はなさそうの……)
耳をじっと澄ませて、外の気配を、街の気配を窺う。
ざわめき、楽しそうな笑い声が多いが、店は早場と閉まり、開いているのはもう酒場やレストラン、茶屋だけ。
いや、街の外れの、人間の男たちのための夜の店の扉が開こうとしている時間でもある。
この石の街並みはここら辺では珍しいらしく、商業人だけでなく、観光としても訪れる人間も多くいるようだ。
しかし獣連れはそんなには多くない模様。
耳を研ぎすませて分かるのはそれ位。
また狸擬きの背を借り、
「お主は脚立として便利よの」
「……」
怒るかと思ったが、満更でもないらしい。
それでいいのか、自称護衛よ。
そういえば、髪やこの狸を乾かすのはどうすればいいのかと思いながら、薄手の布で身体を拭き、部屋の案内版を開くと、温泉にいた女の様な手から風の魔法の出る者がいるらしい。
受付へ行くとあの給仕の少女が現れ、自分と狸擬きの身振り手振りで髪を乾かして欲しいと伝えてコインを見せれば、少女は頷き、部屋へ行きましょうと指を階段へ向ける。
そしてやはり、水を吸って重そうな狸擬きから乾かし始めるけれど、前に乾かしてくれた風呂屋の若い女とは違い両手で温風を出している。
力は年を重ねるごとに強まるのか、もしくは元々の本人の資質もあるのか。
以前は、あんまりに汚れた時以外はそうそう水浴びもしなかったけれど、狸擬き続いて髪を乾かしてもらえば。
(ふふん、さらさらな髪ももなかなかに悪くないの)
自分で乾かす手段も欲しいものだ。
魔法が多少あるからこそ、電気的なものの発明が遅くなるのか。
この世界の人間の、しかとのんびりした気質も大いにあるのだろう。
娘が部屋から出ていくと、またもベッドのすぐそばにいる狸擬きの背に乗り、
「よし、では行くの」
狸擬きの背中からポーンッとベッドに飛び込む。
「わほぅっ♪」
身体がぼうんっと跳ねて着地。
ベッドはやはり何か分からないけれど、適度な弾力がある。
元の世界で見た、ゴミとして捨てられていたベッドから突き出ていたコイル?的なものはまた違う。
狸擬きが呆れた顔でベッドで飛び乗ってきたが。
「心地好いのぉ」
全く気にならず、大の字になる。
「の。あの火の様に揺れる灯りも前と同じ消し方なのかの?」
まだ眠る気はなかったけれど、視界に入り狸擬きに訊ねてみる。
「……」
狸擬きは、ベッドの上で四つん這いになると、その炎に似たものに到底届かない息をフッも吹き掛けると、なぜか灯りが半分程落ちる。
「……ぬ、やはりそれはただのお前の力ではないのか?」
「……」
狸擬きの澄ました横顔。
教えてくれないらしい。
ケチよの。
いつか人間と話が出来るようになったら聞いてみよう。
横たわる狸擬きを枕にして身を清潔な布に沈めると、寝る気はなかったのに、実態なき睡魔とやらが魅力的に微笑みかけてくる。
「……ぬん?」
我が眠る直前に、狸擬きがまた息を吹き掛けて、灯りを消したのは、微かに覚えている。
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